- 2008-10-03 (金) 0:02
- MLB Players

#* ウォルター・ジョンソン(Walter JOHNSON) | SP

- 1907年・セネタースと契約
- 1987年11月6日生 右投右打 185センチ 89キロ
- カンザス州出身
選手の紹介文
メジャー史上2位となる通算417勝をマークしているウォルター・ジョンソン。無類の剛速球を武器に奪三振の山を築き、「ビッグ・トレイン/The Big Train(人間機関車)」という愛称で呼ばれた。弱小球団セネタースにキャリアを捧げたこともあり、仮に強い球団に入っていたならより多くの白星を挙げていたに違いない。
カンザス州に生まれたジョンソンは子供の頃にカリフォルニア州に移住。野球を始めたのは14歳と遅かったが、その強肩は早い段階で注目を浴びた。最初のポジションは捕手であったが、投手転向後、高校時代には1試合27奪三振という記録も残しているという。卒業後、アイダホ州のセミプロ球団で投げていたジョンソンへ最初に声をかけたのはパイレーツだった。
入団テストへの参加を求められ、合否を問わず帰りの電車賃を求めたジョンソンに対し、パイレーツはノーと言った。そのタイミングでセネタースからの声がかかったのである。セネタースは入団テストに落ちても帰りの電車賃を払うことを約束し、ジョンソンはワシントンに向かった。そして実力が認められ、1907年、セネタースと契約したのである。
1907年8月2日、対タイガース戦でメジャーデビューを飾った。デビュー戦は2対3で敗戦となるが、相手チームにいたタイ・カッブはジョンソンの才能に早くも気付き、タイガースにジョンソン獲得を勧めたという。この年は14試合の登板で5勝9敗と負け越しながら、防御率1.88と安定感ある投球を見せたのである。
1908年も14勝(14敗)ながら防御率1.64という安定感を見せた。その中でも完封試合は6試合を数え、4日の間に3試合連続完封を記録するなど、後の大投手たる片鱗を見せている。翌1909年も13勝(25敗)ながら防御率2.21に抑え、自らの活躍がチームの勝利に結びつけられない苦しい投球が続いたのである。
1910年になってジョンソンの才能が開花したのである。45試合に登板し、25勝17敗、防御率1.35、313奪三振という結果を残し、最多奪三振のタイトルを獲得。この年から10年連続20勝以上(1912年は33勝、1913年は36勝)を記録している。最多奪三振のタイトルも1912年から8年連続で受賞しており、実に1910年からの10年間で9度タイトルを獲得したことになる。
1913年には4月10日から5月13日までの間で56回2/3イニング連続無失点のメジャー記録を樹立。この記録は1968年、ドン・ドライスデールに抜かれるまでは不滅のメジャー記録と呼ばれていた。この年はチームはシーズン90勝しか挙げていない中で、36勝7敗、防御率1.09と一人でチームの屋台骨を支えている状態だったのである。
1914年には新興リーグのフェデラルリーグと契約するが、結果的にセネタースに戻ってきた。1916年はシーズン通して投球回数369回2/3を投げながらもHRを1本も打たれなかった。1920年、7月1日の試合でノーヒッターを達成したが、その後腕を痛めてしまい戦線離脱し、この年はわずか8勝に終わってしまう。翌1921年には父の死や娘の死もあり、しばらくは苦しい投球が続いてしまうが、かろうじて17勝を挙げている。
ワールドシリーズで投げたい希望を持ちつつも、チームが下位を低迷し、その機会には恵まれないでいた(ジョンソンが30勝以上を挙げた1912年、1913年とセネタースはリーグ2位に躍進しているが)。そして迎えた1924年、ジョンソンが36歳の時にその時は巡ってきたのである。シーズン23勝をマークして、リーグ優勝に貢献。ワールドシリーズではジャイアンツと対戦したのである。
ジョンソン自身の投球が出来ず、序盤は0勝2敗と苦しんだ。シリーズは3勝3敗で第7戦までもつれ、その試合の終盤の8回からジョンソンが登板。試合は延長戦にもつれ込むもジョンソンは無失点に抑え、12回裏に味方のサヨナラ勝ちを呼び込んだのである。劇的な勝利で世界一の美酒をついに味わった。翌1925年にもセネタースはリーグ2連覇を達成し、ジョンソンの晩年を飾っている。ワールドシリーズでは37歳11ヶ月という最年長での完封勝利をマークしているが、2年連続世界一は逃した。
1927年限りで現役を引退するが、通算成績は417勝279敗、防御率2.17、3508奪三振と堂々たる成績を残した。完封110試合というのは今も破られないメジャーリーグ記録である。さらに投手としては打撃も良く、24HRも記録しているのである。引退後はセネタース、インディアンズの監督を務めたが、監督としての結果は残せなかった。1936年に殿堂入りを果たし、1946年に59歳で脳腫瘍により、その生涯を終えている。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1907 Was 14 12 11 2 5 9 0 110.1 100 70 20 35 23 1.88 1908 Was 36 30 23 6 14 14 1 256.1 194 160 53 75 47 1.65 1909 Was 40 36 27 4 13 25 1 296.1 247 164 84 112 73 2.22 1910 Was 45 42 38 8 25 17 1 370.0 262 313 76 92 56 1.36 1911 Was 40 37 36 6 25 13 1 322.1 292 207 70 119 68 1.90 1912 Was 50 37 34 7 33 12 2 369.0 259 303 76 89 57 1.39 1913 Was 48 36 29 11 36 7 2 346.0 232 243 38 56 44 1.14 1914 Was 51 40 33 9 28 18 1 371.2 287 225 74 88 71 1.72 1915 Was 47 39 35 7 27 13 4 336.2 258 203 56 83 58 1.55 1916 Was 48 38 36 3 25 20 1 369.2 290 228 82 105 78 1.90 1917 Was 47 34 30 8 23 16 3 326.0 248 188 68 105 80 2.21 1918 Was 39 29 29 8 23 13 3 326.0 241 162 70 71 46 1.27 1919 Was 39 29 27 7 20 14 2 290.1 235 147 51 73 48 1.49 1920 Was 21 15 12 4 8 10 3 143.2 135 78 27 68 50 3.13 1921 Was 35 32 25 1 17 14 1 264.0 265 143 92 122 103 3.51 1922 Was 41 31 23 4 15 16 4 280.0 283 105 99 115 93 2.99 1923 Was 42 34 18 3 17 12 4 261.0 263 130 73 112 101 3.48 1924 Was 38 38 20 6 23 7 0 277.2 233 158 77 97 84 2.72 1925 Was 30 29 16 3 20 7 0 229.0 217 108 78 95 78 3.07 1926 Was 33 33 22 2 15 16 0 260.2 259 125 73 120 105 3.63 1927 Was 18 15 7 1 5 6 0 107.2 113 48 26 70 61 5.10 ----------------------------------------------------------------------------- Total 802 666 531 110 417 279 34 5914.1 4913 3508 1363 1902 1424 2.17
受賞タイトル一覧
- 最多勝6回(1913-AL~1916-AL,1918-AL,1924-AL)
- 最優秀防御率5回(1912-AL,1913-AL,1918-AL,1919-AL,1924-AL)
- 最多奪三振12回(1910-AL,1912-AL~1919-AL,1921-AL,1923-AL,1924-AL)
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