- 2009-05-26 (火) 0:04
- MLB Players

#14 アンドレス・ガララーガ(Andres GALARRAGA) | 1B

- 1979年1月・エクスポズと契約
- 1961年6月18日生 右投右打 190センチ 110キロ
- ベネズエラ出身
選手の紹介文
大きな体にしては軽快な動きを見せることから、「ビッグキャット」という可愛らしい愛称で呼ばれるアンドレス・ガララーガ。新球団ロッキーズへ移籍後に強打者としての才能が花開き、HR数が急増。晩年に癌治療を乗り越えて復活を果たしたこともあった。通算HR数は399本のままで止まってしまい、大台へは届かなかった点が悔やまれる。
ベネズエラの首都カラカスで生まれたガララーガは1978年、国内リーグに参加することでプロとしてのキャリアをスタートさせた。捕手やサード、ファーストを守るユーティリティぶりをみせていたが、徐々にポジションはファーストに落ち着いたという。そして高い打撃能力が評価され、1979年1月にエクスポズと契約を交わすに至った。18歳のガララーガは契約金1000ドルを手にしている。
ルーキーリーグからスタートすると、最初は本職のファーストの他に、捕手や外野、サードなども守りながら経験を積み重ねていったのである。そしてファーストに定着した1984年、2Aジャクソンビルで143試合に出場し、打率.289、27HR、87打点を記録する活躍を見せて、このリーグのMVPを獲得している。
期待の有望株として注目を浴びたガララーガは、1985年に3Aインディアナポリスで121試合に出場し、打率.269、25HR、87打点をマーク。見事に期待に応えた活躍を見せると、8月にはメジャー昇格を果たしている(わずかに24試合に出場するのみに留まっている)。翌1986年は開幕メジャーの座を掴み、開幕戦ではHR含む4打点を挙げている。5月以降にはファーストのポジションを手にした。夏場に2ヶ月もの故障者リスト入りがあったが、結果として105試合の出場で打率.271、10HR、42打点という数字を残している。
1987年はチームの3番を任され、打率.305、13HR、90打点に加え、リーグ2位となる40本の2塁打を記録した。この頃のガララーガは中距離打者としての面が目立っていたが、特に注目されていたのはファーストとしての機敏な動きであった。翌1988年も前半戦だけで20HRを記録し、オールスターゲームにも初選出。結局、この年は打率.302、29HR、92打点をマークしたのだが、安打(184本)、2塁打(42本)はいずれもリーグトップであった(ちなみに153三振もリーグトップだった)。
1989年、期待は多くなる中で、152試合の出場で打率.257、23HR、85打点と前年を下回る数字に終わってしまった。リーグトップの158三振を喫するも、ゴールドグラブ賞を初受賞するなど光明もあった。翌1990年も155試合に出場するも、打率.256、20HR、87打点に終わり、この年もリーグトップの169三振と扇風機ぶりが目立っている。しかし、2年連続でゴールドグラブ賞を受賞は果たしている。
1991年は左足ハムストリングを痛めてしまった影響で5月末からの約1ヶ月を離脱した。わずか107試合の出場に留まってしまい、打率.219、9HR、33打点というキャリア最低の数字に終わってしまったのである。オフにはケン・ヒルとの交換でカージナルス入りが決まった。移籍後の1992年も開幕序盤から故障者リスト入りし、わずか95試合の出場に終わってしまった(打率.243、10HR、39打点)。そしてオフにはFAになったのだが、この時点でガララーガは31歳になっていた。
1993年からの新球団として船出するロッキーズと契約したガララーガ。ここでドン・ベイラー監督と出会ったことが、ガララーガの運命を大きく変えた。ベイラーのアドバイスで左足を3塁側に出す極端なオープンスタンスに変え、さらにバットもそれまでよりわずかに重くした。この打撃改造が見事に成功したのである。7月に入った時点でも打率4割を維持し、5年ぶりのオールスターゲーム選出も果たしたのである。
その後、7月末に故障者リスト入りしたことで約1ヶ月の離脱はあったが、シーズンが終わってみれば、打率.370という高い数字で初めてとなる首位打者のタイトルを手中にしたのである。120試合という若干少ない出場試合ではあったが、打率.370、22HR、89打点という数字は創立1年目のロッキーズを彩る最高の数字でもある。
1994年はストライキによる短縮シーズンとなったが、103試合の出場で打率.319、31HR、85打点と持ち前の長打力の種が芽吹き始めた。年齢的にはベテランの域に入りつつあったが、食事制限などのいくつかの決まり事を決め、それを実践することで壁を乗り越えようとしていたのである。こうして遅咲きの花が大きく咲くことは時間の問題となった。
1995年、ほぼ全試合となる143試合に出場。ここ数年は相次ぐ怪我で、フルシーズンを過ごすことはなかっただけに重要な1年となった。6月25日の対パドレス戦では3イニング連続HRを放ったこの年、打率.280、31HR、106打点をマーク。シーズン100打点越えは34歳にして初ということもあったが、これはまだ序章に過ぎなかったことが翌年以降で証明されるのである。
1996年はスプリングトレーニング時から体は十分にできあがっており、前年に本塁打王と打点王の二冠王に輝いているダンテ・ビシェットもガララーガの体を見て驚くぐらいだった。ガララーガは予想通り、シーズンに入っても圧倒的な打撃を見せ、8月には月間11HRと固め打ち。結局、159試合の出場で打率.304、47HR、150打点という文句なしとなる数字を記録し、本塁打王と打点王の二冠王に輝いた。シーズン47HRは、トニー・アーマスが記録した43HR(1984年)というベネズエラ出身選手のシーズンHR記録を塗り替えることとなった。
1997年、159試合の出場で打率.318、41HR、140打点をマークし、2年連続の打点王に輝いたガララーガ。そしてこの年のオフにFAとなると、ブレーブスと契約した。打者有利として知られるコロラドのマイルハイの球場で長距離打者として才能を開花させたガララーガにとって、この決断はガララーガ自身の真価を問われる非常に重要な物として注目されたのは言うまでもない。
1998年、アトランタに舞い降りた「ビッグキャット」はロッキーズ時代と変わらない打棒を発揮した。153試合の出場で、打率.305、44HR、121打点をマークし、コロラドであろうが、アトランタであろうが関係のないことを証明した。しかし、チームは地区優勝を飾るものの、パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、打率.095(21打数2安打)と落ち込み、ガララーガらしさを見せることが出来なかった。
