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ジョー・ディマジオ

#020「MVP選出の決め手は勝利へ貢献する打撃と“人間性”」(1995)

人間性を含めた評価でMVPとなったボーン。1995年のアメリカンリーグMVPに選出されたのはモー・ボーンだった。レッドソックスの主砲としてチームを地区優勝に導いた功績は称えられるものである。ロジャー・クレメンスホゼ・カンセコと怪我人が相次いだ前半戦、24HR、60打点とチームを引っ張った。シーズン通して残した打率.300、39HR、126打点という数字はMVPに相応しいといえる。

MVPは全米野球記者協会の投票によって決まるもので、絶対評価ではなく相対評価とならざるを得ない。どれだけ高い数字を残しても、それ以上の数字を残した選手がいれば、そちらがMVPになるのである。この年に関して言えば、ボーン以上の数字を残した選手はいた。それはホワイトソックス主砲のアルバート・ベルである。打率.317、50HR、126打点に加え、50本の2塁打を放つなど圧巻の数字を残したのだが、MVPの栄冠はボーンの元に輝いた。

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Barry BONDS(バリー・ボンズ)

Major League Baseball

#25 バリー・ボンズ(Barry BONDS) | LF

バリー・ボンズ

  • 1985年6月ドラフト・パイレーツ1位(全米6番目)
  • 1964年7月24日生 左投左打 188センチ 93キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
前人未踏のシーズン73HRを記録したボンズ。通算歴代トップとなる762HRをマークし、7度のMVP授賞という輝かしい球歴に彩られるバリー・ボンズ。シーズン73HR、「40-40」の達成1回を含む5度の「30-30」達成し、通算でも514盗塁とオールラウンドで優れた成績を残している。そのボンズも晩年になって薬物問題で騒がれ、殿堂入りも危うい状況となっている。

ボンズは生まれたときからのサラブレッドだった。父親はメジャーリーガーのボビー・ボンズで、母方の従弟にはレジー・ジャクソンがいた。さらに、バリーという名前の名付け親が名選手ウイリー・メイズであり、ボンズは父に憧れる一方、メイズに尊敬のまなざしを送った。

父親に連れられて、当時のジャイアンツの本拠地、キャンドルスティックパーク(後にスリーコムパークと改称)がボンズの遊び場であり、野球少年としてはこの上ない幸せな環境に恵まれている。なお、父は1970年代に「30-30(30HRと30盗塁)」を5度も達成するという名選手だった。

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Mickey MANTLE(ミッキー・マントル)

Major League Baseball

#7 ミッキー・マントル | OF

ミッキー・マントル

  • 1949年・ヤンキースと契約
  • 1931年10月20日生 右投両打 180センチ 83キロ
  • オクラホマ州出身

選手の紹介文
史上最高のスイッチヒッターと言われるマントル。ヤンキースの球史を飾るスラッガーとして一時代を築いたミッキー・マントル。通算536本のHRは、スイッチヒッターとして歴代1位の大記録である。とんでもない飛距離を記録する長距離砲であり、最大では180メートルも飛ばしたとも言われている。その他にも三冠王も記録し、ポストシーズンでの18HRはメジャー史上最高記録であるなど、輝かしい球歴に囲まれている。

オクラホマ州スパビノーで生まれたマントルは、野球好きの父親と祖父の影響で幼き日から野球を楽しむ。セミプロチームでのプレー経験もあり、それなりに名の知れた父親は、当時のメジャーの捕手でもあるミッキー・カクレーンから、ミッキーという名前をもらったという。マントルがスイッチヒッターになるのは、同じくスイッチヒッターだった父親の影響で、自然と右でも左でも打てるようになったという。

田舎で生まれ育ったマントルだったが、運良くヤンキースのスカウトの目に止まり、1949年にはヤンキースと契約を交わした。1950年にはマイナーで137試合に出場し、打率.383で首位打者に輝く大活躍を見せた。1951年にはスプリングトレーニングでの活躍が認められ、開幕メジャーの座を勝ち取った。本来はショートを守っていたマントルだが、当時のチームにはフィル・リズドーがいたため、外野を守ることになる。

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Bob FELLER(ボブ・フェラー)

Major League Baseball

#19 ボブ・フェラー | SP

ボブ・フェラー

  • 1936年・インディアンズと契約
  • 1918年11月3日生 右投右打 183センチ 84キロ
  • アイオワ州出身

選手の紹介文
火の玉投手として一時代を築いたフェラー。火の玉に例えられるほどの恐ろしい剛速球を投げることから、「ラピット・ロバート」という愛称がつけられたボブ・フェラー。その速球に加え、大きなカーブを合わせ持つフェラーは、メジャーリーグの中で今でも伝説となっている大偉業をいくつも築き上げた。フェラーの通算266勝という記録も、仮に兵役による離脱がなければ、更に多くの白星を積み上げていたに違いない。

アイオワ州バンミーターという田舎町で生まれたフェラー。父親が映画「フィールドオブドリームス」のごとく、畑を潰して野球場を作るほどの野球好きで、フェラーはそこで野球を覚えた。子供のことから速球のスピードは群を抜いていたという。16歳の頃にショートから本格的に投手に転向すると、地元のセミプロチーム相手に20奪三振を奪う快投を見せたこともあり、フェラーの噂はメジャーリーグのスカウトの元にも届いた。

