- 2008-10-31 (金) 0:06
- MLB Players

#16 ホワイティ・フォード(Whitey FORD) | SP

- 1947年1月・ヤンキースと契約
- 1928年10月21日生 左投左打 178センチ 82キロ
- ニューヨーク州出身
選手の紹介文
かつてのヤンキース黄金時代を支えた小柄なサウスポーのホワイティ・フォード。多彩な変化球を武器に抜群のマウンド度胸を誇り、大舞台では勝負強かった。通算記録は236勝106敗であり、勝率.690とメジャー最高の数字を残している。ヤンキース一筋にプレーしたが、永久欠番の多いヤンキースの中でも、フォードの背番号16番は投手として唯一の永久欠番となる。
生粋のニューヨークっ子として育ったフォード。比較的裕福な家庭で育ったフォードが本格的に野球を始めたのは高校に入ってからであり、当時はファーストだったという。才能の片鱗に気付いたヤンキースのスカウトが声をかけ、投手への本格的なコンバートを進めたという。その理由としては背が低い点と、普通に投げる球に回転がかかっている点に着目したのだった。
1947年、18歳のフォードはヤンキースのマイナーからプロ生活をスタートさせるといきなり13勝(4敗)をマーク。物怖じしない性格も幸いし、その後も16勝(8敗)、16勝(5敗)と着実に毎年成績を残していき、1950年のシーズン途中にはメジャー昇格を果たしたのである。デビュー戦こそKOされてしまうが、その後は9連勝を挙げるなど周囲の期待に十分すぎるほどの答えを出したのである。なお、ワールドシリーズでも初登板初勝利を飾っている。
ここから更なる飛躍が期待されたが、1951年から兵役に就くことになってしまった。朝鮮戦争に駆り出され、2年間もマウンドから遠ざかったのである。しかも、通信兵として作業中、電柱に登って作業している際、15メートル下に転落する事故に見舞い、選手生命を左右するほどの怪我を負い、その将来に暗雲が立ちこめた。そんな中でフォードは賢明なリハビリでメジャーリーグのマウンドに戻ってくる事になる。デビュー時には19番だった背番号を、復帰を果たした1953年から16番に変えている。
復帰した1953年、フォードの変化球の切れはそれまでより鋭くなり、実に18勝(6敗)という結果を残し、周囲の不安をあっさりと拭き去ったのである。ヤンキースのエースとして台頭し、1955年には18勝(7敗)で最多勝のタイトルを獲得。翌1956年は19勝(6敗)、防御率2.47で最優秀防御率のタイトルも受賞している。とはいえ、シーズン20勝をマークすることがなく、これは監督であるケーシー・ステンゲルがフォードを大事に扱っていたことも影響している。
1961年、ラルフ・ホークに監督が替わるとフォードの登板間隔が狭まり、登板機会が増えた。これによりこの年は25勝4敗、防御率3.21という好成績を残し、最多勝のタイトルと共にサイヤング賞も受賞している。ワールドシリーズでは33回2/3を連続イニング無失点に抑える記録を作り、チームの世界一に大きく貢献したのである。1963年にも24勝(7敗)をマークし、自身3度目の最多勝のタイトルを手にしている。
1967年は7試合にしか登板できず、オフには現役を引退したフォード。ヤンキース一筋に積み上げた236個の白星はヤンキースの球団記録でもある。フォードが第一線で活躍したヤンキースの16年間では、球団として1486勝1027敗という成績を残しているが、その中でフォードは236勝106敗という数字を残していることになる。通算で45度の完封勝利に、1対0での完封劇は8度を数える。
大舞台での勝負強さは折り紙付きで、11度もワールドシリーズ出場を誇り、22回の先発、10個の白星、8個の黒星はいずれも歴代1位の記録である。1960年のワールドシリーズ(対パイレーツ)ではビル・マゼロスキーにサヨナラHRを浴びて敗れたヤンキースだが、なぜフォードを投げさせなかったかステンゲル監督に非難が集まった。翌1961年のワールドシリーズ(対レッズ)ではシリーズMVPも受賞している。
現役時代を共に過ごしたミッキー・マントル、ビリー・マーチンとは特に仲が良かったという。3人がヤンキースのユニフォームを脱いだ後は低迷期を迎えた事もあり、もっとも良い時代を過ごしたとも言える。1974年には友人のマントルと共に殿堂入りを決めた。晩年にはスピットボールを投げていたという噂もあり、本人もそれを認めるような発言もあったという。
<written by Kenji@webmaster>
各年度別成績一覧
YEAR Team G GS CG SHO W L SV IP H SO BB R ER ERA ----------------------------------------------------------------------------- 1950 NYY 20 12 7 2 9 1 1 112.0 87 59 52 39 35 2.81 1953 NYY 32 30 11 3 18 6 0 207.0 187 110 110 77 69 3.00 1954 NYY 34 28 11 3 16 8 1 210.2 170 125 101 72 66 2.82 1955 NYY 39 33 18 5 18 7 2 253.2 188 137 113 83 74 2.63 1956 NYY 31 30 18 2 19 6 1 225.2 187 141 84 70 62 2.47 1957 NYY 24 17 5 0 11 5 0 129.1 114 84 53 46 37 2.57 1958 NYY 30 29 15 7 14 7 1 219.1 174 145 62 62 49 2.01 1959 NYY 35 29 9 2 16 10 1 204.0 194 114 89 82 69 3.04 1960 NYY 33 29 8 4 12 9 0 192.2 168 85 65 76 66 3.08 1961 NYY 39 39 11 3 25 4 0 283.0 242 209 92 108 101 3.21 1962 NYY 38 37 7 0 17 8 0 257.2 243 160 69 90 83 2.90 1963 NYY 38 37 13 3 24 7 1 269.1 240 189 56 94 82 2.74 1964 NYY 39 36 12 8 17 6 1 244.2 212 172 57 67 58 2.13 1965 NYY 37 36 9 2 16 13 1 244.1 241 162 50 97 88 3.24 1966 NYY 22 9 0 0 2 5 0 73.0 79 43 24 33 20 2.47 1967 NYY 7 7 2 1 2 4 0 44.0 40 21 9 11 8 1.64 ----------------------------------------------------------------------------- Total 498 438 156 45 236 106 10 3170.1 2766 1956 1086 1107 967 2.75
受賞タイトル一覧
- サイヤング賞1回(1961-AL)
- 最多勝3回(1955-AL,1961-AL,1963-AL)
- 最優秀防御率2回(1956-AL,1958-AL)
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