- 2008-07-06 (日) 0:13
- MLB Players
#13 アレックス・ロドリゲス(Alex RODRIGUEZ) | 3B

- 1993年6月ドラフト・マリナーズ1位(全米1番目)
- 1975年7月27日生 右投右打 188センチ 86キロ
- ニューヨーク州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 2005 NYY 162 605 124 194 29 1 48 130 139 91 21 .421 .610 .321 2006 NYY 154 572 113 166 26 1 35 121 139 90 15 .392 .523 .290 2007 NYY 158 583 143 183 31 0 54 156 120 95 24 .422 .645 .314 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1904 7350 1501 2250 395 26 518 1503 1524 915 265 .389 .578 .306
選手の紹介文
現代のメジャーリーグで最も注目されている選手として名前の挙がるアレックス・ロドリゲス。年俸はメジャー史上で見ても1番高いことは有名で、さらに幾多の最年少記録を塗り替えていることもあり、このままのペースで数字を残し続ければ、多くの大記録を更新する可能性を秘めている。名門ヤンキースへ移籍する際、ショートストップからサードへのコンバートを受け入れるほど勝つことに飢えているのである。
A-ROD(エイロッド)という愛称で親しまれているロドリゲスの両親はドミニカ人である。そのため、ロドリゲスの体には、メジャーリーガーの人材の宝庫と言われているドミニカの血が流れている。幼くして父親が家から出ていったこともあり、母子家庭という貧しい環境に育ったロドリゲスが野球に出会ったのは5歳の頃。ポジションはその頃からショートストップだったという。
子供の頃のロドリゲスが好きだったチームはブレーブスとメッツであり、憧れの選手はカル・リプケン、キース・ヘルナンデス、デール・マーフィーだったという。ロドリゲスが14歳の時、同じショートを守る憧れのリプケンにサインをもらう機会に恵まれた。当時のロドリゲスにとって大きな励みとなり、マイアミで育った自分の部屋には、このときにもらったサインボールとリプケンのポスターが貼ってあったそうである。
マイアミのウエストミンスター高校に進んだロドリゲスは、3年時には33試合の出場で、打率.505、9HR、36打点、35盗塁という好成績を残した。さらに高校3年間の通算成績としては計100試合の出場で、打率.419、17HR、70打点、90盗塁と数字は桁違いである。その間のチームの戦績は、86勝13敗1分けと、ロドリゲスのバットはチームに多くの勝利をもたらした。
高校全米選抜チームにも選ばれるほどの実力を身につけたロドリゲスには当然、メジャーリーグからも大きな注目を浴びた。ロドリゲスは指名対象となる1993年ドラフト前に、ドジャース希望を打ち出していた。というのも、ロドリゲスが住んでいたマイアミにはマーリンズというナショナルリーグのチームがあり、そのマーリンズと同じリーグで、さらにベロビーチをキャンプ地にするドジャースこそが彼の希望を満たすものだったからである。
もし、希望が満たされなければマイアミ大学に進学すると言っていたロドリゲスだが、蓋を開けてみれば全米1番目の指名権を持つマリナーズがロドリゲスを指名。悩んだロドリゲスも結局はマリナーズと契約する道を選ぶ。背番号はロドリゲスがリプケンと同様に尊敬してやまないマーフィーの3番を選んだ。
1994年、1Aからスタートしたロドリゲスのキャリアは最初から華々しかった。65試合の出場で打率.319、14HR、55打点という成績を残すと、そのまま2Aへ昇格。そして、7月7日には早くもメジャーからお呼びがかかった。7月8日には18歳11ヶ月11日の若さで先発出場。近代メジャーリーグとしては、18歳のショートストップというのは、トニー・ラルーサ(1963年)、ロビン・ヨーント(1974年)に次いでロドリゲスが3人目である。
ストライキで途中で中断してしまうこの年、8月以降は3Aでプレーし続け、ロドリゲスのプロ1年目は、4つのリーグで計131試合の出場で、打率.300、21HR、86打点という成績に終わっている。そして、オフにはドミニカ共和国のウインターリーグに参加。翌1995年は3Aとメジャーと行ったり来たりする中で、3Aでは打率.360をマーク。メジャーでは打率.232に終わっている。
注目を浴びる中で迎えた1996年、開幕直後にハムストリングを痛め、故障者リスト入りするアクシデントはあったが、マリナーズのショートストップとして定着。146試合の出場で、リーグトップとなる打率.358をマークして、首位打者の栄冠を手にした。21歳の首位打者というのはアル・ケーライン(1955年)、タイ・カッブ(1907年)に次ぐ史上3番目の若さでのタイトル奪取である。さらに215安打、141得点というのもショートストップとしての新記録でもあり、36HR、123打点と文句のつけようがない。MVP投票でもホアン・ゴンザレスに3ポイント足らず次点と、その存在が高く評価された。
1997年、6月5日のタイガース戦では21歳10ヶ月という若さでサイクルヒットを記録。チームトップタイの40本の2塁打を含む176安打はリーグ3位の記録である。結局、141試合の出場で、打率.300、23HR、84打点をマーク。ディビジョンシリーズでも、チームは敗れてしまうが、打率.313を記録するなど大舞台に強いところも見せている。この頃のマリナーズはケン・グリフィー、エドガー・マルチネス、ジェイ・ビューナーらと強力打線を形成していた。
