- 2008-05-22 (木) 0:36
- MLB Players

#1 オジー・スミス | SS

- 1977年ドラフト・パドレス4位
- 1954年12月26日生 右投両打 178センチ 77キロ
- アラバマ州出身
選手の紹介文
華麗な守備で「オズの魔法使い」と呼ばれたオジー・スミス。ゴールドグラブ賞を13年連続で受賞し、通算8375捕殺数と通算1590回の併殺数はいずれもメジャートップの記録であり、史上最高のショートストップという呼び名が充分に相応しい選手である。2002年には殿堂入り資格取得1年目にして殿堂入りを決めたスミス。守備が目立つ選手でありながらも、守備で球界最高年俸をもらったのは後にも先にもスミスのみである。
1954年、アラバマ州モービルで生まれたスミス。子供のことの憧れは郷土の生んだ大スターのハンク・アーロンであった。アーロンのようなHR打者に憧れていたものの、なかなか体が大きくならないことから、自らを守備で生かそうと思うようになってきた。その後、ロサンゼルスに引っ越し、高校時代には後に殿堂入りすることになるエディー・マレーとチームメイトとしてプレーした。そして、俊敏な動きが認められ、1977年のドラフトでパドレスから4位指名を受けてプロ入りを果たした。
1978年には早くもパドレスのショートストップの座を自らのものにしていた。内野陣が手薄だったパドレスの中で、スミスの守備は注目は浴びた。スミスが「オズの魔法使い」と呼ばれ始めたのはこの頃からだった。しかし、華麗な守備でチームを救う一方、打撃の非力さが目を引いたのも事実である。1978年は打率.258、1979年は打率.211と目を覆いたくなるものだった。
1980年はショートとして捕殺数621というメジャー記録を樹立し、自身初のゴールドグラグ賞も受賞。この捕殺数は1924年に往年の名ショートストップ、グレン・ライトの持つシーズン601捕殺という記録を塗り替える快挙でもあった。この年は57盗塁も記録するなど、守備と走塁で大きくアピールもしたが、打率は.230と低迷。翌1981年も2年連続でゴールドグラブ賞を受賞するが、オフに待っていたのはカージナルスへの移籍話であった。
スミスの交換相手はギャリー・テンプルトンという好打のショートストップ。スミスはこの移籍に非常に落胆したが、これはカージナルス監督のホワイティ・ハーゾグがスミスの守備に目を付けてのことを後から知ることになる。広い人工芝球場であるブッシュスタジアムを本拠地にしていたカージナルスにとって、スミスの守備は大きなプラスになるであろうし、多少の攻撃力の犠牲もハーゾグには計算済みだった。
自らを理解してくれる監督との出会いはスミスにとって非常に大きかったといえる。移籍1年目にして、内野守備の要として大活躍し、カージナルスを球団史上15年ぶりとなる世界一に導いた。カージナルスの内野を鉄壁の守備陣に変え、ゴールドグラブ賞はもはやスミスの指定席となっていた。スミスはさらに守備に磨きをかける一方、打撃力向上に向けて、ウェイトトレーニングにも積極的に取り組むようになる。
打撃に対する努力が実り始め、打率も2割台半ばから徐々に上がっていく。そして、それが大きく実ったのは1985年のポストシーズンのことである。地区優勝を果たし、ドジャースとリーグ優勝をかけて戦っていたシリーズ第5戦、2対2で迎えた最終回、スミスは左打席から劇的なサヨナラHRを放った。スイッチヒッターのスミスが左打席でHRを放ったのはこの時が最初で最後というほどの珍しいものだった。スミスはこのシリーズで打率.435を記録し、シリーズMVPも受賞し、カージナルスのリーグ優勝に大きな貢献をもたらした(しかし、ワールドシリーズでは惜しくも敗退)。
1987年には初めて打率3割を突破(打率.303)。2塁打も40本記録するなど、守備だけの選手という評価を完全に覆したといえる。この年は肩を痛めるアクシデントもあったが、猛練習の中でクイックスローをマスターするなど努力に努力を重ねた。そして、スミスの1988年時の年俸234万ドルは、メジャートップでもあったという。
1991年には151試合の出場でエラーはわずか8個という安定感を見せ、1992年まで13年連続であるゴールドグラブ賞を受賞。ゴールドグラブ賞13回の受賞は、ブルックス・ロビンソンの16回受賞に次ぐ大記録でもある。晩年は怪我に苦しむが、多くのファンがスミスを放っておかなかった。オールスターに選出されたのは15回あるが、ファン投票による選出は、そのうちの12回を数える。
シーズンの開幕戦と閉幕戦で、ショートの守備に付く際、バック転を見せていたスミスも1996年6月、現役引退を正式に発表。この年の最終戦において、自らのバック転でメジャー19年間のキャリアを締めくくったスミス。通算2460安打と通算580盗塁という記録は素晴らしく、さらにショートとして史上2位となる2511試合に出場した点も見逃せない(ちなみに史上1位はルイス・アパリシオの2581試合)。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1978 SD 159 590 69 152 17 6 1 46 43 47 40 .311 .312 .258 1979 SD 156 587 77 124 18 6 0 27 37 37 28 .260 .262 .211 1980 SD 158 609 67 140 18 5 0 35 49 71 57 .313 .276 .230 1981 SD 110 450 53 100 11 2 0 21 37 41 22 .294 .256 .222 1982 StL 140 488 58 121 24 1 2 43 32 68 25 .339 .314 .248 1983 StL 159 552 69 134 30 6 3 50 36 64 34 .321 .335 .243 1984 StL 124 412 53 106 20 5 1 44 17 56 35 .347 .337 .257 1985 StL 158 537 70 148 22 3 6 54 27 65 31 .355 .361 .276 1986 StL 153 514 67 144 19 4 0 54 27 79 31 .376 .333 .280 1987 StL 158 600 104 182 40 4 0 75 36 89 43 .392 .383 .303 1988 StL 153 575 80 155 27 1 3 51 43 74 57 .350 .336 .270 1989 StL 155 593 82 162 30 8 2 50 37 55 29 .335 .361 .273 1990 StL 143 512 61 130 21 1 1 50 33 61 32 .330 .305 .254 1991 StL 150 550 96 157 30 3 3 50 36 83 35 .380 .367 .285 1992 StL 132 518 73 153 20 2 0 31 34 59 43 .367 .342 .295 1993 StL 141 545 75 157 22 6 1 53 18 43 21 .337 .356 .288 1994 StL 98 381 51 100 18 3 3 30 26 38 6 .326 .349 .262 1995 StL 44 156 16 31 5 1 0 11 12 17 4 .282 .244 .199 1996 StL 82 227 36 64 10 2 2 18 9 25 7 .358 .370 .282 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2573 9396 1257 2460 402 69 28 793 589 1072 580 .337 .328 .262
受賞タイトル一覧
- ゴールドグラブ賞13回(1980~92)
- オールスター出場15回(1981~92,94~96)
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