- 2008-06-18 (水) 0:01
- MLB Players
#47 トム・グラビン | SP

- 1984年6月ドラフト・ブレーブス2位
- 1966年3月25日生 左投左打 185センチ 83キロ
- マサチューセッツ州出身
過去3年間の成績
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 2005 NYM 33 33 2 1 13 13 0 211.1 227 105 61 88 83 3.54 2006 NYM 32 32 0 0 15 7 0 198.0 202 131 62 94 84 3.82 2007 NYM 34 34 1 1 13 8 0 200.1 219 89 64 102 99 4.45 ----------------------------------------------------------------------------- Total 669 669 56 25 303 199 0 4350.0 4231 2570 1463 1860 1695 3.51
選手の紹介文
抜群の安定感を見せ、アウトコースを丹念についていくピッチングが信条のトム・グラビン。ブレーブス一筋でプレーしていたグラビンがメッツへ移籍したのが2003年。通算300勝の大台に乗せた後、2008年は再びブレーブスへ復帰。将来の殿堂入りが確実視されている大投手の幕引きに注目が集まる。
野球とホッケーを楽しんでいたグラビンは、その両方で高い才能を見せた。1984年ドラフトでブレーブスから2位指名を受ける一方で、NHLのロサンゼルス・キングスからも4位指名され大きな話題になった。結局は野球を選んだグラビンは1985年、1Aサムターで26試合に先発し、9勝6敗を記録し、リーグトップの防御率2.35をマークした。翌1986年には2Aグリーンビルで11勝6敗、防御率3.41をマークし、シーズン終盤には3Aリッチモンドへ昇格も果たした。
1987年、3Aで6勝12敗ながら防御率3.35をマークしていたグラビンにメジャーからお呼びがかかったのは8月半ばのことだった。8月17日のアストロズ戦においてメジャーデビューを果たし、2試合目となる22日のパイレーツ戦において7回1/3を7安打3失点に抑え、メジャー初勝利を手にした。さらに1988年、オールスターまでの前半戦で3勝9敗、後半戦でも4勝8敗となかなか勝利を手にすることが出来ず、リーグトップの17敗をマークしてしまう。というのも、当時のブレーブスは非常に弱いチームで、特にこの年は54勝106敗の勝率.338で、ダントツの地区最下位だったことも影響している。
1989年のブレーブス投手陣を支えたのは当時23歳のグラビンと、22歳のジョン・スモルツだった。苦しいチーム状況の中でグラビンはマーク・ラングストンと並ぶリーグトップの4完封に加え、14勝8敗の防御率3.68をマーク。一方のスモルツも12勝11敗、防御率2.94をマークするなど、この2人の活躍は弱いチームに光を与えた。翌1990年もグラビンは33試合に先発し、10勝12敗を挙げ、14勝(11敗)を挙げたスモルツと共にチームを支えたが、チームは3年連続の地区最下位に沈んでいた。
1991年はグラビンにとって素晴らしいシーズンになった。34試合に先発し、20勝11敗、防御率2.55を記録し、最多勝とサイヤング賞を受賞。ブレーブスとしては1957年のウォーレン・スパーン以来のサイヤング賞受賞であり、アトランタ移転では初である。さらにオールスターゲームでは先発も務め、打撃面でも高い評価を受け、シルバースラッガー賞も受賞。チームも前年までの最下位から一気に躍進し、リーグ優勝を飾った。パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦と第5戦に先発するが、好投するものの援護なく2敗してしまう。しかし、チームは4勝3敗でワールドシリーズへコマを進め、グラビンはワールドシリーズの舞台に立つことが出来た(ツインズの前に3勝4敗で敗れ、世界一の栄冠を手にすることは出来なかった)。
