- 2009-05-22 (金) 0:02
- MLB Players
#12 スティーブ・フィンリー(Steve FINLEY) | CF

- 1987年6月ドラフト・オリオールズ13位(全米324番目)
- 1965年3月12日生 左投左打 188センチ 82キロ
- テネシー州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 2005 LAA 112 406 41 90 20 3 12 54 71 26 8 .271 .374 .222 2006 SF 139 426 66 105 21 12 6 40 55 46 7 .320 .394 .246 2007 Col 43 94 9 17 3 0 1 2 4 8 0 .245 .245 .181 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2583 9397 1443 2548 449 124 304 1167 1299 844 320 .332 .442 .271
選手の紹介文
高い打撃能力と抜群の守備力で、在籍したチームの要として活躍したスティーブ・フィンリー。ゴールドグラブ賞を5度も受賞するほどの、センターの守備はリーグ屈指のものだった。通算で304HR、320盗塁を記録しており、メジャー史上6人目となる「300-300」も達成している。2007年を最後にメジャーリーグでプレーしていない。
テネシー州に生まれたフィンリーは、サザンイリノイ大学へと進学し、全米代表に選ばれるほどの実力を誇っていた。1986年ドラフトでブレーブスから11位指名(全米268番目)を受けるが、これを拒否して大学へ残留。そして翌1987年、オリオールズから13位指名(全米324番目)を受けて、晴れてプロ入りを決めたのである。
指名されたその年にいきなり1Aの2つのクラスでプレーし、共に3割近い打率をマークするなど非凡な打撃センスを披露。翌1988年はシーズンの大半を3Aで過ごすことになったが、120試合の出場で打率.314を記録。見事に首位打者のタイトルを獲得したのである。安打数(143本)もリーグトップであり、その将来が大いに嘱望された。
1989年はオリオールズで開幕を迎えたフィンリーだが、守備の際にダイビングキャッチを試みてそのままフェンスに激突するアクシデントに見舞われた。右肩を痛めてしまい、いきなり故障者リスト入りする波乱のメジャーデビューとなった。4月末には戦線復帰し、メジャー初HRなども記録したが、途中のマイナー降格や再度の故障者リスト入りなど、メジャー1年目は思うような成績は残せなかった(81試合の出場で、打率.249)。
1990年からはオリオールズの外野の一角を確保すると、142試合の出場で打率.256ながら、チーム2位の119安打に、チームトップの22盗塁と頭角を現す。そしてオフに待っていたのはアストロズへの移籍だった。グレン・デービスを獲得するための1対3のトレードで、フィンリーと共にアストロズ入りした選手にはカート・シリング、ピート・ハーニッシュの名前もあったのである。
初めてのナショナルリーグで迎えた1991年は159試合に出場して、打率.285をマーク。リーグ6位の170安打にリーグ3位の10本の三塁打を記録し、外野守備でもバリー・ボンズ、ポール・オニールに次ぐ13捕殺をマークしている。翌1992年は162試合に出場。この年のアストロズは他にもクレイグ・ビジオ、ジェフ・バグウェルも全試合に出場したが、リーグ全体を見ても全試合出場はこの3人のみである。打率も.292をマークするなど、安定感を見せた。
1993年の序盤は怪我の影響もあり、まともにプレーできるようになったのは後半戦に入ってからである。そんな中でもリーグトップの13本の3塁打を放っている。翌1994年はストライキによる短縮シーズンだったが、フィンリーにとっては2年連続の故障者リスト入りでさらに短縮したシーズンとなった。そしてオフにはパドレスへの移籍も決まった。フィンリーと共にパドレス入りした選手の中にはケン・カミニティや後に日本でプレーするロベルト・ペタジーニも含まれていたのである。
1995年はパドレスの一員として139試合に出場し、打率.297、10HR、44打点、36盗塁をマーク。この年、得点数(104点)が100点の大台を越えたのはリーグの中でフィンリーのみだった。さらに1996年には秘めていた長打力が開花し、161試合の出場で、打率.298、30HR、95打点を記録。チームの地区優勝に貢献した。しかし、初めてのポストシーズンは12打数1安打と大きなブレーキになってしまう。
1997年は開幕早々に故障者リスト入りするが前年同様の活躍で、初のオールスター出場の名誉も勝ち取った。1シーズンで1試合2HRを3度も記録したメジャーリーグ史上11人目の選手にもなったフィンリーは143試合に出場し、打率.261、28HR、92打点という数字に終わった。1998年は背中の故障の影響もあり、159試合の出場で、打率.249、14HR、67打点と成績を落とすがチームは2年ぶりの地区優勝。ワールドシリーズではヤンキースの前に敗れてしまうが、フィンリーは起用法に関する不満もあったという。
FAとなったフィンリーは創立2年目のダイヤモンドバックスと4年契約を交わすに至る。椎間板ヘルニアに悩まされながらも156試合に出場し、打率は.264ながら、34HR、103打点は共にキャリアハイ。この年はマット・ウイリアムス、ジェイ・ベル、ルイス・ゴンザレスと100打点カルテットを形成し、チームの地区優勝へ貢献した。なおも109試合連続ノーエラーという守備面での貢献も光っている。メッツとのディビジョンシリーズでは13打数5安打と大当たりだったが、チームは惜しくも敗れてしまった。
2000年も怪我に苦しみながらも152試合に出場し、打率.280、35HR、96打点と数字面ではまずまずの成績を挙げたが、オフには手術を決断。翌2001年は点差が開いた試合でマウンドに上るという事もあったが、打撃面では好不調の波が激しく非常に苦しんだ。140試合に出場して、かろうじて打率.275、14HR、73打点という成績を残すに留まるが、ポストシーズンでは他の選手を引っ張る活躍を見せ、チームを球団創立4年目となる世界一へ導いた。フィンリーとしても初めて世界一の美酒に酔ったのである。
