- 2008-05-01 (木) 0:04
- MLB Players

#4 ルー・ゲーリッグ(Lou GEHRIG) | 1B

- 1923年・ヤンキースと契約
- 1903年6月19日生 左投左打 183センチ 91キロ
- ニューヨーク州出身
選手の紹介文
王者ヤンキースの第1期黄金時代の主要メンバーであったルー・ゲーリッグ。3番のベーブ・ルースに次ぐ4番を任され、1931年には三冠王にも輝くほどの打棒を発揮した。2130試合連続出場という当時のメジャー記録を樹立し、「アイアンホース」とまで呼ばれたゲーリッグは、大舞台でも勝負強い選手として知られている。23本の満塁HR、8年連続のシーズン120打点以上というのは未だに燦然と輝くメジャー記録である。
1903年、ドイツ系移民の両親の元、ニューヨークで生まれ育ったゲーリッグ。家計が非常に苦しい中でも、ゲーリッグはスポーツに高い才能を見せた。憧れの選手はルースであり、将来はメジャーリーガーになることが夢だった。しかし、母親が建築家になることを強く望んでいたこともあり、建築家になるために名門コロンビア大学への進学を決めている。
大学へ入っても野球にもフットボールにも高い才能を見せ、頭角を現すのに時間はかからなかった。当時のジャイアンツの監督ジョン・マグローから偽名でメジャーでプレーしないと勧められたこともあったという。それだけ、ゲーリッグの実力は際立っていたともいえる。結果的にマイナー球団でわずかにプレーしたことがばれてしまい、大学1年時にはほとんどのスポーツ活動を禁じられることになってしまった。
解禁された大学2年時には打ってはルース並の高い長打率を記録し、投げては1試合17奪三振を記録するほどのずば抜けた実力を見せたゲーリッグ。そんな中、父親が倒れてしまうというアクシデントがあり、治療費が必要になってしまったために野球で身を立てることを決意。1923年、大学を中退し、ヤンキースと契約することになった。
プロ入り後の2年間はレギュラーメンバーが固定していたこともあり、ほとんどをマイナーで過ごすこととなった。そして迎えた1925年6月1日、代打として試合に出場したわけだが、これが後のメジャーリーグに金字塔として打ち立てられる連続試合出場という大記録のスタートになるとは当時は誰も予想だにしなかった。ちなみにこの時点での連続試合出場の記録を持っていたのは同じヤンキースのエベット・スコットである。その記録は5月30日に1307試合でストップしたばかりでもあった。この記録が止まった試合、スコットの代わりに出場したピーウィー・ワニンガーの代打としてゲーリッグが出場するという歴史上のすれ違いがあった点は非常に興味深い。
翌6月2日の試合では、レギュラーのウォーリー・ピップが頭痛のためにスタメンをはずれ、さらに控えのフレッド・マークルも欠場したため、ゲーリッグがスタメンのチャンスを掴むことになったのである。ただの代役でしかなかったゲーリッグも、このわずかなチャンスを掴み、レギュラーの座を確保。たった1日の休みとしか考えてなかったピップはその後、ゲーリッグの控えに留まらざるを得なくなってしまう。そしてこの年のゲーリッグは126試合に出場し、打率.295、20HR、68打点という成績に終わるが、憧れのルースとスタメンとして名前を並べるなど、ゲーリッグにとってはキャリアのスタートとしては最高のものになったといえる(ちなみにピップはその後、レッズへ移籍)。
1926年、155試合の出場で打率.313、16HR、107打点をマークし、リーグトップとなる20本の3塁打を放った。チームも3年ぶりにリーグ優勝を飾ったこともあり、ゲーリッグも初のワールドシリーズを体験。プレーイングマネージャーのロジャース・ホーンスビー率いるカージナルスと対戦し、ルースの1試合3HRなどもあったが、3勝4敗と惜しくも敗れてしまった。ちなみにゲーリッグはこのシリーズ、打率.348という高打率をマークしている。
1927年はヤンキースのチーム状態が頭一つ抜けていたシーズンである。この年、チームとして記録したシーズン110勝は当時のメジャー記録であり、勝率.714に加え、チーム打率.307はいずれも桁違いの数字である。この年のヤンキース打線がマーダラーズ・ロウ(殺人打線)と呼ばれ、相手チームから恐れられたのは言うまでもない。夏頃にはヤンキースのリーグ優勝がほぼ確実視され、注目はルースとゲーリッグのHR争いに移ったのである。
8月半ばの段階では、ゲーリッグがHR数でルースをリードしていた。その後にHRを量産し、60本の大台まで乗せたルースに対して、ゲーリッグはわずかな上乗せで、結局47HRでシーズンを終えてしまった。これには母親の健康状態が悪く、試合後に病院へ直行することから重なった心労が原因とされている。とはいえ、この年のゲーリッグは打率.373、47HR、175打点で打点王を獲得し、シーズンMVPも受賞するなど文句の付けようがない。強力打線をバックにヤンキースは、パイレーツとのワールドシリーズを4連勝であっさりと退け、世界一の栄冠を手にした。
1928年も打率.374、27HR、142打点をマークしたゲーリッグ。チームは3年連続リーグ優勝を果たし、ワールドシリーズではカージナルスを4連勝で振り切り、2年連続世界一となった。豪放磊落なルースと物静かなゲーリッグという対照的な2人であったが、この2人が並ぶ打線というのはメジャー史上最高のコンビと言っても過言ではないほどの猛打を見せた。
1930年には174打点で自身3度目の打点王となったゲーリッグ。翌1931年には46HRを放って、ルースと並んで初の本塁打王のタイトルを取ると共に、メジャー史上2位というシーズン184打点を記録して打点王のタイトルも獲得。しかし、この頃から落ち目になりつつあったルースとの不仲が取り上げられることもしばしばあったのである。そして、2人が同じチームでプレーした最後の年である1934年、ゲーリッグは打率.363、49HR、165打点で三冠王を獲得した。
