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2008-09

Jimmie FOXX(ジミー・フォックス)

Major League Baseball

#* ジミー・フォックス(Jimmie FOXX) | 1B

ジミー・フォックス

  • 1925年・アスレティックスと契約
  • 1907年10月22日生 右投右打 183センチ 88キロ
  • メリーランド州出身

選手の紹介文
1930年代を代表する打者のジミー・フォックス。とんでもない怪力で、メジャーリーグ最高の右打者として名前が挙がるジミー・フォックス。1930年代を代表するパワーヒッターであり、三冠王を獲得し、シーズン58HRを記録したことがあるなど一時代を築いた選手である。フォックスの綴りがXを重ねる珍しい名前だったため、「ダブル・エックス(Double X)」と呼ばれたりしている。

生まれはベーブ・ルースと同じメリーランド州であった。農家の家に生まれたこともあり、子供の頃から農場で父の手伝いを行っていたという。後の怪力はこのときの農場の手伝いが少なからず影響を与えていたはずである。野球でも折り紙付きの実力を見せたフォックスだが、本人は投手かサードを守りたかったとのことだが、チーム事情により捕手に回ることになった。

フォックスは、かつてアスレティックスでHR打者として活躍していたフランク・ベイカーによって見いだされた。ベイカーはマイナー球団の監督をしており、フォックスを勧誘。アスレティックスと契約するのは1924年のことで、まだ17歳のことだった。荒削りではあるが、遠くに飛ばす長距離砲としての資質は垣間見せていた。

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Yogi BERRA(ヨギ・ベラ)

Major League Baseball

#8 ヨギ・ベラ(Yogi BERRA) | C

ヨギ・ベラ

  • 1946年・ヤンキースと契約
  • 1925年5月12日生 右投左打 177センチ 88キロ
  • ミズーリ州出身

選手の紹介文
ヤンキース黄金時代を支えたベラ。ヤンキースの黄金時代を強肩強打の捕手として支えたヨギ・ベラ。メジャー18年間の間に14度のリーグ優勝に加え、10度の世界一を経験。MVPを受賞すること3回を数え、オールスターゲームには15回出場している。現役引退後は監督としてもリーグ優勝を経験している。背番号8はヤンキースの永久欠番となり、その栄光が讃えられている。

ミズーリ州セントルイスで生まれたベラ。本名はローレンス・ピーター・ベラというが、ヨギという愛称がついたのは幼少時の頃だった。猫背のままがに股という特徴的な歩き方が、当時の映画にあったインド人の蛇使いに似ていたという。そうであれば蛇使いという愛称になるはずが、子供故にインドつながりで蛇使いとヨガ行者が混同してしまい、いつの間にかヨガ、それがなまってヨギと呼ばれるようになったという。

イタリア系の移民だったというベラは高校時代から野球の才能が際だっていたという。1942年にはカージナルスから誘いを受けたが、一緒に誘われた友人のジョー・ギャラジオーラの契約金の方がベラの倍もあったことから誘いを断ったという。その後、ヤンキースと契約金500ドルで契約を交わしたのは1943年のことである。その年、マイナーリーグに参加し、ダブルヘッダーで23打点と驚異の記録を残している。

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#008「大記録に挑んだ安打製造機!5安打足りず」(1980)

惜しくも打率4割を逃した1980年のブレット。1980年のジョージ・ブレットは、8月が終わった段階での打率が.403と高打率をキープ。実にテッド・ウイリアムス以来の4割打者誕生かと注目が集まったが、9月に入って失速。途中、手首の怪我で離脱もあったが、9月19日の時点で.400として以降はスランプに陥った。結果、打率.390(449打数175安打)に終わり、打率4割は達成できなかった。打率4割には5安打足りなかった計算になる。

開幕当初のブレットは決して好調を維持し続けたわけではなく、5月が終わる段階では打率3割にも足りてなかった。6月になって調子を取り返すが、盗塁を試みた際に右足首を痛めて約1ヶ月離脱。7月10日に戦線復帰し、そこから快進撃が始まった。7月の月間打率は.494、8月の月間打率は.430という勢いで打率4割の期待を抱かせたのである。

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#007「移籍が生んだ珍事!移籍前リーグで首位打者」(1990)

移籍前のリーグで首位打者に輝いたマギー。1989年8月29日、リーグ3連覇を狙うアスレティックスはカージナルスからウイリー・マギーを獲得。移籍が決まった時点でマギーはナショナルリーグ2位となる打率.335をマークしていた。思いもよらぬシーズン終盤でのアメリカンリーグでの移籍となったが、マギーは移籍後不振に陥った。チームもリーグ3連覇は達成するが、ワールドシリーズではレッズの前に4連敗してシーズンを終えた。

不振に陥ったのはマギーだけではなく、移籍前にナショナルリーグ1位だったレニー・ダイクストラも不振に陥った。マギー移籍前には.340だった打率が、シーズン終了時には.325とリーグ4位に落ちていた。これにより既にナショナルリーグで規定打席に達していたマギーが、アメリカンリーグに在籍しながら、ナショナルリーグの首位打者になる珍事が起こったのである。

