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2008

Matt WILLIAMS(マット・ウイリアムス)

Major League Baseball

#9 マット・ウイリアムス(Matt WILLIAMS) | 3B

マット・ウイリアムス

  • 1986年6月ドラフト・ジャイアンツ1位(全米3番目)
  • 1965年11月28日生 右投右打 188センチ 95キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
本塁打王と打点王の受賞経験のあるマット・ウイリアムス。在籍した3チーム全てでワールドシリーズを経験しているマット・ウイリアムス。2001年にはダイヤモンドバックスに在籍し、3度目の正直で初めての世界一の名誉を手にした。1994年、HR量産しながらもストライキで中断し、43本で終えたシーズンは非常に悔やまれる。1990年代のメジャーリーグHR協奏曲を語るに欠かせない選手である。

ウイリアムスの祖父はバート・グリフィンといい、1922年から24年の間、ブルックリン・ドジャースとワシントン・セネタースでプレー経験のあるファースト兼外野手だった。父親は大工で、子供時代のウイリアムスはバットを振るよりハンマーを振ることの方が多かったという。そんなウイリアムスは高校卒業時にメッツから27位指名(全米664番目)を受けるが、大学進学の道を選ぶ。大型ショートとして活躍し、大学3年時の1986年には、57試合の出場で打率.351、25HR、89打点と猛打を発揮。この年のドラフトでジャイアンツから1位指名(全米3番目)を受け、晴れてプロ入りする。

1987年4月11日にショートストップとしてメジャーデビューを果たした。初ヒットはオーレル・ハーシハイザーから放ったが、手首の怪我もあり、満足する成績を挙げられずにマイナー降格。翌1988年、開幕ロースター入りを果たすが、結果を出せずに3Aへ降格。しかし、3Aでは82試合に出場して、打率.271、12HR、51打点をマーク。3Aのパシフィックコーストリーグにおいて、75年ぶりの1試合4HRも記録してメジャーへ復帰。この年はノーラン・ライアンからグランドスラムも放っている。

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Roberto ALOMAR(ロベルト・アロマー)

Major League Baseball

#12 ロベルト・アロマー(Roberto ALOMAR) | 2B

ロベルト・アロマー

  • 1985年2月・パドレスと契約
  • 1968年2月5日生 右投両打 183センチ 84キロ
  • プエルトリコ出身

選手の紹介文
ブルージェイズ時代に2度の世界一を経験したアロマー。父(サンディー・アロマー・シニア)がメジャーリーガー、兄(サンディー・アロマー・ジュニア)もメジャーリーガーという野球一家に育ったロベルト・アロマー。10度のゴールドグラブ賞受賞、12回のオールスター出場に加え、世界一も2度経験している名セカンドベースマンである。通算安打数も2724本を数え、殿堂入りはほぼ時間の問題と思われる。

プエルトリコで生まれたアロマー。父親の影響で当然のように野球を始める。父に加え、叔父3人もメジャーリーグに所属していることもあり、アロマー家の子供たちには必然的に注目が集まった。学校が休みになると家族で父に同行し、メジャーリーグの各球場を遊び場にアロマー兄弟は走り回った。後のスーパースター、バリー・ボンズとも遊び仲間だったという。リトルリーグに入って野球を始めると、内外野のほとんど全てのポジションを守った。その中でアロマーが好んで守ったのが、父と同じセカンドである。

17歳になったばかりの1985年、パドレスとマイナー契約を結び、プロの世界に足を踏み入れた。後年守備で名を挙げるアロマーも、この頃は守備で苦労した。契約したばかりの1年目は、1Aチャールストンで137試合に出場し、打撃面では打率.293をマークしたが、守備面では35個のエラーを喫するなど、これはセカンドとしてリーグ最多記録。言葉の壁もあり、苦しい時期ではあったが、メジャーリーガーになるという強い意志の上で練習を重ねた。

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Edgar MARTINEZ(エドガー・マルチネス)

Major League Baseball

#11 エドガー・マルチネス(Edgar MARTINEZ) | 1B

エドガー・マルチネス

  • 1982年12月・マリナーズと契約
  • 1963年1月2日生 右投右打 180センチ 86キロ
  • ニューヨーク州出身

選手の紹介文
マリナーズ一筋にキャリアを全うしたエドガー・マルチネス。「ミスターマリナーズ」という称号が最もふさわしいエドガー・マルチネス。独特なリーダーシップでチームを引っ張り、勝負強さには定評があるイカしたナイスガイであった。背負っていた背番号11番は、永久欠番に準ずる位置にある。歴代指名打者の中でも代表的な存在として知られている。

ニューヨーク州で生まれたが、プエルトリコ人として育ったこともあり、尊敬する選手にはロベルト・クレメンテの名前を挙げるマルチネス。少年時代、たまたま見たパイレーツとオリオールズのワールドシリーズ(1979年)が、マルチネスを野球の世界に導いた。プエルトリコのアメリカン大学を卒業後の1982年12月にマリナーズと契約を交わした。

