- 2009-06-19 (金) 0:04
- MLB Players

#14 ギル・ホッジス(Gil HODGES) | 1B, Mgr

- 1943年・ドジャースと契約
- 1924年4月4日生 右投右打 185センチ 90キロ
- インディアナ州出身
選手の紹介文
ブルックリン時代からロサンゼルス移転後までドジャースの主力打者として活躍したギル・ホッジス。ドジャース念願の初の世界一(1955年)に貢献。メッツが新球団として誕生するとその創立メンバーとしてプレーした。後にメッツ監督として初の世界一(1969年)をもたらすなど、一時代を築いたのである。
インディアナ州に炭鉱者の息子として生まれたホッジス。その後、ピータースバーグに移転したが、幼少時から高い運動能力を見せた。高校時代には野球だけでなく、フットボール、バスケットボール、陸上競技で結果を残している。高校卒業時の1941年にタイガースから誘われるが、大学へ進学の道を選んだ。
1943年にドジャースと契約を交わし、この年はメジャーで1試合にだけ出場。この時のポジションはサードだった。翌年から徴兵により戦地に赴き、メジャーに戻ってくるのは1947年のこと。ちょうどドジャースにはジャッキー・ロビンソンがデビューしたばかりのことであり注目が集まる中で、ホッジスは28試合に出場している(この時は捕手だった)。チームがリーグ優勝したこともあり、ワールドシリーズの舞台にも1打席にだけ立ち、三振している(シリーズはヤンキースの前に敗れた)。
1948年からはドジャースのファーストに定着したホッジス。134試合の出場で打率.249、11HR、70打点とまだ打棒が発揮されたわけではなかったが、ロビンソンを始めとし、ピー・ウィー・リースやロイ・キャンパネラが中心選手として台頭し始め、デューク・スナイダーの出場機会も増えつつあるなど、徐々に戦力が整いつつあった。
1949年、6月25日にはサイクルヒットを達成。オールスターゲームにも初選出されるなど存在感を高め、結果としては156試合に出場して打率.285、23HR、115打点という成績を残した。シーズン23HRはドジャースの右打者としてはハック・ウイルソン(1932年)以来の本数である。さらにファーストの守備でも、喫したエラーは8個で、守備率は.995という抜群の安定感を見せた。リーグ優勝を果たしたこともあり、ワールドシリーズにも出場。初めてレギュラーとして出場すると、ホッジスは第2戦では決勝打、第5戦は劣勢の中で3ランHRを放ち、一矢報いた。シーズントータルでは打率.235に終わり、世界一の夢は果たせなかった。
1950年、8月31日の対ブレーブス戦では1試合4HRを記録。延長なしの9イニングでの達成となるとルー・ゲーリッグ以来の快挙となる(イニング関係なく1試合4HRとなれば、史上6人目となる)。この4本のHRは4人の異なる投手から放ったが、1本目は大投手ウォーレン・スパーンからである。シーズン通しては153試合の出場で打率.283、32HR、113打点をマーク。守備面では守備率.994を記録し、さらにリーグ記録となる159併殺を記録している(それまでの記録は1939年のフランク・マコーミックによる153併殺だった)。
1951年もホッジスの打棒が発揮され、158試合に出場し、打率.268、40HR、103打点を挙げた。ドジャースの打者としてシーズン40HRは、この年のホッジスが初だったのである。すでにチームメイトであるキャンパネラ、スナイダーもその後、40本の大台を越えていくが、先行する形になったのである。守備でも安定感は変わらず、前年記録した自らのリーグ記録を塗り替える171併殺をマーク。この記録は1966年にドン・クレンデノン(182併殺)に塗り替えられるまでのリーグ記録だった。この年のドジャースはジャイアンツとの激しい争いの末、優勝を逃したが、ホッジスはMVP投票では8位に入っている。
1952年は打率.254、32HR、102打点という成績に終わったホッジス。チームは3年ぶりにリーグ優勝を果たすが、再びヤンキースとの対戦で7戦までもつれながらも、ホッジス自身は21打数無安打と不振に苦しんだ。翌1953年、打率.302、31HR、122打点という数字を残し、ドジャースの2年連続優勝に貢献するも、ワールドシリーズではまたもやヤンキースの前に敗れた(ホッジスは22打数8安打と好調を見せたのだが、1打点しか挙げていない)。
1954年、154試合の出場で打率.304、42HR、130打点とキャリアハイとなる数字を残した。ちょうど前年、キャンパネラが41HRを記録し、ドジャースの球団記録を塗り替えていたが、ホッジスが42HRで再び塗り替えた(1956年にスナイダーが43HRで塗り替えるまでの球団記録)。しかし、シーズンはジャイアンツとのデッドヒートを演じ、ボビー・トムソンのHRの前に屈している。
1955年は打率.289、27HR、102打点と数字を落とすが、チームは2年ぶりに優勝。ホッジス自身5度目のワールドシリーズは、またもや相手はヤンキースだった。第3戦までは12打数1安打だったホッジスは、第4戦の4回裏に逆転2ランHRを放ち、さらにだめ押しのタイムリーを放って勝利に貢献。第5戦では先制HRを放ち、迎えた第7戦では追加点となる犠牲フライを放った。そしてドジャースにとって念願となる世界一となったのである。
1956年には打率.265、32HR、87打点と打点が100点の大台を割ってしまった。ワールドシリーズでもヤンキースに敗れ、2年連続世界一は逃した。1957年は打率.299、32HR、98打点と持ち直し、この年から制定されたゴールドグラブ賞を初受賞している。そして、オフに待っていたのはドジャースの西海岸ロサンゼルスへの移転であった。
