- 2008-06-26 (木) 0:05
- MLB Players

#5 ジェフ・バグウェル | 1B

- 1989年6月ドラフト・レッドソックス4位
- 1968年5月27日生 右投右打 183センチ 88キロ
- マサチューセッツ州出身
選手の紹介文
がに股で構える独特の打撃フォームのジェフ・バグウェル。そのフォームであるが故に、かつては死球による怪我に悩まされたが、メジャーリーグ史上初の6年連続30HR、100打点、100得点、100四球を達成するなど、球史に残る素晴らしい記録を残している。2005年限りで現役引退を決めたが、バグウェルと同時代を生きたクレイグ・ビジオの2人のコンビは、アストロズを語るには欠かせない選手である。
マサチューセッツ州のボストン郊外で生まれたバグウェル。生まれてすぐ隣のコネチカット州に引っ越しするもレッドソックスファンの家族に影響を受け、必然的にレッドソックスファンになった。家の中ではヤンキースという言葉自体が禁句であったという。そんなバグウェルの憧れは、「最後の三冠王」カール・ヤストレムスキーで、将来の夢はレッドソックスの選手として、フェンウェイパークでプレーすることだった。
地元の大学で.413という高打率をマークしたバグウェルは、1989年のドラフトで憧れのレッドソックスからドラフト4位指名を受けた。指名受けたその年に、ルーキーリーグと1Aの2つのクラスでプレーし、共に3割を越える打率を挙げ、プロ選手として幸先のいいスタートをきった。翌1990年は2Aニューブリテンで開幕を迎え、その実力をいかんなく発揮した。8月終わろうとしている段階で、打率.333をマークし、ヒット160本、2塁打34本は共にリーグトップを記録していた。
しかし、この年の8月31日、バグウェルに突如、アストロズへのトレードが告げられた。レッドソックスでプレーすることを夢見、その夢は時間が叶えてくれるものと思っていたバグウェルにとって、寝耳に水のことで、大変ショックを受けた。後にバグウェルは人生最悪の日と語っており、この事実を受け止めるには2週間もの時間がかかったとも言っている。
当時、サードを守っていたバグウェルに対して、レッドソックスの首脳陣がくだしていた評価は、メジャーのサードを守るウェイド・ボッグスから数えて4番目のサードというものでしかなかった。しかし、この評価が間違っているということを証明するのに時間はかからなかった。かつてレッドソックスは、金銭トレードでベーブ・ルースを放出して以降、1度も世界一になっていない悲劇があったが、このバグウェル放出はルース放出以来の悲劇とも言われている。
バグウェルを獲得したアストロズの狙いは、サードを守っていたケン・カミニティへの刺激だった。アストロズ傘下に移った1991年、メジャーのスプリングトレーニングに参加。当初は開幕を3Aで迎えさせようとした球団側も、好調のバグウェルをそのままメジャーに置いておくことを決断。カミニティをサードに置いたまま、バグウェルをファーストへコンバートすることで、これを乗り切ろうとした。突如のコンバートだったが、バグウェルは、猛練習で乗り切り、開幕メジャーというチャンスをものにする。
メジャー1年目のバグウェルは156試合に出場し、打率.294、15HR、82打点という数字を残して球団史上初の新人王に輝いた。心配されたファーストの守備も全く危なげなく、記録したエラーはわずかに12個であり、守備率は.991と堂々たるものである。課題と言えば、116個という三振数だけだった。
1992年は、相手の研究も進んでいることもあり、2年目のジンクスに苦しんだ。しかし、順応性のあるバグウェルは後に「がに股打法」と言われる打法の土台を完成させ、難局を乗り切る。結局、162試合全てに出場して打率.273、18HR、96打点という成績を挙げた。この年記録した犠牲フライ13個というのはリーグトップの記録である。
1993年、開幕序盤から好調をキープしていたバグウェルだったが、シーズン終盤に左手に死球を受けて骨折してしまい、残り20試合を残してシーズンを終えることになってしまった。元々、死球を恐れないバグウェルの「がに股打法」から死球の数は多かったが、この骨折が自らの継続していた連続試合出場を304で止めてしまうことになった。そんな怪我もあったが、リーグ6位の打率.320をマークし、20HR、88打点と好成績を残した。
確実に成長しながら迎えた1994年、前年の怪我の影響を感じさせない打棒でチームを引っ張った。しかし、メジャーリーグはストライキ突入という不穏な空気が漂っていた。いよいよ8月12日にストライキ突入が既成事実となっていた中、その2日前にバグウェルは再び左手に死球を受けて骨折。これにより他の選手より一足早いシーズン終了となった。ストライキが決行され、この年は野球のない秋となってしまったが、オフのMVP投票では、リーグ史上3人目の満票でMVPに選出された(過去の満票MVPは1967年のオーランド・セペタ、1980年のマイク・シュミット)。それも打率.368、39HR、116打点という三冠王をとってもおかしくない成績だっただけに頷ける。この年は打点王という初めての打撃タイトルを獲得している。
ストライキも解決して遅れて開幕した1995年のメジャーリーグ。アストロズへ移籍して初めてポストシーズン進出のチャンスを掴んだバグウェルだが、2度あることは3度あるのか、7月30日に左手に死球を当ててしまい骨折。これで3年連続の左手死球ということになってしまった。9月になってバグウェルが戦線に戻ってきた頃には、アストロズはポストシーズンから遠い位置にあり、バグウェルの離脱が響いたシーズンとなった。
1996年、怪我から復活したバグウェルは4年ぶりに162試合全てに出場を果たし、打率.315、31HR、120打点をマーク。さらに21盗塁も記録したこの年は、球団史上6人目の「20-20」を記録した。チームメイトのデレク・ベルも113打点をマークし、1シーズンで2人の選手が100打点以上を記録するというのも球団史上初のことである。5月には打率.360、10HR、31打点を挙げ、月間MVPも獲得している。