1992年、オールスターでの2年連続先発に加え、リーグトップの20勝(8敗)、5完封を記録。シーズン途中には13連勝をマークするなど破竹の勢いを見せたグラビン。チームも2年連続でワールドシリーズへ進出した(しかし、ブルージェイズの前に敗れた)。翌1993年からグレッグ・マダックスがチームメイトとして加わり、ブレーブス投手陣はますます強力になる。この年は22勝6敗、防御率3.20をマークし、3年連続20勝を記録した。サイヤング賞投票ではマダックス、ビル・スウィフトに次ぐ3位に終わったが、もはやメジャーを代表する左腕であることは誰もが認めていた。
ストライキで中断された1994年シーズン途中に通算100勝をマーク。この年は打線の援護のあるなしがはっきりしており、グラビンが勝った試合は大勝ちするが、負けた試合はほとんど援護がなかったこともあり、25試合の先発で13勝9敗に終わってしまう。
1995年のグラビンは16勝7敗、防御率3.08という成績でありながら、グラビンが先発した29試合においてチームは21勝8敗と高勝率を挙げるなど勝ち運に恵まれていたと言える。さらにバッティング面でもメジャー初のホームランも放ち、自身2度目のシルバースラッガー賞を受賞。チームも3年ぶりにワールドシリーズシリーズへ進出。グラビンは第2戦と第6戦に先発し、計14回を投げて4安打3失点と好投して2勝をマーク。見事にワールドシリーズMVPも獲得した。
1996年は4月末から6連勝を飾るなど好調をキープ。36試合の先発で15勝10敗、防御率2.98という成績を残している。1991年から数えた6年間でグラビンは計106勝を挙げており、これはチームメイトのマダックスの105勝を上回るものである。前年に続いてワールドシリーズへコマを進めたブレーブスの中で、グラビンは第3戦の先発のマウンドに上がる。デビッド・コーンとの投げ合いに敗れてしまうが、7回を4安打2失点と決して悪い内容ではなかった(結局、ヤンキースの前に2勝4敗で敗れる)。しかし、グラビンは過去4度のワールドシリーズの中で7試合に先発しており、計51回1/3を投げて、わずか10失点しか記録しておらず、これは防御率にすれば1.75と歴代の大投手と並べても遜色のない数字である。
1997年、4月に4勝0敗、防御率1.64と素晴らしい成績で月間MVPを獲得する最高のスタートを切る。しかし、夏場にはなかなか勝ちに恵まれず苦しみ、14勝7敗の防御率2.98という成績に終わる。リーグチャンピオンシップシリーズではマーリンズの前に敗れ、3年連続ワールドシリーズ進出は果たせなかった。そして、オフにグラビンは痛めていた膝の手術も行った。
1998年、開幕から好調をキープしたグラビンは、自身4度目のシーズン20勝をマークし、最多勝のタイトルと共に7年ぶりのサイヤング賞を受賞した。オールスターでは1回1/3を投げ、5安打3四球4失点と散々の内容に終わったが、シーズンに入ってのピッチングは素晴らしく、ロードゲームでの17試合の先発で、12勝2敗の防御率1.78と圧巻の内容だった。
1999年はストライクゾーン改正に苦しんだシーズンとなり、防御率4.12とリーグ最多の被安打259本というのがそれを表している。前半戦は特に苦しみ、6月上旬の段階で3勝7敗とグラビンらしさがそこにはなかった。しかし、後半戦最後の15試合の登板で11勝をマークし、シーズントータルで14勝11敗を挙げたというのは、グラビンの環境適応能力の高さともいえる。また、1990年代にグラビンは計164勝を挙げており、これはマダックスの174勝に次ぐ2位の記録である。この年、3年ぶりにコマを進めたワールドシリーズでは、グラビンは第3戦に先発したがヤンキースの勢いを止められずに4連敗してしまった。
2000年、35試合に先発したグラビンは21勝9敗、防御率3.40をマークし、サイヤング賞投票ではランディ・ジョンソンに次ぐ2位に付けた。メジャー史上96人目の通算200勝達成に加え、史上33人目となるシーズン20勝を5度も達成とフル回転で活躍。スモルツが1年間投げられないというチーム状況の中でよく投げたといえる。
2001年もグラビンらしさが発揮されたシーズンとなった。開幕当初は左肩に痛みもあったが、7月には6試合の先発で4勝0敗の防御率1.91と大活躍。チームは貧打に苦しんでいたが、その中で16勝(7敗)をマークし、チームの10シーズン連続の地区優勝に貢献したている。翌2002年、36試合に先発し、18勝11敗、防御率2.96と好成績を残している。
