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Ken GRIFFEY(ケン・グリフィー)

Cincinnati REDS

#3 ケン・グリフィー | RF

ケン・グリフィー

  • 1987年6月ドラフト・マリナーズ1位(全米1番目)
  • 1969年11月21日 左投左打 190センチ 92キロ
  • ペンシルベニア州出身

過去3年間の成績

 YEAR Team    G   AB    R    H  2B  3B  HR  RBI   SO   BB   SB   OBP  SLG   AVG
 ------------------------------------------------------------------------------
 2005  Cin  128  491   85  148  30   0  35   92   93   54    0  .369 .576  .301
 2006  Cin  109  428   62  108  19   0  27   72   78   39    0  .316 .486  .252
 2007  Cin  144  528   78  146  24   1  30   93   99   85    6  .372 .496  .277
 ------------------------------------------------------------------------------
 Total     2378 8826 1545 2558 473  37 593 1701 1593 1162  184  .374 .553  .290

選手の紹介文
人気、実力ナンバー1のスーパースターとして一時代を築いたケン・グリフィー・ジュニア。メジャーリーグのスーパースターとして一時代を築いたケン・グリフィー。人気においても、実力においてもナンバー1といえるだけの実績を残した。マリナーズ時代は若さに満ちあふれ、やんちゃ坊主だったグリフィーも、レッズ移籍後は怪我に苦しんだ。しかし、昨今のステロイド疑惑にも全く染まらず、メジャー史上6人目となる600号HRを達成したことはグリフィーの評価を大きく高めており、引退後の殿堂入りは確実ともいえる。

父親のシニアは、ビッグレッドマシンと呼ばれたレッズの一員として、ワールドシリーズ2連覇に貢献したスター選手だった。その父親の背中を見て育ち、球場を遊び場に育ったグリフィーは、シンシナティのモーラー高校に進学し、野球とフットボールを掛け持ちしながら共に大活躍。野球では1986年、1987年と2年連続、在籍していたリーグのプレイヤーオブザイヤーに選ばれ、全米にその名を轟かせた。そして、1987年のドラフトでマリナーズから全米1番目の1位指名を受けて、プロ入りを決めた。父のシニアがまだ現役でプレーしていたこともあり、この指名は非常に注目された。グリフィー、17歳の夏である。

指名されたその年、1Aビリンガムでプレーし、54試合に出場し、打率.313、14HR、40打点、13盗塁を記録し、才能の片鱗を見せた。翌1988年はランクが上の1Aサンバディーナで開幕を迎えた。この頃のグリフィーは、シニアの息子ということで周囲から受けるプレッシャーに絶えきれず、自殺しようかとも本気で考えていた、と後に語っている。しかし、58試合に出場し、打率.338、11HR、42打点、32盗塁と数字的には見事なものであり、シーズン終盤には2Aバーモントへ昇格も果たした。

1989年、19歳のグリフィーは招待選手としてマリナーズのスプリングトレーニングに参加し、26試合の出場する中で15試合連続ヒットを含む、打率.359、2HR、21打点という好成績を挙げ、開幕メジャーの切符を手にした。メジャーデビューは4月3日の対アスレティックスで、相手は20勝投手のデーブ・スチュワートであり、初打席で2塁打を放つ最高のデビューを飾った。メジャー1年目は127試合に出場し、打率.269、16HR、61打点を記録している。

全米1番目で指名されマリナーズ入りしたのは17歳の頃。1990年はセンターのポジションを確実に自分のものとし、打つだけでなく、守備面でもジェシー・バーフィールドの通算200号HRとなるはずだった打球を、フェンスをよじ登って奪い取るというプレーもあった。人気者のグリフィーはオールスターのファン投票でも選出され、史上2番目の若さで5番センターとして初めて先発出場した(史上最年少のオールスター出場は1955年、20歳のアル・ケーライン)。そしてこの年のハイライトはシーズン終盤にやってきた。父シニアがレッズに解雇されて、息子のいるマリナーズと契約し、8月31日のロイヤルズ戦では父子並んでスタメンに並ぶという、史上初の快挙を成し遂げた。さらに9月14日には父子連続ホームランも記録した。結局、155試合に出場し、打率.300、22HR、80打点と20歳の若者とは思えない数字を残す。また、初めてのゴールドグラブ賞も受賞した。

