- 2009-05-25 (月) 0:08
- MLB Players

#8 アルバート・ベル(Albert BELLE) | OF

- 1987年6月ドラフト・インディアンズ2位(全米47番目)
- 1966年8月25日生 右投右打 188センチ 95キロ
- ルイジアナ州出身
選手の紹介文
希代のトラブルメーカーとして、一時代を築いたアルバート・ベル。9年連続30HR、10年連続100打点という桁違いの数字を残すスラッガーではあったが、周辺が騒がしすぎてシーズンMVPも受賞することが出来ないほどの「問題児」であった。打撃能力だけを見れば、もっと評価されるべきであり、それ故に人間的な欠如は痛々しい。
ルイジアナ州に双子の兄として生まれたベル。父親が高校の野球とフットボールのコーチを務める一方、母親は数学の教師という厳格な家庭に育った。野球の才能は際立っていることはもちろん、学業成績も抜群に良かった。高校時代には学年で300人中6番になるほど成績が良く、野球でも州代表に2度も選ばれるほどの活躍を見せた。
大学へは野球の奨学生であり、学業でも奨学生として進学。インテリな青年として、会計学の学位も取得しているのである。野球の方では大学3シーズンで計184試合に出場し、打率.332、49HR、172打点という抜群の成績を残した。まさに非の打ち所のない青年に思えるが、全てに完全を求める性格が多くのトラブルを引き起こしたのである。
試合中の粗暴な振る舞いから出場停止指令を数回食らい、中には観客のヤジに逆上し、スタンドへ殴り込むこともあったという。これも全てに完全を求めるベルの性格が悪い方に転んだ例である。双子の弟であるテリーは、兄の性格を完璧主義者と言っている。失敗が多い野球というスポーツにベルの性格は合わなかったのかもしれない(ちなみに弟テリーは、後に会計士になっている)。
迎えた1987年ドラフトでは、本来なら1位指名がほぼ確実と思われたが、数多くのトラブルから指名が見送られ、結果としてはインディアンズからの2位指名(全米47番目)まで待つこととなった。野球に関することでは周囲にトラブルを多々生んだが、野球から離れれば、知的で優しい青年だったのである。
インディアンズとの契約後、マイナーからスタートするが、抑えられない感情から出場停止指令も数回食らった。1988年には1Aキンストンで41試合に出場し、打率.301、8HR、39打点と非凡な打撃成績を残している。完全を求める故に、ベル本来の長打力は磨きに磨きがかかっていくのは時間の問題だった。
1989年、2Aカントンアクロンで開幕を迎えると89試合の出場で打率.282、20HR、69打点と抜群の成績を残すと、7月半ばにはメジャー昇格を果たすこととなった。メジャーでは62試合に出場し、打率こそ.225と低かったが、7HRを記録している。当時のインディアンズは下位に低迷しており、この時点のスラッガーとしてはジョー・カーターしかいなかったこともあり、ベルへの期待は非常に高かったのである。
1990年、突如として球団に休養願いを出すこととなった。これは表向きはアルコール中毒の治療のためとなっているが、ベルに近しい人間によれば、アルコールに酔うような姿を見たことがなく、精神面の治療を行っていたのではないかとも言われている。そこから復帰すると、ミドルネームの「ジョジュアン」からジョーイ・ベルと名乗っていた登録名を、本来のファーストネームである「アルバート」に変更している。
1991年からは活躍の舞台をメジャーへ移すこととなった。前年の治療の効果は若干はあったのかもしれないが、時には客席のヤジに耐えられなくなり、ボールを客席に投げつけることもあった。自分をコントロールできない点が、周囲から要注意人物とレッテルを張られることとなる。とはいえ、この年は123試合に出場し、打率.282、28HR、95打点という数字を残しており、HRと打点はチームトップでもあったのである。
1992年は153試合に出場し、打率.260、34HR、112打点と主軸として十分な成績を残すと、翌1993年も159試合の出場で打率.290、38HR、129打点という好成績を残し、自身初の打撃タイトルとなる打点王も獲得した。スラッガーとして揺るがぬ存在感を見せるが、乱闘騒ぎなどもおこし、数回の出場停止指令も食らっている。
1994年、パワーある打撃を見せつけていたが、7月15日の対ホワイトソックス戦でバットの不正を疑われてしまった。ベルの使用していたバットからコルクが発見されたのである。これで7試合の出場停止を食らったが、押収されたバットが保管してある審判室から消え、別のバット(チームメイトのポール・ソレンタのバット)になっているという珍事があり、事態は混迷化した。ベル自身も無罪を主張し始めたのである。しかし、これは天井裏を使って、何者かがバットをすり替えたのではないかと疑われた。
明らかにインディアンズ側の内部での手口と言うことがわかり、リーグ側が指摘。インディアンズから再度、ベルのバットが提出され、その中からコルクが発見されるという事態になった。まさに混迷を極めたが、約1年後に審判室でバットをすり替えたのはジェイソン・グリムズリーの仕業であることがわかり、さらにベルのバットは全てコルク入りだったために、ソレンタのバットにしたのだという証言もあり、ようやく事実が判明した。
前代未聞の問題を起こしたこの年、シーズンはストライキにより中断されてしまったが、その中でベルは106試合の出場で打率.357、36HR、101打点と桁違いの数字を残したのである。仮にシーズンが中断されなければ打撃タイトルの獲得も夢ではなく、MVP投票でも3位に付けている。チームとしてもベテランのエディー・マレーを始めとし、ケニー・ロフトンや若手のジム・トーミ、マニー・ラミレスの台頭もあり、地区2位となるなど、浮上のきっかけを掴みつつあった。
