- 2009-05-19 (火) 0:06
- MLB Players
#26 オルランド・ヘルナンデス(Orlando HERNANDEZ) | SP

- 1998年3月・ヤンキースと契約
- 1965年10月11日生 右投右打 188センチ 86キロ
- キューバ出身
過去3年間の成績
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2005 CWS 24 22 0 0 9 9 1 128.1 137 91 50 77 73 5.12 2006 Ari 9 9 0 0 2 4 0 45.2 52 52 20 32 31 6.11 2006 NYM 20 20 1 0 9 7 0 116.2 103 112 41 58 53 4.09 2007 NYM 27 24 0 0 9 5 0 147.2 109 128 64 64 61 3.72 ----------------------------------------------------------------------------- Total 219 211 9 2 90 65 2 1314.2 1181 1086 479 641 604 4.14
選手の紹介文
キューバからの亡命選手として、大舞台では勝負強いピッチングを見せたオルランド・ヘルナンデス。「エルデュケ(El Duque/公爵)」と呼ばれ、1990年代後半のヤンキース黄金時代を支えた。当初は1969年生まれとされていたが、後に1965年生まれと訂正されている。現在はFAとなっているが、胸元まで足を上げて投げる独特の投法は多くのファンを魅了した。
キューバで生まれ育ったエルデュケは父の影響もあり、野球を始めることとなった。キューバ国内リーグのインダストリアレスで10シーズンもの長きに渡り、プレーしている。エルデュケ在籍時の1992年にはチームの優勝に貢献している。キューバ代表としてもプレーしており、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得するなど、輝かしいキャリアを誇った。
まさにキューバを代表する投手として、10年間の通算で129勝47敗、防御率3.05という数字を残したが、暗雲が立ちこめたのが1995年の秋のことである。実弟で同じくキューバを代表する投手であるリバン・ヘルナンデスが亡命し、メジャーリーグのチームと亡命したためである。これにより出場停止指令が下り、実質的に干される形になってしまった。
その後、代理人との金銭授受等の関係が取り上げられ、キューバ国内リーグから追放されるなど、厳しい処置が下った。そして、1997年暮れに家族を残し、ボートでキューバを脱出。コスタリカへの亡命を選択した。当時は筏で脱出したという報道もあったが、それは周囲がドラマ性を持たせるために膨らませた作り話である。
亡命先にコスタリカを選択したのは、ドラフト対象外選手であることを望んだためである。これにより、メジャーリーグ全球団との交渉が可能となった。すでに弟リバンがマーリンズ世界一に貢献したばかりもあり、注目が高い中で1998年シーズン開幕直前の3月末、ヤンキースと4年間660万ドルで契約合意したのである。
マイナーでの調整登板を経て、6月にはメジャー昇格を果たした。初登板となる6月3日の対デビルレイズ戦では7回を5安打1失点に抑える内容で初勝利を飾った。続く6月9日の対エクスポズ戦では1失点完投勝利。その後も先発の一角を守り、安定した投球を披露し、終盤の9月14日のレッドソックス戦では初完封も記録している。結果として、21試合に登板し、12勝4敗、防御率3.13、131奪三振と期待通りの数字を残したのである(新人王投票では4位)。
チームも地区優勝を果たし、ポストシーズンにも出場したエルデュケ。チャンピオンシップシリーズ(対レッドソックス)の第4戦で先発し、7回を3安打無失点の快投。ワールドシリーズ(対パドレス)の第2戦でも先発して、7回を6安打1失点に抑える投球を見せて、チームの2年ぶりの世界一に大きく貢献した。メジャー1年目にして世界一の美酒を味わったのである。ヤンキースの新人投手がワールドシリーズで白星を挙げるのは1978年のジム・ビーティー以来である。前年の弟リバンのマーリンズに次ぐ世界一であり、キューバ人投手の株を大いに上げたのである。
1999年、ヤンキースの先発陣としてフルシーズンを経験。33試合の先発で、17勝9敗、防御率4.12、157奪三振をマークし、チームの勝ち頭となった。この年のエルデュケの真骨頂はポストシーズンに現れ、ディビジョンシリーズ(対レンジャーズ)の第1戦では8回を2安打無失点の快投。リーグチャンピオンシップシリーズ(対レッドソックス)では第1戦と第5戦に先発し、計15回を投げて4失点に抑える投球を見せて、このシリーズのMVPを受賞。ワールドシリーズ(対ブレーブス)の第1戦でも7回までを1安打1失点に抑えて勝ち投手となった(チッパー・ジョーンズのソロHRによる1点のみ奪われた)。ヤンキースの2年連続世界一に大きく貢献し、大舞台での勝負強さには一目置かれることとなる。
2000年は開幕投手の大役を任され、エンゼルスを相手に7回を8安打1失点に抑えて白星を挙げている。ヤンキースの開幕投手を外国生まれの投手が務めるのは、エルデュケが史上初となる。期待される中で開幕4連勝と結果を残すが、その後に4連敗と安定感を欠いた。好不調の波が激しく、結果としては29試合に先発し、12勝13敗、防御率4.51、141奪三振と負け越してしまったのである。
