- 2008-05-30 (金) 0:11
- MLB Players

#5 ジョー・ディマジオ | OF

- 1936年・ヤンキースと契約
- 1914年11月25日生 右投右打 180センチ 83キロ
- カリフォルニア州出身
選手の紹介文
2001年、亡くなったジャック・レモン主演の「晩秋」(89年)は年老いて死んでいく父親を息子の目から描いたホームドラマですが、ジャック・レモン演じる父親は大の野球ファンという設定になっています。ロサンゼルスに住んでいるので毎日ドジャースがどうなるか気にしています。テレビでドジャースの試合を見ます。
この父親が死期も近づき病院に入院したとき見舞いにきた息子にまるで遺言を残すかのように、昔見た大リーグの試合の名場面を語って聞かせるいいシーンがあります。皆さんご存じのジョー・ディマジオにまつわるこんなエピソードです。
「1947年のワールドシリーズは球史に残る名試合だった。6回の裏、ヤンキースのディマジオがバッターに立った。8対5でドジャースがリードしていた。2アウトでランナーがふたりいた。ディマジオはレフトにホームラン性の当たりを打った。誰もがホームランだと思った。ところがドジャースのレフトがそのボールを追いかけ出した。そしてフェンスまで来ると大きくジャンプして手を出してその3ランを取ってしまった。そのレフトはアル・ジアンフリドーという二軍上がりの選手だった。たまたまレフトが怪我をしていたので入っていた。スーパースターのディマジオに比べれば無名の選手だった。」
「この話にはまだ先がある。ディマジオは二塁を踏みかけていたときにそのファインプレーを見た。そしてくやしそうにグラウンドの土を蹴った。決して感情を表に出さないディマジオがくやしがった。あいつも人間だったんだ。ジアンフリドーがそうさせたのだ」
この映画を観てもわかるようにディマジオは往年のアメリカ人の間ではヒーローだったのです。
1936年、ヤンキースの黄金時代を支えたベーブ・ルースは引退し、ルー・ゲーリッグも野球人生の晩年を迎えていました。その時、一人の背の高いイタリア系の選手が彗星の如くデビューします。彼は広いスタンスから豪快に振り抜くバッティングと優雅な守備でたちまちファンを虜にしました。その人こそ、後に56試合連続安打の記録を作り、ヤンキースに再び、黄金時代をもたらしたジョー・ディマジオです。かれは別名を“ヤンキー・クリッパー(快速艇)”といわれました。シシリア島からアメリカに来た貧しい移民の子供でした。56試合連続安打は1941年の5月15日のホワイトソックス戦から始まります。40試合を過ぎたころから全米の注目するところとなりました。ヨーロッパで第二次大戦が始まり暗いニュースが多かったなかでこれは明るいニュースでした。ディマジオの記録が伸びると野球放送以外でも臨時ニュースで知らせました。
「さらば愛しき女よ」(75年)という有名なハードボイルド映画があります。その中でロバート・ミッチャム扮するフィリップ・マーロウという私立探偵がいつもディマジオの記録を気にかけていたのはあまりにも有名。チャンドラーの原作にはない小道具の使い方ですが、場末のしがない私立探偵がラジオでディマジオを応援している姿はまさに極めつけのダンディズムです。
ディマジオの連続ヒットは、映画のラストでミッチャムのマーロウが言うように7月17日の対クリーブランド・インディアンズ戦で終わります。
ディマジオは通算打率、325,ホームラン361本。首位打者2回、リーグMVP2回。ヤンキース在籍13年間で10度ワールドシリーズへと導き、うち9度ワールドチャンピオンに輝いています。51年にディマジオは引退(勿論、背番号5はヤンキースの永久欠番)。
しかしその後、ディマジオはアメリカ中をあっといわせる事をやってのけました。女優マリリン・モンローと結婚したのです。もしディマジオが1951年に引退しなかったら彼はスプリングトレーニング、公式試合、ワールドシリーズと続く忙しいスケジュールの中でモンローとの運命的な出会いもなかったかも知れません。でも引退した彼はいつものスケジュールもなく、パーティに出向く日々が続きました。あるパーティで遂に2人は運命的な出会いをします。
その時モンローは「モンキー・ビジネス」の撮影中でした。「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」に続いての撮影で彼女は上げ潮にのり、売れに売れまくっていました。2人はすぐ仲良くなり、結婚を考えるようになります。
そして遂に1954年1月14日に結婚します。2人は幸せでした。でもまわりは噂しました。「野球と同じで9ヶ月でおわるんじゃないだろうか」
悲劇はすぐに起こりました。新婚旅行の日本においてです。ディマジオはそれまで何回か日本を訪れていました。彼の日本における人気は絶大でした。でも彼は日本に来て驚きました。ファンの人気は引退したディマジオより上げ潮のモンローに集中したのです。ディマジオは不機嫌でした。2人の間に溝が出来ました。