そして、やってきたインディアンズのスカウトと契約を結んだのはフェラーがまだ17歳のことである。しかし、当時のメジャーリーグは高校生との契約を禁じていたこともあり、フェラーを一旦マイナーのチームに置いて隠そうとした。このインディアンズの作戦はすぐに露呈してしまい、他球団からの抗議が相次ぐ。最終的にインディアンズがお金を払うことで、フェラーを失ずに済むという一悶着があった。

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Joe DiMAGGIO(ジョー・ディマジオ)

Major League Baseball

#5 ジョー・ディマジオ | OF

ジョー・ディマジオ

  • 1936年・ヤンキースと契約
  • 1914年11月25日生 右投右打 180センチ 83キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
華麗なプレーで多くのファンを魅了したディマジオ。2001年、亡くなったジャック・レモン主演の「晩秋」(89年)は年老いて死んでいく父親を息子の目から描いたホームドラマですが、ジャック・レモン演じる父親は大の野球ファンという設定になっています。ロサンゼルスに住んでいるので毎日ドジャースがどうなるか気にしています。テレビでドジャースの試合を見ます。

この父親が死期も近づき病院に入院したとき見舞いにきた息子にまるで遺言を残すかのように、昔見た大リーグの試合の名場面を語って聞かせるいいシーンがあります。皆さんご存じのジョー・ディマジオにまつわるこんなエピソードです。

「1947年のワールドシリーズは球史に残る名試合だった。6回の裏、ヤンキースのディマジオがバッターに立った。8対5でドジャースがリードしていた。2アウトでランナーがふたりいた。ディマジオはレフトにホームラン性の当たりを打った。誰もがホームランだと思った。ところがドジャースのレフトがそのボールを追いかけ出した。そしてフェンスまで来ると大きくジャンプして手を出してその3ランを取ってしまった。そのレフトはアル・ジアンフリドーという二軍上がりの選手だった。たまたまレフトが怪我をしていたので入っていた。スーパースターのディマジオに比べれば無名の選手だった。」

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Ted WILLIAMS(テッド・ウイリアムス)

Major League Baseball

#9 テッド・ウイリアムス | OF

テッド・ウイリアムス

  • 1938年・レッドソックスと契約
  • 1918年8月30日生 右投左打 192センチ 93キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
テッド・ウイリアムス「史上最高の打者」、「最後の4割打者」、「打撃の神様」など数多くの代名詞でその偉大さが語られるテッド・ウイリアムス。細い体から繰り出される華麗なスイングで、打率4割を1回、三冠王を2回も受賞するなど数々の記録を打ち立てる一方で、歯に衣着せぬ発言で物議をかもしだし、マスコミとは度々衝突した。ファンの声援に手を振ることはなく、プレーのみでしか表現しないウイリアムスの姿勢には「神様は返事を書かない」と評された。

1918年、カリフォルニア州の港町サンディエゴで生まれた。大不況の波に飲み込まれ、家に戻ってこなくなった父親と宗教的活動にのめり込む母親の間に生まれたこともあり、両親の愛情を目一杯に受けたわけではないウイリアムスは、徐々に野球に情熱を傾けていく。1936年、地元のマイナーチーム、サンディエゴ・パドレスと契約したが、背は高いが体は細く、周りからは弱々しく見られていたのは事実である。

ウイリアムスの夢は、街を歩いているときに「あれがウイリアムスだ。史上最高の打者だ。」と言われることである。史上最高、史上最高と念仏のように唱え、ひらすら素振りを繰り返す日々だった。1938年、レッドソックスと契約を結ぶが、傘下のミネアポリス・ミラーズへの降格を言い渡される。しかし、そこでロジャース・ホーンスビーの指導を受ける幸運に恵まれたウイリアムス。そしてこの年、マイナーではありながら打率.366、43HR、142打点で堂々と三冠王に輝いた。

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Lou GEHRIG(ルー・ゲーリッグ)

Major League Baseball

#4 ルー・ゲーリッグ | 1B

ルー・ゲーリッグ

  • 1923年・ヤンキースと契約
  • 1903年6月19日生 左投左打 183センチ 91キロ
  • ニューヨーク州出身

選手の紹介文
「アイアンホース」ゲーリッグは、2130試合連続出場を記録。王者ヤンキースの第1期黄金時代の主要メンバーであったルー・ゲーリッグ。3番のベーブ・ルースに次ぐ4番を打ち、1931年には三冠王にも輝いた。2130試合連続出場という当時のメジャー記録を樹立し、「アイアンホース」とまで呼ばれたゲーリッグは、大舞台でも勝負強い選手として知られていた。満塁HR23本というのは未だにメジャー記録である。

1903年、ドイツ系移民の両親の元、ニューヨークで生まれ育ったゲーリッグ。家計が非常に苦しい中でも、ゲーリッグはスポーツに高い才能を見せた。ルースが憧れの選手で、将来はメジャーリーガーになりたいという夢はあったが、母親が建築家になることを強く勧めたこともあり、建築家になるために名門コロンビア大学へ進学した。

大学へ入っても野球にもフットボールにも高い才能を見せ、頭角を現すのに時間はかからなかった。当時のジャイアンツの監督ジョン・マグローから偽名でメジャーでプレーしないと勧められたこともあったという。それだけ、ゲーリッグの実力は際立っていたともいえる。結果的にマイナー球団でわずかにプレーしたことがばれてしまい、大学1年時にはほとんどのスポーツ活動を禁じられることになってしまった。

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