- 2008-06-12 (木) 0:10
- MLB Players

#53 ドン・ドライスデール | SP

- 1956年・ドジャースと契約
- 1936年7月23日生 右投右打 196センチ 86キロ
- カリフォルニア州出身
選手の紹介文
長身のサイドスローから厳しく内角を突く投球スタイルで「ヘッドハンター」とも言われたドン・ドライスデール。1960年代前半にはチームメイトのサンディー・コーファックスと左右の両輪としてドジャースの黄金時代を築き上げた。キャリア14年間での与四球は154個を数えており、これはメジャー記録でもある。
カリフォルニア州バンナイズで生まれたドライスデールがドジャースと契約を結んだのは1956年のこと。まだドジャースがニューヨークのブルックリンに本拠を構えていたときのことである。メジャー1年目は25試合に登板(先発は12試合)し、5勝5敗という成績に終わるが、その荒れ気味の剛速球は、相手打者に恐怖を覚えさせたほどだ。
2年目の1957年には34試合の登板(先発は29試合)で、17勝9敗の防御率2.69と一躍頭角を現し、チームのエース格にのしあがった。後にドライスデールと双璧を成すことになるコーファックスとは、すでにチームメイトではあったが、まだ才能が開花したとは言えない段階ではなかった。そして、この年のオフにドジャースは本拠地を西海岸のロサンゼルスへ移転することになる。
ロサンゼルスへ移転した1958年、12勝13敗の防御率4.17に終わるが、翌1959年は17勝13敗の防御率3.46と好成績をマークし、チームのリーグ優勝に貢献。ホワイトソックスと戦ったワールドシリーズでは第3戦に先発し、7回まで投げて11安打を喫するが、かろうじて1失点に抑え、チームに勝利をもたらした。この年、ドジャースは移転後初の世界一に輝いている。ドライスデールはシーズンでも242奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得し、リーグトップタイの4完封も記録するなど、まさに全盛期の真っ只中にいた。
1960年は15勝14敗の防御率2.84をマークし、246奪三振で2年連続となる最多奪三振のタイトルを獲得。投球を打者の頭付近に投げるドライスデールの投球スタイルはすでに定着しており、罰金を言い渡されてもそのスタイルを変えることはなかった。それがドライスデールのカーブやスライダーをより生かすことに成功していたとも言える。
1961年、ドライスデールは13勝10敗の防御率3.69に終わるが、コーファックスが18勝をマークするなど才能が開花するきっかけを掴んだこともあり、ドジャース史上最高の投手デュオが誕生した年とも言える。
1962年は25勝9敗の防御率2.83、232奪三振と好成績を挙げたドライスデール。最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得し、自身初のサイヤング賞も受賞した。この年、コーファックスは14勝を挙げたこともあり、2人で計39勝をマーク。1963年はドライスデールが19勝でコーファックスが25勝、翌1964年はドライスデールが18勝でコーファックスが19勝と他球団が恐れるほどの勝ちっぷりを見せていた。
1965年に至っては、ドライスデールは23勝12敗の防御率2.77をマークし、コーファックスは26勝8敗の防御率2.08と2人だけでチーム全体の白星の半分以上をマークした。この年のドジャースのチーム打率はリーグ7位の.245と貧打ではあったが、その中でリーグ優勝を飾る事が出来たのは、2人の存在なくしてはあり得ないことである。ワールドシリーズでもツインズを4勝3敗で振り切り、世界一の座に輝いている。
ドジャースの2人のエースは、この年のオフに年俸アップを求めて共闘し、大きな話題になった。スプリングトレーニングを2人でボイコットする騒ぎにまで発展するが、1966年シーズンの開幕直前にようやく契約を交わした。調整遅れが心配された中、コーファックスは27勝をマークしたが、ドライスデールにはその影響が出てしまい、13勝16敗という成績に終わってしまう。そして、コーファックスは左肘痛を理由に現役を引退し、ドライスデールにも衰えが見えるなど、一つの時代の終焉が見えつつあった。
1967年も13勝16敗に終わってしまったドライスデール。すでに全盛期が過ぎてしまったかに思われたが、1968年に大記録を作り上げる。5月14日の対カブス戦から6月8日の対フィリーズ戦までの間で、当時のメジャー新記録となる58回2/3イニング連続無失点記録を樹立した。この年はボブ・ギブソンが防御率1.12をマークし、デニー・マクレインがシーズン31勝をマークするなど「投手の年」と言われた年で、その中でもドライスデールの記録は光っていた。
輝かしい記録を作ってきたドライスデールも1969年、肩痛に苦しみ、シーズン途中で引退を決意した。メジャーでは14年間プレーし、通算成績は209勝166敗であり、防御率2.95、2486奪三振をそれぞれマークしている。投手として打撃にも優れたものがあり、1958年、1965年にはそれぞれ7HRを記録している。
非常に社交場が好きなドライスデールは、引退後はアナウンサーに転身した。大舞台でも強かったドライスデールは、8回出場したオールスターゲームで、計19回1/3を投げて19三振を奪っており、これはメジャートップの記録である。1984年に殿堂入りしたドライスデールだが、1993年にモントリオールで心臓発作のため、56歳の若さで急死している。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1956 Bro 25 12 2 0 5 5 0 99.0 95 55 31 35 29 2.64 1957 Bro 34 29 9 4 17 9 0 221.0 197 148 61 76 66 2.69 1958 LAD 44 29 6 1 12 13 0 211.2 214 131 72 107 98 4.17 1959 LAD 44 36 15 4 17 13 2 270.2 237 242 93 113 104 3.46 1960 LAD 41 36 15 5 15 14 2 269.0 214 246 72 93 85 2.84 1961 LAD 40 37 10 3 13 10 0 244.0 236 182 83 111 100 3.69 1962 LAD 43 41 19 2 25 9 1 314.1 272 232 78 122 99 2.83 1963 LAD 42 42 17 3 19 17 0 315.1 287 251 57 114 92 2.63 1964 LAD 40 40 21 5 18 16 0 321.1 242 237 68 91 78 2.18 1965 LAD 44 42 20 7 23 12 1 308.1 270 210 66 113 95 2.77 1966 LAD 40 40 11 3 13 16 0 273.2 279 177 45 114 104 3.42 1967 LAD 38 38 9 3 13 16 0 282.0 269 196 60 101 86 2.74 1968 LAD 31 31 12 8 14 12 0 239.0 201 155 56 68 57 2.15 1969 LAD 12 12 1 1 5 4 0 62.2 71 24 13 34 31 4.45 ----------------------------------------------------------------------------- Total 518 465 167 49 209 166 6 3432.0 3084 2486 855 1292 1124 2.95
受賞タイトル一覧
- サイヤング賞1回(1962)
- 最多勝1回(1962)
- 最多奪三振3回(1959,60,62)
- オールスター出場8回(1959,61~65,67,68)
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