1991年は、過去最高の打率.327をマークし、打点数も初めて100点という大台に乗せ、確実に成長の跡を残していた。この時は中距離打者というイメージだったが、前年の2塁打28本から、42本にまで増えているところに長打力のアップが見られた。ちなみに父シニアはこの年限りでユニフォームを脱いでいる。

1992年、死球により手首を痛め、メジャー昇格後初めての故障者リスト入りするも、142試合に出場し、打率.308、27HR、103打点をマークした。さらに70本の長打(2塁打39本、3塁打3本を含む)はリーグ3位の記録であり、長打率.535もリーグ4位であり、徐々に長距離砲としてのベールを脱ぎ始めた。更にこの年、サンディエゴで行われたオールスターでは当時カブスにいたグレッグ・マダックスから打ったホームラン含む3打数3安打と大当たりし、オールスターMVPを獲得。実は父シニアも1980年のオールスターでMVPを獲得しており、史上初の父子2代のオールスターMVPということになった。

1993年になると、グリフィーはタガがはずれたかのようにホームランを量産。7月後半には8試合連続ホームランというメジャーリーグタイ記録をマーク。タイ記録がかかった8試合目はホームランがなくて迎えた最後の打席で、高めのボールをすくい上げてスタンドへぶち込んだ。新記録がかかった9試合目は、右中間フェンスに当てるもオーバーフェンスはなかった。この年は、打率.309、45HR、109打点という記録を挙げた。しかし、ホアン・ゴンザレスが46HRしたため、ホームラン王のタイトルは逃してしまった。

マリナーズ時代は自他共に認めるスーパースター。成長し続けるグリフィーの姿を見たルー・ピネラ監督も「私が見た選手の中で最高」と最大級の賛辞を送った。1994年は開幕から記録的なホームラン量産ペースで、1961年にロジャー・マリスのシーズン61HRを抜く候補の1番手にグリフィーがいた。その期待の現れが、オールスターのファン投票では過去最高の約608満票を集めた。それまでの最多投票記録が1977年のロッド・カルーの約429万票ということから考えても、グリフィーの人気も凄まじさがわかる。しかし、ファンの期待の空しく、悪夢のストライキのおかげで8月12日を持ってシーズンが終了してしまう。それでも打率.323、40HR、90打点という記録を残し、初めてホームラン王のタイトルを手にした。。

グリフィーが人気者なのはチームの中でも同じことで、練習中にジュニアがキャップを後ろ前にかぶっていたのを見た当時のヤンキース監督、バック・ショーウォルター監督がその事を批判したところ、翌日はマリナーズの選手全員がキャップを後ろ前にかぶって練習したという。こういうところにグリフィーの人望の厚さがわかるというものである。

そんなグリフィーに最大の悲劇が起こったのは1995年のことである。1990年から毎年ゴールドグラブ賞を受賞している守備の名手だけに、普通の選手では取れない打球もグリフィーにかかれば取られてしまう。しかし、この時はこれが災いした。5月末、右中間に飛んだ大飛球を追い、フェンスにぶつかりながらもキャッチしたが、当たり所が悪く左手首を骨折。全治3ヶ月という所、予定より早い8月半ばに戦線復帰。グリフィーが戻ってきたマリナーズは息を吹き返し、この年、球団史上初の地区優勝を飾った。

