- 2009-02-05 (木) 0:06
- MLB Players
#11 マイク・ハンプトン(Mike HAMPTON) | SP

- 1990年6月ドラフト・マリナーズ6位(全米157番目)
- 1972年9月9日生 左投右打 178センチ 81キロ
- フロリダ州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2004 Atl 29 29 1 0 13 9 0 172.1 198 87 65 86 82 4.28 2005 Atl 12 12 1 1 5 3 0 69.1 74 27 18 28 27 3.51 2008 Atl 13 13 0 0 3 4 0 78.0 83 38 28 45 42 4.85 ----------------------------------------------------------------------------- Total 388 334 21 9 141 105 1 2152.0 2239 1310 854 1086 958 4.01
選手の紹介文
満足に投げられないシーズンが続いているマイク・ハンプトン。かつて飛躍を果たしたアストロズに戻り、2009年での復活が待たれるところである。目を見張るような剛速球があるわけではなく、針の穴を通すコントロールもあるわけではないが、低めに丹念にボールを集める粘り強いピッチングでゴロの山を築きあげるのが特徴である。メジャーリーグの中では小柄だが、投手顔負けの力強い打撃も注目されていた。
父親がリトルリーグのコーチを務めていた関係もあり、物心つく頃から野球を始めていた。才能を見せたのは野球だけでなく、フットボールでも素晴らしい才能を発揮するアスリートだった。そのハンプトンは1990年にマリナーズからドラフト6位で指名された。その年、いきなりルーキーリーグで14試合に登板し、リーグトップの7勝(2敗)をマークしている。
1991年は1Aサンバナディーノでノーヒッターを達成したハンプトン。翌1992年はランクが上の1Aで25試合に先発し、13勝8敗、防御率3.12、132奪三振という好成績を挙げた。完投数は6試合、完封数は2試合を数えるなど、タフな投球をこの時点で見せていたのである。
1993年は念願かなって開幕メジャーの名誉を手にした。しかし13試合に登板し、1勝3敗の防御率9.53という内容に終わってしまい、2Aジャクソンビルへ降格してしまう。2Aでは15試合に登板し、6勝4敗の防御率3.71を記録した。わずかな期間のメジャー体験だったが、当時のマリナーズにはランディ・ジョンソンという大エースがおり、同じサウスポーということからハンプトンは多くのことを学んだという。しかし、この年のオフにアストロズへのトレードが決まってしまった。
アストロズに移って1年目の1994年はセットアッパーとして、1年フルでメジャーに在籍し、44試合に登板した。そしてその実績が認められ、翌1995年から、先発に移った。初めて先発ローテーションに入ったシーズンは、5月半ばから約1ヶ月間、故障者リストに入ってしまったが、24試合に先発し、9勝8敗の防御率3.35という数字を残した。
1996年は27試合に先発し、10勝(10敗)を挙げ初めての2桁勝利を記録。1997年は15勝(10敗)、1998年は11勝(7敗)を記録するなど、毎年コンスタントに2桁勝てる投手になっていった。特に1998年シーズンの後半からは、かつてのチームメイトであるジョンソンが加入し、2年連続の地区優勝も勝ち取っている(しかし、ポストシーズンではいずれもディビジョンシリーズで敗退しており、ハンプトンも結果を残していない)。
こうして迎えた1999年、ハンプトンの持ち味である打たせて取るピッチングが冴えわたり、38個もの併殺打の山を築く。シーズン最終日の10月3日、対ドジャース戦に中3日で先発したハンプトンは、7回を1失点に抑える好投で、チームに3年連続の地区優勝をもたらした。結局、この年は22勝4敗、防御率2.90と全てにおいてキャリア最高のシーズンとなった。21勝をマークしたホゼ・リマと共に20勝コンビを達成したのもこの年である。
ポストシーズンでは3年連続でディビジョンシリーズ敗退と振るわなかった。投手ハンプトンとしてピッチングもさることながら、バッティングも評価が高く、この年には打率.311をマークし、シルバースラッガー賞を獲得。さらにメジャーの投手としては24年ぶりにシーズン3本の3塁打を記録している。また、28年ぶりの20勝と3割を同時達成した選手になっている。
しかし、シーズン22勝をマークしながら、サイヤング賞の投票ではジョンソンに24ポイント及ばず、2位に終わった。そして、アストロズがハンプトンと長期契約を結ぶ意志がないことを知るや、球団に移籍志願。こうして2000年からはメッツへ移籍することが決まった。交換相手としては、若いオクタビオ・ドーテル、ロジャー・セデーニョを放出してまで、左のエースであるハンプトンを手に入れた。エース不在と言われていたメッツにとって、ハンプトンの加入は大きな力になったのである。
2000年の開幕は日本で開催され、ハンプトンは開幕投手に任命された。開幕戦こそはふがいないピッチングだったが、その後は安定感を取り戻した。33試合の先発で15勝10敗、防御率3.14という成績を残したが、特に本拠地シェイスタジアムでは11勝(4敗)、防御率2.05と安定感を見せた。また投手として20本のヒットを記録したが、これは球団史上、ドワイト・グッデンの持つ球団記録(21本/1985年)にあと1本と迫るものだった。
この年のメッツはワイルドカードとしてポストシーズンに進出を果たすと、ディビジョンシリーズ(対ダイヤモンドバックス)では結果を残せなかったが、続くリーグチャンピオンシップシリーズ(対カージナルス)では、第1戦と第5戦のマウンドに立ち、16イニングを無失点に抑えて2勝を挙げた。特にズ第5戦では、カージナルス打線から散発3安打の完封勝利を果たし、メッツのリーグ優勝に大きく貢献したのである(ワールドシリーズではヤンキースの前に敗れてしまった)。
2000年オフにはFAとなってしまうため、シーズン中からメッツからは契約延長の申し出が常にあった。しかし、元々はフロリダ生まれのカントリーボーイであるハンプトンは、子供の教育問題もあり、2001年以降のニューヨークでのプレーは考えにくかった。こうして2001年のオフに晴れてFAを宣言したハンプトンの元に幾多の球団が食指を伸ばす。
