- 2008-06-01 (日) 9:56
- MLB Players

#* ミッキー・カクレーン | C

- 1924年・アスレティックスと契約
- 1903年4月6日生 右投左打 179センチ 82キロ
- マサチューセッツ州出身
選手の紹介文
強肩強打の捕手として名の知られるミッキー・カクレーン。クレバーなリードとダイナミックなプレーで投手を盛り上げるカクレーンは、メジャーリーグ史上ナンバー1捕手といっても決して過言ではない。また、カクレーンの通算打率.320は、捕手として歴代1位となる大記録である。
カクレーンは大学時代から俊敏な運動神経を遺憾なく発揮し、野球以外にもフットボールやボクシングなどに実力を見せた。特筆すべきは選手としての才能は元より、リーダーシップにも恵まれ、コーチやトレイナーとしてもチームを引っ張る活躍を見せたことである。
メジャーリーグのマイナーチームへ入団したカクレーンを悩ませたのは守備であった。強肩強打という持ち味をうまく生かすことが出来なかったが、そこは持ち前のガッツで乗り切った。頭角を現したのは1924年のことである。
アスレティックスの名物オーナーであり名物監督であるコニー・マックが、自分のチームの正捕手の故障により、新しい捕手を捜さなくてはいけなくなり、そこで白羽の矢が立ったのがカクレーンだった。カクレーンの獲得に動いたマックに提示されたのが10万ドルという移籍金である。当時の10万ドルといえば大金であった。
この後にベーブ・ルースの年俸がアメリカ大統領よりも高い8万ドルとなり、話題にもなったが、それよりも前の話である。それでもマックは10万ドルを支払い、カクレーンを獲得。さらにカクレーンの所属していたチームの値段が12万ドルと聞き、マックはそのチームも買ってしまったのである。
新人選手の獲得に大金がかかることにチーム内からの批判があったが、カクレーンは実力でその批判をはねつけた。メジャー1年目となる1925年、134試合に出場して、打率.331をマークして正捕手の座を自らのものとした。この年、1試合3HRを記録するなど高い打撃能力も見せている。
当時のアスレティックスは長い低迷期の途中ではあったが、カクレーンを始めとして、アル・シモンズ、ジミー・フォックス、レフティー・グローブなど、後に殿堂入りを果たす大選手が徐々に台頭しつつある状況にあった。
1927年には選手生活の晩年に移籍してきたタイ・カッブを加えたアスレティックス。カッブ(右翼手)、シモンズ(中堅手)、ザック・ウィート(左翼手)、フォックス(一塁手)、サイ・パーキンス(二塁手)、グローブ(投手)にカクレーンとラインナップに7人の殿堂入り選手が名を連ねたこともあったという。
1928年、131試合に出場して、打率.293、10HR、57打点を記録したカクレーン。チームはリーグ2位に終わったが、守備面で評価が認められ、リーグMVPを獲得。そして翌1929年、チームは15年ぶりの優勝を果たす中、カクレーンは打率.331、7HR、95打点をマークした。カブスとのワールドシリーズも制して世界一の美酒を味わうことになる。
1929年から3年連続優勝を果たしたアスレティックスの中で、カクレーンは1930年にはキャリア最高の打率.357をマーク。1932年にも23HR、112打点をマークするなど、その地位を確固たるものとした。すでにマックからの信頼も厚かったカクレーンだが、年俸の高騰がチームの財政を苦しめつつある状況にあった。
そして、1934年から移籍金10万ドルでタイガースへ移籍することが決まった。当時のタイガースは監督不在であり、カクレーンに求められたのは監督兼選手としての働きである。もっともタイガースとしてはベーブ・ルースを監督として迎えようとして、結果的にカクレーンを選んだ経緯があるという。しかし、結果的にカクレーンを選択したことは間違っていなかった。
カクレーンの加入はタイガースの雰囲気を変えた。開幕前に優勝宣言するなど、周囲はにぎやかだった。そして、カクレーンは口だけでなく見事に結果を出した。前年、リーグ5位だったチームを24年ぶりとなるリーグ優勝に導いたのである。優勝候補であったヤンキースに7ゲーム差をつけての見事な優勝である。カクレーン自身も打率.320をマークして、2度目のMVPを受賞した。三冠王を獲得したルー・ゲーリッグを差し置いてのMVPは非常に価値がある。
カージナルスとのワールドシリーズは3勝4敗で惜しくも世界一は逃したが、翌1935年にもリーグ優勝を果たすと、カブスとのワールドシリーズを4勝2敗を制し、デトロイトに世界一をもたらした。
捕手としてだけではなく監督としても名声を手にしたカクレーン。限りなく明るい未来が待っていると思われたが、1937年5月25日、頭部に死球を受けてしまい、これがカクレーンの未来に大きな影を落とした。
頭蓋骨骨折し、10日間も生死の境をさまようほどの重傷だった。無事に球場には戻ることは出来たが、全盛期の輝きを見せられなかった。一つの死球がカクレーンの選手として、さらに監督としての未来を奪ってしまったのである。そして、1938年途中、現場を退くこととなった。カクレーンのあまりにも早い引退は非常に悔やまれる。
引退後は海軍で少佐をつとめ、その後はアスレティックスのコーチやスカウト、タイガースの副会長として野球界に名を残した。殿堂入りを果たしたのは1947年のことである。
カクレーンは全盛期真っ直中の1931年、メジャーリーグ選抜として来日を経験している。すでに野球には大きな関心が持たれていた日本ではあったが、当時はまだプロ野球が誕生していない状況である中、捕手としてのカクレーンのプレーは注目を浴びたという。
ちなみにカクレーンに憧れたオクラホマ州出身の男が、自らの息子に「ミッキー」と名付けた。その子供が後に「史上最高のスイッチヒッター」と呼ばれるミッキー・マントルである。カクレーンを彩る有名なエピソードの一つである。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1925 PhA 134 420 69 139 21 5 6 55 19 44 7 .397 .448 .331 1926 PhA 120 370 50 101 8 9 8 47 15 56 5 .369 .408 .273 1927 PhA 126 432 80 146 20 6 12 80 7 50 9 .409 .495 .338 1928 PhA 131 468 92 137 26 12 10 57 25 76 7 .395 .464 .293 1929 PhA 135 514 113 170 37 8 7 95 8 69 7 .412 .475 .331 1930 PhA 130 487 110 174 42 5 10 85 18 55 5 .424 .526 .357 1931 PhA 122 459 87 160 31 6 17 89 21 56 2 .423 .553 .349 1932 PhA 139 518 118 152 35 4 23 112 22 100 0 .412 .510 .293 1933 PhA 130 429 104 138 30 4 15 60 22 106 8 .459 .515 .322 1934 Det 129 437 74 140 32 1 2 76 26 78 8 .428 .412 .320 1935 Det 115 411 93 131 33 3 5 47 15 96 5 .452 .450 .319 1936 Det 44 126 24 34 8 0 2 17 15 46 1 .465 .381 .270 1937 Det 27 98 27 30 10 1 2 12 4 25 0 .452 .490 .306 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1482 5169 1041 1652 333 64 119 832 217 857 64 .419 .478 .320
受賞タイトル一覧
- MVP2回(1928、1934)
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