- 2008-12-03 (水) 0:09
- MLB Players

#31 マイク・ピアザ(Mike PIAZZA) | C

- 1988年6月ドラフト・ドジャース62位(全米1390番目)
- 1968年9月4日生 右投右打 190センチ 97キロ
- ペンシルベニア州出身
選手の紹介文
強打の捕手として通算427本のHRを記録しているマイク・ピアザ。ドラフト下位指名から這い上がり、新人王を獲得し、オールスター出場を12回も数えるなどメジャーリーグを代表する選手にまでなった。捕手として放ったHRは396本であり、これはメジャー記録でもある。打率3割、30HR、100打点を6シーズンも記録する名選手だった。
ペンシルベニア州の裕福な家庭に育ったピアザ。自宅の庭にバッティングマシーンを構え、子供の頃からそこで打ち込むことを毎日の日課としていた。父ビンスがドジャース監督のトミー・ラソーダと旧知の仲だったため、1977年にドジャースがリーグ優勝を決めた試合を観戦する機会に恵まれ、クラブハウスにも入れてもらい優勝という味を初めて味わうことができた。さらに12歳の頃には、「最後の4割打者」テッド・ウイリアムスから直接指導を受けたこともあったという。
高校時代は6割近い打率をマークしていたが、無名校のため注目を浴びることもなく時は流れていった。アリゾナ大学へ進学も、試合に出場するチャンスには恵まれず、途中で転学する。ここで試合出場のチャンスをもらったピアザは1988年のドラフトにおいてドジャースから指名されるが、それはなんと62巡目のことだった。この年のドラフトでは計1433人の選手が指名されたが、ピアザが指名されたのはなんと1389番目で、後ろから数えた方がはるかに早い指名順である。ドジャースとしては正直なところ、ピアザに対して全く期待していなかったという。ファーストとしては使えないと判断し、捕手としてならということでのプロ入りだった。しかし、父の友人であるラソーダがピアザの非凡な打撃センスに注目していたということも事実である。
念願のプロ入りを果たしたピアザはとにかく必死に練習した。そして、慣れない捕手というポジションにも真剣に取り組み、1年1年着実に階段を昇っていく。1991年、2Aベイカーズフィールドで117試合に出場し、打率.277、29HR、80打点とパワーを見せつけた。翌1992年は開幕こそ2Aサンアントニオで迎えるが、5月までに打率.377をマークすると6月からは3Aアルバカーキへ昇格。3Aでは94試合の出場で、打率.341、16HR、69打点をマークし、メジャーの登録枠が広がる9月1日にはメジャー昇格を果たした。当時の正捕手だったマイク・ソーシアを退け、いきなり先発マスクを被るなどし、21試合に出場している。
1993年はドジャースがソーシアを解雇したこともあり、ピアザには正捕手としての活躍が期待された。そして、ピアザはその期待に充分な形で応えたのである。149試合に出場し、打率.318、35HR、112打点を記録し、文句なしの成績で新人王を獲得した。ドジャースでは前年にエリック・キャロスに続いて2年連続同チームからの受賞となった。この連続新人王受賞記録はラウル・モンデシー、野茂英雄、トッド・ホランズワースと続き、5年連続まで伸ばすことになった。この年、ピアザは初のオールスター出場も果たし、シルバースラッガー賞も受賞している。
1994年はストライキでシーズンが途中で中断したこともあり、107試合の出場に留まったが、打率.319、24HR、92打点という数字は十分に合格点といえる。さらにこの年のオールスターでは初めて先発出場も果たし、名実共にリーグを代表する捕手になったことを証明した。翌1995年は野茂英雄が入団した年としても知られるが、首位打者になったトニー・グウィンに次ぐ、リーグ2位となる打率.346をマーク。チームも地区優勝を経験し、初めてポストシーズンを戦う機会に恵まれた(しかし、ディビジョンシリーズでレッズに敗退している)。
1996年、148試合に出場し、打率.336、36HR、105打点をマークし、MVP候補としても名前が挙がった。結局、MVP投票では2位に終わり、ケン・カミニティに奪われる形となってしまう。しかし、この年フィラデルフィアのベテランズスタジアムで行われたオールスターゲームでHR含む3打数2安打2打点と大活躍し、オールスターMVPを受賞。幼少時に何度も通った球場での活躍には、ピアザ自身も大変嬉しかったという。
1998年は打率もキャリアハイの.362をマークし、さらに40HR、124打点と、打撃成績のほとんどで素晴らしい成績を挙げた。安打数(201安打)が200本の大台を越えたのも初めてのことであるし、ドジャースの選手としてシーズン40HRというのも、1957年のデューク・スナイダー(40HR)まで遡らなければいけない大記録である。さらに6月と8月の2回も月間MVPを獲得し、誰もが認めるスタープレイヤーにまで登りつめたのである。
順調にキャリアを積み上げていたピアザだったが、1998年は激動のシーズンとなった。オフにはFAとなるため、ドジャースサイドも再契約を求めてシーズン前から長期契約のオファーがあったが、ピアザサイドが拒否していたため、交渉は難航していた。そしてシーズン開幕後の5月14日のこと、その日の試合終了後にチームメイトのトッド・ジールの2人にマーリンズへの移籍を告げられた。この2人の交換相手は、ゲーリー・シェフィールド、ボビー・ボニーヤ、チャールズ・ジョンソン含む5選手であり、この裏には前年に世界一になったマーリンズの緊縮財政という事情もあった。
さらにその1週間後にメッツへのトレードが決まり、ニューヨーク入り。徐々に調子を取り戻し、9月にはアストロドームにおいて史上最長と思われる480フィート越えの特大HRも放った。結局、3つのユニフォームに袖を通したこの年のピアザの成績は、合わせて打率.328、32HR、111打点というものである。オフになるとメッツと7年間9100万ドルで契約延長に合意している。
1999年は4月に故障者リスト入りするも5月下旬から24試合連続ヒットを記録。さらに6月のインターリーグでのヤンキース戦で、ロジャー・クレメンスの連勝を20で止めることになるHRを放つなど大活躍。8月には10試合連続打点も記録した。シーズン通しては打率.303、40HR、124打点をマーク。ちなみに124打点はメッツの球団新記録でもある。この年はチームもワイルドカードでポストシーズンへ進出したが、リーグチャンピオンシップシリーズで宿敵ブレーブスに敗れ、ワールドシリーズ進出は果たせなかった。