2003年、FAとなったグラビンはライバルチームであるメッツへの移籍を決めた。4年間4250万ドルという大型契約での移籍である。大きな転機となった移籍だが、開幕からなかなか結果を残せない日が続き、結果として9勝14敗、防御率4.52という成績に終わった。1989年から続いていた連続2桁勝利が途切れてしまったことになる。翌2004年も11勝14敗と負け越すなど白星に恵まれず苦んだ。
2005年は13勝(13敗)、2006年は15勝(7敗)とチームに怪我人が相次ぐ中で奮闘した。2007年もメッツと1年契約を交わしたグラビンは、8月5日の対カブス戦でメジャー史上23人目となる通算300勝を達成。左投手としてはエディー・プランク、レフティー・グローブ、スパーン、スティーブ・カールトンに次ぐ5人目の快挙でもある。
2008年、古巣ブレーブスに戻ってきたグラビン。1度も故障者リストに入ることがなかったが、この年初めての故障者リスト入りを経験。現役生活も晩年にさしかかっているが、先発として試合を作る能力は秀逸である。牽制を含む守備面でも評価が高く、マダックスがいなければゴールドグラブ賞を獲得していてもおかしくない。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1987 Atl 9 9 0 0 2 4 0 51.2 55 20 33 34 31 5.51 1988 Atl 34 34 1 0 7 17 0 195.1 201 84 63 111 99 4.56 1989 Atl 29 29 6 4 14 8 0 186.0 172 90 40 88 76 3.68 1990 Atl 33 33 1 0 10 12 0 214.1 232 129 78 111 102 4.28 1991 Atl 34 34 9 1 20 11 0 247.2 201 192 69 83 70 2.55 1992 Atl 33 33 7 5 20 8 0 225.0 197 129 70 81 69 2.76 1993 Atl 36 36 4 2 22 6 0 239.1 236 120 90 91 85 3.20 1994 Atl 25 25 2 0 13 9 0 165.1 173 140 70 76 73 3.97 1995 Atl 29 29 3 1 16 7 0 199.2 182 127 66 76 68 3.08 1996 Atl 36 36 1 0 15 10 0 235.1 222 181 85 91 78 2.98 1997 Atl 33 33 5 2 14 7 0 240.0 197 152 79 86 79 2.96 1998 Atl 33 33 4 3 20 6 0 229.1 202 157 74 67 63 2.47 1999 Atl 35 35 2 0 14 11 0 234.0 259 138 83 115 107 4.12 2000 Atl 35 35 4 2 21 9 0 241.0 222 152 65 101 91 3.40 2001 Atl 35 35 1 1 16 7 0 219.1 213 116 97 92 87 3.57 2002 Atl 36 36 2 1 18 11 0 225.2 210 127 78 85 74 2.96 2003 NYM 32 32 0 0 9 14 0 183.1 205 82 66 94 92 4.52 2004 NYM 33 33 1 1 11 14 0 212.1 204 109 70 94 85 3.60 2005 NYM 33 33 2 1 13 13 0 211.1 227 105 61 88 83 3.54 2006 NYM 32 32 0 0 15 7 0 198.0 202 131 62 94 84 3.82 2007 NYM 34 34 1 1 13 8 0 200.1 219 89 64 102 99 4.45 ----------------------------------------------------------------------------- Total 669 669 56 25 303 199 0 4350.0 4231 2570 1463 1860 1695 3.51
受賞タイトル一覧
- サイヤング賞2回(1991,98)
- 最多勝5回(1991~93,98,2000)
- シルバースラッガー賞4回(1991,95,96,98)
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