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カル・リプケン

#005「勇気ある決断!連続試合出場ストップ」(1998.9.20)

自ら申し出て、連続試合出場に終止符を打ったリプケン。1998年9月20日、そこにあるべきはずの名前がなかった。この年のボルチモアでの最終戦、カル・リプケンが自らの連続試合出場に終止符を打つことを決断し、自ら申し出たという。1982年から続いていたメジャーリーグ記録でもある連続試合出場は2632試合でストップすることになった。

1982年5月30日から始まった連続試合出場は、サードを守りスタートし、後にショートストップにコンバート。1982年6月5日からは1987年9月14日までは8243連続イニング出場を果たし、これもメジャー記録である。1994年のストライキを乗り越え、1995年9月6日にはルー・ゲーリッグの持つ2130試合連続出場のメジャー記録を塗り替えた。1996年6月14日には衣笠祥雄の2215試合連続試合出場という世界記録も塗り替えたのである。

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Jose CANSECO(ホゼ・カンセコ)

Major League Baseball

#33 ホゼ・カンセコ | OF

ホゼ・カンセコ

  • 1982年6月ドラフト・アスレティックス15位
  • 1964年7月2日生 右投右打 193センチ 108キロ
  • キューバ出身

選手の紹介文
エクスポスでのメジャー復帰を目指した頃のカンセコ。新人王を獲得し、MVPも授賞。メジャー史上初の「40-40」を達成するなどメジャーを代表する選手だったホゼ・カンセコ。晩年は通算500号HR達成に執念を見せるべく、メジャー昇格に執念をみせるが怪我に苦しみバットを置くことになった(結果的に462本)。引退後は自らのステロイド使用を認める発言や本出版で話題となり、華々しい現役時代とは違う意味で一挙手一投足に注目が集まっている。

1964年、カンセコはキューバの首都ハバナで生まれた。生後まもなくアメリカに亡命し、フロリダで順調にすくすく育った。高校時代には打率4割を記録したカンセコだったが、1982年のドラフトで指名されたときの評価はアスレティックスからの15位というもので、さほど高いものではなかった。

カンセコが飛躍のきっかけを掴んだのは1984年の1Aモデストでのことで、この年は116試合に出場し、打率.276、15HR、73打点を記録した。そして、2Aハンツビルで開幕を迎えた翌1985年は、58試合で打率.318、25HR、80打点という桁違いの数字を残し、3Aタコマへ昇格。3Aでも60試合に出場し、打率.348、11HR、47打点を記録し、9月に入るとメジャーからお呼びがかかった。

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Eddie MURRAY(エディー・マレー)

Major League Baseball

#33 エディー・マレー | 1B

エディー・マレー

  • 1973年6月ドラフト・オリオールズ3位
  • 1956年2月24日生 右投両打 188センチ 91キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
史上最高のスイッチヒッターであるマレー。物静かで地味な印象はあるが、チーム内での存在感や残した成績は抜群のエディー・マレー。3000本安打と500HRの両方を達成したのはハンク・アーロンウイリー・メイズに次ぐ史上3人目であり、スイッチヒッターとしては、マレーが史上初である。1試合左右両打席HRを11回を記録したのはマレーのみであるなど、スイッチヒッターとして残した成績はミッキー・マントルを上回っている。

1956年、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれたマレー。高校時代には後に華麗な守備で殿堂入りも果たすオジー・スミスとチームメイトとして共にプレーする機会にも恵まれた。そして、1973年にオリオールズから3位指名を受けて、プロ入り。即メジャー昇格とはいかず、マイナーで4年間もじっくりと鍛え上げ、長打も兼ね備えたスイッチヒッターとして磨きをかけた。

1977年、メジャー初昇格と同時にオリオールズのファーストのポジションを確保。1年目から160試合に出場し、打率.283、27HR、88打点という好成績を残し、見事に新人王を受賞。翌1978年も161試合の出場で、打率.285、27HR、95打点と前年とほぼ同じ数字を残し、2年目のジンクスを全く感じさせない打撃を見せた。その後も安定した数字を残し、1979年にはチームのリーグ優勝に貢献。はじめてのワールドシリーズの舞台では、HRも記録したが世界一になることは出来なかった。

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Tony GWYNN(トニー・グウィン)

Major League Baseball

#19 トニー・グウィン | OF

トニー・グウィン

  • 1981年6月ドラフト・パドレス3位
  • 1960年5月9日生 左投左打 180センチ 99キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
パドレス一筋でキャリアを全うしたトニー・グウィン。屈指の安打製造器として名前の挙がるトニー・グウィン。パドレス一筋としてメジャー生活を全うし、8度の首位打者獲得はホーナス・ワグナーに並ぶナショナルリーグ記録でもある。メジャー2年目から18年連続で打率3割以上を記録するなど、その打撃力はメジャーリーガーの中で頭一つ抜けた存在とも言える。

