- 2008-11-10 (月) 0:08
- MLB Players

#* ジョー・メドウィック(Joe MEDWICK) | OF

- 1930年・カージナルスと契約
- 1911年11月24日生 右投右打 175センチ 82キロ
- ニュージャージー州出身
選手の紹介文
悪球打ちの名人でありながらもシーズンMVP、三冠王にも輝いているジョー・メドウィック。ナショナルリーグではメドウィックが最後の三冠王となっている。気性の激しいプレーで知られ、ワールドシリーズ第7戦の激しいスライディングが反感を買い、退場を命じられることもあった。若くして驚異的な打棒を見せるが、1つの死球をきっかけに数字を落としている。
ハンガリーからの移民を両親に持つメドウィックはニュージャージー州に生まれた。幼少時から高い運動能力入りを見せ、高校卒業時にカージナルスと契約するに至った。クラスCのスコッツデールでキャリアをスタートさせると、75試合の出場で打率.419、22HR、100打点という圧倒的な成績を残したのである。翌1931年は上のランクのリーグに進み、161試合に出場し、打率.305、19HR、126打点で本塁打王と打点王の二冠王に輝いている。
1932年もマイナーで開幕を迎え、139試合の出場で打率.354、26HR、11打点という数字を残し、シーズン終盤にようやくメジャー昇格を果たしたメドウィック。1ヶ月間だけのメジャー経験だったが、26試合の出場で打率.349と好成績を残した。まだ21歳と非常に若いながらも、メドウィックはスターへの階段を昇り始めたのである。
1933年、初めてメジャーでフルシーズンを過ごすと、打率.306、18HR、98打点という好成績を残した。翌1934年には、カージナルスとしてもディジー・ディーンをエースとし、兼任監督のフランキー・フリッシュを始めとし、メドウィック、レオ・ドローチャーなどの攻撃陣を要し、「ガスハウス・ギャング」と呼ばれたチームとなった。その中でメドウィックは打率.319、18HR、106打点をマーク。チームのリーグ優勝に大きく貢献したのである。
1934年のワールドシリーズではタイガースと対戦。ディーン兄弟の踏ん張りもあり、シリーズは3勝3敗で第7戦までもつれ込んだ。第7戦は序盤にカージナルスが大量リードを奪い、試合はほぼ決していたが、6回表にメドウィックがセンター越えのフェンス直撃の大きな当たりを放つと、一気に3塁を陥れた。3塁へ滑り込んだ際、メドウィックはサードのマーブ・オーエンとの接触プレーから2人が激高し、乱闘へもつれ込んだのである。
2人の退場はなかったが、レフトの守備についたメドウィックに対して、タイガースファンからモノが投げ込まれるなど収拾が付かない状況となってしまう。試合も一時中断の後、ケネソー・ランディスコミッショナーはメドウィックを試合から欠場させなければ没収試合にすると通知。結果、メドウィックは退場するが、試合は大差でカージナルス優勢であったため、そのままリードを守りきり、世界一となったのである。この事態により、メドウィックの気性の荒さが世に知らしめることとなった。
1935年以降もメドウィックの打棒は冴え渡った。1935年は打率.353、224安打、23HR、126打点をマークすると、翌1936年も打率.351、223安打、18HR、138打点という成績で打点王のタイトルを獲得。2塁打数は64本を数え、月間50安打を2度も記録するなど、悪球打ちで知られるメドウィックの積極性が安打量産につながったのである。
1937年、打率.374、31HR、154打点という成績で三冠王を獲得し、シーズンMVPも受賞。この年のオールスターゲームでも4安打するなど、この年がメドウィックのピークであった。カージナルスの主軸として結果を残していたが、1940年シーズン途中にドジャースへ移籍することになった。メドウィックを含む2人と、ドジャースの4選手プラスお金(12万5000ドル)との交換だったのである。
ドジャースへ移籍後、6日後に古巣カージナルス戦があったが、この試合でメドウィックが頭に死球を受けたのである。意識不明となり、すぐさま病院に担ぎ込まれ、一命は取り留めた。古巣からの死球と言うことで憶測が憶測を呼ぶ形となったが、その試合前に相手先発投手との口論があったことが原因ではないかと言われている。いずれにしろ、この死球以降のメドウィックは、打率こそ3割近くをキープするが、HR数は激減してしまったのである。
幾つかの球団を渡り歩き、1948年を最後にメジャーリーグの舞台から消えたメドウィック。その後もマイナー球団を渡り歩くがメジャー復帰は果たせなかった。メジャーでの通算成績は打率.324、2471安打、205HR、1383打点というものである。引退後、なかなか殿堂入りが決まらなかったが、1968年にベテランズ委員会選出によりようやく殿堂入りを決めたのである。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1932 StL 26 106 13 37 12 1 2 12 10 2 3 .367 .538 .349 1933 StL 148 595 92 182 40 10 18 98 56 26 5 .335 .497 .306 1934 StL 149 620 110 198 40 18 18 106 83 21 3 .341 .529 .319 1935 StL 154 634 132 224 46 13 23 126 59 30 4 .385 .576 .353 1936 StL 155 636 115 223 64 13 18 138 33 34 3 .386 .577 .351 1937 StL 156 633 111 237 56 10 31 154 50 41 4 .414 .641 .374 1938 StL 146 590 100 190 47 8 21 122 41 42 0 .369 .536 .322 1939 StL 150 606 98 201 48 8 14 117 44 45 6 .372 .507 .332 1940 StL 37 158 21 48 12 0 3 20 8 6 0 .329 .437 .304 1940 Bro 106 423 62 127 18 12 14 66 28 26 2 .345 .499 .300 1941 Bro 133 538 100 171 33 10 18 88 35 38 2 .363 .517 .318 1942 Bro 142 553 69 166 37 4 4 96 25 32 2 .337 .403 .300 1943 Bro 48 173 13 47 10 0 0 25 8 10 1 .315 .329 .272 1943 NYG 78 324 41 91 20 3 5 45 14 9 0 .298 .407 .281 1944 NYG 128 490 64 165 24 3 7 85 24 38 2 .381 .441 .337 1945 NYG 26 92 14 28 4 0 3 11 2 2 2 .309 .446 .304 1945 BsB 66 218 17 62 13 0 0 26 12 12 3 .325 .344 .284 1946 Bro 41 77 7 24 4 0 2 18 5 6 0 .365 .442 .312 1947 StL 75 150 19 46 12 0 4 28 12 16 0 .373 .467 .307 1948 StL 20 19 0 4 0 0 0 2 2 1 0 .250 .211 .211 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1984 7635 1198 2471 540 113 205 1383 551 437 42 .360 .505 .324
受賞タイトル一覧
- シーズンMVP1回(1937-NL)
- 首位打者1回(1937-NL)
- 本塁打王1回(1937-NL)
- 打点王3回(1936-NL~1938-NL)
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