年齢的に心配された2002年、150試合に出場し、打率.275、25HR、89打点をマーク。レギュラーシーズンでは地区首位だったダイヤモンドバックスは、ディビジョンシリーズ(対カージナルス)で敗れてしまった。オフにはFAとなるがダイヤモンドバックスから再契約で合意。147試合の出場で打率.287、22HR、70打点を挙げ、さらにリーグトップの10本の3塁打を放っている。
2004年、開幕時は不振に苦しむも、4月28日の対カブス戦で1試合3HRしてからは徐々に調子を上げていった(3HRするも、試合は3対4で敗れている)。ダイヤモンドバックスは低空飛行を続ける中で、フィンリーは5月の月間打率が.346、6月が.333と孤軍奮闘。7月末のトレード期限ギリギリに優勝を目指すドジャースへの移籍が決まった。そしてドジャースの地区優勝に貢献したのである(ディビジョンシリーズで敗退したが)。この年は2チーム合わせて162試合に出場し、打率.271、36HR、94打点と39歳とは思えない数字を残したのである。
2005年はエンゼルスへFA移籍。40歳でありながらセンターのポジションを確保した。しかし、低打率に苦しみ、シーズン途中には右肩痛で故障者リストに入り、約1ヶ月も離脱。終わってみれば、112試合の出場で打率.222、12HR、54打点に終わっている。チームは地区優勝を果たしたこともあり、2年連続でのポストシーズンへと出場(しかし、リーグチャンピオンシップシリーズで敗退している)。オフには交換トレードでジャイアンツへ移籍することが決まった(交換相手はエドガード・アルフォンゾ)。
2006年、ジャイアンツのセンターとしてフルシーズン過ごしたが、同じ41歳のバリー・ボンズとスタメンに名を連ねたことで話題にもなった。結果としては139試合に出場し、打率.246、6HR、40打点と往年の数字は残せなかったが、通算HR数も300本の大台に乗せ、300HRに300盗塁の「300-300」クラブ入りを果たしたのである。これはウイリー・メイズ、ボビー・ボンズ、アンドレ・ドーソン、チームメイトであるボンズ、レジー・サンダースに続いてフィンリーが史上6人目となる。
2007年はロッキーズとマイナー契約を交わし、そこから這い上がり開幕ロースター入りを手にした。しかし、思うような結果を残せずに6月半ばには解雇されてしまった。現役への色気は見せているが、解雇されて以降はメジャーリーグの舞台に立っていない。通算成績は2538試合の出場で、打率.271、2548安打、304HR、1167打点、320盗塁というものである。
【written by Kenji@webmaster】
獲得タイトル一覧
受賞アワード一覧
- ゴールドグラブ賞:5回(1995-NL、1996-NL、1999-NL、2000-NL、2004-NL)
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1989 Bal 81 217 35 54 5 2 2 25 30 15 17 .298 .318 .249 1990 Bal 142 464 46 119 16 4 3 37 53 32 22 .304 .328 .256 1991 Hou 159 596 84 170 28 10 8 54 65 42 34 .331 .406 .285 1992 Hou 162 607 84 177 29 13 5 55 63 58 44 .355 .407 .292 1993 Hou 142 545 69 145 15 13 8 44 65 28 19 .304 .385 .266 1994 Hou 94 373 64 103 16 5 11 33 52 28 13 .329 .434 .276 1995 SD 139 562 104 167 23 8 10 44 62 59 36 .366 .420 .297 1996 SD 161 655 126 195 45 9 30 95 87 56 22 .354 .531 .298 1997 SD 143 560 101 146 26 5 28 92 92 43 15 .313 .475 .261 1998 SD 159 619 92 154 40 6 14 67 103 45 12 .301 .401 .249 1999 Ari 156 590 100 156 32 10 34 103 94 63 8 .336 .525 .264 2000 Ari 152 539 100 151 27 5 35 96 87 65 12 .361 .544 .280 2001 Ari 140 495 66 136 27 4 14 73 67 47 11 .337 .430 .275 2002 Ari 150 505 82 145 24 4 25 89 73 65 16 .370 .499 .287 2003 Ari 147 516 82 148 24 10 22 70 94 57 15 .363 .500 .287 2004 LAD 58 224 31 59 12 0 13 46 30 21 1 .324 .491 .263 2004 Ari 104 404 61 111 16 1 23 48 52 40 8 .338 .490 .275 2005 LAA 112 406 41 90 20 3 12 54 71 26 8 .271 .374 .222 2006 SF 139 426 66 105 21 12 6 40 55 46 7 .320 .394 .246 2007 Col 43 94 9 17 3 0 1 2 4 8 0 .245 .245 .181 ------------------------------------------------------------------------------ Total 2583 9397 1443 2548 449 124 304 1167 1299 844 320 .332 .442 .271
キャリアハイライト一覧
- オールスター出場:2回(1997-NL、2000-NL)
- 世界一経験:1回(2001-Ari)
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