カリフォルニア州に生まれたグウィンは、野球にバスケットバールに汗を流した。高校時代にはドラフト指名されることはなかったが、サンディエゴ州立大学にはバスケットボールの奨学生として進学。徐々に野球、バスケットボールの両方で名の知られるようになったグウィンは、1981年6月8日のドラフトでパドレスから3巡目指名を受ける一方、同じ日にNBAのサンディエゴ・クリッパーズからも指名を受けた。

後にボー・ジャクソンやディオン・サンダースなどのように、2つのスポーツで一流の活躍を見せた選手は出てきたが、当時はそのような時代ではなく、グウィンとしてはパドレスを選び、野球の道のみを選んだことになる。指名されたその年、2Aに参加し、わずか23試合の出場で打率.462を記録する非凡さを見せている。

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Jim PALMER(ジム・パーマー)

Major League Baseball

#22 ジム・パーマー | SP

ジム・パーマー

  • 1964年・オリオールズと契約
  • 1945年10月15日生 右投右打 192センチ 89キロ
  • ニューヨーク州出身

選手の紹介文
オリオールズ一筋で投げ続けたパーマー。オリオールズ一筋で選手生活を全うし、サイヤング賞を受賞すること3回を数えるジム・パーマー。シーズン20勝を8度も記録し、ノーヒットノーランも達成したことがあり、さらに3デケード(1960年代~80年代)においてワールドシリーズで勝ち投手になるなど、投手として望むべきものを全て手に入れたような選手である。

生まれはニューヨークだが、家族の引っ越しもあり、カリフォルニア州やアリゾナ州で育った。高校時代から野球を始めとするスポーツで高い運動能力を見せ、注目を浴びたパーマー。オリオールズと契約を交わしたのは1964年のことである。

1965年には19歳という若さでメジャー昇格を果たす。そして、メジャー初勝利を記録した試合では、メジャー初HRも記録している。メジャー1年目は27試合に登板(先発は6試合)し、5勝4敗という成績を残した。

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Cal RIPKEN(カル・リプケン)

Major League Baseball

#8 カル・リプケン | SS

カル・リプケン

  • 1978年6月ドラフト・オリオールズ2位
  • 1960年8月24日生 右投右打 193センチ 99キロ
  • メリーランド州出身

選手の紹介文
2632試合連続出場という不滅の記録を作ったリプケン。2632試合連続試合出場という不滅の大記録を樹立したカル・リプケン。MVPを2回も獲得したリプケンは、打つだけでなく守ることもできる大型選手ということで、遊撃手という概念を大きく変えた選手ともいえる。多くのファンに愛されたリプケンは、球界に関わる全ての人々から尊敬を集めたと言っても過言ではない。

1960年、メリーランド州に生まれたリプケン。リプケンが生まれた頃から父シニアはマイナーリーグの監督を務めており、シーズン中のほとんどは家を空けていた。そんな父に憧れて野球を始めたリプケンは、子供の頃からリトルリーグで活躍。高校に入ると打者としては5割近い打率に、投手としても高い才能を見せていた。そして1978年、リプケンはオリオールズから2位指名を受けて、プロ入りすることになった。

マイナーではショートやサードを守り、1979年には1Aで打率.303をマークするなど、順調に成長を続けたリプケン。1980年は2Aで144試合に出場し、打率.276、25HR、78打点という好成績でメジャー昇格を目前のものとした。1981年はスプリングトレーニングから活躍し、開幕メジャーも夢ではないと思われたが、当時のオリオールズの監督であったアール・ウィーバーの決断でもう1年マイナーで過ごすことになった。これもリプケンへの期待が大きい故の決断だった。

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Lou GEHRIG(ルー・ゲーリッグ)

Major League Baseball

#4 ルー・ゲーリッグ | 1B

ルー・ゲーリッグ

  • 1923年・ヤンキースと契約
  • 1903年6月19日生 左投左打 183センチ 91キロ
  • ニューヨーク州出身

選手の紹介文
「アイアンホース」ゲーリッグは、2130試合連続出場を記録。王者ヤンキースの第1期黄金時代の主要メンバーであったルー・ゲーリッグ。3番のベーブ・ルースに次ぐ4番を打ち、1931年には三冠王にも輝いた。2130試合連続出場という当時のメジャー記録を樹立し、「アイアンホース」とまで呼ばれたゲーリッグは、大舞台でも勝負強い選手として知られていた。満塁HR23本というのは未だにメジャー記録である。

1903年、ドイツ系移民の両親の元、ニューヨークで生まれ育ったゲーリッグ。家計が非常に苦しい中でも、ゲーリッグはスポーツに高い才能を見せた。ルースが憧れの選手で、将来はメジャーリーガーになりたいという夢はあったが、母親が建築家になることを強く勧めたこともあり、建築家になるために名門コロンビア大学へ進学した。

大学へ入っても野球にもフットボールにも高い才能を見せ、頭角を現すのに時間はかからなかった。当時のジャイアンツの監督ジョン・マグローから偽名でメジャーでプレーしないと勧められたこともあったという。それだけ、ゲーリッグの実力は際立っていたともいえる。結果的にマイナー球団でわずかにプレーしたことがばれてしまい、大学1年時にはほとんどのスポーツ活動を禁じられることになってしまった。

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