- 2009-06-12 (金) 0:07
- MLB Players

#17 マーク・グレース(Mark GRACE) | 1B

- 1985年6月ドラフト・カブス24位(全米622番目)
- 1964年6月28日生 左投左打 188センチ 86キロ
- ノースカロライナ州出身
選手の紹介文
卓越した打撃技術と堅実なファーストの守備力で、1990年代を代表する選手のマーク・グレース。中距離打者としてヒットを打ち重ね、年齢と共に円熟味が加わってきた。カブスに全てを捧げるはずが、晩年にダイヤモンドバックスへのFA移籍を決断。この決断は創立間もない球団の世界一という形で実を結んだのである。
タバコで有名なノースカロライナ州ウィンストンセーラムに生まれたグレース。やがて一家はセントルイスを経てカリフォルニア州タスティンに移るが、若きグレース少年は野球とバスケットボールの選手として高校時代を過ごすこととなる。野球ではキース・ヘルナンデス、バスケでは地元レイカーズの英雄、マジック・ジョンソンがお気に入りだったという。
タスティン高校を卒業したグレースは短大を経て、サンディエゴ州立大学に編入。1984年ドラフトではツインズから15位指名(全米316番目)を受けるが、これを拒否。翌1985年ドラフトでカブスから24位指名(全米622番目)を受けて、プロ入りを決めた。ドラフトの指名順位こそ低かったが、グレースが自らの評価を高めるのに時間はかからなかった。
1986年、1Aピオリアでプロとしてのキャリアをスタートさせたが、126試合の出場で打率.342をマークして、いきなりこのリーグの首位打者となった。翌1987年には2Aピッツフィールドへと舞台を移すと、123試合に出場して打率.333、17HR、101打点という好成績で打点王となった。このリーグのMVPにも輝くなど、順調な成長曲線を描いた。
グレースの快進撃は留まることを知らず、1988年には早くもカブスのスプリングトレーニングに呼ばれたのである。開幕こそ3Aアイオワで迎えるが、5月には待望のメジャー昇格。そして、いきなりファーストのポジションを確保したグレースは、134試合に出場し、打率.296、7HR、57打点という好成績を残し、新人王投票では2位にランクインしている(ちなみに新人王はクリス・セイボー)。
1989年、終始安定した打撃を見せ、結果としては142試合の出場で打率.314、13HR、79打点をマーク。この年のカブスはドン・ジマー監督を筆頭に、ライン・サンドバーグやアンドレ・ドーソンなどの打撃陣に加え、リック・サトクリフ、若いグレッグ・マダックスを始めとする投手陣が噛み合い、シーズン93勝を挙げて地区優勝を果たしている。
そして、迎えたリーグチャンピオンシップシリーズ(対ジャイアンツ)では、第1戦で相手先発スコット・ギャレルツから粘ったあげくにHRを放ったグレース。シリーズは本拠地リグレーフィールドでの1勝1敗とした後、敵地で3連敗。しかも3連敗の内容が全て1点差、2点差の僅差の試合であり、競い合う力なくカブスは敗れ去ってしまった。その中でグレースは打率.647(17打数11安打)と驚異の数字を残したのである。持ち前の勝負強さは十二分に発揮したと言える。
1990年からも、グレースの打撃は安定した成績を残すようになる。1999年までの10シーズンで、3割を切ったシーズンはわずかに2回(1991年の打率.273、1994年の打率.298)。毎年平均170本以上のヒットを放ち、その優れた打撃技術は万人が認めるものとなった。課題だった一塁の守備も徐々に向上し、1992年には念願のゴールドグラブ賞を受賞。以来1993年、1995年、1996年と同賞を獲得し、リーグ随一のファーストとしての評価までも得るに至ったのだ。
グレースはまた、1992年に開催された日米野球のMLBオールスターチームの一員として来日している。ロジャー・クレメンスやケン・グリフィー・ジュニア、またセシル・フィルダーなどの豪華メンバーの中でもグレースの存在はかすむことなく、東京ドームで行われた初戦(対巨人)、そして平和台球場で行われた第6戦(対全日本)でHRを放つ活躍を見せて、最優秀選手賞を獲得。日本の野球ファンにも、その実力を大いにアピールした。