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#006「打率4割の最年少記録を作った“若者”」(1941.9.28)

メジャー最後の4割打者であるウイリアムス。1941年、開幕当初のテッド・ウイリアムスは足首の怪我が響き、約2週間は代打での出場が続いた。スタメンに復帰後は復調し、5月25日の対ヤンキース戦で5打数4安打をマークして打率を4割の大台に乗せた。そのまま4割を維持したままでオールスターゲームに出場し、劇的な3ランHRも放っている。

後半戦に入り、一時的に打率4割を割ることがあったが、選球眼の良いウイリアムスはよく四球を選んでいた。シーズンが終盤に差し掛かり、打率4割が現実のものとなってくるに従って、周囲は騒ぎ始めたのである。もし4割打者が誕生すれば、1930年のビル・テリー以来11年ぶりとなる。

残り3試合を残した段階で打率は.399。残すは9月27日、28日の対アスレティックス3連戦(28日はダブルヘッダー)のみである。27日の試合では3打数1安打に終わり、打率は.3995となった。四捨五入すれば打率4割となることから、28日の試合はウイリアムスは欠場するのではという声が聞こえた。

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#005「勇気ある決断!連続試合出場ストップ」(1998.9.20)

自ら申し出て、連続試合出場に終止符を打ったリプケン。1998年9月20日、そこにあるべきはずの名前がなかった。この年のボルチモアでの最終戦、カル・リプケンが自らの連続試合出場に終止符を打つことを決断し、自ら申し出たという。1982年から続いていたメジャーリーグ記録でもある連続試合出場は2632試合でストップすることになった。

1982年5月30日から始まった連続試合出場は、サードを守りスタートし、後にショートストップにコンバート。1982年6月5日からは1987年9月14日までは8243連続イニング出場を果たし、これもメジャー記録である。1994年のストライキを乗り越え、1995年9月6日にはルー・ゲーリッグの持つ2130試合連続出場のメジャー記録を塗り替えた。1996年6月14日には衣笠祥雄の2215試合連続試合出場という世界記録も塗り替えたのである。

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Christy MATHEWSON(クリスティ・マシューソン)

Major League Baseball

#* クリスティ・マシューソン(Christy MATHEWSON) | SP

クリスティ・マシューソン

  • 1900年・ジャイアンツと契約
  • 1880年8月12日生 右投右打 185センチ 89キロ
  • ペンシルベニア州出身

選手の紹介文
ワールドシリーズで3完封を記録したマシューソン。抜群の制球力とスクリューボールを武器に一時代を築いたクリスティ・マシューソン。1905年のワールドシリーズで3試合を完封勝利で飾ったことは伝説になっている。積み上げた白星は373個を数え、歴代3位になる大記録である。当時のニューヨークの優秀な消防隊にちなんで「ビッグ・シックス(Big Six)」という愛称で呼ばれた。

ペンシルベニア州に生まれたマシューソンは、スポーツ万能で学業成績も良いという模範的な学生だった。スポーツでは野球の他にフットボールをプレーしていたという。1899年に大学を中退し、プロ野球の世界に身を投じた。マイナーリーグの球団と契約したわけだが、この期間にスクリューボールを習得したという。

1900年にはマイナーのノーフォークと契約し、20勝2敗と圧巻の好成績を残していたところ、7月にジャイアンツと契約するに至った。待望のメジャーの舞台に上がったが、わずか6試合の登板で0勝3敗と振るわなかったのである。ジャイアンツは一旦、マシューソンをノーフォークに送り返したが、マシューソンの実力を評価していたレッズがルール5ドラフトで指名したのである。

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Rogers HORNSBY(ロジャース・ホーンスビー)

Major League Baseball

#* ロジャース・ホーンスビー(Rogers HORNSBY) | 2B

ロジャース・ホーンスビー

  • 1914年・カージナルスと契約
  • 1896年4月27日生 右投右打 180センチ 86キロ
  • テキサス州出身

選手の紹介文
シーズン最高打率となる.424を記録しているホーンスビー。史上最高の右打者と呼ばれるロジャース・ホーンスビー。1924年に記録した打率.424はシーズン最高打率として、今の燦然と輝くメジャー記録である。さらに三冠王を獲得したことは2回を数えるなど、セカンドを守る選手としては20世紀を代表する選手となる。野球に対して厳格すぎるほどの姿勢は、周囲と軋轢を生むことも珍しくなかった。

テキサス州の酪農家の家に生まれたホーンスビー。学生時代に野球の才能を発揮し、18歳になった1914年にはマイナーリーグでプレーを始めた。ショートを守っていたホーンスビーはガリガリの選手であり、あきらかな力不足だった。この年は113試合に出場し、打率.232しか記録していない。翌1915年も119試合の出場で打率.277と結果は残せないでいた。

そんなホーンスビーに目を付けたのはカージナルスである。ファーム体制の充実を図っていたカージナルスのスカウトの目に引っかかったのである。契約金500ドルでカージナルスはホーンスビーと契約し、1915年にはメジャーリーグの舞台で18試合にだけ出場している。

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