ブレーブスやカージナルス、メッツ、カブスなどがこの候補として上がったが、そんな中でハンプトンが選んだのがロッキーズである。この決断は周囲を驚かせた。というのもロッキーズの本拠地は打者天国と言われるクアーズフィールドであるからである。この決断にはハンプトン自身がチームの将来性を図ったこともひとつの原因であるそうだ。両者が契約を交わしたのが、ウインターミーティング初日のこともあり、この大型契約がマニー・ラミレス、アレックス・ロドリゲスらのさらなる大型契約を呼び出したとも言われている。ロッキーズとは8年間で1億2100万ドルという破格の契約内容であった。
2001年、開幕戦に勝利し、シーズン当初は好調だったが、その後は打ち込まる機会が増えた。終わってみれば、32試合の先発で14勝13敗、防御率5.41と失点が大幅に増えたのである。打者ハンプトンは7本のHRを放ったが、これはドン・ドライスデール(1958、65年)、ドン・ニューカム(1955年)と並ぶリーグタイ記録である。なお、23安打、16打点というのも投手の打撃成績としてはロッキーズの球団記録になっている。
2002年は29試合に先発するものの7勝15敗、防御率6.15とひどい数字を残してしまった。するとオフになるとマーリンズへの移籍が決まった。そしてすぐさまブレーブスへ移籍。この時点で契約が6年間8450万ドルも残っていたが、ロッキーズが1050万ドル、マーリンズが2350万ドルを負担し、ブレーブスは残りの4850万ドルを支払うこととなったのである。
ブレーブスの一員として迎えた2003年、31試合に先発し、14勝8敗、防御率3.84とかつての投球を持ち直した。投手コーチであるレオ・マゾーニの力が尽力したのである。自身初となるゴールドグラブ賞を獲得し、チームメイトであるグレッグ・マダックスの連続ゴールドグラブ賞受賞にストップをかけたのである。さらにシルバースラッガー賞も5年連続で受賞を決めている。
2004年も13勝9敗、防御率4.28という結果を残したハンプトン。かつての勢いを取り戻しつつあったが、2005年は12試合に登板したところで左肘を痛めて離脱。左肘手術に踏み切り、長いリハビリに入る。2006年には膝も手術するなど、マウンドに立つことも出来なかった。結果としてハンプトンが戦線復帰するのは2008年まで待たなければいけなくなった。
約2年半のブランクを経てマウンドに立ったハンプトン。マイナーでのテスト登板を経て、7月26日にようやくメジャー復帰。8月5日のジャイアンツ戦で7回1失点に抑え、3年ぶりのメジャー白星を手にしたのである。オフにFAとなると、古巣アストロズと1年間200万ドルで契約に合意。かつてのハンプトンらしさを取り戻すことが出来るだろうか。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
- 最多勝:1回(1999-NL)
受賞アワード一覧
- ゴールドグラブ賞:1回(2003-NL)
- シルバースラッガー賞:5回(1999-NL~2003-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1993 Sea 13 3 0 0 1 3 1 17.0 28 8 17 20 18 9.53 1994 Hou 44 0 0 0 2 1 0 41.1 46 24 16 19 17 3.70 1995 Hou 24 24 0 0 9 8 0 151.2 141 115 49 73 56 3.35 1996 Hou 27 27 2 1 10 10 0 160.1 175 101 49 79 64 3.59 1997 Hou 34 34 7 2 15 10 0 223.0 217 139 77 105 95 3.83 1998 Hou 32 32 1 1 11 7 0 212.2 227 137 81 92 79 3.36 1999 Hou 34 34 3 2 22 4 0 239.0 206 177 101 86 77 2.90 2000 NYM 33 33 3 1 15 10 0 218.2 194 151 99 89 76 3.14 2001 Col 32 32 2 1 14 13 0 203.0 236 122 85 138 122 5.41 2002 Col 30 30 0 0 7 15 0 179.2 228 74 91 135 122 6.15 2003 Atl 31 31 1 0 14 8 0 190.0 186 110 78 91 81 3.84 2004 Atl 29 29 1 0 13 9 0 172.1 198 87 65 86 82 4.28 2005 Atl 12 12 1 1 5 3 0 69.1 74 27 18 28 27 3.51 2008 Atl 13 13 0 0 3 4 0 78.0 83 38 28 45 42 4.85 ----------------------------------------------------------------------------- Total 388 334 21 9 141 105 1 2152.0 2239 1310 854 1086 958 4.01
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:2回(1999-NL、2001-NL)
-
Tags :
- Newer: Freddy GARCIA(フレディ・ガルシア)
- Older: Tim HUDSON(ティム・ハドソン)
Comments:0
Trackback:0
- TrackBack URL for this entry
- http://circlechange.com/players/mike-hampton/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- Mike HAMPTON(マイク・ハンプトン) from Circle Change



本サイト管理人がコミッショナーを務めるファンタジーベースボールリーグの紹介。メジャーリーグの新しい楽しみ方として定着したこのリーグも2009年で早くも6年目を迎えます。拡大に拡大を重ねて、毎年のように生まれる新しいドラマ。現在、公式サイトを準備中です。