- 2008-10-04 (土) 0:04
- MLB Players

#* グローバー・アレクサンダー(Grover ALEXANDER) | SP

- 1911年・フィリーズと契約
- 1887年2月26日生 右投右打 185センチ 84キロ
- ネブラスカ州出身
選手の紹介文
波乱に富んだ野球人生を送りながら、鉄腕ぶりを発揮したグローバー・アレクサンダー。名前が長いことから「ピート」と呼ばれたり、驚異的な投球から「アレクサンダー大王」などと呼ばれていた。7年連続投球回数300回以上投げる馬力を見せ、その中でも3年連続30勝をマークし、最終的にはメジャー史上3位タイとなる373勝を挙げている。
ネブラスカ州にて生まれたアレクサンダー。13人兄弟の中で育ち、野球の才能を磨いていくのである。1907年には月50ドルで投手としてセミプロ球団と契約した。しかし、順調な成長曲線を描くことは出来ず、試合中に走者としてランニング中に野手の送球が頭に当たってしまい昏睡状態に陥ってしまった。一時は生死の境をさまよいながらも何とか回復したのである。
復帰後も後遺症に悩まされた。さらに一旦契約したチームでは打撃投手を任された際、打者の脇腹に投球を当てたことが原因で解雇される不運もあった(打者は監督であり、骨折したという)。1909年には別のチームで15勝(8敗)を挙げてきっかけを掴むと、1910年には完全復活し、15完封を含むシーズン29勝(14敗)という成績を残したのである。そして、フィリーズと750ドルで契約合意に至り、アレクサンダーのメジャー生活は始まることになる。
1911年、メジャー1年目となる24歳アレクサンダーは48試合に登板(先発は37試合)し、28勝13敗、防御率2.57という抜群の成績を残し、いきなり最多勝のタイトルを受賞している。この年限りで現役を退く大投手サイ・ヤングと投げ合い、勝利を収めている。延長12回までもつれる試合でアレクサンダーがヤングに投げ勝ったのである。この勝利でアレクサンダーはシーズン28勝目を挙げ、ヤングは通算512勝を挙げられなかったというメジャー史上における重要な交差点ともいえる試合だった。
2年目以降も、剛速球とカーブを武器に抜群の制球力で白星を重ねていった。1915年からの3年間は31勝(10敗)、33勝(12敗)、30勝(13敗)と3年連続30勝をマーク。防御率も1点台を継続しており、投手のタイトルを3年間に渡って独占した。特に1916年には、シーズン16完封というメジャー記録も樹立している。チームは1915年に創立以来初のリーグ優勝を果たしている。
しかし1917年シーズン後、アレクサンダーと捕手のビル・キルファーの2人が600万ドルでカブスへ放出されたのである。時代が第一次世界大戦の最中であり、フィリーズとしては徴兵されることを恐れての放出だったという。カブスに籍を置いた1918年は案の定、陸軍砲兵隊に入隊し、マウンドには3試合しか上がっていない。この徴兵により、アレクサンダーは聴力を落としてしまうアクシデントに見舞われたのである。アルコールの量が増え始めたのもこの頃だという。
1919年には16勝(11敗)すると、翌1920年には27勝(14敗)、防御率1.91と好成績を残し、完全に復活を果たした。とはいえ、ここからアルコール浸りの日が続き、負けが込むようになってきた。とはいえ、元々の地力があることからそれなりの成績は残している点が凄まじい。1926年シーズン途中にカブスを自由契約となり、カージナルスと契約を結んだのである。
シーズン途中にカージナルスの一員となったアレクサンダーは、チームのリーグ初優勝に貢献。このときのカージナルスの監督は選手兼任だったロジャース・ホーンスビーだった。ヤンキースとの対戦となったワールドシリーズでは第2戦に完投勝利を収めた39歳のアレクサンダー。2勝3敗で迎えた第6戦にも完投勝利をマーク。第7戦は3対2と1点リードした7回裏、2アウト満塁のピンチでホーンスビー監督はアレクサンダーをマウンドに送った。この場面で大型新人として注目されていたトニー・ラゼリを三振に取り、ピンチを脱した。その後のイニングもルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースらの大打者を抑え、カージナルスに球団初の世界一に導く大活躍を見せたのである。
セントルイスの英雄にまでのし上がったアレクサンダー。翌1927年には21勝(10敗)をマークする活躍を見せるなど、3年間をカージナルスで過ごした。1930年には古巣フィリーズに舞い戻り、0勝3敗という成績でキャリアを終えたのである。聴力低下、アルコール中毒などの障害を抱えながらも43歳まで現役生活を勤め上げたのである。
20年間のメジャー生活で、373勝208敗、防御率2.56という成績を残した。通算373勝はクリスティ・マシューソンに並ぶ史上3位の記録である。また通算90完封というのも、ウォルター・ジョンソンの110完封に次ぐ史上2位である。1938年には殿堂入りを決めている。フィリーズではアレクサンダーを永久欠番選手に指定したが、当時は背番号がなく、「P」というチームの文字でその栄誉を讃えている。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1911 Phi 48 37 31 7 28 13 3 367.0 285 227 129 133 105 2.57 1912 Phi 46 34 25 3 19 17 3 310.1 289 195 105 133 97 2.81 1913 Phi 47 36 23 9 22 8 2 306.1 288 159 75 106 95 2.79 1914 Phi 46 39 32 6 27 15 1 355.0 327 214 76 133 94 2.38 1915 Phi 49 42 36 12 31 10 3 376.1 253 241 64 86 51 1.22 1916 Phi 48 45 38 16 33 12 3 389.0 323 167 50 90 67 1.55 1917 Phi 45 44 34 8 30 13 0 388.0 336 200 56 107 79 1.83 1918 ChC 3 3 3 0 2 1 0 26.0 19 15 3 7 5 1.73 1919 ChC 30 27 20 9 16 11 1 235.0 180 121 38 51 45 1.72 1920 ChC 46 40 33 7 27 14 5 363.1 335 173 69 96 77 1.91 1921 ChC 31 30 21 3 15 13 1 252.0 286 77 33 110 95 3.39 1922 ChC 33 31 20 1 16 13 1 245.2 283 48 34 111 99 3.63 1923 ChC 39 36 26 3 22 12 2 305.0 308 72 30 128 108 3.19 1924 ChC 21 20 12 0 12 5 0 169.1 183 33 25 82 57 3.03 1925 ChC 32 30 20 1 15 11 0 236.0 270 63 29 106 89 3.39 1926 ChC 7 7 4 0 3 3 0 52.0 55 12 7 26 20 3.46 1926 StL 23 16 11 2 9 7 2 148.1 136 35 24 57 48 2.91 1927 StL 37 30 22 2 21 10 3 268.0 261 48 38 94 75 2.52 1928 StL 34 31 18 1 16 9 2 243.2 262 59 37 107 91 3.36 1929 StL 22 19 8 0 9 8 0 132.0 149 33 23 65 57 3.89 1930 Phi 9 3 0 0 0 3 0 21.2 40 6 6 24 22 9.14 ----------------------------------------------------------------------------- Total 696 600 437 90 373 208 32 5190.0 4868 2198 951 1852 1476 2.56
受賞タイトル一覧
- 最多勝6回(1911-NL,1914-NL~1917-NL,1920-NL)
- 最優秀防御率4回(1915-NL,1916-NL,1919-NL,1920-NL)
- 最多奪三振6回(1912-NL,1914-NL~1917-NL,1920-NL)
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