1998年は、42HR、46盗塁を記録したロドリゲス。ホゼ・カンセコ(1988年)、バリー・ボンズ(1996年)に次ぐ、メジャー史上3人目の「40-40」クラブ入りを果たした。161試合の出場で、打率.310、213安打、124打点と残した数字も一流としてのものである。
1999年には開幕2試合目で左膝のじん帯を痛め、早々と離脱してしまった。約1ヶ月も戦列を離れたものの終わってみれば42HR、111打点を記録。シーズン途中には長いスランプを経験したものの、怪我での離脱を考えても十分に合格点をあげられる成績と言えるだろう。さらに、前年より出場試合数が減っているにも関わらず、四球数が増えているのも注目である。
2000年、148試合に出場し、打率.316、41HR、132打点をマーク。134得点、100四球という数字も十分なるものである。さらにチームリーダーとしてもチームを引っ張り、ワイルドカードとしてポストシーズンへ進出。リーグチャンピオンシップシリーズまでコマを進めるが、ヤンキースの牙城を崩すことはできず、ワールドシリーズへの進出は果たせなかった。そして、この年のオフにはFAとなり、その動向が注目されることになる。
ロドリゲスには多くのチームが獲得に動いた。マリナーズ残留も考えていたロドリゲスは、セーフコフィールドの外野フェンスをもっと前に置いて欲しいという理不尽な要求を突きつけるなどして決裂。他球団との交渉が始まり、ブレーブスとは契約直前まで行くが、契約にノートレード条項が含まれていないということから破談。その中で選んだのがオーナーが直々迎えるなど、ロドリゲスにとって誠意の感じられる対応をしたレンジャーズであった。しかもその契約内容というのは、10年間で総額2億5200万ドルという破格のものである。この契約には、ロドリゲスの高い将来性を考えても、批判の声が多く聞かれたのも事実である。
レンジャーズの一員として迎えた2001年は、スプリングキャンプから注目の的。シーズンに入っても常に注目されていた。古巣シアトルに戻ったときは、ブーイングが浴びせられた。チームは開幕から低空飛行を続け、古巣のマリナーズが独走するという皮肉な結果となってしまう。ロドリゲス個人としては、全162試合の出場で、打率.318、52HR、135打点という数字を残し、自身初の本塁打王のタイトルを獲得するなど、個人の打撃成績は申し分がなかった(この年のシーズン52HRは、ショートストップとしては史上最多)。
ちなみにこの年のロドリゲスのハイライトの一つとしてオールスターゲームが挙げられる。すでに引退が報じられている憧れのリプケンと同じフィールドに立ち、初回の守備では、サードに転向したリプケンに古巣のショートを守らせるという心憎い演出で、大選手の花道を飾ったのである。
2002年、チームは補強に動いたものの投手陣が壊滅という状況で、ポストシーズンへはほど遠い状況。ロドリゲスはこの年も全162試合に出場し、打率.300、57HR、142打点をマークし、本塁打王と打点王の2冠王となった。自らの持つショートストップとしてのシーズン最多HRの記録も更新。初のゴールドグラブ賞も受賞するなど、申し分のないシーズンを送ったが、チームの状況とは反比例していた。
2003年もこれまでと同じ状況でチームは低空飛行を続けるが、ロドリゲスのバットは火を噴いていた。161試合の出場で、打率.298、47HR、118打点で3年連続本塁打王となり、2年連続でゴールドグラブ賞も受賞。念願のMVPも受賞したが、チームは最下位。最下位チームからのMVP選出は、アンドレ・ドーソン(1987年)以来、2人目の快挙でもある。
この年のオフ、ロドリゲスの移籍話が大きな話題をさらった。ロドリゲスは勝てるチームへの移籍を望んでおり、球団サイドにはヤンキースとレッドソックスという具体的なチーム名も口にしていた。一時はレッドソックスへの移籍が決まりかけたが、ロドリゲスの高い年俸の一部削減が含まれているという条項に選手会からクレームがつき、この移籍話は破談。その後、レンジャーズのキャプテンに任命されるなど、残留が濃厚となっていた。
そんな中、ヤンキースがサードを守れる選手を探さなければいけない状況となり、ロドリゲスに白羽の矢が立った。その後の話は早く、アルフォンゾ・ソリアーノとの交換でヤンキース入りが決まってしまった。ロドリゲスが守ってきたショートには、友人のデレク・ジーターがおり、サードへのコンバートもあっさりと受け入れるに至る。この移籍はヤンキース史上、ベーブ・ルース以来の衝撃とも言われたのである。そもそもMVPを獲得した選手が次の年に放出されるというのは史上初のことであり、大きな注目を浴びたわけだが、それはロドリゲスが最も人気がある選手の一人であり、さらに最もお金を稼いでる選手であることにも起因する。
2004年のヤンキースは、ゲーリー・シェフィールドやケビン・ブラウンなどの大物が移籍してくるなど話題は多かったが、ロドリゲスの移籍はそれらを全て脇役に追いやり、その一挙手一投足に注目が集まった。ちなみにロドリゲスがこれまでつけていた背番号3はヤンキースでは永久欠番となっており、つけることはできない。そこでロドリゲスは、NFLドルフィンズの往年の名選手ダン・マリーノの13番を選んだという。
