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ミッキー・マントル

#014「ワールドシリーズ史上初となる完全試合」(1956.10.8)

ワールドシリーズで完全試合を達成したラーセン。1956年のワールドシリーズ第5戦、ヤンキースの先発としてマウンドに上がったドン・ラーセンは序盤からアウトを着実に重ねていった。気付くと1人もランナーを出さない投球を続けており、周囲の期待は高まっていった。味方の援護はミッキー・マントルのソロHRなどわずか2点しかなかったが、ラーセンの投球は冴え渡り、結果として97球で完全試合を達成したのである。

相手のドジャース打線にはデューク・スナイダージャック・ロビンソン、ギル・ホッジス、ロイ・キャンパネラらが名を連ねていたが、それらの強打者を相手に達成した価値ある大記録である。2回表のロビンソンの打球はサード強襲となり、サードを守るアンディ・ケリーがはじくもショートのギル・マクドナルドがカバーしてファーストでアウト。5回表のホッジスの当たりは左中間に飛んだが、マントルが好捕すれば、続くサンディ・アモロスのあわやHRという打球も切れてファウルとなるなど、幸運にも恵まれている。

記録は継続し、9回2アウトに迫った。最後の打者は代打として登場したデール・ミッチェル。2ストライクと追い込んだ5球目は外角へのストレート。きわどい判定だったが、球審はストライクを宣告し、完全試合の大記録は達成されたのである。この判定にはミッチェルの抗議もあったが覆らず、試合は決した。

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Barry BONDS(バリー・ボンズ)

Major League Baseball

#25 バリー・ボンズ(Barry BONDS) | LF

バリー・ボンズ

  • 1985年6月ドラフト・パイレーツ1位(全米6番目)
  • 1964年7月24日生 左投左打 188センチ 93キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
前人未踏のシーズン73HRを記録したボンズ。通算歴代トップとなる762HRをマークし、7度のMVP授賞という輝かしい球歴に彩られるバリー・ボンズ。シーズン73HR、「40-40」の達成1回を含む5度の「30-30」達成し、通算でも514盗塁とオールラウンドで優れた成績を残している。そのボンズも晩年になって薬物問題で騒がれ、殿堂入りも危うい状況となっている。

ボンズは生まれたときからのサラブレッドだった。父親はメジャーリーガーのボビー・ボンズで、母方の従弟にはレジー・ジャクソンがいた。さらに、バリーという名前の名付け親が名選手ウイリー・メイズであり、ボンズは父に憧れる一方、メイズに尊敬のまなざしを送った。

父親に連れられて、当時のジャイアンツの本拠地、キャンドルスティックパーク(後にスリーコムパークと改称)がボンズの遊び場であり、野球少年としてはこの上ない幸せな環境に恵まれている。なお、父は1970年代に「30-30(30HRと30盗塁)」を5度も達成するという名選手だった。

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Eddie MURRAY(エディー・マレー)

Major League Baseball

#33 エディー・マレー | 1B

エディー・マレー

  • 1973年6月ドラフト・オリオールズ3位
  • 1956年2月24日生 右投両打 188センチ 91キロ
  • カリフォルニア州出身

選手の紹介文
史上最高のスイッチヒッターであるマレー。物静かで地味な印象はあるが、チーム内での存在感や残した成績は抜群のエディー・マレー。3000本安打と500HRの両方を達成したのはハンク・アーロンウイリー・メイズに次ぐ史上3人目であり、スイッチヒッターとしては、マレーが史上初である。1試合左右両打席HRを11回を記録したのはマレーのみであるなど、スイッチヒッターとして残した成績はミッキー・マントルを上回っている。

1956年、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれたマレー。高校時代には後に華麗な守備で殿堂入りも果たすオジー・スミスとチームメイトとして共にプレーする機会にも恵まれた。そして、1973年にオリオールズから3位指名を受けて、プロ入り。即メジャー昇格とはいかず、マイナーで4年間もじっくりと鍛え上げ、長打も兼ね備えたスイッチヒッターとして磨きをかけた。

1977年、メジャー初昇格と同時にオリオールズのファーストのポジションを確保。1年目から160試合に出場し、打率.283、27HR、88打点という好成績を残し、見事に新人王を受賞。翌1978年も161試合の出場で、打率.285、27HR、95打点と前年とほぼ同じ数字を残し、2年目のジンクスを全く感じさせない打撃を見せた。その後も安定した数字を残し、1979年にはチームのリーグ優勝に貢献。はじめてのワールドシリーズの舞台では、HRも記録したが世界一になることは出来なかった。

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Mickey MANTLE(ミッキー・マントル)

Major League Baseball

#7 ミッキー・マントル | OF

ミッキー・マントル

  • 1949年・ヤンキースと契約
  • 1931年10月20日生 右投両打 180センチ 83キロ
  • オクラホマ州出身

選手の紹介文
史上最高のスイッチヒッターと言われるマントル。ヤンキースの球史を飾るスラッガーとして一時代を築いたミッキー・マントル。通算536本のHRは、スイッチヒッターとして歴代1位の大記録である。とんでもない飛距離を記録する長距離砲であり、最大では180メートルも飛ばしたとも言われている。その他にも三冠王も記録し、ポストシーズンでの18HRはメジャー史上最高記録であるなど、輝かしい球歴に囲まれている。

