- 2008-06-07 (土) 8:39
- MLB Players

#15 サーマン・マンソン | C

- 1968年ドラフト・ヤンキース1位(全米4番目)
- 1947年6月7日生 左投左打 180センチ 85キロ
- オハイオ州出身
選手の紹介文
1970年代を代表する捕手にあげられるサーマン・マンソン。メジャーリーグにとってFA制が導入され、指名打者制も採用されるなど、球界そのものが大きく変わり始める中、捕手として、さらにキャプテンとしてヤンキースを引っ張り、チームを世界一に導いたりもした名選手である。
オハイオ州カントンの出身であるマンソンは若い頃から野球とフットボールに高い才能を見せた。ケント州立大学へ進学し、1968年にヤンキースからドラフト1位指名を受けてプロ入りを決めた。当然マイナーからのスタートとなるが、100試合に満たない出場でメジャー昇格を決めた。
昇格したばかりの1969年はわずか26試合の出場に留まっている。当時のヤンキースは1964年のリーグ優勝を最後にペナントからは遠ざかり、名門チームの名前も過去の栄光という状態に陥っていた。その中で監督だったラルフ・ホウクは選手時代に捕手だったこともあり、マンソンの捕手としての才能を早い段階で見抜いたのである。
1970年、正捕手に定着したマンソンは132試合に出場し、打率.302を記録。新人王投票では24票中23票を集めて晴れて新人王に輝いた。そして翌1971年にはオールスターにも出場するなど、着々とその地位を固めていく。
1973年には打率.301、20HR、74打点をマークすれば、捕手としての守備面も高く評価され、この年から3年連続でゴールドグラブ賞を獲得。1975年には打率.318、12HR、102打点という成績を残すなど、まさにマンソンは選手として最盛期を迎えたと言える。
1976年、監督であるビリー・マーチンはマンソンをヤンキースのキャプテンに任命。実にヤンキースにとってキャプテンは、1941年のルー・ゲーリッグを最後に空席になっていたが、35年ぶりにマンソンがその座についた。(マンソンは第6代キャプテンであり、現キャプテンのデレク・ジーターが第11代となる)
キャプテンとなったこの年、マンソンは打率.302、17HR、105打点をマークし、シーズンMVPを受賞。チームも12年ぶりとなる地区優勝を果たした。ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.435を記録するなど、チームをリーグ優勝に導いている。
ワールドシリーズでは同じ捕手として時代を代表するジョニー・ベンチがいるレッズと対戦。シリーズでは打率.529を記録するなど大舞台での勝負強さを見せたが、チームは4連敗に終わっている。
チームはオーナーのジョージ・スタインブレナーがFA制度を利用し、他球団から大物選手を買い漁る中、生え抜き選手であるマンソンの存在は貴重であったが、そのマンソンより高い年俸でレジー・ジャクソンが加わったことは周囲に様々な軋轢を生み出したと言われる。
個性派選手を揃えた1977年のヤンキースは2年連続でワールドシリーズまで駒を進め、ジャクソンの3連発などで1962年以来の世界一をもたらした。翌1978年も14ゲームを跳ね返す逆転で地区優勝を果たし、そのまま2年連続となる世界一を奪取。ここでもキャプテンであるマンソンの存在は非常に大きかった。
まさに順風満帆だったマンソンのメジャー生活。そんな中で事故は起こってしまった。1979年8月2日のことである。
試合がなかったその日、自家用ジェット機を操縦していたマンソンが、自宅が近いカントン・アクロン飛行場上空で操縦を誤り、墜落し炎上するという不慮の事故に見舞われてしまった。こうしてその短い人生に終止符を打たざるを得なくなった。マンソン、32歳の夏の日のことである。
チームの支柱を失ってしまったヤンキースは混迷を極め、次に世界一になるには1996年まで待たなければならなかった。マンソンとの仲が取り沙汰されていたジャクソンも「彼がいたら1980年、1981年共に世界一に輝いていたはずだ」と語るなど、その存在感の大きさを物語っている。
実はこの頃、マンソンは自宅のあるオハイオ州に本拠を構えるインディアンズへの移籍話が浮上していたことが後に明らかになった。しかし、この移籍は実現することなく、マンソンは永遠にヤンキースのマンソンであり続けることになる。マンソンの背番号15は永久欠番となり、短く終わった栄光はこれからも伝えられていくことだろう。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G AB R H 2B 3B HR RBI SO BB SB OBP SLG AVG ------------------------------------------------------------------------------ 1969 NYY 26 86 6 22 1 2 1 9 10 10 0 .330 .349 .256 1970 NYY 132 453 59 137 25 4 6 53 56 57 5 .386 .415 .302 1971 NYY 125 451 71 113 15 4 10 42 65 52 6 .335 .368 .251 1972 NYY 140 511 54 143 16 3 7 46 58 47 6 .343 .364 .280 1973 NYY 147 519 80 156 29 4 20 74 64 48 4 .362 .487 .301 1974 NYY 144 517 64 135 19 2 13 60 66 44 2 .316 .381 .261 1975 NYY 157 597 83 190 24 3 12 102 52 45 3 .366 .429 .318 1976 NYY 152 616 79 186 27 1 17 105 38 29 14 .337 .432 .302 1977 NYY 149 595 85 183 28 5 18 100 55 39 5 .351 .462 .308 1978 NYY 154 617 73 183 27 1 6 71 70 35 2 .332 .373 .297 1979 NYY 97 382 42 110 18 3 3 39 37 32 1 .340 .374 .288 ------------------------------------------------------------------------------ Total 1423 5344 696 1558 229 32 113 701 571 438 48 .346 .410 .292
受賞タイトル一覧
- MVP1回(1976)
- 新人王(1970)
- ゴールドグラブ賞3回(1973~75)
- オールスター出場7回(1971,73~78)
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