- 2008-11-30 (日) 0:03
- MLB Players

#3 デール・マーフィー(Dale MURPHY) | OF

- 1974年6月ドラフト・ブレーブス1位(全米5番目)
- 1956年3月12日生 右投右打 193センチ 95キロ
- オレゴン州出身
選手の紹介文
1980年代のブレーブスを支えた選手であるデール・マーフィー。1982年、1983年と2年連続でMVPに輝くほどの強打を誇った。「30-30」を達成する足の早い面も見せ、さらに5年連続ゴールドグラブ賞を受賞するなどオールラウンドなプレーを見せた。しかし、長い現役生活の中でワールドシリーズの出場経験のない点が惜しまれる。
オレゴン州に生まれたマーフィーは、両親の薦めもあり幼き日からリトルリーグで野球を始めた。高校時代には長身の強肩捕手として名を馳せ、打っては打率.400をマークするだけの高い打撃能力を見せたのである。高校卒業時の1974年、ブレーブスから全米5番目となる1位指名を受けて、プロ入りを決めた。次代のジョニー・ベンチと言われるなど捕手としての評価が高かったのである。ルーキーリーグで歩みを始めるマーフィーは捕手としての育成方針が優先しており、打撃面は二の次になっていた。
1976年、1Aサバンナでは104試合に出場し、打率.267、12HR、55打点を挙げ、シーズン後半には3Aからメジャーへと一気に駆け上ったのである(メジャーでは19試合にだけ出場)。投手のマーフィーには捕手として致命的な送球難の問題に苦しんでいた。1977年、3Aリッチモンドでは127試合の出場で打率.305、22HR、90打点と打撃面で光る数字を残した。メジャーでは18試合に出場し、打率.316、2HR、14打点と非凡な数字を残したこともあり、打撃面をより生かすため、捕手からファーストへのコンバートが決まったのである。
1978年からはファーストとして試合に出場し、打率.226、23HR、79打点と安定感はなくともパワーがある面を見せた。翌1979年も打率.276、21HR、67打点という数字を残している。しかし、いかんせんファーストとしての守備が不安定で、エラーも多く、たくさんの不安要素を抱えていたのである。そんなこともあり、翌年以降からは外野手として再スタートすることが決まったのである。
1980年、外野手に転向したマーフィーは156試合に出場し、打率.281、33HR、89打点と数字を延ばした。まだ24歳と若かったマーフィーはリーグトップの133三振を喫するも、鳴り物入りでメジャー入りしてきた22歳のボブ・ホーナーとブレーブスの中軸を形成する存在にまでなったのである。この年にはオールスターゲームにも初出場を果たすなど、リーグを代表する存在になっていった。
1982年からはブレーブスの4番打者として162試合フルに出場し、打率.281、36HR、109打点と好成績を残し、初めての打点王を獲得。チームの地区優勝にも貢献したことが評価され、シーズンMVPの栄冠も受賞。外野守備が評価され、ゴールドグラブ賞も初めて受賞し、打撃面からシルバースラッガー賞も受賞するなど、マーフィーにとっては大きな飛躍の1年となった(しかし、チームはリーグチャンピオンシップシリーズで惜しくも敗退したのだが、この年のブレーブスを指揮していたのはジョー・トーレであった)。
1983年、チームは首位ドジャースに3ゲーム差及ばず地区2位に終わるが、マーフィーは162試合に出場し、打率.302、36HR、121打点と2年連続打点王に輝く活躍を見せたことが評価され、シーズンMVPも2年連続で受賞している。さらに30盗塁を決めており、「30-30」クラブにも名を連ねるなど、走攻守の全て高いレベルを維持していた。
1984年は打率.290、36HR、100打点、翌1985年も打率.300、37HR、111打点という成績を残し、2年連続で本塁打王にも輝いた。1986年こそ、打率.265、29HR、83打点と一旦成績は落とすが、1987年には打率.295、44HR、105打点と大当たりし、ブレーブスの主軸としての責任は果たしたのである。しかし、チームは戦力が整わず下位を低迷するなど、苦しい時期でもあった。
その後は怪我の影響もあり、徐々に成績が落ちていき、1990年シーズン途中にはフィリーズへ移籍することになった(この翌年にブレーブスがリーグ優勝をすることを考えると皮肉な放出であった)。フィリーズ移籍後も結果は残せず、1993年には新球団ロッキーズへ移籍するも膝の故障に悩まされ、シーズン途中の5月には現役引退を決めたのである。通算成績は打率.265、398HR、1266打点となる。
キャリアの大半をブレーブスで過ごし、球団史上、ハンク・アーロン、エディー・マシューズに次ぐスラッガーとして君臨した。ポストシーズン出場経験が1982年の1度しかない点が悔やまれるが、引退を決めた翌年にはマーフィーが付けていた背番号3番が永久欠番に指定されている。マーフィーは1981年から1986年途中まで740試合連続出場を記録。途中でフェンスに激突した影響で連続試合出場にストップがかかりそうになったが、翌日の試合で代打で登場し、劇的なHRを放って記録を継続したという逸話を持っている。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1976 Atl 19 65 3 17 6 0 0 9 9 7 0 .333 .354 .262 1977 Atl 18 76 5 24 8 1 2 14 8 0 0 .316 .526 .316 1978 Atl 151 530 66 120 14 3 23 79 145 42 11 .284 .394 .226 1979 Atl 104 384 53 106 7 2 21 57 67 38 6 .340 .469 .276 1980 Atl 156 569 98 160 27 2 33 89 133 59 9 .349 .510 .281 1981 Atl 104 369 43 91 12 1 13 50 72 44 14 .325 .390 .247 1982 Atl 162 598 113 168 23 2 36 109 134 93 23 .378 .507 .281 1983 Atl 162 589 131 178 24 4 36 121 110 90 30 .393 .540 .302 1984 Atl 162 607 94 176 32 8 36 100 134 79 19 .372 .547 .290 1985 Atl 162 616 118 185 32 2 37 111 141 90 10 .388 .539 .300 1986 Atl 160 614 89 163 29 7 29 83 141 75 7 .347 .477 .265 1987 Atl 159 566 115 167 27 1 44 105 136 115 16 .417 .580 .295 1988 Atl 156 592 77 134 35 4 24 77 125 74 3 .313 .421 .226 1989 Atl 154 574 60 131 16 0 20 84 142 65 3 .306 .361 .228 1990 Atl 97 349 38 81 14 0 17 55 84 41 9 .312 .418 .232 1990 Phi 57 214 22 57 9 1 7 28 46 20 0 .328 .416 .266 1991 Phi 153 544 66 137 33 1 18 81 93 48 1 .309 .415 .252 1992 Phi 18 62 5 10 1 0 2 7 13 1 0 .175 .274 .161 1993 Col 26 42 1 6 1 0 0 7 15 5 0 .224 .167 .143 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2180 7960 1197 2111 350 39 398 1266 1748 986 161 .346 .469 .265
受賞タイトル一覧
- シーズンMVP2回(1982-NL、1983-NL)
- 本塁打王2回(1984-NL、1985-NL)
- 打点王2回(1982-NL、1983-NL)
- ゴールドグラブ賞5回(1982-NL~1986-NL)
- シルバースラッガー賞4回(1982-NL~1985-NL)
- ロベルトクレメンテ賞(1988)
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