だがグレースは決して満足してはいなかった。野球選手の夢・ワールドシリーズへの出場は遠のくばかりであったからだ。1989年の地区優勝を最後に、チーム成績の低迷、繰り返される監督交替劇、そして優勝には絶対不可欠な戦力であるエースのマダックスをみすみす手放してしまうなど、失望する事ばかりがチームの中で起きていった。そんな中、サンドバーグ達も第一線を退き、グレースは文字通りチームの大黒柱としての地位を確立していったのである。
やがてカブスに新しいスーパースターが登場した。サミー・ソーサである。1998年、マーク・マグワイアとの歴史に残るHR競争を演じ、世界にその名を轟かしたソーサの活躍が、カブスを再び強豪の地位に引き上げていったのだ。また、ケリー・ウッドというイキのいい投手もデビューし、ワイルドカードでの久々のポストシーズン進出を果たしたカブス。しかし、ディビジョンシリーズではブレーブスと対戦し、いきなりの3連敗でシーズン終了。またしても悲願達成はならなかった。皮肉にも最後の第3戦でカブスの息を止めたのは、かつてのエースだったマダックスであった。
1999年になると、チームは投手陣のけが人続出などで再び沈んでいく。そんな中、グレースの打撃は相変わらず好調で打率.309、183安打と5年連続3割を達成した。そして翌2000年、カブスはメッツと共に史上初の日本開幕戦に臨んだ。この試合、5対3でカブスが勝ったが、グレースはまたも東京ドームで本塁打を放ち、日本との相性のよさを見せてくれた。連続3割こそ遂に途切れてしまったが(.280)、通算1000打点を記録するなど、区切りのシーズンでもあった。
しかし、この年がカブスの至宝であるグレースにとってシカゴで過ごす最後のシーズンとなった。2000年のシーズン終了後、カブスはグレースと再契約しない事を明らかにした。ファンは残留を強く希望したが、この決定が覆ることは無かった。確かに安打数と打率こそ下がったものの、二塁打は41本と相変わらず多く、三振が28個と少ない上に四球は自己最多の95個を選んでいたわけだから、グレースが相手チームにとって厄介な存在であることに全く変わりは無かったのにもかかわらず、である。
2001年、FAとなったグレースはダイヤモンドバックスへの移籍を決めた。カブス一筋に過ごしたグレースにとって、野球人生最大の決断であったことだろう。しかしこの決断が吉と出る。ランディ・ジョンソン、カート・シリングの超強力2本柱を要するダイヤモンドバックスはシーズン92勝を挙げて西地区を制覇した。
ポストシーズンに入っても、ディビジョンシリーズ(対カージナルス)、リーグチャンピオンシップシリーズ(対ブレーブス)を制し、ついに悲願のリーグ優勝を果たした。グレースにとって14年間待ち続けた初のワールドシリーズ出場となり、さらにダイヤモンドバックスにとっても球団創設4年目という史上最速の快挙となった。また、かつてのチームメイトであり、また宿敵でもあったマダックスとは、リーグチャンピオンシップシリーズの第1戦、第4戦と先発してきたが連破している。
そして迎えたワールドシリーズ、前年まで3年連続世界一という王者ヤンキースを相手に2連勝後に3連敗。特に第4戦、第5戦と劇的な敗北を立て続けに喫したダイヤモンドバックスだが、ひるむことなく地元バンクワンボールパークに戻った第6戦に勝利し、逆王手を果たした。そして第7戦、ワールドシリーズ史上に残る大死闘となった。シリング、そしてジョンソンの鬼神のごとき投球に観客は燃え、打撃陣も期待に応えたのである。
1対2とヤンキースが1点リードして迎えた9回裏、ダイヤモンドバックス最後の攻撃。しかも、マウンドにはヤンキースの絶対的な守護神マリアーノ・リベラがいた。ヤンキースの必勝形である。暗雲が立ちこめる中、先頭打者はグレースだった。そのグレースは見事なセンター前ヒットで出塁し、ファンのわずかな期待をつないだ。そして、トニー・ウォーマックが同点打、さらにルイス・ゴンザレスが詰まりながらもヒットを放ち、遂にサヨナラ勝ち。歓喜の渦に包まれるバンクワンボールパーク。その中に老雄グレースの姿があった。ワールドシリーズ初出場ながら、遂に勝ち得た世界一の座であった。
2002年、開幕序盤からスランプに苦しみ、スタメンを外れる日も続いた。終わってみると124試合の出場で打率.252、7HR、48打点という数字に終わってしまった。翌2003年は左肘の状態が思わしくなく、わずか66試合の出場に留まっている。そしてこの年限りでの現役引退を発表。世界一を経験後、急激に衰えた感はあるが、メジャーでの通算成績は打率.303、2445安打、173HR、1146打点というものである。