1984年、1Aワウソウで126試合に出場し、打率.303、15HR、66打点と好成績をマーク。翌1985年は2Aチャタヌガで開幕を迎えるが、シーズン後半には3Aカルガリーへ昇格するなど順調な成長曲線を描いていた。1986年は2Aでフルシーズン過ごし、打率.264、6HR、74打点をマーク。そして、1987年には3Aで129試合に出場し、チームトップとなる打率.329をマーク。この年の9月に入って、待望のメジャー昇格を果たしたのである。3Aのプレーオフが始まるという中でのメジャー昇格だったが、マルチネスは代走としてメジャーデビューを飾った。メジャー初ヒットは2日後に飛び出し、それは3塁打だった。ちなみにこの頃のマルチネスは、プロ入りから一貫してサードを守っていたのだ。

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Juan GONZALEZ(ホアン・ゴンザレス)

Major League Baseball

#19 ホアン・ゴンザレス(Juan GONZALEZ) | RF

ホアン・ゴンザレス

  • 1986年5月・レンジャーズと契約
  • 1969年10月16日生 右投右打 191センチ 100キロ
  • プエルトリコ出身

選手の紹介文
2度のシーズンMVP受賞経験のあるホアン・ゴンザレス。1990年代を代表する選手として名前の挙がるホアン・ゴンザレス。若くして本塁打王になるパワーを見せ、出場試合数よりも多い打点を稼ぐなど、チームの主軸打者としての責任を果たした。2度のシーズンMVP受賞は誇るべき記録である。30歳以降は相次ぐ怪我で満足する成績は残していない。

プエルトリコの貧民街で生まれたゴンザレスは、近くに野球場もない場所で育ったという。道具もままならない中で野球を楽しみ、才能を発揮した。プロの世界に足を踏み入れることになるのはゴンザレスがまだ16歳の頃である。レンジャーズと契約したのは1986年5月のことである。当時はレンジャーズのスカウトが根を張っており、1年前にはサミー・ソーサ、2年後にはイバン・ロドリゲスとそれぞれ契約するなど、多くの素材を集めたのである。

契約後はルーキーリーグに参加するも打率.240と結果を残せなかった。翌1987年は1Aガストニアでは127試合に出場し、打率.265、14HR、74打点をマークしている。1988年は膝の故障でシーズンの半分を欠場するが、1989年には2Aタルサへ舞台を移した。133試合の出場で打率.293、21HR、85打点と結果を残すと、9月に入ってメジャーリーグから声がかかり、メジャーデビューを果たした(ほとんどが代打での出場だった)。

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Mike PIAZZA(マイク・ピアザ)

Major League Baseball

#31 マイク・ピアザ(Mike PIAZZA) | C

マイク・ピアザ

  • 1988年6月ドラフト・ドジャース62位(全米1390番目)
  • 1968年9月4日生 右投右打 190センチ 97キロ
  • ペンシルベニア州出身

選手の紹介文
捕手としてメジャー最多HR記録を持っているマイク・ピアザ。強打の捕手として通算427本のHRを記録しているマイク・ピアザ。ドラフト下位指名から這い上がり、新人王を獲得し、オールスター出場を12回も数えるなどメジャーリーグを代表する選手にまでなった。捕手として放ったHRは396本であり、これはメジャー記録でもある。打率3割、30HR、100打点を6シーズンも記録する名選手だった。

ペンシルベニア州の裕福な家庭に育ったピアザ。自宅の庭にバッティングマシーンを構え、子供の頃からそこで打ち込むことを毎日の日課としていた。父ビンスがドジャース監督のトミー・ラソーダと旧知の仲だったため、1977年にドジャースがリーグ優勝を決めた試合を観戦する機会に恵まれ、クラブハウスにも入れてもらい優勝という味を初めて味わうことができた。さらに12歳の頃には、「最後の4割打者」テッド・ウイリアムスから直接指導を受けたこともあったという。

高校時代は6割近い打率をマークしていたが、無名校のため注目を浴びることもなく時は流れていった。アリゾナ大学へ進学も、試合に出場するチャンスには恵まれず、途中で転学する。ここで試合出場のチャンスをもらったピアザは1988年のドラフトにおいてドジャースから指名されるが、それはなんと62巡目のことだった。この年のドラフトでは計1433人の選手が指名されたが、ピアザが指名されたのはなんと1389番目で、後ろから数えた方がはるかに早い指名順である。ドジャースとしては正直なところ、ピアザに対して全く期待していなかったという。ファーストとしては使えないと判断し、捕手としてならということでのプロ入りだった。しかし、父の友人であるラソーダがピアザの非凡な打撃センスに注目していたということも事実である。

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Bernie WILLIAMS(バーニー・ウイリアムス)

