- 2008-11-08 (土) 0:04
- MLB Players

#3 ビル・テリー(Bill TERRY) | 1B, Mgr

- 1922年・ジャイアンツと契約
- 1896年10月30日生 左投左打 185センチ 91キロ
- ジョージア州出身
選手の紹介文
ナショナルリーグ最後の4割打者として知られるビル・テリー。4割を記録した1930年には、シーズン254安打を記録し、これもナショナルリーグ記録である。打率3割を記録したシーズンは10年連続を含む11回を数えるなど巧打者として活躍。晩年には兼任監督となり、チームを優勝へ導くなど偉大な足跡を残している。
ジョージア州に生まれたテリーは幼少時に両親の離別を経験するなど、幼くして経済的な自立が求められる環境に育った。野球で身を立てることとなったのは1915年、まだテリーが17歳の頃で、クラスDのニューナンと契約し左腕投手としてキャリアをスタートした。この年は8試合に登板し、ノーヒッター含む7勝1敗と結果を残した。
1916年には6勝(2敗)、翌1917年には14勝(11敗)とマイナーで白星を積み上げていくが、生活面での困窮に苦しんだ。1918年からは社会人チームに移り、仕事をしながら野球をする環境に身を置くことになったのである。そのチームでは選手の他に監督も兼任していたという。そんな中でジャイアンツ監督のジョン・マグローがテリーの実力に目を付けたことから運命が開けていくのである。
既に社会人チームで安定した収入を得ていたテリーだけに、プロへの転身は覚悟がいるものだった。まだ結果を残していない段階で、マグローに対して高収入を要求するなど、テリー自身の強烈な個性は発揮されていたのである。妥協点を見いだす形で、1922年に年俸5000ドルで契約に合意。ジャイアンツ傘下のマイナー球団であるトレドで2年間の調整を行うこととなった(1923年のシーズン終盤にメジャー昇格し、3試合だけプレー)。
1924年からメジャーに定着。ファーストを守る野手となっており、この年は77試合の出場に留まり、打率.239、5HR、24打点という数字に終わった。翌1925年、ポジションがかぶっていたジョージ・ケリーがセカンドにコンバートされることとなり、テリーの出場機会が増加。133試合に出場し、打率.319、11HR、70打点と一気に才能が開花した。
1927年以降は現役を退くまで打率3割以上を記録。シーズン打点数も1927年から6年連続100打点を達成するなど、チームの主軸として活躍した。1928年にはサイクルヒットを記録し、1929年にはダブルヘッダー2試合で計9安打を記録する固め打ちを見せている。この年は打率.372、226安打、14HR、117打点と打率を大きく上げた。
1930年は大きく飛躍した1年となり、154試合の出場で打率.401、254安打、23HR、129打点をマークし、首位打者のタイトルを獲得した。シーズン254安打は、当時ジョージ・シスラーの持つメジャー記録(257安打/1920年)に3本と迫る記録である(2004年にイチローが262安打でメジャー記録を塗り替えている)。この年はリーグ全体の平均打率が3割を越える打高投低の象徴的なシーズンであり、テリーの打率4割に加え、ハック・ウイルソンの191打点というメジャー記録も樹立されている。ちなみに7月末の段階でのテリーの打率は.396ながら、リーグ5位に甘んじており、ここから4割を達成しているのである。
テリーを語る上で監督マグローとの激しい激闘は欠かせない。お金にうるさいテリーとは、ジャイアンツ入団後から揉め始め、一時はマグロー側から他球団との交渉を進めることもあったという。打率4割を達成した次の年(1931年)、打率.349でわずか3毛差で首位打者を逃したときは減俸を言い渡され、2人の関係は最悪になったのである。
事態は1932年のシーズン中、急転する。マグローは監督室にテリーを呼びつけると、監督の座を譲る相談をしたのである。監督を引き受けることに即答したテリーは、シーズン途中にして兼任監督となった。1933年にはジャイアンツを世界一に導いたのである。現役選手としては1936年限りで退き、通算成績は打率.341、2193安打、154HR、1078打点というものである。監督としては1941年まで約10シーズンの指揮を執り、3度のリーグ優勝を果たし、監督としての勝率は.555(823勝661敗)と優秀である。
非常に頑固な一面があることから、記者連中とも一線を引き、私生活に関してさらけ出すということはなかった。こういう点も影響したのか、周囲の評価は低く、殿堂入りは1954年と遅かったのである。その後、テリーの背番号3番はジャイアンツの永久欠番に指定されている。ちなみにジャイアンツに背番号が導入された1932年は4番を付けており、翌年からは3番となり、1937年から監督選任になると30番を付けていたこともあり、3番を付けていたのはわずか4シーズンのみだった。また、社会人チームでプレー中に石油に関しての知識を蓄えたテリーは、野球で稼いだ大金を石油会社に投資したことから、余生はお金に困ることなく暮らしたという。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 首位打者:1回(1930-NL)
受賞アワード一覧
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1923 NYG 3 7 1 1 0 0 0 0 2 2 0 .333 .143 .143 1924 NYG 77 163 26 39 7 2 5 24 18 17 1 .311 .399 .239 1925 NYG 133 489 75 156 31 6 11 70 52 42 4 .371 .474 .319 1926 NYG 98 225 26 65 12 5 5 43 17 22 3 .341 .453 .289 1927 NYG 150 580 101 189 32 13 20 121 53 46 1 .366 .529 .326 1928 NYG 149 568 100 185 36 11 17 101 36 64 7 .384 .518 .326 1929 NYG 150 607 103 226 39 5 14 117 35 48 10 .407 .522 .372 1930 NYG 154 633 139 254 39 15 23 129 33 57 8 .439 .619 .401 1931 NYG 153 611 121 213 43 20 9 112 36 47 8 .396 .529 .349 1932 NYG 154 643 124 225 42 11 28 117 23 32 4 .381 .580 .350 1933 NYG 123 475 68 153 20 5 6 58 23 40 3 .368 .423 .322 1934 NYG 153 602 109 213 30 6 8 83 47 60 0 .403 .463 .354 1935 NYG 145 596 91 203 32 8 6 64 55 41 7 .374 .451 .341 1936 NYG 79 229 36 71 10 5 2 39 19 19 0 .356 .424 .310 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1721 6428 1120 2193 373 112 154 1078 449 537 56 .385 .506 .341
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:3回(1933-NL~1935-NL)
- サイクルヒット:1回(1928-5-29-NYG)
- 世界一経験:1回(1933-NYG)
- 殿堂入り:1954年(投票率:77.4%)※13回目
- 永久欠番:#3(Giants)
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