日本滞在中に目を腫らしたモンローを何度も目撃した記者がいます。日本は2人の人気が鮮やかに交叉した場所になったのです。アメリカに帰り、運命の映画「7年目の浮気」の撮影に入ります。有名な地下鉄の通気口のシーンの撮影日になりました。撮影はファンを避けるために真夜中に行われました。でも多くの野次馬が集まりました。モンローのスカートが捲れあがる度に「ワー」という歓声があがりました。ディマジオはそれを遠くからじっと観ていました。彼は嫉妬に狂いました。2人の泊まっていたホテルでその後2人は大喧嘩をしました。モンローが離婚申請をすると発表したのはその2週間後です。結局2人の結婚は噂どおり9ヶ月しか持ちませんでした。
しかし、ディマジオは離婚してからもモンローを愛していました。そして彼はモンロー亡き後もずっとモンローの墓にバラの花を供えました。ディマジオはモンローを殺したのはハリウッドとマスコミだと信じ、モンローの死後、両者と縁を切って故郷のサンフランシスコに引っ込みます。
だから「卒業」の主題歌<ミセス・ロビンソン>のなかでサイモンとガーファンクルは歌いました。「ジョー・ディマジオ、あなたはどこへ行ってしまったのだ。国中があなたに寂しい瞳を向けているのに・・・・」
アメリカの代表的スポーツ・ライター、ロジャー・カーンはその著「ジョーとマリリン」の中で、ディマジオはつねに冷静な男で試合中に感情をあらわにしたことは3回しかなかったと書いています。一度目は1939年、タイガースとの試合で自分がファインプレーをし、興奮してランナーを刺すのを忘れたとき。二度目は1941年にドジャースのピッチャーが何度も頭すれすれに投げたことに怒った時。そして三度目が「晩秋」でジャック・レモンが語ったドジャースとの試合でのことでした。
ディマジオは死ぬまでマスコミには決してモンローのことを語ろうとはしませんでした。ある時、ロジャー・カーンが、「女性誌“マッコール”があなたが話してくれたら5万ドル払うといっているが」とディマジオに伝えました。ディマジオは即座に答えました。
「世の中には金にかえられないものがある。それは愛の思い出だ」
参考文献「大リーガーの愛と孤高」「大リーグ名選手101人」「ローリング・ストーンズをオルガンで」
<written by まさひろ。>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1936 NYY 138 637 132 206 44 15 29 125 39 24 0 .352 .576 .323 1937 NYY 151 621 151 215 35 15 46 167 37 64 0 .412 .673 .346 1938 NYY 145 599 129 194 32 13 32 140 21 59 1 .386 .581 .324 1939 NYY 120 462 108 176 32 6 30 126 20 52 0 .448 .671 .381 1940 NYY 132 508 93 179 28 9 31 133 30 61 2 .425 .626 .352 1941 NYY 139 541 122 193 43 11 30 125 13 76 2 .440 .643 .357 1942 NYY 154 610 123 186 29 13 21 114 36 68 2 .376 .498 .305 1946 NYY 132 503 81 146 20 8 25 95 24 59 0 .367 .511 .290 1947 NYY 141 534 97 168 31 10 20 97 32 64 0 .391 .522 .315 1948 NYY 153 594 110 190 26 11 39 155 30 67 1 .396 .598 .320 1949 NYY 76 272 58 94 14 6 14 67 18 55 1 .459 .596 .346 1950 NYY 139 525 114 158 33 10 32 122 33 80 0 .394 .585 .301 1951 NYY 116 415 72 109 22 4 12 71 36 61 0 .365 .422 .263 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1736 6821 1390 2214 389 131 361 1537 369 790 30 .398 .579 .325
受賞タイトル一覧
- MVP3回(1939,41,47)
- 首位打者2回(1939,40)
- 本塁打王2回(1937,48)
- 打点王2回(1941,48)
- オールスター出場13回(1936~42,46~51)
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