- 2009-05-12 (火) 0:02
- MLB Players
#30 マーク・マルダー(Mark MULDER) | SP

- 1998年6月ドラフト・アスレティックス1位(全米2番目)
- 1977年8月5日生 左投左打 198センチ 90キロ
- イリノイ州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2006 StL 17 17 0 0 6 7 0 93.1 124 50 35 77 74 7.14 2007 StL 3 3 0 0 0 3 0 11.0 22 3 7 17 15 12.27 2008 StL 3 1 0 0 0 0 0 1.2 4 2 2 2 2 10.80 ----------------------------------------------------------------------------- Total 205 205 25 10 103 60 0 1314.0 1352 834 412 657 611 4.19
選手の紹介文
かつてはメジャーリーグを代表する左腕投手だったマーク・マルダー。カージナルス移籍後は左肩を痛めた影響でマウンドに上がる機会が徐々に減っていった。現在は契約も切れ、FAの立場である。長身から140キロ台の速球に多彩な変化球を投げていた投球を取り戻すことが出来るだろうか。
イリノイ州に生まれたマルダーは、生まれつき抜群な運動能力に恵まれた。それは野球に留まらず、バスケットボール、サッカー、ゴルフにしても才能の片鱗を見せている。その中で野球を選んだマルダーはリトルリーグでプレーしながら、近くに本拠を構えていたホワイトソックスに熱中した。好きな選手はハロルド・ベインズ、フランク・トーマスらだった。
高校時代はファーストを守りながらの打撃力に注目が集まる一方、130キロ台の速球とカーブを中心に投げる左腕投手としても期待されていた。卒業時には打撃力を買う形で、タイガースから55位指名(全米1455番目)を受けるが、それを拒否して大学進学の道を選んだ。この決断が投手としての可能性を開かせるきっかけになったのである。
名門ミシガン州立大学へ進学したマルダーは投手として、ファーストとして、時には指名打者としてチームを代表する存在となった。そんな中で学業において数学で落第点をとるというへまをしてしまい、試合に出ることが出来ない時期があったのである。この間にウェイトトレーニングに汗を流したマルダーは、投手としての体力が身に付き、球速も驚くほど速くなった。いわゆる人生の分岐点となった落第点であった。
試合に出場できるようになってからは、これまで以上に投打でフル回転の活躍を見せる。打ってはチームトップの打率を記録し、投手としても大学球界を代表する投手の一人として数えられたのである。この年の夏から投手に専念することになり、7勝2敗4セーブ、防御率2.26という結果を残した。多くのスカウトがマルダーを見るために駆けつけたのは言うまでもない。
198センチという長身から繰り出される150キロ台の速球に加え、大きく曲がるカーブにチェンジアップを加えた投球はマウンドに立つたびにその評価を高めていった。迎えた1998年ドラフトで、マルダーは全米2番目の指名権を持つアスレティックスから指名を受けたのである(ちなみにこの年の全米1番目指名はフィリーズによるパット・バールだった)。
しかし、アスレティックスとマルダーの交渉は困難を極め、ようやく交渉がまとまった時、季節は秋になっていた。アスレティックスがこの時、マルダーに支払った契約金は当時としてはチーム史上最高額となる320万ドルである。契約後にアリゾナの秋季リーグに5試合だけ登板したのがプロとしてのデビューであった。
1999年、開幕は3Aバンクーバーで迎えた。即メジャーということも考えられたが、マルダーの将来を考えあえてマイナー経験させる道を選んだのである。しかし、3Aでは故障もあり、思うような成績が残せないでいた。そうでありながらもオールスターゲームの前座であるフューチャーゲームのアメリカ代表に選出される。3番手としてマウンドに上がったマルダーはアルフォンゾ・ソリアーノにHRを打たれるなど、5安打5失点という散々な内容で2つのアウトしかとれず、負け投手となってしまった。
結局、3Aでは22試合の先発で6勝7敗、防御率4.06と不本意な成績に終わったが、マルダーの実力が発揮されたのは、3Aのワールドシリーズだった。このシリーズで2試合に先発したマルダーは計16回を投げ、1勝0敗の防御率2.87という成績を残し、チームの世界一に貢献した(このシリーズでMVPとなったのは、翌2000年の新人王次点となるテレンス・ロングであった)。
2000年も開幕は3Aでのスタートだったが2試合に投げただけで、メジャーからお呼びがかかることになる。メジャー初登板となった4月18日の対インディアンズ戦では、6回を5安打4失点という内容ながらもメジャー初勝利を手にした。このまま先発ローテーションに定着したマルダーは27試合の先発で9勝10敗、防御率5.44という成績に終わっている。シーズン終盤には腰を痛めたこともあり、不本意な結果だったといえる。
2001年は、前年に20勝をあげたティム・ハドソン、マルダーと同じ左腕のバリー・ジートと共に若手3人で開幕からローテーションを形成。マルダーは5月2日の対ブルージェイズ戦において、メジャー初完封を記録。さらに5月19日のホワイトソックス戦では、7回2死までノーヒッターに抑える好投を見せた。また7月には、この月だけで3度も完封勝利を記録するなど、実力を遺憾なく発揮している。
シーズン通しては34試合に先発し、21勝8敗、防御率3.45、153奪三振という成績で、最多勝のタイトルを獲得。サイヤング賞投票ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位に付けている。なお、チームは開幕ダッシュに失敗したが、後半戦に入ってからは破竹の連勝街道を走り、ダントツでワイルドカードの座を奪い、ポストシーズンへと駒を進める原動力にもなっている。マルダーは自身初となるポストシーズンのマウンドにも立った。
