- 2009-02-20 (金) 0:04
- MLB Players

#4 アール・ウィーバー(Earl WEAVER) | Mgr

- 1948年・カージナルスと契約
- 1930年8月14日生 右投右打 170センチ 82キロ
- ミズーリ州出身
選手の紹介文
選手経験のない監督として、オリオールズ一筋に采配を振るったアール・ウィーバー。大味な野球を好み、送りバントなどの作戦はあまり使っていない。とはいえ、数字として表れる選手成績などは充分に集め、自らの采配に生かした。熱血漢溢れる監督であり、退場回数も多い。1970年にはオリオールズを世界一に導いたこともある。
ミズーリ州に生まれたウィーバーは、セントルイスの高校を卒業後、マイナーリーグに身を投じた。カージナルス傘下のチームで、セカンドベースマンとしてキャリアを重ねるが、メジャーリーグからお呼びがかかることはなかった。結局、選手としては1960年までプレーしているが、打率3割を越えることは1度もなかったという。
マイナーリーグでの監督生活を始めたのは1956年。選手兼任監督としてのスタートだった。1957年からオリオールズ傘下に移り、1960年には1Aの監督として優勝を経験したことから監督専任となった。1962年から2Aエルミラの監督となり、常に上位をキープし、優勝も経験。監督としての実績を積み重ね、1966年からは3Aロチェスターの監督に昇格した。
3A昇格後も優勝、2位と2年間に渡り結果を残した。この実績が評価され、1968年はオリオールズの1塁コーチとして開幕を迎えることとなった。これは当時オリオールズの監督を務めていたハンク・バウアーの推薦によるものである。選手としてメジャー昇格できなかったウィーバーが、コーチとしてメジャー昇格したのである。卒業することになるマイナーリーグでは約12シーズンに渡り監督生活を送ったが、通算戦績は841勝697敗(勝率.547)であり、リーグ優勝は3度を数えている。
1968年、オリオールズは戦力が整っていながらも低迷。すると監督であるバウアーはオーナー陣と衝突し、7月に入った時点で解任された。するとその空席が37歳と若いウィーバーの元に転がり込んできたのである。突然の大役となったが、82試合を戦い48勝34敗という好成績を挙げて、チームをリーグ2位(92勝70敗)に押し上げたのである。監督としての力量の高さを早くも発揮した形である。
当時のオリオールズには堅守強打を誇るブルックス・ロビンソンを始めとし、1966年に三冠王となっているフランク・ロビンソン、生え抜きスラッガーのブーグ・パウエルなど、打撃陣は磐石で、投手陣もマーク・クエイヤー、デーブ・マクナリー、ジム・パーマーという圧倒的な戦力が揃っており、ウィーバーの好む大味な野球を実践できるメンバーに溢れていたのである。
1969年、この年から東西2地区と分かれたが、東地区に振り分けられたオリオールズはシーズン109勝(勝率.673)を挙げて、地区優勝を果たした。リーグチャンピオンシップシリーズでもツインズを3連勝で振り切り、リーグ優勝。ワールドシリーズでは「ミラクルメッツ」と呼ばれ、勢いに乗るメッツと対戦。第1戦ではトム・シーバーを攻略して先勝するが、その後はメッツの勢いに押されて4連敗。世界一は逃してしまった。
1970年もシーズン108勝(勝率.667)を挙げて地区優勝を果たし、その勢いでリーグ優勝。ワールドシリーズでは「ビッグレッドマシン」と呼ばれる前のレッズと対戦し、4勝1敗で勝ち抜き、念願の世界一の美酒に酔った。翌1971年もシーズン101勝(勝率.639)で3年連続リーグ優勝と強さを誇った(惜しくもワールドシリーズではパイレーツに破れ、連続世界一は逃した)。
1972年は地区3位に終わるが、1973年からは2年連続地区優勝。しかし、アスレティックスが強かった時代でリーグチャンピオンシップシリーズではいずれも敗退している。その後は優勝こそ縁がないが、常に上位をキープ。1979年にはシーズン102勝(勝率.642)を挙げて5年ぶりの地区優勝を飾った。リーグチャンピオンシップシリーズ(対エンゼルス)も制し、ワールドシリーズではパイレーツと8年ぶりの再戦。7戦までもつれる熱戦となったが、ベテランウイリー・スタージェルの神がかり的な活躍の前に敗れてしまった。
その後もオリオールズはウィーバーの元、高い勝率を維持し続けた。さらにエディ・マレー、カル・リプケンなどの若い選手も台頭してきた。1982年にメジャーデビューしたリプケンは元々サードを守っていたが、ウィーバーはショートストップ転向を決断。大型ショートストップの誕生に一役買ったのである。その後のリプケンの活躍は誰もが知るところである。
1982年、最終戦で地区優勝を逃してしまうと、この年限りでウィーバーはユニフォームを脱ぎ、解説者となった。すると翌1983年には新監督ジョー・アルトベリの元で世界一となったのである。1985年シーズン途中にウィーバーは再びオリオールズ監督に就任。1986年はメジャー監督生活で初めて勝率5割を切り(勝率.451)、この年限りで正式に一線から退くこととなったのである。
監督生活17年間での通算成績は1480勝1060敗、勝率.583。シーズンで勝率6割越えは6回を数え、5割を切ったことはわずかに1回のみと華々しい結果を残している。一貫して付けていた背番号4番はオリオールズの永久欠番に指定されている。1996年には野球殿堂入りを決めている。
ウィーバを語るに欠かせないのは猛烈に抗議する姿勢である。退場を告げられた数は100回近くあり、中にはダブルヘッダーの第1戦、第2戦の両方で退場させられることもあったという。さらには出場停止処分も4回を数えるなどトラブルには事欠かない。特にチームのエースであったパーマーとの犬猿の仲は非常に有名だった。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
キャリアハイライト一覧
- 世界一経験:1回(1970-Bal)
- 殿堂入り:1996年(ベテランズ委員会)
- 永久欠番:#4(Orioles)
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