- 2008-11-27 (木) 0:04
- MLB Players

#23 ドン・マッティングリー(Don MATTINGLY) | 1B

- 1979年6月ドラフト・ヤンキース19位(全米493番目)
- 1961年4月20日生 左投左打 183センチ 79キロ
- インディアナ州出身
選手の紹介文
ヤンキース一筋に現役生活を全うしたドン・マッティングリー。1980年代から90年代前半までのヤンキース低迷期を支えたキャプテンとして、ファンからの絶大なる支持を得ている。メジャータイ記録となる8試合連続HRやシーズン6本の満塁HRなども記録している。優勝には縁がなかったが、背番号23番はヤンキースの永久欠番となっている。
インディアナ州に生まれたマッティングリーは、高校時代から注目される選手だった。その実力は野球に留まらず、アメリカンフットボール、バスケットボールでも才能を発揮するアスリートだった。奨学金を得て大学進学すると思われたが、高校卒業時にヤンキースから19位指名(全米493番目)を受けるとプロ入りを決めたのである。
指名された1979年、そのまま1Aオネオンタに参加すると53試合の出場で打率.349と非凡な数字を残した。翌1980年は1Aグリーンスボロで133試合に出場し、打率.358、9HR、105打点という成績でそのリーグの首位打者となっている。1981年は2Aナシュビルに昇格すると141試合に出場し、打率.316、7HR、98打点と高いレベルを維持している。この頃はファーストの他に外野も守っていた。
1982年は3Aコロンバスで130試合に出場し、打率.315、10HR、75打点という安定した数字を残すと9月にはメジャー昇格を果たしたのである(わずか7試合だけの出場に留まっている)。翌1983年、ファーストで42試合、外野で48試合出場するが、レギュラー獲得には至らなかった(左投げながらセカンドでも1試合だけ出場している)。3Aでは打率.340を記録し、メジャーでは打率.283を記録している。
1984年、マッティングリーはファーストのポジションを手にした。するとマッティングリーの打棒が発揮され、首位打者争いを演じるほどのヒットを積み重ねたのである。首位打者争いをしたのがチームメイトのデーブ・ウインフィールドだった。FAで鳴り物入りでヤンキース入りしたウインフィールドと生え抜きのマッティングリーとの争いはシーズン最終日までもつれ込み、軍配はマッティングリーに上がった。打率.343、23HR、110打点という堂々たる成績で、MVP投票でも5位に食い込んでいる(ウインフィールドの打率は.340だった)。
1985年もマッティングリーは打率.324、35HR、145打点という成績で打点王のタイトルを獲得。シーズンMVPにも輝き、初めてのゴールドグラブ賞も受賞している。翌1986年、打率.352、31HR、113打点をマークし、積み上げた安打数は238本とヤンキースとしてのシーズン記録を樹立している。ヤンキースのキャプテンとしてリーダーシップを発揮し、名物オーナーであるジョージ・スタインブレナーとも衝突しながらも放出されることはなかったのである。
1987年、打率.327、30HR、115打点をマーク。ハイライトは7月のことであり、メジャータイ記録となる8試合連続HRを記録したのである(1956年のデール・ヤングの記録に並ぶものであり、後に1993年のケン・グリフィーも並ぶ記録を作っている)。この8試合の中で10HRするほどの大当たりを見せたのである。この年は満塁HRを6本も放っており、これもメジャー新記録である(2006年にトラビス・ハフナーがタイ記録を作っている)。
1988年のマッティングリーは打率.311、18HR、88打点を挙げるが、チームはシーズン途中で失速。実にマッティングリーがメジャー昇格以来、ポストシーズンには縁がない日々が続いていたのである。FAでの補強に頼るチーム方針が弱体化を招き、マッティングリーのリーダーシップを持っても勝つことは出来なった。翌1989年も打率.303、23HR、113打点をマークするも、チームは低空飛行を続けたのである。
1990年からは腰痛がマッティングリーを苦しめた。長打力に陰りが見え始め、打率も3割を切った。まさに満身創痍でのプレーが続いたのだが、1994年はチームも地区1位を走る好調を見せたのである。とはいえ、ストライキで中断されたこともあり、初のポストシーズン出場は幻となった。マッティングリー自身も打率.304をマークするなど、惜しいシーズンとなった。
1995年、ようやくチームはワイルドカードとしてポストシーズン出場権を手にしたのである。マッティングリーは128試合の出場で打率.288、7HR、49打点と全盛期と比較すると見劣りするが、念願のポストシーズン出場を果たしたのである。ディビジョンシリーズ(対マリナーズ)では打率.417、1HR、6打点と活躍したが、惜しくも敗れてしまったのである。そして、体力の限界を理由にユニフォームを脱いだのである(正式な引退は1997年1月に発表している)。
奇しくもマッティングリーがヤンキースを去った1996年、世界一に輝いている。しかし、マッティングリーの功績を称え、ヤンキースは背番号23番を永久欠番に指定したのである(ちなみにメジャー昇格2年間の背番号は46番であり、23番を付けるのは1984年から)。メジャー通算成績は打率.307、2153安打、222HR、1099打点というものである。2004年からヤンキース打撃コーチとなり、2008年からはジョー・トーレを追ってドジャースのコーチに就任している。初めてヤンキース以外のユニフォームに袖を通したことになる。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1982 NYY 7 12 0 2 0 0 0 1 1 0 0 .154 .167 .167 1983 NYY 91 279 34 79 15 4 4 32 31 21 0 .333 .283 .283 1984 NYY 153 603 91 207 44 2 23 110 33 41 1 .381 .343 .343 1985 NYY 159 652 107 211 48 3 35 145 41 56 2 .371 .324 .324 1986 NYY 162 677 117 238 53 2 31 113 35 53 0 .394 .352 .352 1987 NYY 141 569 93 186 38 2 30 115 38 51 1 .378 .327 .327 1988 NYY 144 599 94 186 37 0 18 88 29 41 1 .353 .311 .311 1989 NYY 158 631 79 191 37 2 23 113 30 51 3 .351 .303 .303 1990 NYY 102 394 40 101 16 0 5 42 20 28 1 .308 .256 .256 1991 NYY 152 587 64 169 35 0 9 68 42 46 2 .339 .288 .288 1992 NYY 157 640 89 184 40 0 14 86 43 39 3 .327 .288 .288 1993 NYY 134 530 78 154 27 2 17 86 42 61 0 .364 .291 .291 1994 NYY 97 372 62 113 20 1 6 51 24 60 0 .397 .304 .304 1995 NYY 128 458 59 132 32 2 7 49 35 40 0 .341 .288 .288 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1785 7003 1007 2153 442 20 222 1099 444 588 14 .358 .471 .307
受賞タイトル一覧
- シーズンMVP1回(1985-AL)
- 首位打者1回(1984-AL)
- 打点王1回(1985-AL)
- ゴールドグラブ賞9回(1985-AL~1989-AL、1991-AL~1994-AL)
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