ヤンキース1年目は期待の大きい中、打率.286、36HR、106打点という数字を残した。数字としては十分だが、ロドリゲスの数字としては物足りないとされた。そんな中でも史上最年少での通算350HRを達成している。注目を浴びたのはレッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでの1コマで、1塁へ走るロドリゲスをタッチアウトにしようとした投手ブロンソン・アローヨのグラブをはたき守備妨害でアウトになる失態を犯した。子供じみたプレーと批判され、このシリーズは3連勝4連敗と最悪の形で落としてしまった。
2005年、本来の打棒を取り戻し、打率.321、48HR、130打点という成績でMVPと本塁打王を獲得。ヤンキースでの本塁打王となるとレジー・ジャクソン(1980年)以来となる。また、ヤンキース右打者のシーズンHR数としてもジョー・ディマジオの46本(1937年)を塗り替えるものである。さらに29歳316日で通算400HRを記録し、これも史上最年少での記録達成である。
2006年は開幕前にWBCにアメリカ代表で出場するも結果は残せず、シーズンに入っても打撃に守備に不振を極めた。その中で打率.290、35HR、121打点という数字を残したのはロドリゲスならではのことである。通算記録としては2000本安打と450HRをマーク。31歳になる前に2000本安打を達成したわけだが、これはメジャー史上8人目の快挙である。過去7人にはカッブ、ロジャース・ホーンスビー、メル・オット、ハンク・アーロン、ジョー・メドウィック、ジミー・フォックス、ロビン・ヨーントらがおり、いずれも殿堂入りを果たしている大選手である。
2007年、ハードトレーニングで体を絞り上げたロドリゲスは開幕から好調を維持。最初の18試合で14HRを記録し、4月の月間打点数は34点を記録し、1998年にJ・ゴンザレスが記録した4月の月間35打点にあと1点と迫る猛打だった。結果的にシーズンを通して、打率.314、54HR、156打点と圧巻の数字を挙げ、自身3度目のMVPに加え、本塁打王、打点王も獲得。通算500HRも32歳8日という若さで達成している。なお、10年連続で35HR、100得点、100打点を記録したメジャー初の選手になった(J・フォックスの9年という記録を抜いた)。
2001年シーズン前に結んだ10年間での2億5200万ドルという大型契約は、2007年シーズン後に一旦FAとなり、他球団への移籍も噂されるが結果的にヤンキースと再契約。しかも10年間2億7500万ドルとさらに大きな契約を交わした。誰もが認める選手でありながらも、過大評価されている選手としても名前が挙がっているロドリゲス。ワールドシリーズの舞台に立ったことはなく、戦犯に仕立て上げられることもよくある。さらにはステロイド疑惑にも巻き込まれそうな噂がありながらも本人は否定。話題に事欠かない選手でもある。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1994 Sea 17 54 4 11 0 0 0 2 20 3 3 .241 .204 .204 1995 Sea 48 142 15 33 6 2 5 19 42 6 4 .264 .408 .232 1996 Sea 146 601 141 215 54 1 36 123 104 59 15 .414 .631 .358 1997 Sea 141 587 100 176 40 3 23 84 99 41 29 .350 .496 .300 1998 Sea 161 686 123 213 35 5 42 124 121 45 46 .360 .560 .310 1999 Sea 129 502 110 143 25 0 42 111 109 56 21 .357 .586 .285 2000 Sea 148 554 134 175 34 2 41 132 121 100 15 .420 .606 .316 2001 Tex 162 632 133 201 34 1 52 135 131 75 18 .399 .622 .318 2002 Tex 162 624 125 187 27 2 57 142 122 87 9 .392 .623 .300 2003 Tex 161 607 124 181 30 6 47 118 126 87 17 .396 .600 .298 2004 NYY 155 601 112 172 24 2 36 106 131 80 28 .375 .512 .286 2005 NYY 162 605 124 194 29 1 48 130 139 91 21 .421 .610 .321 2006 NYY 154 572 113 166 26 1 35 121 139 90 15 .392 .523 .290 2007 NYY 158 583 143 183 31 0 54 156 120 95 24 .422 .645 .314 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1904 7350 1501 2250 395 26 518 1503 1524 915 265 .389 .578 .306
受賞タイトル一覧
- MVP3回(2003,05,07)
- 首位打者1回(1996)
- 本塁打王5回(2001~03,05,07)
- 打点王2回(2002,07)
- ゴールドグラブ賞2回(2002~03)
- シルバースラッガー賞9回(1996,1998~2003,05,07)
- ハンクアーロン賞4回(2001~03,07)
-
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