初のポストシーズン進出は怪我を乗り越えたグリフィー自身に最高のプレゼントとなった。ヤンキースとのディビジョンシリーズでは5本のホームランを放ち、チームの勝利に大きく貢献。インディアンズとのリーグチャンピオンシップシリーズでもホームランを打ったが、チームは2勝4敗で敗れてしまい、初のワールドシリーズ進出はならなかった。怪我でシーズンでは72試合にしか出場できなかったが、ゴールドグラブ賞は獲得している。

迷えるグリフィーよ、このままどこへいく。1996年は、初めての1試合3発を記録するなど、相変わらずのペースで打ちまくるが、6月末に右手の有鈎骨を骨折し、約3週間の離脱。前年に続き、怪我でオールスターゲームの打席に立つことは出来なかった。しかし、140試合の出場で打率.303、49HR、140打点をマークし、自らに与えられたノルマはクリアしたが、チームに怪我人が相次ぎ、優勝は逃した。しかし、アレックス・ロドリゲスという新鋭が登場し、21歳の若さで首位打者を獲得するという希望の光もあった。

1997年は4月で13HRというメジャー新記録を樹立。5月が終わった段階で24HRというのも新記録である。マリス越えとなるシーズン62HRも期待されたが、56HRに終わる。さらに147打点もマークし、ホームランと打点の2つの打撃タイトルを手にする。結局、この年は打率.304も記録し、自身初のMVPにも輝いた。チームも地区優勝を飾ったが、ディビジョンシリーズでオリオールズの前に敗れてしまった。

1998年、ナショナルリーグのマーク・マグワイアサミー・ソーサのホームラン争いの前に、グリフィーの姿はかすんでしまったが、打率.284、56HR、147打点と数字的には申し分はない。2年連続ホームラン王に加え、3年連続140打点以上というのは、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグに次ぐ史上3人目の快挙である。さらに20盗塁も記録し、史上3人目の「50-20」クラブ入りも果たした(過去に達成しているのは、1955年のウイリー・メイズ、1996年のブラディ・アンダーソン)。

1999年は左膝の故障に悩まされたが、打率.285、48HR、134打点で3年連続のホームラン王のタイトルを奪取。しかしこの年のオフに、恐れていたことがついに起こってしまった。グリフィー自身のトレード志願である。理由としてはフロリダに暮らす家族とともに暮らしたいグリフィーにとって、シアトルは遠いということだった。トレードの候補としてブレーブス、メッツ、レッズが挙がっていたが、ブレーブスは早々に退散。メッツとのトレードが決まりかけたが、グリフィー自身が拒否。結局、年明けの2000年にレッズとのトレードが正式に決まった。背番号はマリナーズ時代の24から、父親が現役時代に付けていた30になり、ちょうどレッズの打撃コーチをつとめていたシニアは、背番号を33に変えた。

怪我はこれからもグリフィーを悩ませそうだ。グリフィーの加入により、ぐっと厚みを増したレッズ打線。それまでのアメリカンリーグから、マグワイア、ソーサと同じナショナルリーグ中部地区に移ったことが話題になり、チケットもあっさり完売と人気者ぶりを見せつけた。シーズンに入って史上最年少での400号HRを打ったりもしたが、終わってみれば打率.271、40HR、118打点と期待された数字を下回ってしまり、1990年から続いていたゴールドグラブ賞も連続受賞も10年でストップしてしまった。さらに、グリフィーが加わったレッズが優勝を逃し(地区2位)、グリフィーが抜けたマリナーズがポストシーズン進出という皮肉な結果にもなってしまった。

こうして迎えた2001年だったが、スプリングキャンプ時に足を痛めて開幕から出遅れてしまう。結局わずか111試合の出場で、打率.286、22HR、65打点と最悪のシーズンに終わってしまった。アダム・ダンなどの新鋭の台頭もあり、ビッグレッドマシン復活に期待がかかったものの2002年以降も怪我に悩まされ、出場試合がどんどん減っていった(2002年は70試合、2003年は53試合、2004年は83試合)。一時はトレード話もまとまりかけたこともあるほど、存在感が薄くなってきた。その中でもメジャー史上20人目となる通算500号HRを達成している。

