- 2008-09-17 (水) 0:07
- MLB Players
#25 ジェイソン・ジアンビ(Jason GIAMBI) | DH

- 1992年6月ドラフト・アスレティックス2位(全米58番目)
- 1971年1月8日生 右投左打 191センチ 107キロ
- カリフォルニア州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 2005 NYY 139 417 74 113 14 0 32 87 109 108 0 .440 .535 .271 2006 NYY 139 446 92 113 25 0 37 113 106 110 2 .413 .558 .253 2007 NYY 83 254 31 60 8 0 14 39 66 40 1 .356 .433 .236 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1705 5874 1048 1699 343 8 364 1183 1197 1129 16 .411 .536 .289
選手の紹介文
かつてのMVP選手も、近年は怪我に苦しみ、本来の力を発揮できないでいるジェイソン・ジアンビ。ワイルドな風貌と強烈な打撃スタイルで、メジャーリーグを代表するスラッガーとして一時代を築いた選手である。2008年はかつて結んだ7年間1億2000万ドルという大型契約の最終年ということで、今後の動向には注目が集まっている。
幼き日にリトルリーグで野球に明け暮れたジアンビ。そんなジアンビの憧れの選手はヤンキースのミッキー・マントルであった。マントルは既に引退していたが、父にマントルの昔のフィルムを繰り返し見させられたことに大きく影響を受けたということが原因である。3歳下の弟、ジェレミー・ジアンビと共に父の影響を存分に受けた。
高校時代のチームメイトにはショーン・ウーテン、コーリー・ライドル、アーロン・スモールなど将来のメジャーリーガーが複数いた。高校3年間での打率は.386と高く、野球の才能は際だっていた。しかし、際だっていたのは野球の才能だけでなく、バスケットボール、アメリカンフットボールでも大活躍しており、その将来性には大きな期待が寄せられた。高校卒業時にブリュワーズから43位(全米1116番目)で指名を受けるが、大学進学の道を選んでいる。
大学進学後、最初は投手だったが、打撃の好きなジアンビは毎日のように打ち続け、打撃力も飛躍的に伸びた。そして、1992年のバルセロナオリンピックではアメリカ代表に選出されている。ジオンビーは子供の頃、ドジャースタジアムで行われたロサンゼルスオリンピックにおける代表チームのエキシビジョンゲームを見たことがある。後に影響を及ぼすことになるマーク・マグワイアが国の代表として戦っている姿を見ており、国の代表になることに憧れを抱いていたこともあり、この選出には非常に誇りを感じた。
当時のアメリカ代表チームにはノマー・ガルシアパーラ、フィル・ネビン、チャールズ・ジョンソン、リック・ヘリングらがいた。しかし、アメリカ代表チームは3位決定戦で日本に敗れ、メダルを手にすることはできなかった。オリンピックの前に行われた6月のドラフトではアスレティックスから2位指名(全米58番目)を受けており、オリンピック後はプロへの道を歩み始めたのである。
オリンピック後は1Aサザンオレゴンで13試合に出場し、打率.317をマーク。翌1993年は1Aモデストで89試合に出場し、打率.291、12HR、60打点という数字を残している。シーズン中に右手親指を痛めて、約1ヶ月の離脱はあったが、このリーグのオールスターにも選出されるなど高い評価を得ていた。当時のジアンビのポジションはサードであった。1994年は2Aハンスビルと3Aタコマでプレーし、合わせて打率.268、10HR、68打点という数字を残している。
翌1995年、開幕は3Aで迎えるが、5月に入って初めてメジャーからお呼びがかかった。マイク・ボーディックが怪我で離脱したことにより、ジアンビに出番が回ってきたのである。5月8日のレンジャーズ戦で指名打者として先発出場し、初ヒットも記録。その後、3Aに戻るも、7月にメジャー復帰すると、7月7日のブルージェイズ戦でデビッド・コーンからメジャー初HRを放った。8月に入って3試合連続HRも放っている。ジアンビのメジャー1年目は54試合の出場で、打率.256、6HR、25打点という数字を残している。
入団時はサードを守っていたが、メジャーへ昇格を果たした1995年にはファーストも兼用して守るようになっていた。折しもこの年はチームの看板であるマグワイアが長い冬の時代を終え、再びHR量産を図り始めたときだった。このマグワイアから多くのことを学んだジオンビーは、レジー・ジャクソンからホゼ・カンセコ、マグワイアへと続くアスレティックスの強打者の系譜を名を連ねることになる。
1996年は140試合に出場し、打率.291、20HR、79打点、40本の2塁打をマーク。メジャー定着を果たしたジアンビは、開幕当初はマグワイアの怪我もあってファーストを守っていたが、マグワイア復帰後にスコット・ブローシャスの離脱もあり、このタイミングでサードに回った。ブローシャスが戻ってくるとレフトにコンバート。結局この年、レフト、ファースト、サード、指名打者、ライトと5つの異なるポジションで試合に出場することになったのである。なお、5月17日のレッドソックス戦ではチームのオークランド移転後4000本目のHRをティム・ウェイクフィールドから放っている。
1997年はシーズン途中にマグワイアがカージナルスに移籍したことにより、ファーストに定着したジアンビ。142試合に出場し、打率.293、20HR、81打点に加え、41本の2塁打をマーク。アスレティックス史上、2年連続40本の2塁打をマークしたのはハリー・デービス(1905~06年)、フランク・ベイカー(1911~12年)、アル・シモンズ(1925~26年、1929~30年)に次ぐ、4人目の快挙を達成している。
1998年は153試合の出場で打率.295、27HR、110打点をマークし、チーム三冠王に輝いた。翌1999年も158試合に出場し、打率.315、33HR、123打点と着実に数字を伸ばした。メジャー昇格から左投手を苦手としていたものの、徐々に克服しつつあったジアンビは、本拠地では打率.353をマークする球団史上最高記録を樹立。ジアンビは若手選手の台頭が目立つアスレティックスの顔となったのである。
