- 2009-02-24 (火) 0:02
- MLB Players

#2 レオ・ドローチャー(Leo DUROCHER) | Mgr

- 1925年・ヤンキースと契約
- 1905年7月27日生 右投右打 178センチ 72キロ
- マサチューセッツ州出身
選手の紹介文
熱血漢溢れる監督として、通算2008勝を記録しているレオ・ドローチャー。選手としては守備を売りとしており、打撃面も含めるとスター選手ではなかった。しかし、監督兼任選手から専任監督となり、幾つかの球団を渡り歩いた。1954年にはジャイアンツを世界一に導いている。日本のプロ野球で指揮を執る可能性もあったのである。
マサチューセッツ州に生まれたドローチャーは1925年、ヤンキースと契約を交わした。まだ19歳だったドローチャーだが、契約したその年にヤンキースで2試合だけ出場している。2年間マイナーで暮らした後、1928年にヤンキースのロースターに定着した。ちょうどベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグが君臨していた頃のヤンキースに名を連ねたのである。
強打を売りにするヤンキース打線の中で非力なドローチャーは逆の意味で目立っていた。気が強いドローチャーはルースとそりが合わず、時計を盗まれた盗まれてないで一悶着起こすなど犬猿の仲となったという。そんな中でヤンキース監督のミラー・ハギンズは若いドローチャーに監督としての資質を見ていたという。
1928年にはヤンキース世界一を体感。1929年からヤンキースは背番号制を導入したが、7番打者だったドローチャーはこの年、7番を付けている。1930年からはレッズに移籍。1933年の開幕後にカージナルスへの移籍が決まった。「ガスハウス・ギャング」と呼ばれたカージナルスで背番号2番を付けたショートストップとして、1934年にはチームの世界一に貢献している。
1938年からドジャースに移籍し、ショートストップとしてレギュラーに定着。すでに引退していたルースがコーチとして入団したこともあり、犬猿の仲であるドローチャーとの関係が注目された。翌1939年からドローチャーが選手兼任監督となると、まずコーチであるルースの解任を決めたという。監督になりたくてドジャース入りしたルースの願望を打ち砕いたのである。
監督1年目の1939年はシーズン84勝(勝率.549)でリーグ3位、1940年はシーズン88勝(勝率.575)でリーグ2位と徐々に成績を上げていった。当時のドジャースは主砲ドルフ・キャミリを中心とし、ピー・ウィー・リース、ピート・ライザーらが台頭してきた時期である。投手陣は他球団から獲得したベテラン選手をうまく活用していた。
1941年、ほとんど選手としての出場機会が減っていったドローチャーは監督としてチームを引っ張った。チームもシーズン100勝(勝率.649)でドジャース史上21年ぶりとなるリーグ優勝をもたらしたのである。ワールドシリーズでは同じニューヨークに本拠を構えるヤンキースと対戦。ドジャースの1勝2敗で迎えた第4戦、終盤までリードしていたが最終回に捕手ミッキー・オーウェンのパスボールで逆転を許した。このプレーで流れはヤンキースに傾き、シリーズそのものを落としてしまったのである。
その後、上位をキープしながらもなかなか優勝には縁がなかった。1947年開幕前にドローチャーはハリウッド女優と駆け落ちし、これを重く見た当時のコミッショナーはドローチャーに1年間の出場停止を命じた。ドローチャーがいないドジャースは、代理監督であるバート・ショットンによりリーグ優勝を果たした。ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした記念すべき年にドローチャーは監督をしていなかったのである(ワールドシリーズではヤンキースの前に3勝4敗で敗退)。
1948年は開幕からなかなか調子が上がらなかったが、シーズン途中にドローチャーのジャイアンツ移籍が決まったのである。ジャイアンツに引き抜かれての移籍劇となった。前任の監督であるメル・オットは温厚な人物であったため、強気なドローチャーとは対象的だった。ドローチャーは後に自伝のタイトルを「お人好しで野球が勝てるか」とし、オットを批判している。
ジャイアンツ就任後、最初は黒星が先行している状態だったが、ウイリー・メイズなどの新戦力の台頭が目立ってきた時期でもある。1951年にはドジャースと熾烈な優勝争いを演じ、プレーオフの最後でボビー・トムソンの劇的なHRで優勝を決めた。この年はシーズン98勝(勝率.624)でリーグ優勝を果たしたのである(ワールドシリーズではヤンキースの前に敗れた)。
1954年、メイズを中心としたジャイアンツはシーズン97勝(勝率.630)を挙げる快進撃でリーグ優勝を果たした。ワールドシリーズでは111勝を挙げたインディアンズとの対戦となったが、第1戦でメイズの「ザ・キャッチ」と呼ばれるプレーで流れを掴み、4連勝で世界一を奪取。ドローチャーが監督として初めて掴んだ世界一である。そして、1955年限りでジャイアンツの監督を退き、テレビの解説者となったのである。
一時、ドジャースのコーチを務めることがあったが、1966年からカブスの監督に招聘され、再び監督生活が始まった。7年間務めるも優勝は縁なく、1972年途中からはアストロズ監督へ。1973年限りで退いたのである。1976年には日本プロ野球の太平洋クラブライオンズと契約を交わしたが、体調を崩し、来日せずに終わってしまった。
ドローチャーのメジャーリーグの監督としての通算成績は2008勝1709敗というものである。ドジャースで738勝、ジャイアンツで637勝、カブスで535勝と3つの異なるチームで500勝以上を挙げた最初の監督となった。チームをぐいぐいと引っ張ったドローチャーの退場回数は100回を越えている。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1925 NYY 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 1928 NYY 102 296 46 80 8 6 0 31 52 22 1 .327 .338 .270 1929 NYY 106 341 53 84 4 5 0 32 33 34 3 .320 .287 .246 1930 Cin 119 354 31 86 15 3 3 32 45 20 0 .287 .328 .243 1931 Cin 121 361 26 82 11 5 1 29 32 18 0 .264 .294 .227 1932 Cin 143 457 43 99 22 5 1 33 40 36 3 .275 .293 .217 1933 Cin 16 51 6 11 1 0 1 3 5 4 0 .273 .294 .216 1933 SLC 123 395 45 102 18 4 2 41 32 26 3 .306 .339 .258 1934 SLC 146 500 62 130 26 5 3 70 40 33 2 .308 .350 .260 1935 SLC 143 513 62 136 23 5 8 78 46 29 4 .304 .376 .265 1936 SLC 136 510 57 146 22 3 1 58 47 29 3 .327 .347 .286 1937 SLC 135 477 46 97 11 3 1 47 36 38 6 .262 .245 .203 1938 Bro 141 479 41 105 18 5 1 56 30 47 3 .293 .284 .219 1939 Bro 116 390 42 108 21 6 1 34 24 27 2 .325 .369 .277 1940 Bro 62 160 10 37 9 1 1 14 13 12 1 .285 .319 .231 1941 Bro 18 42 2 12 1 0 0 6 3 1 0 .302 .310 .286 1943 Bro 6 18 1 4 0 0 0 1 2 1 0 .263 .222 .222 1945 Bro 2 5 1 1 0 0 0 2 0 0 0 .200 .200 .200 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1637 5350 575 1320 210 56 24 567 480 377 31 .247 .299 .320
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:3回(1936-NL、1938-NL、1940-NL)
- 世界一経験:3回(1928-NYY、1934-SLC、1954-NYG)
- 殿堂入り:1994年(ベテランズ委員会)
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1951年4月2日 , April 2…
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