- 2008-08-07 (木) 0:06
- MLB Players
#46 アンディ・ペティット(Andy PETTITTE) | SP

- 1991年5月・ヤンキースドラフト外
- 1972年6月15日生 左投左打 196センチ 102キロ
- ルイジアナ州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2005 Hou 33 33 0 0 17 9 0 222.1 188 171 41 66 59 2.39 2006 Hou 36 35 2 1 14 13 0 214.1 238 178 70 114 100 4.20 2007 NYY 36 34 0 0 15 9 0 215.1 238 141 69 106 97 4.05 ----------------------------------------------------------------------------- Total 403 393 25 4 201 113 0 2527.2 2636 1844 790 1196 1077 3.84
選手の紹介文
1990年代後半のヤンキース黄金時代の生え抜きの中心投手として大活躍したアンディ・ペティット。196センチという長身から、大きなカーブやチェンジアップを高い制球力で操ることが出来、大舞台での勝負強さは折り紙付きである。牽制のうまさには定評がある。ステロイド疑惑に巻き込まれ、使用を認めたことでも注目を集めた。
ルイジアナ州出身のペティットの憧れは、故郷の先輩ロン・ギドリーであり、ギドリーに憧れ野球を始めた。高校卒業時の1990年ドラフトにおいてヤンキースから22位指名を受けるが契約には至らずに大学へ進学。大学では、ロジャー・クレメンスを指導したというコーチに出会い指導を受けたところから球速が大きくアップ。「左のクレメンス」とまで言われたペティットは大学を中退し、1991年5月に1度は断ったヤンキースとドラフト外で契約し、プロ入りを果たした。
契約したこの年は、ルーキーリーグと1Aの2つのクラスで投げ、合わせて6勝3敗と高い潜在能力を披露。翌1992年は1Aグリースボロでフルシーズン投げ、27試合に先発し、10勝4敗、防御率2.20という数字を残し、1993年も上のクラスの1Aプリンスウイリアムで11勝9敗、防御率3.04をマークしている。2Aアルバニーで開幕を迎えた1994年は11試合に先発し、7勝2敗という成績を残して、シーズン途中に3Aコロンバスへ昇格。3Aでも16試合に投げて、7勝2敗をマーク。この年は2つのクラスで計14勝というもので、その将来に大きな希望を抱かせた。
1995年、開幕は3Aだったが4月29日にメジャーからお呼びがかかった。最初はブルペンからのスタートで5試合に中継ぎ登板を果たすと、5月半ばにはマリアーノ・リベラとの交換で再び3Aへ降格。しかし、5月末には再びメジャーへ再昇格。昇格したすぐ後にメジャー初先発を経験。6月2日のメジャーでの2試合目の先発となるエンゼルス戦で完投を記録した(しかし、試合には負けた)。その後はヤンキースの先発ローテーションにしっかりと名を連ね、終わってみれば、26試合に先発し、12勝9敗、防御率4.17という数字を残した。新人でありながら、マリナーズとのディビジョンシリーズ第2戦での先発も果たしている。なお、この年の新人王投票ではマーティ・コルドバ、ギャレット・アンダーソンに次ぐ3位に付けた。
2年目のジンクスが心配された1996年だが、最多勝となる21勝(8敗)を挙げる活躍を見せた。サイヤング賞投票でもパット・ヘントゲンに次ぐ2位となっている。しかも、ペティットが先発した34試合はチームが24勝10敗という好成績をあげるなど、チームの地区優勝に貢献した。順調に勝ち進んだヤンキースはワールドシリーズへ進出。第1戦の先発を任されたペティットはブレーブス打線に捕まり、2回1/3で7失点と散々な内容に終わるが、第5戦に先発するとジョン・スモルツと激しい投げ合いを見せ、ジョン・ウェッテランドとの完封リレーで1対0と辛勝勝ちした。これでヤンキースは1978年以来の世界一に輝いたことになる。
1997年のペティットは、4月に5勝0敗と抜群の成績で開幕スタートを切った。ヤンキースの投手で開幕からこれだけの好調ぶりを見せたのは1993年のボブ・ウィックマンの開幕8連勝以来である。7月5日のブルージェイズ戦ではメジャー初完封を記録し、そこから23イニング連続無失点という記録も樹立。この年は35試合に先発し、18勝7敗、防御率2.88をマークした。しかし、インディアンズとのディビジョンシリーズでは第2戦と第5戦に先発し、ともにKOと痛い目にあってしまった。
ヤンキースが球史に残る勢いで勝ち進んだ1998年、開幕投手を務めたのはペティットだった(しかし、負け投手)。ペティット自身、メジャー通算100試合目の先発となった4月22日の対ブルージェイズ戦では、クレメンスと投げ合い見事に完投勝利をマークしている。33試合に先発し、16勝11敗という数字を残し、投球回数も216回1/3と3年連続で200回以上をクリア。これはヤンキースの投手としては、ペティットの憧れだったギドリーが1977年から記録した4年連続投球回数200回以上に次ぐ記録である。ワールドシリーズでも第4戦に先発し、7回1/3を無失点に抑える好投でパドレスの息の根を止めた。
1999年は肘と右足首を痛めて、初めての故障者リストで開幕を迎えるが、4月半ばにはヤンキースのローテーションに戻ってきた。前半戦はペティットらしからぬピッチングが続き、移籍話も具体的に出たりもした。しかし、ジョー・トーレ監督がペティットは必要な戦力である、として移籍話という周囲の雑音を吹き飛ばした。これに気をよくしたか、後半戦のペティットはそれまでと別人のようなピッチングでチームに勝利をもたらし、結局、14勝11敗という数字を残した。注目すべきはレッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第4戦において、ブレット・セイバーヘイゲンに投げ勝ったことである。しかし、ワールドシリーズでは4回を持たずにKOされたのだが(しかし、チームはサヨナラ勝ち)。
