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Connie MACK(コニー・マック)

Major League Baseball

#* コニー・マック(Connie MACK) | Mgr

コニー・マック

  • 1886年・ナショナルズと契約
  • 1862年12月22日生 右投右打 185センチ 68キロ
  • マサチューセッツ州出身

選手の紹介文
53年間にも渡り監督を務めたコニー・マック。背広に帽子という出で立ちで、メジャーリーグの監督を53年間も務めたコニー・マック。監督として残した3731勝3948敗という数字は、勝ちも負けも歴代メジャートップとなる記録である。リーグ優勝を果たすこと9回、世界一には5度も輝いている。監督でありながら、オーナーの責務も果たし、高年俸選手の放出を繰り返すなど、ビジネス的な手腕も目立った。

マサチューセッツ州にアイルランド系の移民として生まれたマック。本名はコーネリアス・マッギリカティといい、それを縮めて呼ばれるようになった。父が南北戦争の参加で健康に害を来して働けないでいたため、マックは14歳にして学校を出て、家のために働くこととなった。マックは教育を受けられなかったことを悔やんでいたという(後年、若い選手に大学生で学位をとることを勧めたという)。

1886年、マックはナショナルリーグに籍を置いていたワシントン・ナショナルズ(現在のナショナルズとは異なる)と契約。マックは捕手であり、ナショナルズの正捕手になるが、チーム自体は下位に低迷しており、マック自身は選手として結果は残していない。1890年は新興プレイヤーズリーグのバッファロー・バイソンズに500ドルで引き抜かれるが、プレイヤーズリーグ自体がこの年1年限りで消滅し、ナショナルリーグに戻ることとなった。

1891年から新たに契約を交わしたのはパイレーツである。1894年途中から選手兼任監督となったマックは監督として手腕を発揮。1896年限りで解雇されてしまうが、約2年半の監督としての成績は149勝134敗と勝ち越している。ただ、当時は1リーグ12球団あり、最高位は6位であった。1896年に解雇されると、その後はウエスタンリーグ(当時のマイナーリーグ/現在のアメリカンリーグの前身と言われる)であるミルウォーキー・ブリュワーズ(現在のブリュワーズとは異なる)の監督となったのである。

1901年、アメリカンリーグが創立されるとリーグ会長のバン・ジョンソンの要請もあり、フィラデルフィア・アスレティックスのオーナー兼監督となったのである(オーナーとしては共同経営者というスタンスであり、マックはチームの4分の1の権利を所有していた)。以後50年間も監督を務めることになるが、ユニフォームを着ずに、背広に帽子という格好でスコアカードを振り回して采配を振るっていた。

アスレティックスの1年目となる1901年、同じフィラデルフィアに本拠を構えていたフィリーズから引き抜いたナップ・ラジョイの活躍でリーグ8球団中4位となっている(74勝62敗、勝率.544)。翌1902年に優勝(83勝53敗、勝率.610)を果たしたが、これは奇行癖のあったルーブ・ワッデルを獲得し、うまく操縦したことが要因として挙げられる。

人望があり、情報網もあったマックは選手を見抜く目も確かであり、エディ・プランク、チーフ・ベンダーという後の大投手も獲得し、投手力を重視するマックの哲学に即したチームを作り上げた。1905年にもリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズではジョン・マグロー率いるジャイアンツと対戦。マグローにホワイトエレファンツ(白い象)とバカにされると、マックはそれをチームのシンボルとするユーモアセンスも持っていた(この年のワールドシリーズでは敗れてしまったが)。

メジャーリーグ史上に残る大監督である。打線にもフランク・ベイカー、エディ・コリンズらを獲得し、1910年、1911年、1913年と3度世界一に輝いた。1914年はリーグ優勝するもワールドシリーズでブレーブスの前に敗れると、主力選手を一挙放出。選手の高年俸が進む中で下した決断で、現代の球団経営にも通ずるところである。1901年から1914年までで勝率が5割を割ったのは1908年の1度だけであり、監督としての能力がいかに長けていたかが分かる。

