- 2008-08-04 (月) 0:10
- MLB Players
#44 ジェイソン・イズリングハウゼン(Jason ISRINGHAUSEN) | RP

- 1991年6月ドラフト・メッツ44位
- 1972年9月7日生 右投右打 191センチ 95キロ
- イリノイ州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2005 StL 63 0 0 0 1 2 39 59.0 43 51 27 14 14 2.14 2006 StL 59 0 0 0 4 8 33 58.1 47 52 38 25 23 3.55 2007 StL 63 0 0 0 4 0 32 65.1 42 54 28 21 18 2.48 ----------------------------------------------------------------------------- Total 570 52 3 1 44 44 281 864.2 767 713 367 375 337 3.51
選手の紹介文
カージナルスのクローザーとして活躍が期待されるジェイソン・イズリングハウゼン。シーズン30セーブを記録したことが7回を数える名クローザーである。通算セーブ数は300セーブにあと少しに迫っているが、2008年は怪我で安定感を欠いており、クローザーの座から外れているのが現状である。年齢的に考えても、真価が問われる1年となりそうだ。
イリノイ州で生まれたイズリングハウゼンは高校時代、野球だけでなくバスケットボールでもフットボールでもスター選手として活躍した。野球では投手としてではなく、キャッチャー、サード、センターを守っており、高校3年時には打率.340もマークする打撃を見せていた。大学を経て、1991年のドラフトでメッツから44位指名を受け、プロ入りした。
持ち前の強肩を生かし、本格的に投手となったイズリングハウゼン。1992年はルーキーリーグで1年を過ごすが、翌1993年に1Aピッツフィールドで15試合に先発し、7勝4敗、防御率3.29、104奪三振という成績を残し、飛躍のきっかけを掴んだ。さらに1994年は1Aセントルーシーにおいて開幕から好調を持続。14試合の先発で、6完投3完封を含んで6勝4敗の防御率2.23をマークすると、シーズン中盤に2Aビンガムトンへ昇格し、そこで5勝4敗という数字を残した。
将来はメッツのローテーション投手と周囲の誰もが期待したイズリングハウゼン。1995年の開幕を2Aで迎えるが、素晴らしいスタートを切った。まず初登板から4試合連続2桁奪三振をマーク。6試合に登板し、2勝1敗、防御率2.85という数字を残すと5月には3Aノーフォークへ昇格。実力のクラスの違いを感じさせない投球を見せ、6月には4勝無敗の防御率1.71でリーグの月間MVPを受賞。3Aのオールスターゲームにも出場するだけの好成績を挙げ、12試合の登板で9勝1敗、防御率1.55と抜群の成績を残した。
こうして迎えた7月、ついにメジャーリーグからイズリングハウゼンにお呼びがかかった。シーズン後半戦だけで14試合に先発し、9勝(2敗)をマーク。シーズン最後の登板となった試合でも8回まで無失点に抑える好投を見せるが、援護なくシーズン10勝目は逃した。しかし、この年はマイナーでの勝ち星を合わせると計20勝にも昇り、その将来性は末恐ろしささえ感じさせた。
この年のメッツは開幕から不調だったピート・ハーニッシュ、ブレット・セイバーヘイゲンを放出し、イズリングハウゼン、ポール・ウイルソン、ビル・パルシファーら若手を積極的に起用したという、非常にリスクのある決断を下したシーズンであった。シーズンの前半戦と後半戦で先発ローテーションが異なる状況の中で、若手投手の踏ん張りもあり、リーグ3位の防御率3.88をマーク。メッツのこの試みは見事に成功したことになる。
メジャー2年目の1996年は肩と肘の故障に苦しんだ。その中でも6月9日のマーリンズ戦では6安打無四球に抑え、キャリアハイの10奪三振をマークし、メジャー初完封を記録している。しかし、怪我の影響はイズリングハウゼンを狂わせ、8月半ばには初めての故障者リスト入りも経験。結局、27試合の先発で6勝14敗、防御率4.77という成績に終わり、期待を裏切ってしまった。この年のイズリングハウゼンはピッチングよりもバッティングにあり、投手として2HR、9打点をマーク。メッツの球団史で、シーズン2HRは1993年のドワイト・グッデン以来、シーズン9打点は1970年のトム・シーバー以来である。
1997年は開幕直前に故障してしまい、故障者リストで開幕を迎えた。4月に入り、リハビリの意味を含めて3Aで調整登板したが、これが裏目となり、右手首を痛めてしまう最悪の結果になってしまう。再び、故障者リスト入りし、イズリングハウゼンがメジャーに戻ってくるのは8月末まで待たなければならなかった。こうしてメジャーでは、わずか6試合の先発で2勝2敗の防御率7.58に終わってしまう。さらに翌1998年は怪我もあり、シーズンを丸々棒に振ってしまった。
1999年、かつての期待の星も今では過去の人となってしまう。開幕は3Aで迎え、再び実績を積み重ねる必要があった。その中で12試合に登板(先発8試合)し、3勝1敗の防御率2.29という成績を残し、5月末に2年ぶりのメジャー昇格を果たした。先発、中継ぎ、抑えで投げ、1勝3敗1セーブという成績をマークしたイズリングハウゼンだったが、トレード期限ギリギリの7月31日にアスレティックスへの移籍が正式に決まってしまう。