グレースはファンに愛される選手でもあった。2001年5月、移籍後初めて、かつての古巣リグレーフィールドに戻ると、その打席でカブスファンからの惜しみないスタンディングオベーションを受けた。それは彼に対するファンからの変わらぬ親愛の証であり、グレースがカブスで積み重ねたことに対するささやかなお返しでもあった。
負け越しのシーズンが続いてそこに希望が無いように見えても、グレースは何時も諦めず、闘志を燃やし続けた。グレースこそが、リグレーフィールドに何時も小さな明かりを灯しつづけた男であることを、ファンは決して忘れてはいなかったのである。マーク・グレース。甘く、美しい響きを持つ名前は多くのファンに「アメージング・グレース」を与えたのだ。
【written by ダイスポ&Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
- ゴールドグラブ賞:4回(1992-NL、1993-NL、1995-NL、1996-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1988 CHC 134 486 65 144 23 4 7 57 43 60 3 .371 .403 .296 1989 CHC 142 510 74 160 28 3 13 79 42 80 14 .405 .457 .314 1990 CHC 157 589 72 182 32 1 9 82 54 59 15 .372 .413 .309 1991 CHC 160 619 87 169 28 5 8 58 53 70 3 .346 .373 .273 1992 CHC 158 603 72 185 37 5 9 79 36 72 6 .380 .430 .307 1993 CHC 155 594 86 193 39 4 14 98 32 71 8 .393 .475 .325 1994 CHC 106 403 55 120 23 3 6 44 41 48 0 .370 .414 .298 1995 CHC 143 552 97 180 51 3 16 92 46 65 6 .395 .516 .326 1996 CHC 142 547 88 181 39 1 9 75 41 62 2 .396 .455 .331 1997 CHC 151 555 87 177 32 5 13 78 45 88 2 .409 .465 .319 1998 CHC 158 595 92 184 39 3 17 89 56 93 4 .401 .471 .309 1999 CHC 161 593 107 183 44 5 16 91 44 83 3 .390 .481 .309 2000 CHC 143 510 75 143 41 1 11 82 28 95 1 .394 .429 .280 2001 Ari 145 476 66 142 31 2 15 78 36 67 1 .386 .466 .298 2002 Ari 124 298 43 75 19 0 7 48 30 46 2 .351 .386 .252 2003 Ari 66 135 13 27 5 0 3 16 15 16 0 .279 .304 .200 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2245 8065 1179 2445 511 45 173 1146 642 1075 70 .383 .442 .303
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:3回(1993-NL、1995-NL、1997-NL)
- 世界一経験:1回(2001-Ari)
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Tags :
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Comments:1
- JamesD 09-06-12 (金) 2:03
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Thanks for the useful info. It’s so interesting
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