- 2008-10-26 (日) 0:09
- MLB Players

#39 ロイ・キャンパネラ (Roy CAMPANELLA)| C

- 1946年1月・ドジャースと契約
- 1921年11月19日生 右投右打 175センチ 85キロ
- ペンシルベニア州出身
選手の紹介文
メジャーリーグ初の黒人捕手として、シーズンMVPを3度も受賞したロイ・キャンパネラ。ブルックリン時代のドジャースで黄金時代を築き上げた強打の捕手である。ニグロリーグ上がりの選手として、無類の強肩を誇っていた。最後は悲運の大怪我で現役を退く形になったが、背番号39番はドジャースの永久欠番としてその栄誉が讃えられている。
イタリア系の父とアフリカ系の母の間に生まれたキャンパネラ。幼少時から野球の才能に恵まれ、強い体を持っていたこともあり、将来は野球で生計を立てることを目指していたという。1937年、まだ15歳の頃にはニグロリーグのワシントン・エリートジャイアンツと契約。まだ学生と言うこともあり、週末だけ試合に出場するという形だった。翌1938年には学校を辞めて、フルタイムの選手となった。
チームはワシントンからボルチモアに移転し、キャンパネラ自身もその人なつっこい人柄と野球の実力でチームの中心選手になるのに時間はかからなかった。1939年にはニグロリーグのプレーオフに出場し、4試合で7打点を挙げる活躍を見せている。1941年にはニグロリーグのオールスターゲームでMVPになる活躍も見せている。
当時は人種差別があり、黒人選手のメジャーリーガーはまだ誕生していない頃だった。1942年にチームのフロントと衝突したキャンパネラは、活躍の場をメキシカンリーグに移している。1944年には和解し、ニグロリーグに戻ってきた。1944年はリーグ最多2塁打を記録し、1945年は打点王を獲得する活躍を見せている。この頃、メジャーリーグのチームと行ったエキシビジョンゲームにて、キャンパネラの評価は高まり、時代は大きく動こうとしていたのである。
ドジャースがキャンパネラに接触し、契約を持ちかけたが最初は拒否。しかし、ジャッキー・ロビンソンがドジャースと契約合意したという話を聞くと、一転してキャンパネラも契約に合意することとなった。年俸が3分の1位になりながらも、メジャー球団との契約を選んだのである。1946年はクラスBのナシュアで115安打、13HR、96打点をマークし、MVPに輝いたのだが、このときのチームの監督は後にドジャース監督となるウォルター・オルストンだったという。
1947年は3Aモントリオールで120安打を記録し、このリーグでもMVPを獲得。この年にロビンソンがメジャー昇格したこともあり、キャンパネラの昇格も時間の問題と思われた。しかし、1948年は開幕を2Aセントポールで迎えることとなったが、メジャー級の年俸をもらってキャンパネラは納得。35試合に出場し、40安打、39打点を挙げて、シーズン後半にはメジャーに定着したのである。
1949年からドジャースの正捕手に定着。130試合に出場し、打率.287、22HR、82打点という好成績を残した。早くもオールスターゲームのメンバーとしても選出され、今後は常連となるのである。すでに26歳となっているキャンパネラの他にも、ロビンソン、ピー・ウィー・リース、ギル・ホッジス、デューク・スナイダーなど好選手が揃いつつあるドジャースは、ようやく黄金時代を迎えることになる。
1950年、1951年と2年連続してシーズン最後で優勝を逃してしまうが、1951年のキャンパネラは打率.325、33HR、108打点という数字を挙げて、初めてのシーズンMVPを獲得した。この年は優勝したジャイアンツには最終戦でサヨナラHRを打ったボビー・トムソンや打点王になったモンテ・アービンがいながらも、差し置いてキャンパネラがMVPに選出されるなど、その存在感の大きさを見せた。
1953年は144試合に出場し、打率.312、41HR、142打点という結果を残し、打点王と共に自身2度目のシーズンMVPを受賞。代打で打ったHRが1本あるため、捕手としてはシーズン40HRを放ったことになるが、これは捕手のシーズンHR数としては当時のメジャー記録である(1996年のトッド・ハンドリー、2003年のハビア・ロペスがこの記録を塗り替えている)。捕手としてはヤンキースのヨギ・ベラと同時代を生きており、同じニューヨークに本拠を構えていたこともあり、比較される存在だった。
1955年、打率.318、32HR、107打点という数字を残したキャンパネラは自身3度目のシーズンMVPを獲得。ワールドシリーズでは何度も苦汁を飲まされているヤンキースと対戦し、2連敗後の第3戦と第4戦にキャンパネラはHRを放ち、踏みとどまり、結果として4勝3敗で勝利を収め、ドジャースとしては球団史上初となる世界一の座についたのである。
1956年以降は成績は下降線を描いたキャンパネラ。1957年限りでブルックリンからロサンゼルスへと移転することになったドジャースだが、この年のエベッツフィールドでの最終戦が、結果的にキャンパネラの最終戦になってしまったのである。1958年1月28日、副業で酒屋を営んでいたキャンパネラは、車で運転中にスリップして横転する事故に見舞われた。下半身麻痺という大怪我でメジャーリーガーとしてのプレーは不可能となってしまったのである。
1959年、ロサンゼルス移転後にキャンパネラの引退試合が行われ、車椅子で登場。一度もロサンゼルスではプレーすることはなかったキャンパネラだが、93000人を越える観客が集まり、大歓声が贈られたという。この催しにはキャンパネラは非常に感激したという。1969年には殿堂入りを決めたが、黒人メジャーリーガーとしてはロビンソンに次ぐ名誉となる。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1948 Bro 83 279 32 72 11 3 9 45 45 36 3 .345 .416 .258 1949 Bro 130 436 65 125 22 2 22 82 36 67 3 .385 .498 .287 1950 Bro 126 437 70 123 19 3 31 89 51 55 1 .364 .551 .281 1951 Bro 143 505 90 164 33 1 33 108 51 53 1 .393 .590 .325 1952 Bro 128 468 73 126 18 1 22 97 59 57 8 .352 .453 .269 1953 Bro 144 519 103 162 26 3 41 142 58 67 4 .395 .611 .312 1954 Bro 111 397 43 82 14 3 19 51 49 42 1 .285 .401 .207 1955 Bro 123 446 81 142 20 1 32 107 41 56 2 .395 .583 .318 1956 Bro 124 388 39 85 6 1 20 73 61 66 1 .333 .394 .219 1957 Bro 103 330 31 80 9 0 13 62 50 34 1 .316 .388 .242 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1215 4205 627 1161 178 18 242 856 501 533 25 .360 .500 .276
受賞タイトル一覧
- シーズンMVP3回(1951-NL,1953-NL,1955-NL)
- 打点王1回(1953-NL)
-
Tags :
- Newer: #013「前年最下位チーム同士の白熱ワールドシリーズ」(1991.10.27)
- Older: Joe MORGAN(ジョー・モーガン)
Comments:0
Trackback:0
- TrackBack URL for this entry
- http://circlechange.com/players/roy-campanella/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- Roy CAMPANELLA(ロイ・キャンパネラ) from Circle Change