長い冬の時代を迎えるも、1920年代に入って徐々に戦力を整えていった。極端なオープンスタンスで構えるアル・シモンズと契約を交わし、強打の捕手として才能を見せていたミッキー・カクレーンを獲得するためにカクレーンが在籍する球団ごと買い取ったりすることで骨格を作っていた。さらに強打ジミー・フォックス、左腕レフティ・グローブらも獲得し、急速にアスレティックスは強くなっていった。

10年連続で勝率5割を割っていたが、1925年に一躍リーグ2位に躍進(88勝64敗、勝率.579)。その後も上位を保ち、1929年に15年ぶりのリーグ優勝を果たしたのである。マックの采配で目立ったのは、この年のワールドシリーズ(対カブス)第1戦、誰もがエースのグローブの先発と思いきや、35歳のベテランであるハワード・エームキを先発に送った。このエームキが13奪三振の1失点完投勝利でチームを勢いに乗せたのである。エームキはシーズン終盤はマウンドに立っておらず、ワールドシリーズで戦うことになるカブスの戦力分析に飛び回っていたという。この勝利でアスレティックスは4勝1敗で世界一となっている。

1930年も勝ち抜き、2年連続で世界一となったアスレティックス。翌1931年はワールドシリーズで敗れるも、3年連続のリーグ優勝を果たしたのである。当時、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグらを擁するヤンキースに勝ってのリーグ優勝は非常に価値が高い。その後、またマックは主力選手を放出し、球団が潤滑に経営できるようにビジネス面を優先する決断をしたのである。

1931年のリーグ優勝を最後に、マックが優勝を導くことはなくなった。しかし、1933年に初めてオールスターゲームが開催されたときはアメリカンリーグの指揮を執る名誉も得た。1934年には日米野球での来日も経験。1936年途中からは全権を持つオーナー兼監督となった。そして1950年を最後に監督の座から降りたのである。1954年には球団の経営権を売り、アスレティックスはカンザスシティへ移転した。

まだ監督として手腕を振るっていた1937年に殿堂入りを決めたマック。球団経営権を手放した2年後の1956年、93歳でこの世を去った。監督としての通算成績である3731勝3948敗を見るに負け越している点が誤解を受けやすいが、数多くの大選手を発掘し、うまく操縦したと言うことを考えると、監督として一流であることは紛れもない事実である。ちなみに監督時代は紳士的な振る舞いを通したが、選手時代は荒っぽいプレーや暴言を吐くこともあったという。

【written by Kenji@webmaster】

獲得タイトル一覧

受賞アワード一覧

各年度別成績一覧

 YEAR Team    G   AB    R    H  2B  3B  HR  RBI   SO   BB   SB   OBP  SLG   AVG
 ------------------------------------------------------------------------------
 1886  WHS   10   36    4   13   2   1   0    5    2    0    0  .361 .472  .361
 1887  WHS   82  314   35   63   6   1   0   20   17    8   26  .228 .226  .201
 1888  WHS   85  300   49   56   5   6   3   29   18   17   31  .249 .273  .187
 1889  WHS   98  386   51  113  16   1   0   42   12   15   26  .333 .339  .293
 1890  BUF  123  503   95  134  15  12   0   53   13   47   16  .353 .344  .266
 1891  PIT   75  280   43   60  10   0   0   29   11   19    4  .286 .250  .214
 1892  PIT   97  346   39   84   9   4   1   31   22   21   11  .298 .301  .243
 1893  PIT   37  133   22   38   3   1   0   15    9   10    4  .358 .323  .286
 1894  PIT   69  228   32   57   7   1   1   21   14   20    8  .321 .303  .250
 1895  PIT   14   49   12   15   2   0   0    4    1    7    1  .404 .347  .306
 1896  PIT   33  120    9   26   4   1   0   16    8    5    0  .248 .267  .217
 ------------------------------------------------------------------------------
 Total      723 2695  391  659  79  28   5  265  127  169  127  .300 .245  .305

キャリアハイライト一覧

  • 世界一経験:5回(1910-PhA、1911-PhA、1913-PhA、1929-PhA、1930-PhA)
  • 殿堂入り:1937年(ベテランズ委員会)

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