- 2008-06-07 (土) 8:40
- MLB Players

#55 オーレル・ハーシハイザー | SP

- 1979年6月ドラフト・ドジャース17位
- 1958年9月16日生 右投右打 190センチ 90キロ
- ニューヨーク州出身
選手の紹介文
「ドクター0」の異名をとり、59イニング連続無失点というメジャー記録も打ち立てたオーレル・ハーシハイザー。長身で端正な顔立ちでありながら、「ブルドッグ」と呼ばれるほどの力強さをマウンドで見せた。大舞台での勝負強さが折り紙付きのハーシハイザーは、知的な投球スタイルとしても知られており、現役引退後も様々な球団からコーチの要請が相次ぐほどである。
ニューヨーク州北部バッファローの裕福な家庭に生まれたハーシハイザー。ドイツからの移民であるハーシハイザー家は、代々長男がオーレルという名前を引き継ぐことになっており、ハーシハイザーは4世にあたる。父の3世から野球を教わったのだが、父から教わったのは野球だけでなく勝負に対する執着心も教わった。闘争本能をむき出しにするハーシハイザーの投球スタイルの基礎はここで築かれている。
高校時代は野球だけでなく、アイスホッケーにも熱心に取り組んだ。その後、オハイオ州の大学へ進学するが、ホームシックに悩んだこともあり、最初は思うような成績を残せなかったが、徐々に実力を発揮していく。将来はメジャーリーガーになりたいという強い希望を持っていたハーシハイザーは、1979年のドラフトでドジャースから17位指名を受け、プロへの第一歩を踏み出すことができた。
しかし、なかなかメジャーへ昇格出来ず、期待された1983年も開幕前にマイナー落ちを宣告されてしまう。失意のどん底に落ちたハーシハイザーだが、この年の9月になってようやく初のメジャー昇格を果たし、リリーフとして8試合にだけ登板している。そして迎えた翌1984年、最初はブルペンからのスタートだったが、シーズン途中から先発ローテーション入りを果たす。
監督トミー・ラソーダの激しい檄もあり、ハーシハイザーは「ブルドッグ」という愛称をもらった。まさに「ブルドッグ」のごとく鬼気迫る投球スタイルを確立し、4完封を含む11勝8敗、防御率2.66と好成績を残した。1985年も36試合に登板(先発は34試合)し、19勝3敗の防御率2.03をマークするなど、先発投手として確固たる地位を築き上げた。
ドジャースの先発の一角を担っていたボブ・ウェルチが移籍し、フェルナンド・バレンズエラも怪我に苦しんだ1988年、ハーシハイザーにとっては最高の1年となった。抜群のコントロールに加え、低めに沈むシンカーが冴えわたり、終わってみれば23勝7敗の防御率2.26と圧倒的な数字を残したわけだが、その中でもシーズン終盤のハーシハイザーのピッチングはメジャー史上最高とも言われるほどの印象を残している。この年のシーズン最後に登板した9試合の成績は7完封含む7勝0敗。チームの大先輩であるドン・ドライスデールの記録を塗り替える59イニング連続無失点記録を達成したのはこの時である。こうしてドジャースは地区優勝を果たすことになる。
この年のリーグチャンピオンシップシリーズではメッツと対戦したが、第1戦に先発すると8回まで無失点に抑える好投を見せる(しかし、チームは逆転負け)。その後も第3戦に先発し、この試合も後続の投手が打たれ、試合は落とすが、延長戦にもつれた第4戦は7番手の投手として登板し、チームに勝利をもたらす。そして、3勝3敗で迎えた第7戦、再度先発のマウンドに上がったハーシハイザーは散発5安打無失点に抑える鮮やかな完封劇でリーグ優勝を果たした。ハーシハイザーはこのシリーズ、4試合で計24回2/3を投げて防御率1.09という数字を残すなど、まさに大車輪の活躍だった。
迎えたアスレティックスとのワールドシリーズでは、第1戦でカーク・ギブソンの劇的な代打逆転サヨナラ2ランHRで勢いづく中、第2戦先発のハーシハイザーはホゼ・カンセコ、マーク・マグワイアを擁する強打アスレティックス打線を散発3安打の完封でねじ伏せた。3勝1敗で迎えた第5戦でも先発したハーシハイザーは4安打2失点の完投勝利で、世界一の喜びをマウンド上で目一杯味わった。この年はチームの世界一の他にサイヤング賞も受賞するなど、まさにキャリア最高の1年となった。