オクラホマ州スパビノーで生まれたマントルは、野球好きの父親と祖父の影響で幼き日から野球を楽しむ。セミプロチームでのプレー経験もあり、それなりに名の知れた父親は、当時のメジャーの捕手でもあるミッキー・カクレーンから、ミッキーという名前をもらったという。マントルがスイッチヒッターになるのは、同じくスイッチヒッターだった父親の影響で、自然と右でも左でも打てるようになったという。

田舎で生まれ育ったマントルだったが、運良くヤンキースのスカウトの目に止まり、1949年にはヤンキースと契約を交わした。1950年にはマイナーで137試合に出場し、打率.383で首位打者に輝く大活躍を見せた。1951年にはスプリングトレーニングでの活躍が認められ、開幕メジャーの座を勝ち取った。本来はショートを守っていたマントルだが、当時のチームにはフィル・リズドーがいたため、外野を守ることになる。

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Mickey COCHRANE(ミッキー・カクレーン)

Major League Baseball

#* ミッキー・カクレーン | C

ミッキー・カクレーン

  • 1924年・アスレティックスと契約
  • 1903年4月6日生 右投左打 179センチ 82キロ
  • マサチューセッツ州出身

選手の紹介文
強肩強打が売りのミッキー・カクレーン。強肩強打の捕手として名の知られるミッキー・カクレーン。クレバーなリードとダイナミックなプレーで投手を盛り上げるカクレーンは、メジャーリーグ史上ナンバー1捕手といっても決して過言ではない。また、カクレーンの通算打率.320は、捕手として歴代1位となる大記録である。

カクレーンは大学時代から俊敏な運動神経を遺憾なく発揮し、野球以外にもフットボールやボクシングなどに実力を見せた。特筆すべきは選手としての才能は元より、リーダーシップにも恵まれ、コーチやトレイナーとしてもチームを引っ張る活躍を見せたことである。

メジャーリーグのマイナーチームへ入団したカクレーンを悩ませたのは守備であった。強肩強打という持ち味をうまく生かすことが出来なかったが、そこは持ち前のガッツで乗り切った。頭角を現したのは1924年のことである。

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Roberto CLEMENTE(ロベルト・クレメンテ)

Major League Baseball

#21 ロベルト・クレメンテ | OF

ロベルト・クレメンテ

  • 1953年・ドジャースと契約
  • 1934年8月18日生 右投右打 180センチ 79キロ
  • プエルトリコ出身

選手の紹介文
不慮の事故で命を落としてしまったクレメンテ。「ライフルアーム」と呼ばれる強肩に加え、4度の首位打者を獲得する打撃で一時代を築いたロベルト・クレメンテ。そして、現在でも語り継がれているほどのボランティア精神に満ちた人格者のクレメンテには多くの崇拝者が存在する。現役生活中、飛行機事故により命を落としてしまったが、今でもクレメンテの精神はメジャーリーグに生きており、毎年、最高の人格者に「ロベルト・クレメンテ賞」を送るという形で、これから先も語り継がれていくであろう。

1934年、プエルトリコのサンフアン郊外で、7人兄弟の末っ子として生まれた生まれたクレメンテ。家計は非常に厳しいながらも両親の愛情を目一杯に受け、心優しい少年として成長していく。プエルトリコでも当時から野球は人気スポーツであり、クレメンテは自然に野球に触れていった。高校時代には野球以外にも陸上競技、やり投げ、走り高跳びで大活躍。得意なやり投げは母親譲りであり、これが後に「ライフルアーム」と恐れられる強肩の下地を作った。

ジャッキー・ロビンソンが1947年にメジャー昇格し、そのカラーラインが崩れたことが黒人のクレメンテの人生を大きく動かすことになる。1953年、まだブルックリンに本拠地を構えていたドジャースが、当時としては破格の契約金1万ドル、年俸5000ドルでクレメンテと契約を交わした。ドジャースにはロビンソンやロイ・キャンパネラなど有力な黒人選手が多く、クレメンテに関しても決して悪くないチームと言えた。

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Bob GIBSON(ボブ・ギブソン)

Major League Baseball

#45 ボブ・ギブソン | SP

ボブ・ギブソン

  • 1957年・カージナルスと契約
  • 1935年11月9日生 右投右打 186センチ 86キロ
  • ネブラスカ州出身

選手の紹介文
体のバネをフルに生かしたギブソンのピッチングフォーム。1960年代のメジャーリーグを代表する投手であるボブ・ギブソン。体全体をしならせるダイナミックなピッチングフォームから、打者の内角を鋭くえぐる剛速球で一時代を築いた。特に1968年には防御率1.12を記録し、さらにワールドシリーズでも計7勝を挙げるなど、積み上げた実績は他に追随を許さない。フィールディングも素晴らしく、9年連続ゴールドグラブ賞も獲得している。

ネブラスカ州オハマで、7人兄弟の末っ子として生まれたギブソン。生まれる3ヶ月前に父親を亡くすという不幸があったが、母親のやりとりがうまく子供達に不自由をさせることはなかった。とはいえ、幼少時のギブソンは体が弱く、肺炎で死にかけることもあった。しかし、スポーツの才能に恵まれたギブソンはスポーツに打ち込むことで強靱な肉体を作り上げ、全てを克服する。

小柄だった体も徐々に成長し、高校時代には野球とバスケットゲームで大きな注目を浴びることとなる。卒業時にはニグロリーグのカンザスシティ・モナークスから入団の誘いもあったという。その後、クレイトン大学へ進学したギブソンは、この大学の野球とバスケットボールでプレーする最初の黒人選手となった。強い肩と高い打撃能力は、投手としても、捕手、内野手、外野手としてもいずれも大きな可能性を感じさせた。

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