2000年、開幕早々に故障者リスト入りするが、32試合に先発し、19勝9敗の高成績をマーク。シーズン終盤にはヤンキースの投手としては史上15人目の通算100勝も達成した。メッツとのサブウェイシリーズが話題になったこの年のワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発し、好投。ヤンキースの3年連続世界一に貢献した。
2001年は6月半ばに故障者リスト入りしたが、開幕から好調をキープ。8月半ばまでで14勝6敗と好成績を残していたが、その後はなかなか勝ち星が伸びず、結局、15勝10敗という成績に終わってしまった。マリナーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2勝をマークしたペティットだが、ワールドシリーズでは第2戦と第6戦の先発としてマウンドに上がったが、いずれもKOされてしまった。
2002年、2度の故障者リスト入りに苦しみ、22試合の先発に留まり、13勝5敗、防御率3.28という成績に終わった。なお、通算1000奪三振を達成しており、これはヤンキース史上8人目の快挙である。翌2003年は33試合に登板し、リーグ2位となる21勝(8敗)をマークする好調で、チームに大きく貢献。この年のワールドシリーズでは2試合に登板し、防御率0.57に抑えながらも1勝1敗という戦績で、チームを世界一に導けなかった。
オフにFAとなると、アストロズと3年間3150万ドルで契約合意。初めてピンストライブ以外のユニフォームに袖を通すことになったが、選んだ背番号はクレメンスがかつて付けていた21番を選択。さらにそのクレメンスも引退を宣言していたが、ペティットの誘いに乗る形で同じアストロズの一員となった。しかし、移籍1年目の2004年は、左肘の怪我に苦しみ、結果的に手術することになるのだが、わずか15試合の登板で6勝(4敗)しか挙げられなかった。
2005年はクレメンスと共にチームの勝利に大きく貢献した。33試合に先発し、17勝9敗、防御率2.39という安定感を見せたペティット。特に本拠地の登板では防御率2.12と強いところを見せている。7月には5勝0敗、防御率0.90という成績を残せば、9月も4勝0敗、防御率1.86とチームの勝利に貢献した。この年、アストロズは球団史上初となるリーグ優勝を果たしている(惜しくも世界一は逃した)。
2006年、36試合に登板(先発は35試合)し、14勝13敗、防御率4.20という成績に終わっている。開幕序盤から打ち込まれる試合が多く、後半になり持ち直した感はある。8月には月間での奪三振数が49個を数え、これはアストロズの投手としてランディ・ジョンソンが1998年に記録した61個に次ぐ記録である。
2007年、古巣ヤンキースと1年間1600万ドルで契約合意し、出戻りが決まった。36試合の登板(先発は34試合)で、15勝9敗、防御率4.05をマーク。9月19日の対オリオールズ戦では通算200勝を達成したが、メジャー史上107人目の快挙であり、左腕投手としては27人目となる。ペティットがデビューした1995年以降で200以上の白星を挙げているのはグレッグ・マダックス(216勝)、ジョンソン(203勝)とペティットの3人だけである。なお、シーズン途中には盟友のクレメンスもヤンキース移籍を決めている。
2007年オフにFAとなったが、再度ヤンキースと1年間1600万ドルという契約内容での残留が決まった。大柄な体の割にはフィールディングも良く、評価も高い。毎年、200イニング以上投げ、15勝以上を計算できるペティットはヤンキースにとって非常にありがたい存在である。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1995 NYY 31 26 3 0 12 9 0 175.0 183 114 63 86 81 4.17 1996 NYY 35 34 2 0 21 8 0 221.0 229 162 72 105 95 3.87 1997 NYY 35 35 4 1 18 7 0 240.1 233 166 65 86 77 2.88 1998 NYY 33 32 5 0 16 11 0 216.1 226 146 87 110 102 4.24 1999 NYY 31 31 0 0 14 11 0 192.2 216 121 89 105 100 4.70 2000 NYY 32 32 3 1 19 9 0 205.2 219 125 80 111 99 4.35 2001 NYY 31 31 2 0 15 10 0 201.2 224 164 41 103 89 3.99 2002 NYY 22 22 3 1 13 5 0 135.2 144 97 32 58 49 3.28 2003 NYY 33 33 1 0 21 8 0 208.1 227 180 50 109 93 4.02 2004 Hou 15 15 0 0 6 4 0 83.0 71 79 31 37 36 3.90 2005 Hou 33 33 0 0 17 9 0 222.1 188 171 41 66 59 2.39 2006 Hou 36 35 2 1 14 13 0 214.1 238 178 70 114 100 4.20 2007 NYY 36 34 0 0 15 9 0 215.1 238 141 69 106 97 4.05 ----------------------------------------------------------------------------- Total 403 393 25 4 201 113 0 2527.2 2636 1844 790 1196 1077 3.84
受賞タイトル一覧
- 最多勝1回(1996)
-
Tags :
- Newer: Mike MUSSINA(マイク・ムシーナ)
- Older: Kenny ROGERS(ケニー・ロジャース)
Comments:0
Trackback:0
- TrackBack URL for this entry
- http://circlechange.com/players/andy-pettitte/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- Andy PETTITTE(アンディ・ペティット) from Circle Change


