- 2008-11-17 (月) 0:01
- MLB Players

#1 ビリー・マーチン(Billy MARTIN) | 2B

- 1949年・ヤンキースと契約
- 1928年5月16日生 右投右打 180センチ 75キロ
- カリフォルニア州出身
選手の紹介文
勝利に対する強い執念で、選手としても監督としても激しさを売りとしたビリー・マーチン。特にヤンキース監督として選手やオーナーとぶつかりながらも勝利に導いた手腕は評価される。ヤンキースの監督に就任しては解任されるを5度も繰り返すなど、球場の内外で話題に事欠かなかった。
イタリア系移民の子供としてカリフォルニア州バークレーで生まれたマーチン。本名はアルフレッド・マニュエル・ペサノというが、若くして両親が離婚し、母親の再婚相手がマーチンという苗字だった。子供の頃から喧嘩っ早かったマーチンだが、野球との出会いがマーチンを構成させた。同じイタリア系のジョー・ディマジオに憧れたのである。
高校卒業後、マイナー球団と契約。小柄なマーチンは体型面でハンデがあったこともあり、その分は荒々しいスライディングなどでアピールした。マーチンはとにかく目立たなければいけないという信念を持っていたのである。3Aオークランドと契約にこぎ着けたのだが、そのチームの監督がケーシー・ステンゲルであり、これが運命の扉だった。
1949年、ステンゲルがヤンキース監督に就任したことに伴い、1949年10月にヤンキースと契約することになった。打者としては決して一流ではなかったが、ステンゲル自身はマーチンのプレースタイルを気に入っていたのである。マーチンにとっても憧れのディマジオと同じユニフォームを着られることに満足したという。
まさにヤンキース黄金時代の真っ直中で、マーチンは驚くような成績は残していないが、勝負強い打撃でいぶし銀の働きを見せた。1952年に109試合に出場し打率.267をマークすれば、翌1953年には149試合の出場で打率.257を記録するに留まっているが、1953年のワールドシリーズでは24打数12安打という圧巻の成績を残し、ヤンキースの連続世界一の5年目に貢献した(ワールドシリーズMVPを受賞)。
1957年にクラブのパーティで乱闘騒ぎを起こし、これが元でヤンキースからアスレティックス(当時の本拠地はカンザスシティ)に放出された。ステンゲルの保護下だったから発揮できたマーチンの存在感は他チームでは発揮できなかった。アスレティックスからタイガース、インディアンズ、レッズ、ブレーブス、ツインズと経て1961年限りで現役を退いた。
現役引退後はツインズ傘下でスカウト、サードコーチ、3Aの監督を経て、1969年にはツインズ監督に就任。就任1年目にいきなり地区優勝に導くも、オーナーと衝突し、1年で退団。1971年からタイガースの監督を2年半務め、1972年には地区優勝。1973年途中からレンジャーズの監督に就任し、翌1974年には前年最下位から地区優勝に導いている。1975年途中にレンジャーズ監督を解任されると、古巣ヤンキースから声がかかったのである。オーナーであるジョージ・スタインブレナーはそれまで監督であったビル・バードンを解任してまでマーチンをヤンキース監督に迎えたのである。
1976年、優勝から遠ざかっていたヤンキースに12年ぶりのリーグ優勝をもたらしたマーチン(ワールドシリーズではレッズの前に敗れた)。翌1977年には2年連続でリーグ優勝に導くとワールドシリーズでは主砲レジー・ジャクソンの1試合3HRの大活躍もあり、世界一の美酒を味わうことになる。このときのマーチンはスタインブレナー、主砲ジャクソンという個性の強すぎるメンバーとの衝突を繰り返し、話題を集めたのである。
1978年途中にヤンキース監督を解任されると、翌1979年に復帰するがすぐに解任されてしまう。1980年からアスレティックス監督に就任し、3年間を過ごす。このアスレティックス監督時代が監督としてのマーチンの真価が問われたのだが、明らかな戦力不足の中若手先発投手陣をフル回転し、1シーズンで94完投を記録するほどだった。21歳のリッキー・ヘンダーソンを抜擢し、機動力を前面に出す手腕で、就任1年目に地区2位に躍進。1981年には地区優勝に導いている。奇襲作戦で勝利を引き寄せるマーチンの手法は「ビリーボール」と呼ばれたのである。
1983年にヤンキース監督に復帰するも1年限りで解任。1985年には再び復帰するも、その年限りで解任。1986年にはマーチンの功績を称え、背番号1がヤンキースの永久欠番になった。1988年に5度目のヤンキース監督に復帰するもすぐに解任された。再びヤンキース監督になることを待っていたマーチンだが、1989年末に交通事故で命を落としてしまったのである。何度も衝突を起こしながらもその手腕を認めていたスタインブレナーもマーチンの早すぎる死に「家族を失った心境だ」と惜しむコメントを残している。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1950 NYY 34 36 10 9 1 0 1 8 3 3 0 .308 .361 .250 1951 NYY 51 58 10 15 1 2 0 2 9 4 0 .323 .345 .259 1952 NYY 109 363 32 97 13 3 3 33 31 22 3 .317 .344 .267 1953 NYY 149 587 72 151 24 6 15 75 56 43 6 .310 .395 .257 1955 NYY 20 70 8 21 2 0 1 9 9 7 1 .354 .371 .300 1956 NYY 121 458 76 121 24 5 9 49 56 30 7 .310 .397 .264 1957 NYY 43 145 12 35 5 2 1 12 14 3 2 .257 .324 .241 1957 KCA 73 265 33 68 9 3 9 27 20 12 7 .295 .415 .257 1958 Det 131 498 56 127 19 1 7 42 62 16 5 .279 .339 .255 1959 Cle 73 242 37 63 7 0 9 24 18 8 0 .290 .401 .260 1960 Cin 103 317 34 78 17 1 3 16 34 27 0 .304 .334 .246 1961 Min 108 374 44 92 15 5 6 36 42 13 3 .275 .361 .246 1961 Mil 6 6 1 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 .000 .000 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1021 3419 425 877 137 28 64 333 355 188 34 .298 .369 .257
受賞タイトル一覧
- ワールドシリーズMVP1回(1953)
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