1997年も全試合出場を果たしたバグウェルは、打率.286、43HR、135打点、31盗塁をマークし、球団史上初の「30-30」クラブ入りを果たした。5月には通算1000安打も達成したバグウェル。チームも地区優勝を果たし、初めてポストシーズンの舞台に立ったが、ブレーブスとのディビジョンシリーズにおいて12打数1安打5三振と散々な内容でシーズンを終えてしまった。
1998年はホームでのクロスプレーが元で故障者リストに入ることがあったが、打率.304、34HR、111打点を記録し、チームも2年連続で地区優勝を飾る。しかし、ディビジョンシリーズではパドレスの前に1勝3敗で敗れてしまい、バグウェルはわずか2安打に抑え込まれる。翌1999年も、チームは地区優勝を飾るものの、再びディビジョンシリーズでブレーブスの前に敗れ去り、ここでもバグウェルはわずか2安打しか打てなかった。しかし、シーズンでは打率.304、42HR、126打点、30盗塁と自身2度目の「30-30」クラブ入りしているのに関わらず、その実力がポストシーズンで発揮されない。
本拠地を打者有利のエンロンフィールドに移した2000年は、打率.310、47HR、132打点と素晴らしい成績を残すも投手陣がパッとせず、まさかの地区4位に終わってしまった。翌2001年は、ウェイド・ミラー、ロイ・オズワルトなどの若手投手の台頭や、ランス・バークマンの活躍でチームはカージナルスと同率で地区優勝を飾り、ポストシーズンへ進出。ブレーブスとのディビジョンシリーズでは、7打数3安打5四球と頑張ったバグウェルだったが、あっさり3連敗してしまいバグウェルのシーズンは終わってしまった。
2002年は打率.291、31HR、98打点、94得点と十分な成績を残したが、これまで続けていた30HR、100打点、100得点、100四球という記録は6年でストップとなった。翌2003年は160試合に出場し、打率.278、39HR、100打点をマーク。さらに2004年も怪我を抱えながらも打率.266、27HR、89打点という数字を残している。
2005年、右肩の痛みによりシーズンの大半を欠場する苦しいシーズンだが、チームは勝ち上がり、リーグ優勝を果たした。バグウェルにとってキャリア初となるワールドシリーズの舞台に足を踏み入れることが出来た。世界一になることは果たせなかったが、アストロズの顔であるバグウェルの姿に多くのファンが目を細めたのは言うまでもない。怪我からの復活は難しく、結果的にバグウェルはこの年限りで現役引退を決めた。通算記録としての449HR、1529打点はいずれも球団記録である。
レッドソックスに憧れ、レッドソックスに泣いたバグウェルの夢は、テキサスの地で叶えられた。アストロズのユニフォームを着ての世界一を果たすことは出来なかったが、背番号5は永久欠番になることが決まっている。ちなみにバグウェルの交換相手だったのは、ベテランの中継ぎ投手、ラリー・アンダーセンであり、このアンダーセンは1990年レッドソックスの地区優勝に貢献したものの、翌1991年にはパドレスへ移り、1994年にはユニフォームを脱いでいる。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1991 Hou 156 554 79 163 26 4 15 82 116 75 7 .387 .437 .294 1992 Hou 162 586 87 160 34 6 18 96 97 84 10 .368 .444 .273 1993 Hou 142 535 76 171 37 4 20 88 73 62 13 .388 .516 .320 1994 Hou 110 400 104 147 32 2 39 116 65 65 15 .451 .750 .368 1995 Hou 114 448 88 130 29 0 21 87 102 79 12 .399 .496 .290 1996 Hou 162 568 111 179 48 2 31 120 114 135 21 .451 .570 .315 1997 Hou 162 566 109 162 40 2 43 135 122 127 31 .425 .592 .286 1998 Hou 147 540 124 164 33 1 34 111 90 109 19 .424 .557 .304 1999 Hou 162 562 143 171 35 0 42 126 127 149 30 .454 .591 .304 2000 Hou 159 590 152 183 37 1 47 132 116 107 9 .424 .615 .310 2001 Hou 161 600 126 173 43 4 39 130 135 106 11 .397 .568 .288 2002 Hou 158 571 94 166 33 2 31 98 130 101 7 .401 .518 .291 2003 Hou 160 605 109 168 28 2 39 100 119 88 11 .373 .524 .278 2004 Hou 156 572 104 152 29 2 27 89 131 96 6 .377 .465 .266 2005 Hou 39 100 11 25 4 0 3 19 21 18 0 .358 .380 .250 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2150 7797 1517 2314 488 32 449 1529 1558 1401 202 .408 .540 .297
受賞タイトル一覧
- MVP(1994)
- 新人王(1991)
- 打点王1回(1994)
- ゴールドグラブ賞1回(1994)
- シルバースラッガー賞3回(1994,97,99)
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