2000年からは実弟のジェレミーがロイヤルズからアスレティックスへ移籍してきたこともあり、兄弟がラインナップで名前を並べることもあった。この影響もあってか、ジオンビーはさらに飛躍し、152試合の出場で打率.333、43HR、137打点をマーク。これはいずれもキャリア最高の数字を残し、チームの地区制覇に貢献した。さらにメジャー6年目にしてMVPも受賞。球団史上、ヴァイダ・ブルー(1971年)、ジャクソン(1973年)、カンセコ(1988年)、リッキー・ヘンダーソン(1990年)、デニス・エカーズリー(1993年)に次ぐ、6人目の快挙となった。この年のオールスターゲームのファン投票でも1位で選出されるなど、リーグを代表する選手にまで成長したのである。
2001年、チームもジョニー・デーモンという核弾頭を獲得し、開幕前からアスレティックスは優勝候補の筆頭とされていた。しかし、開幕序盤で2勝12敗と大きくつまずいたことと、同地区のマリナーズが信じられない勢いで勝ち続けたため、前半戦は下位に低迷した。そんな中、ジアンビだけは孤軍奮闘のごとく、ひとりで打ちまくったのである。そしてチームが上昇曲線を描き始めたのは、オールスターの声が聞こえ始める6月下旬からだった。8月12日のヤンキース戦では通算1000本安打をサヨナラHRで飾り、後半の快進撃を支えたのである。
結局、アスレティックスはワイルドカードではあるがシーズン102勝を記録し、2年連続でポストシーズンへ進出。ディビジョンシリーズ(対ヤンキース戦)では2連勝後に3連敗する最悪の形でジアンビのシーズンは終わってしまった。ジアンビがシーズンで残した数字は、打率.342、38HR、120打点、47本の2塁打である。MVP投票ではイチローに次ぐ2位に付けている。そして、オフにFAとなるとヤンキースと7年間1億2000万ドルという破格の契約内容で契約を交わすことになった。
2002年、それまでの長い髪と髭をそり落としてヤンキースの一員となったジアンビ。開幕序盤は不振に苦しむことはあったが、5月17日のツインズ戦では延長14回に試合を決める満塁HRを放つなど、重要な箇所では当たりを見せている。結果、155試合の出場で、打率.314、41HR、122打点という好成績を残した。シーズン序盤の28試合は打率.274、4HR、15打点と苦しんでいたが、その後の127試合では打率.324、37HR、107打点を挙げており、総じて見れば好調だったといえる。
2003年は打率.250と大きく落としたが、41HR、107打点と長打力は発揮した。ロードゲームで29HRをマークしたが、これはリーグトップの記録である。2年連続40HRを達成したが、ヤンキース史上で複数シーズンで40HRを達成したのは、ベーブ・ルース(11回)、ルー・ゲーリッグ(5回)、マントル(4回)に次いでジアンビは4人目となった。
2004年、2度の故障者リスト入りなどでわずか80試合の出場に留まり、打率.208、12HR、40打点と大不振に陥った。さらにはステロイド疑惑に巻き込まれ、腫瘍などの病にも苦しむなど4年前のMVP選手が、選手生命を岐路に立つほどの厳しい1年となってしまったのである。
2005年に復帰を果たし、139試合の出場で打率.271、32HR、87打点という数字を残し、かろうじて復帰を果たしたが、期待された数字ではない。翌2006年は開幕すぐの4月に打率.344、9HR、27打点という最高のスタートを切った。後半は失速したこともあり、結果は打率.253、37HR、113打点に終わった。ちなみに2005年7月から2006年6月までのスパンで考えれば、51本のHRを放っており、これはデビッド・オルティスと並ぶ記録である。
2007年は足の怪我に苦しみ、結果として83試合の出場で打率.236、14HR、39打点という数字に終わった。契約最終年となる2008年は打率こそ上がらないが、長打力は健在であることを見せている。ヤンキースがオプションを行使することは考えにくく、他球団への移籍が濃厚である。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1995 Oak 54 176 27 45 7 0 6 25 31 28 2 .364 .398 .256 1996 Oak 140 536 84 156 40 1 20 79 95 51 0 .355 .481 .291 1997 Oak 142 519 66 152 41 2 20 81 89 55 0 .362 .495 .293 1998 Oak 153 562 92 166 28 0 27 110 102 81 2 .384 .489 .295 1999 Oak 158 575 115 181 36 1 33 123 106 105 1 .422 .553 .315 2000 Oak 152 510 108 170 29 1 43 137 96 137 2 .476 .647 .333 2001 Oak 154 520 109 178 47 2 38 120 83 129 2 .477 .660 .342 2002 NYY 155 560 120 176 34 1 41 122 112 109 2 .435 .598 .314 2003 NYY 156 535 97 134 25 0 41 107 140 129 2 .412 .527 .250 2004 NYY 80 264 33 55 9 0 12 40 62 47 0 .342 .379 .208 2005 NYY 139 417 74 113 14 0 32 87 109 108 0 .440 .535 .271 2006 NYY 139 446 92 113 25 0 37 113 106 110 2 .413 .558 .253 2007 NYY 83 254 31 60 8 0 14 39 66 40 1 .356 .433 .236 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1705 5874 1048 1699 343 8 364 1183 1197 1129 16 .411 .536 .289
受賞タイトル一覧
- リーグMVP:1回(2000-AL)
- シルバースラッガー賞:2回(2001,2002)
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