- 2008-12-05 (金) 0:01
- MLB Players

#11 エドガー・マルチネス(Edgar MARTINEZ) | 1B

- 1982年12月・マリナーズと契約
- 1963年1月2日生 右投右打 180センチ 86キロ
- ニューヨーク州出身
選手の紹介文
「ミスターマリナーズ」という称号が最もふさわしいエドガー・マルチネス。独特なリーダーシップでチームを引っ張り、勝負強さには定評があるイカしたナイスガイであった。背負っていた背番号11番は、永久欠番に準ずる位置にある。歴代指名打者の中でも代表的な存在として知られている。
ニューヨーク州で生まれたが、プエルトリコ人として育ったこともあり、尊敬する選手にはロベルト・クレメンテの名前を挙げるマルチネス。少年時代、たまたま見たパイレーツとオリオールズのワールドシリーズ(1979年)が、マルチネスを野球の世界に導いた。プエルトリコのアメリカン大学を卒業後の1982年12月にマリナーズと契約を交わした。
1984年、1Aワウソウで126試合に出場し、打率.303、15HR、66打点と好成績をマーク。翌1985年は2Aチャタヌガで開幕を迎えるが、シーズン後半には3Aカルガリーへ昇格するなど順調な成長曲線を描いていた。1986年は2Aでフルシーズン過ごし、打率.264、6HR、74打点をマーク。そして、1987年には3Aで129試合に出場し、チームトップとなる打率.329をマーク。この年の9月に入って、待望のメジャー昇格を果たしたのである。3Aのプレーオフが始まるという中でのメジャー昇格だったが、マルチネスは代走としてメジャーデビューを飾った。メジャー初ヒットは2日後に飛び出し、それは3塁打だった。ちなみにこの頃のマルチネスは、プロ入りから一貫してサードを守っていたのだ。
飛躍が期待された1988年は怪我もあり、3Aで開幕を迎えることとなった。3Aでは打率.363をマークし、リーグの首位打者も獲得。すでにマイナーリーグを卒業するにふさわしい数字を残したと言える。翌1989年は開幕こそマリナーズのサードを守っていたが、成績が安定せず、シーズン途中で3Aへ降格することになり、メジャー定着には時間を要した。3Aでは.350近い打率を記録するが、メジャーでは2割半ばという成績で、「3A以上、メジャー未満」という宙ぶらりんな状態に苦しんでいたのである。そんな中ではあるが、冬のプエルトリカンリーグで打率.424をマークするなど、確実に成長の跡は残していたのである。
1990年は開幕をメジャーで迎え、そのままメジャー定着を果たした1年となった。144試合の出場で打率.302、11HR、49打点という新人らしからぬ成績を残した。サードの守備では1試合で4のエラーを冒したこともあったが、打撃面ではリーグ3位の出塁率.397を記録するなど大活躍。さらに翌1991年は150試合に出場し、打率.307、14HR、52打点と好成績を挙げた。心配されたサードの守備も前年のエラー27個から15個に減らしている。
1992年はマルチネスにとって重要な1年となった。打率.343をマークして、初めての打撃タイトルである首位打者を獲得したのである。マリナーズという球団においても、初めてとなる首位打者獲得である。右打者の首位打者としては、1959年にハーベイ・キーンが打率.353で首位打者になって以来の高打率での首位打者獲得である。さらに46本の2塁打もリーグトップとなる数字であり、18HR、73打点と打撃部門の全てでキャリア最高をマスターした。
タイトルを獲得して迎えた1993年は、左足のハムストリングを痛めたことから、3度の故障者リスト入りを繰り返すなどで、わずか42試合しか出場できない状態となった。翌1994年も開幕早々から怪我で離脱し、マルチネスらしい打棒を見せることができなかった。非常に苦しい2年間を過ごすことになったのである。
1995年は前年からのストライキの影響もあり短縮シーズンで行われたが、マルチネスは主に指名打者として、本職のサードの他にファーストも守り、全試合となる145試合に出場。3年ぶりに万全の状態で臨めたこの年、打率.356をマークし、2度目の首位打者を獲得した。右打者の首位打者としては1939年にジョー・ディマジオが.381を記録して以来の高打率であり、右打者として2度の首位打者獲得となると52年ぶり(1936年、1943年のルーク・アップリング)である。リーグ最高出塁率(.479)、最多2塁打(52本)を記録したこの年、MVP投票ではモー・ボーン、アルバート・ベルに次ぐ3位に付けている。
さらに球団史上初の地区優勝を果たしたこの年のマリナーズ。マルチネスにとっても初めてのポストシーズンとなり、ヤンキースとのディビジョンシリーズでは大活躍した。1勝2敗で迎えた第4戦、1試合で7打点を挙げる猛打を見せ、さらに第5戦では延長11回裏にサヨナラとなるタイムリー2塁打を放つなど勝利に大きく貢献した。このシリーズで、マルチネスは打率.571(21打数12安打)をマーク。しかし、インディアンズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、逆に打率.087(23打数2安打)と落ち込んでしまい、マリナーズの足を引っ張る形となってしまった。
この頃には指名打者としての出場が主となってきたマルチネスだが、1996年もその打棒を発揮。夏場に故障者リスト入りしたこともあったが、打率.327、26HR、103打点を記録している。この年の8月にはマリナーズ史上4人目となる通算1000本安打を記録している(これまで達成しているのはケン・グリフィー、アルビン・デービス、ハロルド・レイノルズ)。翌1997年は、開幕早々にキャリア最長の17試合連続ヒットを記録。指名打者として選ばれたオールスターでは、グレッグ・マダックスからソロHRも放っているた。この年のマルチネスは打率.330、28HR、108打点をマークして、主軸としての責任を果たした。
1998年も勢いは留まらず、打率.320、29HR、102打点を記録したマルチネス。実に4年連続での打率3割、100打点、100四球をマークしたのである。翌1999年は後半戦で大当たりし、リーグ4位となる打率.337を記録した。この年の8月にはペドロ・マルチネスから通算1500本安打も記録している。