ポストシーズンでも前年までのような神がかり的な投球を見せられたわけではないが、ディビジョンシリーズ(対アスレティックス)で1勝、リーグチャンピオンシップシリーズ(対マリナーズ)では2勝をそれぞれ挙げるなど、勝負運の強さを見せた。ワールドシリーズ(対メッツ)の第3戦では敗戦投手となるが、7回1/3を9安打4失点という内容なので、大崩れしたわけではない。そんな中でヤンキースは3年連続の世界一に輝いている。
2001年は開幕から不振で、白星に恵まれなかった。左足親指を痛めた影響で5月末には故障者リスト入り。手術を行うこととなり、長期離脱となった。マイナーリーグでに調整登板を経て、8月後半にようやくメジャー復帰。この年の初勝利は9月1日の対レッドソックス戦であり、7回2/3を4安打1失点という内容だった。結果として、17試合の登板(先発は16試合)で4勝7敗、防御率4.85、77奪三振という結果だが、9月以降で4勝を挙げた点は光明でもあった。ワールドシリーズ(対ダイヤモンドバックス)の第4戦で先発し、6回1/3を4安打1失点に抑える快投を見せている(第7戦までもつれた末、世界一は逃した)。
2002年、怪我での離脱もあり、24試合の登板(先発は22試合)で8勝5敗、防御率3.64、113奪三振という成績に終わったエルデュケ。オフになると、2003年1月にホワイトソックスへの移籍が決まった(交換相手はアントニオ・オスナ)。すると、その交換トレードがまとまったその日にエクスポズへの移籍が決まったのである(この時の交換相手にはバートロ・コロンが含まれていた)。しかし、2003年シーズンは右肩手術となり、メジャーのマウンドに立つことは出来ず、シーズン後にFAとなっている。
2004年の開幕直前に古巣ヤンキースへの復帰が決定した。手術明けと言うこともあり開幕は故障者ロストで迎えることとなった。復帰は7月に入ってからのことで、そこから8連勝をマーク。終わってみれば、15試合に先発して、8勝2敗、防御率3.30、84奪三振という成績に終わった。ポストシーズンでは、リーグチャンピオンシップシリーズ(対レッドソックス)の第4戦に先発し、5安打3失点という内容で降板し、チームは延長戦の末に敗れている。
2005年はホワイトソックスへFA移籍。契約内容は2年間800万ドルというものである。開幕から安定感ある投球を見せるも、右肩痛で5月後半に離脱。6月に復帰するも即離脱することになるなど満足できる状況ではなかったが、残した数字は24試合に登板(先発は22試合)して、9勝9敗、防御率5.12というものである。チームも地区優勝を果たす中で、エルデュケはポストシーズンではブルペンに回り、チームの世界一に貢献したのである。
2006年はオフの間に交換トレードがまとまったこともあり、ダイヤモンドバックスへ移籍
(交換相手はハビア・バスケス)。先発ローテーションに加わるが、打ち込まれる試合が多く、シーズン中の5月にはホルヘ・フリオとの交換でメッツへと移籍したのである。メッツ移籍後に限れば、20試合の先発で9勝7敗、防御率4.09、112奪三振という数字を残している。
2007年、開幕前にメッツと2年間1200万ドルで契約を更新。引き続きメッツの一員で開幕を迎えるも、故障を抱え、満身創痍という状態でのプレーだった。その中で27試合の登板(先発は24試合)で9勝5敗、防御率3.72、128奪三振をマークしている。翌2008年に至ってはオフに受けた足の手術の影響でリハビリに費やし、メジャーのマウンドに立つことは出来なかった。果たして、再び復帰することは出来るだろうか。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
- リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(1999-AL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1998 NYY 21 21 3 1 12 4 0 141.0 113 131 52 53 49 3.13 1999 NYY 33 33 2 1 17 9 0 214.1 187 157 87 108 98 4.12 2000 NYY 29 29 3 0 12 13 0 196.2 186 141 51 104 98 4.51 2001 NYY 17 16 0 0 4 7 0 95.2 90 77 42 51 51 4.85 2002 NYY 24 22 0 0 8 5 1 146.0 131 113 36 63 59 3.64 2004 NYY 15 15 0 0 8 2 0 85.2 73 84 36 31 31 3.30 2005 CWS 24 22 0 0 9 9 1 128.1 137 91 50 77 73 5.12 2006 Ari 9 9 0 0 2 4 0 45.2 52 52 20 32 31 6.11 2006 NYM 20 20 1 0 9 7 0 116.2 103 112 41 58 53 4.09 2007 NYM 27 24 0 0 9 5 0 147.2 109 128 64 64 61 3.72 ----------------------------------------------------------------------------- Total 219 211 9 2 90 65 2 1314.2 1181 1086 479 641 604 4.14
キャリアハイライト一覧
- 世界一経験:4回(1998-NYY~2000-NYY、2005-CWS)
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