- 2008-06-12 (木) 0:05
- MLB Players

#34 フェルナンド・バレンズエラ | SP

- 1979年・ドジャースと契約
- 1960年11月1日生 左投左打 180センチ 90キロ
- メキシコ出身
選手の紹介文
メキシコ生まれのメジャーリーガーとして衝撃的なデビューを飾ったフェルナンド・バレンズエラ。左腕から繰り出すスクリューボールを大きな武器として、アメリカンドリームを見事にその手に掴んだと言える。バレンズエラの活躍は「フェルナンドマニア」という言葉まで生み出し、野茂英雄がメジャーデビューした際にもその名前がよく聞かれ、比較されたものである。
1960年、メキシコの田舎町で12人兄弟の末っ子として生まれたバレンズエラ。家庭環境は貧しかったが、両親の働く背中を見てすくすくと成長し、物心がついた頃には兄弟の中に交じって当たり前のように野球をやっていた。15歳になると貴重な左腕投手として、セミプロチームで投げていたという。
ハングリー精神の固まりであったバレンズエラがドジャースのスカウトの目に止まったのは1979年のことで、ここから憧れのメジャーリーガーを目指しての新しい戦いが始まった。1980年シーズンの終盤にはメジャーへ初昇格を果たし、わずか10試合の登板ではあったが、2勝をマークし、投球回数17回2/3に対して自責点は0であった。幸先のよいスタートを切ったバレンズエラも、球速不足を実感しており、ウイニングショットの修得が必要なことはすでに悟っていた。
1981年の開幕前、バレンズエラが取り組んだのはボビー・カスティーヨから教わったというスクリューボールの修得である。そして、わずかな期間ではあったがバレンズエラはそのボールを自分のものとしてしまう。これがこの年の快進撃を生み出すきっかけとなった。エースのジェリー・ロイスを差し置いて、アストロズとの開幕戦の開幕投手に指名されたバレンズエラは、スクリューボールを武器に三振の山を築く。終わってみれば散発5安打の完封勝利をマークしていた。
その後も勢いは衰えず、開幕からいきなり連勝を重ねるバレンズエラ。ドジャースが本拠を構えるロサンゼルスはメキシコからの移民が多いことも、さらに人気を高めるきっかけとなり、バレンズエラの登板試合は連日のように満員だった。開幕からの連勝はメジャーの新人記録に並ぶ8まで伸びたが、連勝はここで止まり、その後に2連敗。6月に入り、ようやく9勝目をマークしたが、ここで予想外の事態が起こってしまう。選手会がストライキに入ってしまったのである。上り調子になりつつあったバレンズエラにとって、この期間は非常に痛かった。
ストライキは8月になってようやく終止符が打たれるが、8月にずれ込んだオールスターゲームでは先発の大役も担った。ストライキでシーズンの3分の1を失ったこの年、バレンズエラは25試合の登板で13勝7敗の防御率2.48、180奪三振と好成績に加え、さらに8完封も記録している。仮にストライキがなければ、もっと記録が伸びたはずで、それだけが惜しまれるところ。サイヤング賞と新人王の両方を受賞したのも、もはや当たり前のことといえた。
さらにこの年はチームもリーグ優勝を飾り、ワールドシリーズにも進出。2連敗で迎えた第3戦に先発したバレンズエラは4失点ながらも完投勝利をマークすると、チームはここから4連勝で世界一の座にも輝いた。こうしてバレンズエラは、メジャーの投手として、誰もがうらやむものを一挙に手に入れてしまった。バレンズエラ、まだ20歳の秋である。
スクリューボールは投手の寿命を縮めるという通説があったため、バレンズエラの将来に疑問符を付けるという声もあったが、1982年には19勝を挙げるなど、実力がはったりでないことを証明。1981年から7年連続2桁勝利をマークし、1986年にはシーズン21勝を挙げて、最多勝のタイトルも獲得している。ちなみにこの年のオールスターでは、カール・ハッベルの記録に並ぶ5者連続三振も記録している。そして、ドジャースの揺るがないエースとして、球団史上初の100万ドルプレーヤーにもなった。
しかし、かげりが見えたのは1988年のこと。バレンズエラはわずか5勝8敗に終わってしまう一方、チームは若いオーレル・ハーシハイザーの大車輪となる大活躍で、ドジャース史上7年ぶりとなる世界一の名誉を手にした。ドジャースのエースの座はすでにハーシハイザーのものとなっていたのである。全盛期の力は失っていたバレンズエラだが、その中でも1990年6月29日の対カージナルス戦ではノーヒッターを記録している。
しかし、1991年の開幕直前にドジャースを解雇され、その後にエンゼルスと契約するも成績は残せなかった。翌1992年は古巣のメキシカンリーグへ籍を移し、1993年にはメジャー復帰後するも幾多の球団を渡り歩いた。1996年にはパドレスの一員として、13勝8敗と好成績をマーク。その後は結果を出せずに1997年を最後にメジャーのマウンドには立っていない。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1980 LAD 10 0 0 0 2 0 1 17.2 8 16 5 2 0 0.00 1981 LAD 25 25 11 8 13 7 0 192.1 140 180 61 55 53 2.48 1982 LAD 37 37 18 4 19 13 0 285.0 247 199 83 105 91 2.87 1983 LAD 35 35 9 4 15 10 0 257.0 245 189 99 122 107 3.75 1984 LAD 34 34 12 2 12 17 0 261.0 218 240 106 109 88 3.03 1985 LAD 35 35 14 5 17 10 0 272.1 211 208 101 92 74 2.45 1986 LAD 34 34 20 3 21 11 0 269.1 226 242 85 104 94 3.14 1987 LAD 34 34 12 1 14 14 0 251.0 254 190 124 120 111 3.98 1988 LAD 23 22 3 0 5 8 1 142.1 142 64 76 71 67 4.24 1989 LAD 31 31 3 0 10 13 0 196.2 185 116 98 89 75 3.43 1990 LAD 33 33 5 2 13 13 0 204.0 223 115 77 112 104 4.59 1991 Cal 2 2 0 0 0 2 0 6.2 14 5 3 10 9 12.15 1993 Bal 32 31 5 2 8 10 0 178.2 179 78 79 104 98 4.94 1994 Phi 8 7 0 0 1 2 0 45.0 42 19 7 16 15 3.00 1995 SD 29 15 0 0 8 3 0 90.1 101 57 34 53 50 4.98 1996 SD 33 31 0 0 13 8 0 171.2 177 95 67 78 69 3.62 1997 SD 13 13 1 0 2 8 0 66.1 84 51 32 42 35 4.75 1997 StL 5 5 0 0 0 4 0 22.2 22 10 14 19 14 5.56 ----------------------------------------------------------------------------- Total 453 424 113 31 173 153 2 2930.0 2718 2074 1151 1303 1154 3.54
受賞タイトル一覧
- サイヤング賞1回(1981)
- 新人王(1981)
- 最多勝1回(1986)
- 最多奪三振1回(1981)
- ゴールドグラブ賞1回(1986)
- オールスター出場6回(1981~86)
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