2000年シーズン開幕前には、この年限りでの引退をほのめかし大きな話題となったが、開幕からそれを感じさせない打棒で打ちまくった。前半戦で打率.354、23HR、87打点を記録。前半戦での87打点というと、マリナーズにおける球団新記録でもある。37歳という年齢を全く感じさせずに打ちまくり、結局この年は打点王(145打点)を獲得してしまった。自らを追い込むことで結果を求めようとしたマルチネスは、キャリア最高の37HRも記録している(打率は.324)。
2001年は開幕してから一貫して打率3割以上をキープし、頼りがいのある打撃でチームを引っ張った。当時のルー・ピネラ監督をして「最も頼りになる男」とまで言わしめたマルチネス。7月半ばに故障者リスト入りすることがあったが、復帰後も要所要所で活躍し、打率.306、23HR、116打点でシーズンを終えた。チームもシーズン116勝を挙げる圧倒的な強さで地区優勝を飾った。インディアンズとのディビジョンシリーズでは、1勝2敗で迎えた第4戦の最終回にに逆転2ランHRを打ち、チームを勝利へに導いた。しかし、リーグチャンピオンシップシリーズではヤンキースの前に敗れてしまい、またもワールドシリーズ進出はならなかった。
2002年は左足を痛めた影響で97試合しか出場できなかった。翌2003年は引退を覚悟してシーズンに臨むと打率.294、24HR、98打点をマークし、通算2000本安打も達成。球団側の慰留もあり、もう1年だけ現役を続けた。2004年、マルチネスの最後のシーズンはチームは地区最下位に落ちてしまったが、ファンからは大きな声援を受けた。そしてこの年、引退と同時に、憧れのクレメンテの名を冠するロベルトクレメンテ賞を受賞している。
通算成績は、打率.312、2247安打、309HR、1261打点というものである。最終シーズンで通算2塁打数を515本とし、500本の大台を越えた。メジャー史上において、通算成績で打率3割以上、300HR以上、500本以上の2塁打、出塁率4割以上、長打率5割以上をマークしているのはマルチネスの他にテッド・ウイリアムス、ベーブ・ルース、スタン・ミュージアル、ロジャース・ホーンスビー、ルー・ゲーリッグ、マニー・ラミレスと蒼々たるメンバーが並ぶ。
メジャーリーグでリーグ再編が叫ばれ、マリナーズが指名打者のないナショナルリーグへ移動するという噂があったとき、マルチネスはそれが現実になれば引退すると言った。というのも指名打者がなければ、マルチネスは指名打者のあるチームへ移らなければならず、それはマリナーズ以外のユニフォームを着るということになってしまうからだ。マリナーズを心から愛するマルチネスにとっては考えられないことだったのである。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 首位打者:2回(1992-AL、1995-AL)
- 打点王:1回(2000-AL)
受賞アワード一覧
- シルバースラッガー賞:5回(1992-AL、1995-AL、1997-AL、2001-AL、2003-AL)
- ロベルトクレメンテ賞(2004)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1987 Sea 13 43 6 16 5 2 0 5 5 2 0 .413 .581 .372 1988 Sea 14 32 0 9 4 0 0 5 7 4 0 .351 .406 .281 1989 Sea 65 171 20 41 5 0 2 20 26 17 2 .314 .304 .240 1990 Sea 144 487 71 147 27 2 11 49 62 74 1 .397 .433 .302 1991 Sea 150 544 98 167 35 1 14 52 72 84 0 .405 .452 .307 1992 Sea 135 528 100 181 46 3 18 73 61 54 14 .404 .544 .343 1993 Sea 42 135 20 32 7 0 4 13 19 28 0 .366 .378 .237 1994 Sea 89 326 47 93 23 1 13 51 42 53 6 .387 .482 .285 1995 Sea 145 511 121 182 52 0 29 113 87 116 4 .479 .628 .356 1996 Sea 139 499 121 163 52 2 26 103 84 123 3 .464 .595 .327 1997 Sea 155 542 104 179 35 1 28 108 86 119 2 .456 .554 .330 1998 Sea 154 556 86 179 47 1 29 102 96 106 1 .429 .567 .322 1999 Sea 142 502 86 169 35 1 24 86 99 97 7 .447 .554 .337 2000 Sea 153 556 100 180 31 0 37 145 95 96 3 .423 .579 .324 2001 Sea 132 470 80 144 40 1 23 116 90 93 4 .423 .543 .306 2002 Sea 97 328 42 91 23 0 15 59 69 67 1 .403 .485 .277 2003 Sea 145 497 72 146 25 0 24 98 95 92 0 .406 .489 .294 2004 Sea 141 486 45 128 23 0 12 63 107 58 1 .342 .385 .263 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2055 7213 1219 2247 515 15 309 1261 1202 1283 49 .418 .516 .312
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:7回(1992-AL、1995-AL~1997-AL、2000-AL、2001-AL、2003-AL)
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