- 2009-06-10 (水) 0:02
- MLB Players

#22 マイク・マセニー(Mike MATHENY) | C

- 1991年6月ドラフト・ブリュワーズ8位(全米209番目)
- 1970年9月22日生 右投右打 191センチ 93キロ
- オハイオ州出身
選手の紹介文
4度のゴールドグラブ賞受賞を誇る名捕手のマイク・マセニー。2000年以降は強いカージナルスの正捕手として活躍した。巧みなリードは投手陣からの評価も非常に高く、強肩も見逃せない。打撃面では課題は多かったが、時折見せる打撃でチームの勝利に貢献。最後は打球を当てた後遺症により、現役を退かなければならなくなった。
オハイオ州に生まれたマセニーは、高校時代には野球とフットボールの両方をプレーし、両方のチームでキャプテンを務めるなど、リーダーシップを兼ね備えた選手として評価を高めていた。大学を経て、1991年ドラフトでブリュワーズから8位指名(全米209番目)を受けてプロ入りを決めたのである。
指名されたその年はルーキーリーグでプレーし、そこから1年1年着実にキャリアを積み重ねていた。1992年には1Aストックトン、1993年は2Aエルパソでそれぞれ正捕手を務めるなど、経験値を高めた。打撃面は打率2割前半と振るわなかったが、守備面では安定感を見せていた。
1994年、ブリュワーズのスプリングトレーニングに参加し、そのまま開幕ロースターに残ることが出来た。4月7日の対アスレティックス戦での代打としての出場がメジャーデビューとなり、この試合でマスクもかぶった。結果的にメジャーと3Aを半々と過ごすことになったわけだが、この時のブリュワーズは正捕手のデーブ・ニルソンの怪我を始めとして怪我人が相次ぐ状態で、マセニーは起用された6人の捕手の1人に過ぎなかった。
1995年、開幕こそ3Aだったが結果を残し、あっさりメジャーに昇格。役割のほとんどは控え捕手としてのものだったが、その中で80試合に出場し、打率.247を記録するに留まっている。翌1996年、開幕スタメンの座を手にしたが、打撃面で安定した数字を残せず、シーズン途中には3Aへの降格も経験した。この年は106試合の出場で、打率はわずか.204だった。
1997年、2年連続で開幕スタメンの座を手にし、その後もメジャーに定着。盗塁阻止率33%はリーグ5位の記録であり、守備率.993もリーグ5位の記録である。本拠地カウンティスタジアムでのレンジャーズとの開幕試合ではケン・ヒルからキャリア2本目となる満塁HRも放った。結局、この年は123試合に出場し、打率.244、4HR、32打点という数字を残している。
1998年は開幕から打撃が好調で、4月の月間打率は.308を記録し、さらにキャリアハイの7試合連続ヒットも記録。しかしその後は怪我もあり、故障者リスト入りも経験。結果的には108試合の出場で打率.237、6HR、27打点と尻すぼみで終わってしまう。そして、オフにFAとなるとブルージェイズと契約した。
ブルージェイズのユニフォームに袖を通した1999年、正捕手の座はダリン・フレッチャーに奪われ、わずか50試合の出場に留まる。しかし、チーム防御率4.92に対し、マセニーがマスクをかぶると防御率を4.33に減らすなど存在はアピールするも、チームの首脳陣を満足させるものではなかった。
そしてカージナルスに移籍した2000年、見事に正捕手の座を掴み、チームの躍進に大きく貢献。高い守備能力とインサイドワークが高く注目され、初のゴールドグラブ賞を受賞した。盗塁阻止率はリーグトップの51%であり、守備率.994もリーグ3位と堂々たるものである。しかし、シーズン終盤に痛恨の怪我で、ポストシーズンへの出場を逃してしまった。
2001年、開幕前に3年間875万ドルという内容で契約延長を果たしたマセニーはこの年もカージナルスの正捕手として、盗塁阻止率45%と強肩は見せつけた。打撃でも勝負強い打撃を見せることがあったが、シーズン通しての打率は.218と非常に厳しい。なお、この年初めてポストシーズンの出場を果たしている(ディビジョンシリーズでダイヤモンドバックスの前に敗れている)。
2002年も投手陣の信頼をバックに正捕手として活躍。それまで捕手を争っていたエリ・マレーロを外野へ追いやるほどの安定感を見せた。ジム・エドモンズ、エドガー・レンテリアなどのゴールドグラブ賞受賞者がいるカージナルスの守備陣を捕手としてまとめた。カージナルスの中地区優勝にも貢献し、ディビジョンシリーズ(対ダイヤモンドバックス)をクリアし、リーグチャンピオンシップシリーズ(対ジャイアンツ)に敗れたが、マセニーjは攻守にチームを牽引した。
2003年は141試合に出場したマセニーは、3年ぶりのゴールドグラブ賞受賞を果たしている。しかし、チームは地区3位に沈んだ。翌2004年はカージナルスがシーズン105勝を挙げる勝ちっぷりで地区優勝を果たす中、マセニーの活躍も目立った。さらにこの年はポストシーズンを勝ち抜き、リーグ優勝も果たしている(惜しくも、ワールドシリーズではレッドソックスの前に敗れた)。ちなみに2002年から2004年までにかけて、252試合連続ノーエラーという捕手としてのメジャー記録も樹立している。
2005年からはFAでジャイアンツへと移籍することになった。3年間1050万ドルという契約内容である。移籍1年目は134試合に出場し、打率.242ながら、キャリアハイとなる13HR、59打点をマーク。チームを跨いで3年連続4度目のゴールドグラブ賞を受賞している。翌2006年は5月末の試合でファールチップを頭に受けてしまい、脳しんとうとなり、その後遺症に苦しめられた。6月以降で試合に出場することはなく、2007年シーズン開幕前に現役引退を発表した。まだ35歳とプレーできる体力は残っていたが、脳しんとうの後遺症が記憶障害を催すなどプレーもままならない状態だったという。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
- ゴールドグラブ賞:4回(2000-NL、2003-NL~2005-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1994 Mil 28 53 3 12 3 0 1 2 13 3 0 .293 .340 .226 1995 Mil 80 166 13 41 9 1 0 21 28 12 2 .306 .313 .247 1996 Mil 106 313 31 64 15 2 8 46 80 14 3 .243 .342 .204 1997 Mil 123 320 29 78 16 1 4 32 68 17 0 .294 .338 .244 1998 Mil 108 320 24 76 13 0 6 27 63 11 1 .278 .334 .238 1999 Tor 57 163 16 35 6 0 3 17 37 12 0 .271 .307 .215 2000 StL 128 417 43 109 22 1 6 47 96 32 0 .317 .362 .261 2001 StL 121 381 40 83 12 0 7 42 76 28 0 .276 .304 .218 2002 StL 110 315 31 77 12 1 3 35 49 32 1 .313 .317 .244 2003 StL 141 441 43 111 18 2 8 47 81 44 1 .320 .356 .252 2004 StL 122 385 28 95 22 1 5 50 83 23 0 .292 .348 .247 2005 SF 134 443 42 107 34 0 13 59 91 29 0 .295 .406 .242 2006 SF 47 160 10 37 8 0 3 18 30 9 0 .276 .338 .231 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1305 3877 353 925 190 9 67 443 795 266 8 .293 .344 .239
キャリアハイライト一覧
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