アスレティックスへの移籍は、プロ入りから先発投手として育てられてきたイズリングハウゼンに新たな光を灯すことになる。それはクローザーへの転向である。アスレティックスとしてはイズリングハウゼンに負担を軽くしたいというこの試みだったが、これが見事に成功した。移籍後、20試合に登板し、8度のセーブ機会で見事に8個のセーブをあげる完全ぶりを見せつける。
2000年は、14試合連続セーブを記録するなど好調をキープ。特に9月は6度のセーブ機会で全てセーブを挙げた。この月は、防御率1.74をマークし、チームの地区優勝にも大きく貢献した。そしてこの年は、6勝4敗33セーブをマークし、クローザーとしての適正を見せることになった。翌2001年も、65試合に登板し、4勝3敗34セーブをマーク。2年連続30セーブ以上ということで、イズリングハウゼンはリーグを代表する押しもされぬクローザーになったといえる。
満を持してFA宣言したイズリングハウゼンには幾つかの球団が獲得に動いたが、その中でイズリングハウゼンの選んだチームはカージナルスであった。4年間の約2700万ドルで契約を交わしたわけだが、例えば、レンジャーズなどは3000万ドルを超える金額を用意していたと言われる。カージナルスを選んだ理由としては、決定的なクローザーを欠いていた点もあるが、アルバート・プホルス、JD・ドリューらの若手選手の台頭が目立ち、マーク・マグワイアが引退した穴をティノ・マルチネスの獲得で埋めるなど、戦力が整っている点も挙げられる。
2002年、60試合に登板し、3勝2敗32セーブをマーク。5月には月間12セーブを記録する好調ぶりを見せたが、これはカージナルスの球団史上、リー・スミスの月間15セーブ(1993年6月)以来の快挙である。なお、この年は1本もHRも打たれなかった点は評価される。翌2003年は怪我で出遅れ、6月から戦線に戻ってきており、結果は0勝1敗22セーブに終わっている。
2004年、74試合に登板し、4勝2敗47セーブを記録するフル回転の活躍を見せた。5月と6月に月間9セーブ、7月には10セーブ、8月に11セーブという安定感を見せている。47セーブはアーマンド・ベニテスと並ぶリーグトップタイの記録である。また、カージナルスの球団記録としても、スミス(1991年)に並ぶシーズンのセーブ数である。ポストシーズンではイズリングハウゼン自身が打たれることもあったが、チームはリーグ優勝を果たした。ワールドシリーズではレッドソックスの前に敗れたが、マウンドに立つ機会はあった。
2005年も63試合に登板し、1勝2敗39セーブと好成績をマーク。7月6日の対ダイヤモンドバックス戦で通算200セーブを達成したイズリングハウゼンは、カージナルスの球団記録ではブルース・スーター(127セーブ)、トッド・ウォーレル(129セーブ)を抜き、歴代2位に浮上している。翌2006年は腰を痛めて、シーズン最後の1ヶ月を離脱することになった。シーズン通しては59試合の登板で4勝8敗33セーブという成績に終わったが、カージナルスの球団記録(スミス/160セーブ)は塗り替えた。チームはポストシーズン進出を果たす中、腰手術を決断したこともあり、クローザーの座をアダム・ウェインライトに譲っている(奇しくもチームはこの年、世界一に輝いている)。
2007年はクローザーに復帰し、63試合の登板で4勝0敗32セーブをマーク。34回のセーブ機会で32回の成功を飾る安定感を見せた。カージナルス移籍後、5度目のシーズン30セーブを達成したことになり、カージナルス移籍後200セーブもマークしている。翌2008年は安定感を欠き、一時クローザーの座を外されるが、再度クローザーに戻った。大きなブレーキのカーブやスライダーで相手打者を狂わせる投球を見せる、かつてのイズリングハウゼンの投球を取り戻すことができるだろうか。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1995 NYM 14 14 1 0 9 2 0 93.0 88 55 31 29 29 2.81 1996 NYM 27 27 2 1 6 14 0 172.2 190 114 73 103 91 4.77 1997 NYM 6 6 0 0 2 2 0 30.2 40 25 22 27 25 7.58 1999 NYM 13 5 0 0 1 3 1 39.1 43 31 22 29 28 6.41 1999 Oak 20 0 0 0 0 1 8 25.1 21 20 12 6 6 2.13 2000 Oak 66 0 0 0 6 4 33 69.0 67 57 32 34 29 3.78 2001 Oak 65 0 0 0 4 3 34 71.1 54 74 23 24 21 2.65 2002 StL 60 0 0 0 3 2 32 65.1 46 68 18 22 18 2.48 2003 StL 40 0 0 0 0 1 22 42.0 31 41 18 14 11 2.36 2004 StL 74 0 0 0 4 2 47 75.1 55 71 23 27 24 2.87 2005 StL 63 0 0 0 1 2 39 59.0 43 51 27 14 14 2.14 2006 StL 59 0 0 0 4 8 33 58.1 47 52 38 25 23 3.55 2007 StL 63 0 0 0 4 0 32 65.1 42 54 28 21 18 2.48 ----------------------------------------------------------------------------- Total 570 52 3 1 44 44 281 864.2 767 713 367 375 337 3.51
受賞タイトル一覧
- 最多セーブ王1回(2004)
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