2005年にはようやく復調の兆しを見せ、128試合に出場。シーズン最後の1ヶ月を欠場した形だが、打率.301、35HR、92打点と好成績を残した。カムバック賞を受賞したこともあり鮮やかな復活と思われたが、実際は体中に不安事項を抱えている満身創痍の状態でのプレーであった。WBCにもアメリカ代表として出場し、父親もコーチを務める中で打率.524マークするが、チームの勝利には貢献できなかった。

背番号をそれまでの30から3に変更した2006年、通算HR数でミッキー・マントルの536本を抜き去り、その後もマイク・シュミット(548本)も抜き、レジー・ジャクソン(563本)に並ぶ形でシーズンを終えた。結果的に109試合の出場で、打率.252、27HR、72打点という数字を残したグリフィー。2007年にはポジションをセンターからライトに移し、144試合に出場。打率.277、30HR、93打点をマークした。

2007年にはレッズ移籍後に初となる古巣のセーフコフィールドでプレーする機会に恵まれ、多くのファンの歓声に迎えられた。レッズ移籍後もマリナーズのファンはグリフィーを忘れてはいなかった。レッズとの契約完了後は古巣マリナーズへの復帰も噂されている。果たしていないワールドシリーズ出場を果たすことが出来るか、キャリアの締めくくりにグリフィーが下す決断はいかなるものか。

<written by Kenji@webmaster>

各年度別成績一覧

 YEAR Team    G   AB    R    H  2B  3B  HR  RBI   SO   BB   SB   OBP  SLG   AVG
 ------------------------------------------------------------------------------
 1989  Sea  127  455   61  120  23   0  16   61   83   44   16  .329 .420  .264
 1990  Sea  155  597   91  179  28   7  22   80   81   63   16  .366 .481  .300
 1991  Sea  154  548   76  179  42   1  22  100   82   71   18  .399 .527  .327
 1992  Sea  142  565   83  174  39   4  27  103   67   44   10  .361 .535  .308
 1993  Sea  156  582  113  180  38   3  45  109   91   96   17  .408 .617  .309
 1994  Sea  111  433   94  140  24   4  40   90   73   56   11  .402 .674  .323
 1995  Sea   72  260   52   67   7   0  17   42   53   52    4  .379 .481  .258
 1996  Sea  140  545  125  165  26   2  49  140  104   78   16  .392 .628  .303
 1997  Sea  157  608  125  185  34   3  56  147  121   76   15  .382 .646  .304
 1998  Sea  161  633  120  180  33   3  56  146  121   76   20  .365 .611  .284
 1999  Sea  160  606  123  173  26   3  48  134  108   91   24  .384 .576  .285
 2000  Cin  145  520  100  141  22   3  40  118  117   94    6  .387 .556  .271
 2001  Cin  111  364   57  104  20   2  22   65   72   44    2  .365 .533  .286
 2002  Cin   70  197   17   52   8   0   8   23   39   28    1  .358 .426  .264
 2003  Cin   53  166   34   41  12   1  13   26   44   27    1  .370 .566  .247
 2004  Cin   83  300   49   76  18   0  20   60   67   44    1  .351 .513  .253
 2005  Cin  128  491   85  148  30   0  35   92   93   54    0  .369 .576  .301
 2006  Cin  109  428   62  108  19   0  27   72   78   39    0  .316 .486  .252
 2007  Cin  144  528   78  146  24   1  30   93   99   85    6  .372 .496  .277
 ------------------------------------------------------------------------------
 Total     2378 8826 1545 2558 473  37 593 1701 1593 1162  184  .374 .553  .290

受賞タイトル一覧

  • MVP1回(1997)
  • 本塁打王4回(1994,97~99)
  • 打点王1回(1997)
  • ゴールドグラブ賞10回(1990~99)
  • シルバースラッガー賞7回(1991,93,94,96~99)

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