ロサンゼルス移転後は、広い球場を本拠として構えたこともあり、長打力はなりを潜めた。キャンパネラは大怪我で現役を退き、スナイダーもブルックリン時代のような打棒は見せられなくなった。その中でホッジスは主軸としての責任を果たした。1959年にはリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズ(対ホワイトソックス)では打率.391(23打数9安打)を記録したホッジスは、ロサンゼルス移転後のドジャース世界一を体感した。
その後は成績を落とすが、1962年にかつての古巣ニューヨークに、新球団メッツが誕生することになると、そのエクスパンションドラフトでホッジスが1位指名を受けた。そして、メッツの中心選手として、球団初HRも放つが、膝の状態が悪く、結果は残せなかった。1963年途中にセネタース(1961年創立の第2セネタースであり、現在のレンジャーズ)へと移籍が決まり、監督として采配を振るうようになった(セネタースでは選手として出場していない)。
監督就任1年目の1963年こそ、最下位(10位)に終わったが、5年目の1967年には6位にまで浮上させた。すると、1968年から古巣メッツの監督として迎えられることとなった。弱さで知られた当時のメッツを、監督1年目にして過去最高の勝率.451(73勝89敗)にまで持ち上げた(順位は9位)。すると翌1969年にはトム・シーバーを中心とする投手力で「ミラクルメッツ」と呼ばれる快進撃を見せ、その勢いで世界一の座を奪い取ったのである。
その後、1971年までメッツ監督を務めるが、1972年開幕直前に心臓発作で帰らぬ人となった。思いもよらぬ幕切れとなったのである。ブルックリン時代、ロサンゼルス時代に続き、監督としてメッツの球団初の世界一と最高の結果を残したホッジス。選手と監督で結果を残したが、未だに殿堂入りは果たせていない。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
- ゴールドグラブ賞:3回(1957-NL~1959-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1943 Bro 1 2 0 0 0 0 0 0 2 1 1 .333 .000 .000 1947 Bro 28 77 9 12 3 1 1 7 19 14 0 .286 .260 .156 1948 Bro 134 481 48 120 18 5 11 70 61 43 7 .311 .376 .249 1949 Bro 156 596 94 170 23 4 23 115 64 66 10 .360 .453 .285 1950 Bro 153 561 98 159 26 2 32 113 73 73 6 .367 .508 .283 1951 Bro 158 582 118 156 25 3 40 103 99 93 9 .374 .527 .268 1952 Bro 153 508 87 129 27 1 32 102 90 107 2 .386 .500 .254 1953 Bro 141 520 101 157 22 7 31 122 84 75 1 .393 .550 .302 1954 Bro 154 579 106 176 23 5 42 130 84 74 3 .373 .579 .304 1955 Bro 150 546 75 158 24 5 27 102 91 80 2 .377 .500 .289 1956 Bro 153 550 86 146 29 4 32 87 91 76 3 .354 .507 .265 1957 Bro 150 579 94 173 28 7 27 98 91 63 5 .366 .511 .299 1958 LAD 141 475 68 123 15 1 22 64 87 52 8 .330 .434 .259 1959 LAD 124 413 57 114 19 2 25 80 92 58 3 .367 .513 .276 1960 LAD 101 197 22 39 8 1 8 30 37 26 0 .291 .371 .198 1961 LAD 109 215 25 52 4 0 8 31 43 24 3 .313 .372 .242 1962 NYM 54 127 15 32 1 0 9 17 27 15 0 .331 .472 .252 1963 NYM 11 22 2 5 0 0 0 3 2 3 0 .320 .227 .227 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2071 7030 1105 1921 295 48 370 1274 1137 943 63 .359 .487 .273
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:8回(1949-NL~1955-NL、1957-NL)
- サイクルヒット:1回(1949-6-25-Bro)
- 世界一経験:3回(1955-Bro、1959-LAD、1969-NYM)
- 永久欠番:#14(Mets)
-
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