体の状態は決して良くなかったが、毎試合試合に出場し続けたゲーリッグ。常に怪我を抱える中で、時には初回の打席に立ってヒットを打っただけで試合を退くこともあるぐらいだった。ジョー・ディマジオがメジャーに昇格してきた1936年には打率.354、49HR、152打点という堂々たる成績で本塁打王に輝き、未だにヤンキースの主軸であることを証明。1937年も打率.351、37HR、159打点という成績を残すが、翌1938年には打率が3割を割ってしまった(打率.295)。
ゲーリッグは筋萎縮性側索硬化症という不治の病が体を蒸し始めていたのである。これは打撃であったり、守備であったり、プレーの一つ一つに影響を及ぼし始めた。決断を下したのは1939年5月2日のこと。それまで続いていた連続試合出場記録は2130試合でピリオドが打たれたのである。ゲーリッグはその後、試合に出場することなく引退することになってしまった。
1939年7月4日、ヤンキースタジアムに集まった6万2000人のファンの前で引退の式典が盛大に行われた。ルースを始めとするかつての仲間達も集まり、ゲーリッグの花道を飾った。ゲーリッグ自身もマイクを前に、これまでの感謝の気持ちを述べ、多くのファンの心を揺さぶった。最後には「私は地上で最も幸せな男です」と付け加えた。そのゲーリッグに歩み寄り、肩を抱いたのは共に一時代を築いたルースであった。
感動的な引退式典から2年後、37歳の若さで他界したゲーリッグ。背番号4は史上初の永久欠番となり、当然のように殿堂入りも果たしている。メジャー17年間のキャリアで通算記録は、打率.340、493HR、1995打点である。2130試合連続出場という記録はカル・リプケンに抜かれてしまったが、記録はいずれは抜かれるものである。ゲーリッグの野球に対する紳士な姿勢は、確実に現代のメジャーリーグに伝えられているといっても過言ではない。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 打者三冠王:1回(1934-AL)
- 首位打者:1回(1934-AL)
- 本塁打王:3回(1931-AL、1934-AL、1936-AL)
- 打点王:5回(1927-AL、1928-AL、1930-AL、1931-AL、1934-AL)
受賞アワード一覧
- シーズンMVP:2回(1927-AL、1936-AL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1923 NYY 13 26 6 11 4 1 1 9 5 2 0 .464 .769 .423 1924 NYY 10 12 2 6 1 0 0 5 3 1 0 .538 .583 .500 1925 NYY 126 437 73 129 23 10 20 68 49 46 6 .365 .531 .295 1926 NYY 155 572 135 179 47 20 16 112 73 105 6 .420 .549 .313 1927 NYY 155 584 149 218 52 18 47 175 84 109 10 .474 .765 .373 1928 NYY 154 562 139 210 47 13 27 142 69 95 4 .467 .648 .374 1929 NYY 154 553 127 166 32 10 35 126 68 122 4 .431 .584 .300 1930 NYY 154 581 143 220 42 17 41 174 63 101 12 .473 .721 .379 1931 NYY 155 619 163 211 31 15 46 184 56 117 17 .446 .662 .341 1932 NYY 156 596 138 208 42 9 34 151 38 108 4 .451 .621 .349 1933 NYY 152 593 138 198 41 12 32 139 42 92 9 .424 .605 .334 1934 NYY 154 579 128 210 40 6 49 165 31 109 9 .465 .706 .363 1935 NYY 149 535 125 176 26 10 30 119 38 132 8 .466 .583 .329 1936 NYY 155 579 167 205 37 7 49 152 46 130 3 .478 .696 .354 1937 NYY 157 569 138 200 37 9 37 159 49 127 4 .473 .643 .351 1938 NYY 157 576 115 170 32 6 29 114 75 107 6 .410 .523 .295 1939 NYY 8 28 2 4 0 0 0 1 1 5 0 .273 .143 .143 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2164 8001 1888 2721 534 163 493 1995 790 1508 102 .447 .632 .340
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:7回(1933-AL~1939-AL)
- 世界一経験:6回(1927-NYY、1928-NYY、1932-NYY、1936-NYY~1938-NYY)
- 殿堂入り:1939年(ベテランズ委員会)
- 永久欠番:#4(Yankees)
-
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