ディビジョンシリーズ(対ヤンキース)の第1戦に先発したマルダーは、6回1/3を投げて7安打1失点に抑えて勝利投手となった。しかし、土壇場でのヤンキースの勢いに押され、2連勝2連敗で迎えた第5戦、先発したマルダーは5回途中までで4点を奪われてしまいKO。こうしてマルダーの2001年シーズンは終わった。しかし、シーズン終盤に4年間1420万ドルという契約延長に合意するなど、球団の期待は非常に大きいものだった。
2002年、開幕直後の4月半ばから約1ヶ月、故障者リスト入りしてしまったマルダー。5月に復帰後も最初は結果は残せなかったが、5月末から7連勝を飾り、前半戦だけで10勝(5敗)を挙げた。結果としては30試合の先発で19勝7敗、防御率3.47、159奪三振という数字を残した。チームメイトのジートが23勝を挙げる活躍もあり、この年のアスレティックスはシーズン103勝を挙げて地区優勝を果たしている。しかし、ディビジョンシリーズ(対ツインズ)は、マルダーが2試合に登板して防御率2.08に抑えながらも次のステージに進むことは出来なかった。
2003年も開幕序盤から白星を重ねていき、前半戦だけで12勝(6敗)を挙げたマルダーは自身初となるオールスターゲームのメンバーにも選出された。着実に白星を重ねる中で、8月半ばに体調を崩したことで離脱。そのままシーズンを終えてしまったが、26試合の先発で15勝9敗、防御率3.13、128奪三振という数字を残している。26試合で15勝という白星の挙げ率は、アスレティックス史上では1906年のエディ・プランク(26試合で19勝)以来の高比率である。
2004年は前半戦こそ12勝(2敗)と好調だったが、後半戦は5勝(6敗)と失速。シーズン通しては33試合の先発で17勝8敗、防御率4.43という数字に終わっている。戦力が揃いながらもポストシーズンを勝ち抜けないチームを変える必要があり、オフにはマルダーの放出が決まった。移籍先は左腕先発投手を必要としていたカージナルスであり、ダン・ヘイレンらとの交換トレードがまとまったのである。
カージナルスの一員として迎えた2005年、唯一の先発左腕として安定感を見せたマルダー。32試合に先発して16勝8敗、防御率3.64、111奪三振という数字を残した。チームメイトのクリス・カーペンターが21勝(5敗)を挙げれば、ジェフ・スパーンは16勝(10敗)、マット・モリスも14勝(10敗)、ジェイソン・マーキーも13勝(14敗)と盤石な投手陣を擁し、カージナルスはシーズン100勝を挙げて、地区優勝を飾ったのである(惜しくもリーグチャンピオンシップシリーズでアストロズの前に敗れたが)。
2006年、6月後半に左肩の痛みから故障者リスト入りしたマルダー。8月に一時復帰するが、再度故障者リスト入りし、そのままシーズンを終えてしまった。9月には左肩手術を決断し、この年世界一になる瞬間をチームメイトと共に味わうことは出来なかったのである。2001年から連続シーズン15勝以上の記録は5年でストップすることになった点が惜しまれる。
2007年は、開幕前に2年間1300万ドルでカージナルスと契約延長に合意。完全復活に大きな期待がかかっていたが、左肩の状態が悪く、メジャー復帰は9月になってからのことで、以前までの投球は全く見せられなかった(3試合に先発して、0勝3敗の防御率12.27)。翌2008年も全く振るわず、6月末からの3試合に登板するだけで離脱(防御率は10.80)。そのままシーズンを終えることとなり、そのまま解雇される形となったのである。とはいえ、まだ31歳ということもあり、復活に期待がかかる。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 最多勝:1回(2001-AL)
受賞アワード一覧
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2000 Oak 27 27 0 0 9 10 0 154.0 191 88 69 106 93 5.44 2001 Oak 34 34 6 4 21 8 0 229.1 214 153 51 92 88 3.45 2002 Oak 30 30 2 1 19 7 0 207.1 182 159 55 88 80 3.47 2003 Oak 26 26 9 2 15 9 0 187.2 180 128 40 66 65 3.13 2004 Oak 33 33 5 1 17 8 0 226.2 223 140 83 119 111 4.43 2005 StL 32 32 3 2 16 8 0 205.0 212 111 70 90 83 3.64 2006 StL 17 17 0 0 6 7 0 93.1 124 50 35 77 74 7.14 2007 StL 3 3 0 0 0 3 0 11.0 22 3 7 17 15 12.27 2008 StL 3 1 0 0 0 0 0 1.2 4 2 2 2 2 10.80 ----------------------------------------------------------------------------- Total 205 205 25 10 103 60 0 1314.0 1352 834 412 657 611 4.19
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:2回(2003-AL、2004-AL)
- 世界一経験:1回(2006-StL)
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