Major League Baseball

#51 バーニー・ウイリアムス(Bernie WILLIAMS) | CF

バーニー・ウイリアムス

  • 1985年9月・ヤンキースと契約
  • 1968年9月13日生 右投両打 188センチ 93キロ
  • プエルトリコ出身

選手の紹介文
名門ヤンキースの4番を任されていたウイリアムス。1990年代後半からのヤンキース黄金時代の主力選手として活躍したバーニー・ウイリアムス。スイッチヒッターとして首位打者を獲得したこともある。全盛期はヤンキースの4番打者として揺るがぬ安定感を見せた。2006年を最後に球場から遠ざかっていたが、2007年のヤンキースタジアム閉幕時に背番号51番が久々に登場し、多くのファンから声援を受けた。

プエルトリコのベガアルタに生まれたウイリアムス。幼少時から音楽に夢中で、職人だった父のギターが非常に上手かったこともあり、ウイリアムス自身のギターの腕前も早くに上達した。後にミュージシャンになるか野球選手に悩むほどの技量を育んでいたのである。また陸上競技にも取り組んでおり、15歳のときには陸上競技の国際大会で4個の金メダルを獲得するほどの活躍を見せたという。

野球を始めたのは9歳の頃で、元々の高い運動能力から早くに才能は開花した。当時のプエルトリコにはホアン・ゴンザレスイバン・ロドリゲスがおり、パワーの面では劣っていたが、スピード面では勝っていたのである。ゴンザレスを見に来たはずのヤンキースのコーチがウイリアムスを選び、レンジャーズがゴンザレスを選んだのである。

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Larry DOBY(ラリー・ドビー)

Major League Baseball

#14 ラリー・ドビー(Larry DOBY) | OF

ラリー・ドビー

  • 1947年7月・インディアンズと契約
  • 1923年12月13日生 右投左打 185センチ 82キロ
  • サウスカロライナ州出身

選手の紹介文
アメリカンリーグ初の黒人選手となったドビー。アメリカンリーグ初の黒人選手として華々しい活躍を見せたラリー・ドビー。ジャッキー・ロビンソンの影に隠れてはいるが、人種差別の壁にぶち当たりながらも結果を残した好選手である。2度の本塁打王、1度の打点王に加え、1948年にはチームを世界一に導く活躍を見せている。晩年は日本プロ野球でもプレー経験を持っている。

サウスカロライナ州で生まれ、ニュージャージー州で育ったドビー。ニグロリーグのニューアーク・イーグルスと契約したのは17歳の頃である。ドビーが任されたのはセカンドであり、徐々にキャリアを重ねていった。時代が時代と言うこともあり兵役でチームを2年ほど抜けたが、復帰した後の1946年には打率.397をマークしている。

才能を見せる若いドビーに注目したのは、当時インディアンズのオーナーを務めていたビル・ヴェックだった。ヴェックはイーグルスにドビーの譲渡を持ちかけたのである。ロビンソンがドジャースと契約した際、モナークスに契約金が払われていなかったのに対し、ヴェックはドビーのために契約金を払う約束をしたのである。結果的に移籍が合意に至り、1947年7月にインディアンズと正式に契約を交わすこととなった。

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Dale MURPHY(デール・マーフィー)

Major League Baseball

#3 デール・マーフィー(Dale MURPHY) | OF

デール・マーフィー

  • 1974年6月ドラフト・ブレーブス1位(全米5番目)
  • 1956年3月12日生 右投右打 193センチ 95キロ
  • オレゴン州出身

選手の紹介文
2年連続シーズンMVPに輝いたデール・マーフィー。1980年代のブレーブスを支えた選手であるデール・マーフィー。1982年、1983年と2年連続でMVPに輝くほどの強打を誇った。「30-30」を達成する足の早い面も見せ、さらに5年連続ゴールドグラブ賞を受賞するなどオールラウンドなプレーを見せた。しかし、長い現役生活の中でワールドシリーズの出場経験のない点が惜しまれる。

オレゴン州に生まれたマーフィーは、両親の薦めもあり幼き日からリトルリーグで野球を始めた。高校時代には長身の強肩捕手として名を馳せ、打っては打率.400をマークするだけの高い打撃能力を見せたのである。高校卒業時の1974年、ブレーブスから全米5番目となる1位指名を受けて、プロ入りを決めた。次代のジョニー・ベンチと言われるなど捕手としての評価が高かったのである。ルーキーリーグで歩みを始めるマーフィーは捕手としての育成方針が優先しており、打撃面は二の次になっていた。

1976年、1Aサバンナでは104試合に出場し、打率.267、12HR、55打点を挙げ、シーズン後半には3Aからメジャーへと一気に駆け上ったのである(メジャーでは19試合にだけ出場)。投手のマーフィーには捕手として致命的な送球難の問題に苦しんでいた。1977年、3Aリッチモンドでは127試合の出場で打率.305、22HR、90打点と打撃面で光る数字を残した。メジャーでは18試合に出場し、打率.316、2HR、14打点と非凡な数字を残したこともあり、打撃面をより生かすため、捕手からファーストへのコンバートが決まったのである。

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