その後、1990年は右肩を痛めた影響もあり、手術を決意してほぼ1年を棒に振る結果になってしまった。リハビリに耐え、翌1991年にはマウンドに戻ってきたが、それまでのような派手な活躍はなかなか出来ずにいた。そして、1995年開幕前に日本からやってきた野茂英雄に押し出される形で戦力外通告を受け、インディアンズへ移籍することになった。
「ブルドッグ」はこのままで終わることはなかった。移籍1年目の1995年、26試合に登板し、16勝6敗をマークし、チームをワールドシリーズへ導いた。惜しくもブレーブスに敗れて世界一にはなれなかったが、グレッグ・マダックスと演じた白熱の投手戦は、全盛期を思わせるものであった。インディアンズに在籍した3年間で計45勝をマークし、1998年はジャイアンツへ移籍し、1999年はメッツへ移籍。メッツではかつて自分がドジャースを追われる結果となった(と言われている)野茂を追い出し、意地を見せた。そして、メッツでは13勝を挙げて、通算200勝も達成している。
2000年は古巣のドジャースへ復帰。すでに41歳になっていたハーシハイザーも年齢による衰えは隠せなかった。結局、10試合に登板して、わずか1勝しか挙げられず、現役引退を決意。18年間のメジャー生活で残した数字は、204勝150敗の防御率3.48というものである。ハーシハイザーが自らが築いた投球スタイルは、今後は指導者として若い選手達に伝わっていくことだろう。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1983 LAD 8 0 0 0 0 0 1 8.0 7 5 6 6 3 3.38 1984 LAD 45 20 8 4 11 8 2 189.2 160 150 50 65 56 2.66 1985 LAD 36 34 9 5 19 3 0 239.2 179 157 68 72 54 2.03 1986 LAD 35 35 8 1 14 14 0 231.1 213 153 86 112 99 3.85 1987 LAD 37 35 10 1 16 16 1 264.2 247 190 74 105 90 3.06 1988 LAD 35 34 15 8 23 8 1 267.0 208 178 73 73 67 2.26 1989 LAD 35 33 8 4 15 15 0 256.2 226 178 77 75 66 2.31 1990 LAD 4 4 0 0 1 1 0 25.1 26 16 4 12 12 4.26 1991 LAD 21 21 0 0 7 2 0 112.0 112 73 32 43 43 3.46 1992 LAD 33 33 1 0 10 15 0 210.2 209 130 69 101 86 3.67 1993 LAD 33 33 5 1 12 14 0 215.2 201 141 72 106 86 3.59 1994 LAD 21 21 1 0 6 6 0 135.1 146 72 42 67 57 3.79 1995 Cle 26 26 1 1 16 6 0 167.1 151 111 51 76 72 3.87 1996 Cle 33 33 1 0 15 9 0 206.0 238 125 58 115 97 4.24 1997 Cle 32 32 1 0 14 6 0 195.1 199 107 69 105 97 4.47 1998 SF 34 34 0 0 11 10 0 202.0 200 126 85 105 99 4.41 1999 NYM 32 32 0 0 13 12 0 179.0 175 89 77 92 91 4.58 2000 LAD 10 6 0 0 1 5 0 24.2 42 13 14 36 36 13.14 ----------------------------------------------------------------------------- Total 510 466 68 25 204 150 5 3130.1 2939 2014 1007 1366 1211 3.48
受賞タイトル一覧
- サイヤング賞1回(1988)
- 最多勝1回(1988)
- ゴールドグラブ賞1回(1988)
- オールスター出場3回(1987~89)
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