1995年、ストライキが明けたシーズンは前半戦こそ、19HRと例年通りのペースだったが、後半戦になるとHRを量産した。8月に14本、9月に17本放ち、終わってみれば50本の大台に乗せた。143試合の出場で打率.317、50HR、126打点に加え、52本の2塁打という桁違いの数字を残し、本塁打王と打点王の二冠王に輝いた。シーズン50HRは当時の球団記録である44HR(アル・ローゼン/1953年)を塗り替えるものである。さらにHRと2塁打による「50-50」はメジャー史上初となる快挙でもあった。
ベルの打棒がチームを引っ張り、インディアンズはシーズン100勝を挙げて地区優勝を果たした。そして、ポストシーズンを勝ち抜き、41年ぶりとなるリーグ優勝も果たし、ワールドシリーズの舞台にも足を踏み入れたのである(結果はブレーブスの前に敗れ、世界一は逃した)。ポストシーズンではチームを勝利に導けなかったが、シーズン中のベルの活躍は誰もが認めるところだった。しかし、シーズンMVPの投票ではモー・ボーンに次ぐ2位に終わってしまった。これはマスコミ対応の差によるものと大きな話題になったのである。
1996年もベルの勢いは留まることを知らず、158試合の出場で打率.311、48HR、148打点という数字を残し、2年連続の打点王となった。この年もMVP投票ではホアン・ゴンザレス、アレックス・ロドリゲスに次ぐ3位となっている。オフになるとFAとなり、ホワイトソックスと5年間5500万ドルという大型契約を交わすに至った。
1997年、ホワイトソックスの主砲であるフランク・トーマスとベルとのコンビによる相乗効果が期待された。移籍1年はキャリアハイとなる27試合連続ヒットを記録。161試合の出場で打率.274、30HR、116打点と45本の2塁打という数字を残している。翌1998年も163試合に出場し、打率.328、49HR、152打点、48本の2塁打という桁違いの数字を残した。マーク・マグワイア、サミー・ソーサなどのHR協奏曲に沸く中で、ベルは十分な存在感を見せたのである。
ホワイトソックス移籍後の2年間で、トーマスとベルのコンビは破壊力を見せたが、チームの勝率は5割を越えず、ポストシーズンに出場することは出来なかった。そんな中で1998年オフにベルは契約期間が残っていながらFAとなる。これは契約内容にメジャーの年俸ランキングのトップ3に入っていなければFAになるという契約条項が含まれていたためである。そして、オリオールズと5年間6500万ドルという内容で、ベルの移籍が決まった。
オリオールズに移籍した1999年、161試合に出場して打率.297、37HR、117打点をマーク。翌2000年も141試合の出場で打率.281、23HR、103打点という数字を残している。そして2001年以降は臀部を痛めた影響で1試合も出場することはなかった。契約は2003年まで残っていながら復帰することなく、2000年10月を最後にメジャーリーグの舞台に戻ってくることはなかったのである。プレーしなかった3年間も高額な年俸は支払われていたのである。トラブルメーカーとして知られるベルの幕切れとしては、後味の悪い形となった。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 本塁打王:1回(1995-AL)
- 打点王:3回(1993-AL、1995-AL、1996-AL)
受賞アワード一覧
- シルバースラッガー賞:5回(1993-AL~1996-AL、1998-AL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1989 Cle 62 218 22 49 8 4 7 37 55 12 2 .269 .394 .225 1990 Cle 9 23 1 4 0 0 1 3 6 1 0 .208 .304 .174 1991 Cle 123 461 60 130 31 2 28 95 99 25 3 .323 .540 .282 1992 Cle 153 585 81 152 23 1 34 112 128 52 8 .320 .477 .260 1993 Cle 159 594 93 172 36 3 38 129 96 76 23 .370 .552 .290 1994 Cle 106 412 90 147 35 2 36 101 71 58 9 .438 .714 .357 1995 Cle 143 546 121 173 52 1 50 126 80 73 5 .401 .690 .317 1996 Cle 158 602 124 187 38 3 48 148 87 99 11 .410 .623 .311 1997 CWS 161 634 90 174 45 1 30 116 105 53 4 .332 .491 .274 1998 CWS 163 609 113 200 48 2 49 152 84 81 6 .399 .655 .328 1999 Bal 161 610 108 181 36 1 37 117 82 101 17 .400 .541 .297 2000 Bal 141 559 71 157 37 1 23 103 68 52 0 .342 .474 .281 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1539 5853 974 1726 389 21 381 1239 961 683 88 .369 .564 .295
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:5回(1993-AL~1997-AL)
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