どうしてもワールドシリーズに出場したいガララーガだったが、1999年のシーズン開幕前にガンの宣告を受けた。結局、ガララーガは治療に専念することを決め、シーズンを棒に振ることになった。ブレーブスナインは帽子にガララーガの背番号14を帽子に記し、共に戦った。幸いにも手術は成功し、リハビリも順調。試合に出場こそできないが、9月からはベンチ入りできるまでに回復。ブレーブスのリーグ制覇に精神的支柱としてあり続けた。ガララーガが待望していたワールドシリーズ進出はベンチの中のみで終わった(ヤンキースの前に4連敗し、世界一は逃した)。
バッターボックスに戻ってきた2000年。開幕戦でいきなりHRを放ち、これ以上ないスタートを切る。その後も好調を維持し、4月だけで月間10HR本をマーク。リーグ49年ぶりとなるチーム15連勝の大きな立て役者となった。結局、141試合に出場し、打率.302、28HR、100打点を記録し、見事カムバック賞に受賞。しかし、40歳という年齢もあり、ブレーブスは再契約を結ばなかった。FAとなったガララーガはレンジャーズと1年間625万ドルで契約を結ぶことになる。
2001年、初めてアメリカンリーグのチームに所属し、開幕から慣れない指名打者との併用に苦しみ、チームも地区最下位と低空飛行を続けた。その中でケン・カミニティが解雇されるというチーム状況の中、ガララーガも7月後半にジャイアンツへのトレードが決まった。しかし、思うような数字は残せずにシーズンを終えてしまった。この年は計121試合に出場し、打率.256、17HR、69打点に留まっている。
2002年は開幕直前に古巣エクスポズと契約。レギュラーとして出場し続けたわけではないが、104試合の出場で打率.260、9HR、40打点をマーク。翌2003年はジャイアンツとマイナー契約を結び、そこからメジャーに這い上がった。110試合の出場で打率.301、12HR、42打点と42歳とは思えない打撃を見せた。そんな中でオフにはガンの再発があり、治療に専念するためにしばらくは音信不通となる。
2004年8月にエンゼルスとマイナー契約を交わし、メジャー復帰を目指すこととなったガララーガ。9月にようやくメジャー復帰。7試合だけに出場し、1本のHRを放ち、通算HR数を399本とした。2005年シーズンはメッツとマイナー契約を交わすが、スプリングトレーニングで結果を残せずにそのまま現役引退を決めた。通算成績は打率.288、399HR、1425打点というものである。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 首位打者:1回(1993-NL)
- 本塁打王:1回(1996-NL)
- 打点王:2回(1996-NL、1997-NL)
受賞アワード一覧
- ゴールドグラブ賞:2回(1989-NL、1990-NL)
- シルバースラッガー賞:2回(1988-NL、1996-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1985 Mon 24 75 9 14 1 0 2 4 18 3 1 .228 .280 .187 1986 Mon 105 321 39 87 13 0 10 42 79 30 6 .338 .405 .271 1987 Mon 147 551 70 168 40 3 13 90 127 41 7 .361 .459 .305 1988 Mon 157 609 99 184 42 8 29 92 153 39 13 .352 .540 .302 1989 Mon 152 572 76 147 30 1 23 85 158 48 12 .327 .434 .257 1990 Mon 155 579 65 148 29 0 20 87 169 40 10 .306 .409 .256 1991 Mon 107 375 34 82 13 2 9 33 86 23 5 .268 .336 .219 1992 StL 95 325 38 79 14 2 10 39 69 11 5 .282 .391 .243 1993 Col 120 470 71 174 35 4 22 98 73 24 2 .403 .602 .370 1994 Col 103 417 77 133 21 0 31 85 93 19 8 .356 .592 .319 1995 Col 143 554 89 155 29 3 31 106 146 32 12 .331 .511 .280 1996 Col 159 626 119 190 39 3 47 150 157 40 18 .357 .601 .304 1997 Col 154 600 120 191 31 3 41 140 141 54 15 .389 .585 .318 1998 Atl 153 555 103 169 27 1 44 121 146 63 7 .397 .595 .305 2000 Atl 141 494 67 149 25 1 28 100 126 36 3 .369 .526 .302 2001 Tex 72 243 33 57 16 0 10 34 68 18 1 .310 .424 .235 2001 SF 49 156 17 45 12 1 7 35 49 13 0 .351 .513 .288 2002 Mon 104 292 30 76 12 0 9 40 81 30 2 .344 .394 .260 2003 SF 110 272 36 82 15 0 12 42 61 19 1 .352 .489 .301 2004 Ana 7 10 1 3 0 0 1 2 3 0 0 .364 .600 .300 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2257 8096 1193 2333 444 32 399 1425 2003 583 128 .347 .499 .288
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:5回(1988-NL、1993-NL、1997-NL、1998-NL、2000-NL)
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