- 2008-06-01 (日) 9:55
- MLB Players

#* ジョー・ジャクソン | OF

- 1908年・アスレティックスと契約
- 1889年7月16日生 左投左打 183センチ 79キロ
- サウスカロライナ州出身
選手の紹介文
「嘘だと言ってよ、ジョー(Say it ain’t so, Joe)」とはかつての大打者であるジョー・ジャクソンに向かって子供が発した言葉とされており(捏造との噂もあるが)、現代でも引用される場合が多々ある。「シューレス・ジョー」と呼ばれたジャクソンは、いわゆる「ブラックソックス・スキャンダル」に巻き込まれ、球界を追われた悲運の大打者として記憶されている。
1889年、アメリカ南部のサウスカロライナ州に生まれたジャクソン。子供の頃から丈夫だったわけではなく、どちらかと言えば病弱な部類に入っていたという。とはいえ、当時のサウスカロライナ州では綿の産地として知られており、至る所にある紡績工場は人手不足もあり、子供も同じように働かされた。
ジャクソンも例外ではなく、学校に行くことなく紡績工場で子供時代を過ごすこととなる。読み書きを学ぶ機会がなかったことは後々を考えると大きな痛手となるのだが、その中でも逞しさを身につけ、病弱な面を打ち消していった。野球を学んだのは紡績工場での休憩中であり、その中で若き日のジャクソンは卓越した打撃センスで頭角を現すこととなる。
1907年にはマイナーリーグのグリーンビルと契約してプレーすることとなったジャクソンは好成績を残した。ちょうどその頃、履いていたスパイクが足に合わずに、スパイクを履かずにストッキングでプレー。それでも好成績を残したことから、翌日の新聞には「シューレス・ジョー(裸足のジョー)」と書かれ、そのニックネームが定着することとなる。
1908年には、当時フィラデルフィアに本拠を構えていたアスレティックスから引っ張られる形で、ジャクソンはメジャーリーグの世界に足を踏み入れることとなった。監督コニー・マックは最大級の賛辞を送り、デビュー戦でいきなり4番センターとして起用され、ヒットも記録。
華々しいデビューを飾るも、読み書きができない田舎育ちの青年ジャクソンは周囲からからかわれることとなってしまい、イジメの対象となってしまう。結果的にはわずか数日でサウスカロライナへ逆戻り。周囲の説得でフィラデルフィアに戻るも、結果的にはこの年は5試合だけの出場に留まっている。
1909年もアスレティックスに籍を置くが、自らマイナーでのプレーを志願し、メジャーではわずか5試合に出場するのみ。高い評価をしていたマック監督も結果的にはインディアンズへの放出を決めることとなった。
クリーブランドに移った1910年は20試合の出場に終わってしまうが、打率.387(75打数29安打)を挙げるするなど才能の片鱗を見せた。そして翌1911年は147試合に出場し、打率.408をマーク。首位打者のタイトルこそタイ・カッブ(打率.420)に奪われるが、233安打を記録している。
その後も高い打率を残し続けたジャクソンは、1915年のシーズン途中に球団の財政難からホワイトソックスに放出されるが、インディアンズに在籍していた5年半の間に通算打率.352をマークするなど、すでにメジャーリーグを代表する選手になっていた。
ジャクソンの打撃スタイルは鋭く振り抜き、ライナー性の打球を飛ばすというものである。不要な力を入れないの打撃フォームは多くの選手の模範となり、あのベーブ・ルースも模範にしたという。まさにメジャーリーグ最高の打者という評価もけっして過大評価と言えなくもない。
ホワイトソックス移籍後もその打撃センスは衰えることなく、1917年にはチームも球団創立2度目の世界一に輝き、ジャクソンも貢献。まさに順風満帆と思われるが、オーナーであるチャールズ・コミスキーが正当な報酬を与えないという問題があった。特にホワイトソックスの選手は他球団の選手と比べて低く、日ごとに選手間の不満は募っていた。
1919年には再びリーグ優勝を果たしたホワイトソックス。ジャクソンも打率.351をマークするなど大きく貢献した。そんなメジャーリーグには八百長の噂が絶えない時代でもあった。強くとも給料の安いホワイトソックスというイメージが定着していることもあり、1919年のレッズとのワールドシリーズ前から八百長の噂はあったのである。
結果的には3勝5敗で敗れ、世界一を逃したホワイトソックス。チーム内に不可解なプレーはあったが、ジャクソンは打率.375という高い成績をマーク。翌1920年シーズンもジャクソンは打率.382を挙げるなど、一流選手としての成績を残したが、ここで1年前の1919年ワールドシリーズの八百長が大きく報道されることとなってしまう。
世論に後押しされる形で八百長騒ぎは法廷へ持ち込まれた。しかし、八百長の確証となるものはなく全員無罪となった。しかし、初代コミッショナーとなったばかりのケネシー・ランディスは事態を問題視。法廷では決着が出ていたものの再調査し、1921年8月にジャクソンを含むホワイトソックスの主力8人の選手に永久追放の処分を下した。八百長の噂が渦巻くメジャーリーグの闇の部分を切り捨てたというような形である。一連の事件が「ブラックソックス・スキャンダル」と呼ばれる。
こうして不本意な形でジャクソンのメジャー生活にはピリオドが打たれることとなった。その後は生まれ育ったサウスカロライナで偽名を使って野球をプレーしていたという。しかし、マイナーリーグのコーチになろうとしてもコミッショナーに拒否されることもあったという。晩年は居酒屋を営んでいたそうだが、「ブラックソックス・スキャンダル」から30年以上経ち、初めてテレビで無実を訴えるはずだった4日前に心臓発作で急死。永久追放処分のまま生涯を終えることとなった。
メジャー13年間で1330試合に出場し、打率は歴代3位となる.356をマークし、安打数は1774安打を数えている。読み書きが出来ないことからバカにされ、ひどいヤジに苦しんだジャクソンも、田舎の香りをもつ素朴な青年であり、多くのファンに親しまれた選手であることは間違いない。
映画「フィールドオブドリームス」ではファンの思いが形になり、復帰を果たした「シューレス・ジョー」ことジャクソン。晴れてクーパーズタウンに名を連ねる日が来ることを祈るのみである。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1908 PhA 5 23 0 3 0 0 0 3 -- 0 0 .130 .130 .130 1909 PhA 5 17 3 3 0 0 0 3 -- 1 0 .222 .176 .176 1910 Cle 20 75 15 29 2 5 1 11 -- 8 4 .430 .587 .387 1911 Cle 147 571 126 233 45 19 7 83 -- 56 41 .463 .590 .408 1912 Cle 154 572 121 226 44 26 3 90 -- 54 35 .447 .579 .395 1913 Cle 148 528 109 197 39 17 7 71 26 80 26 .453 .551 .373 1914 Cle 122 453 61 153 22 13 3 53 34 41 22 .389 .464 .338 1915 Cle 83 303 42 99 16 9 3 45 11 28 10 .386 .469 .327 1915 CWS 45 158 21 43 4 5 2 36 12 24 6 .363 .399 .272 1916 CWS 155 592 91 202 40 21 3 78 25 46 24 .384 .495 .341 1917 CWS 146 538 91 162 20 17 5 75 25 57 13 .364 .429 .301 1918 CWS 17 65 9 23 2 2 1 20 1 8 3 .397 .492 .354 1919 CWS 139 516 79 181 31 14 7 96 10 60 9 .410 .506 .351 1920 CWS 146 570 105 218 42 20 12 121 14 56 9 .433 .589 .382 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1332 4981 873 1772 307 168 54 785 158 519 202 .413 .517 .356
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