2000年、開幕序盤から好調をキープし、ピアザが打席に入るときにはシェイスタジアムのファンから「MVP」コールが送られるほどの活躍ぶりを見せた(しかし、シーズンMVPはジェフ・ケントの元へ)。チームは2年連続のワイルドカードでポストシーズン進出を果たし、勢いに乗ったメッツはワールドシリーズへ進出。ヤンキースとの44年ぶりのサブウェイシリーズを戦った。結果的には敗れたが、この中で注目されたのはクレメンスとの対決である。7月のヤンキース戦でクレメンスに当てられた死球が伏線となっていたものだ。この勝負は折れたバットがクレメンスに向かい、それを掴んで投げ捨てた先にピアザがいたということで、あわや乱闘というところまでいったのである。
さらに注目された2001年、怪我人が続出したこともあり、チームは貧打に泣いた。ピアザ自身もシーズン中盤まで、打率が.250台まで落ち込むことがあったが、最終戦で打率3割を確定させた。ピアザ自身の成績は打率.300、36HR、94打点というもので、主軸としての責任はかろうじて果たしたことになる(チームは地区3位に終わっている)。翌2002年は打率.280、33HR、98打点におわり、連続シーズン3割は9年でストップしたが、8年連続のシーズン30HRを達成している。
2003年は怪我に苦しみ、わずか68試合の出場に留まった(打率.286、11HR、34打点)。終盤には本来の捕手ではなく、ファーストとして出場。2004年には捕手とファーストの併用での出場が続くことになる。またこの年は通算HR数を352本とし、捕手としての最多HR記録であるカールトン・フィスクの351本を抜いて、歴代1位に躍り出た。とはいえ、シーズン通しては打率.266、20HR、54打点と全盛期より数字を大きく落としている。
契約最終年となる2005年、わずか113試合の出場で打率.251、19HR、62打点に終わるとオフにはFAとなった。いくつかの球団の誘いがあり、その中でパドレスとの1年契約に合意。2006年の開幕前にはイタリア代表としてWBCに出場。2006年シーズンは捕手としてチームの主軸を任され、打率.283、22HR、68打点という数字に留まった。この年、通算記録として、2000本安打、400HRの大台にそれぞれ乗せている。
2007年はアスレティックスと契約。前年活躍したフランク・トーマスの穴を埋めるべく、指名打者として期待されたが、わずか83試合の出場で、打率.275、8HR、44打点と全盛期とはほど遠い成績に終わってしまった。2008年はFAとして迎えるも獲得球団がなく、5月に現役引退を発表している。
メジャー16年間での通算成績は、打率.308、2127安打、427HR、1335打点というものである。晩年はファースト、もしくは指名打者としての出場が増えたが、捕手として放った396本というHR数は捕手歴代最多として君臨している(フィスクの351HRに続き、ジョニー・ベンチが327HR、ヨギ・ベラが306HRと続いている)。将来的には殿堂入りも不可能ではない数字を残している。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
- 新人王(1993-NL)
- オールスターMVP:1回(1996)
- シルバースラッガー賞:10回(1993-NL~2002-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1992 LAD 21 69 5 16 3 0 1 7 12 4 0 .284 .319 .232 1993 LAD 149 547 81 174 24 2 35 112 86 46 3 .370 .561 .318 1994 LAD 107 405 64 129 18 0 24 92 65 33 1 .370 .541 .319 1995 LAD 112 434 82 150 17 0 32 93 80 39 1 .400 .606 .346 1996 LAD 148 547 87 184 16 0 36 105 93 81 0 .422 .563 .336 1997 LAD 152 556 104 201 32 1 40 124 77 69 5 .431 .638 .362 1998 LAD 37 149 20 42 5 0 9 30 27 11 0 .329 .497 .282 1998 Fla 5 18 1 5 0 1 0 5 0 0 0 .263 .389 .278 1998 NYM 109 394 67 137 33 0 23 76 53 47 1 .417 .607 .348 1999 NYM 141 534 100 162 25 0 40 124 70 51 2 .361 .575 .303 2000 NYM 136 482 90 156 26 0 38 113 69 58 4 .398 .614 .324 2001 NYM 141 503 81 151 29 0 36 94 87 67 0 .384 .573 .300 2002 NYM 135 478 69 134 23 2 33 98 82 57 0 .359 .544 .280 2003 NYM 68 234 37 67 13 0 11 34 40 35 0 .377 .483 .286 2004 NYM 129 455 47 121 21 0 20 54 78 68 0 .362 .444 .266 2005 NYM 113 398 41 100 23 0 19 62 67 41 0 .326 .452 .251 2006 SD 126 399 39 113 19 1 22 68 66 34 0 .342 .501 .283 2007 Oak 83 309 33 85 17 1 8 44 61 18 0 .313 .414 .275 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1912 6911 1048 2127 344 8 427 1335 1113 759 17 .377 .545 .308
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:12回(1993-NL~2002-NL、2004-NL、2005-NL)
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