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Boston RED SOX(ボストン・レッドソックス)

  • 2008-05-23 (金) 0:18

Boston RED SOXボストン・レッドソックス
ナショナル・リーグ創設に参加したが、1900年にアメリカンリーグ誕生とともに脱退し、バッファローからボストンへ本拠地を移す。ボストンに移ってからは、ソマーセッツ、ピュリタンズ、ピルグリムスと名前を変え、現在のレッドソックスになったのは1907年。チーム全員がレッドストッキングスにちなんで、赤い靴下を履いていたことに由来する。1903年に第1回ワールドシリーズに優勝。1912年からの7年間に4度世界一になるなど黄金時代を築き上げた。しかし、1920年にベーブ・ルースをヤンキースへ放出すると同時にチームは低迷。「打撃の神様」テッド・ウイリアムス、「最後の三冠王」カール・ヤストレムスキー、「ロケット」ロジャー・クレメンスらの名選手を輩出するものの、1918年以降世界一の栄冠には輝いていなかった。しかし2004年、86年ぶりの世界一に輝き、忌々しい呪縛から解き放たれた。勝負強い選手が多く、2007年にも世界一に輝いている。

レッドソックス・球団データ

  • 創立 /1901年ボストン
  • 世界一 /7回(1903, 1912, 1915, 1916, 1918, 2004, 2007)
  • AL・リーグ優勝 /12回(1903, 1904, 1912, 1915, 1916, 1918, 1946, 1967, 1975, 1986, 2004, 2007)
  • AL・東地区優勝 /6回(1975, 1986, 1988, 1990, 1995, 2007)
  • AL・ワイルドカード /5回(1998, 1999, 2003, 2004, 2005)
  • 本拠地 /フェンウェイパーク (1912~) Fenway Park

レッドソックス・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
19 ジョシュ・ベケット(SP) 20 ケビン・ユーキリス(1B) セオ・エプスタイン(GM)
18 松坂大輔(SP) 15 ダスティン・ペドロイア(2B) 47 テリー・フランコーア(Manager)
31 ジョン・レスター(SP) 25 マイク・ローウェル(3B)    
49 ティム・ウェイクフィールド(SP) 23 フリオ・ルーゴ(SS) 51 フリアン・タバレス(SP)
61 クレイ・バックホルツ(SP) 24 マニー・ラミレス(LF) 17 マニー・デルカーメン(RP)
38 カート・シリング(SP) 46 ジャコビー・エルズベリー(CF) 10 ココ・クリスプ(CF)
50 マイク・ティムリン(RP) 7 JD・ドリュー(RF) 13 アレックス・コーラ(CF)
37 岡島秀樹(RP) 34 デビッド・オルティス(DH) 22 ショーン・ケーシー(1B)
58 ヨナサン・パペルボン(RP) 33 ジェイソン・バリテック(C)    

レッドソックス・球団史
最後の4割打者であるテッド・ウイリアムス。球団創立時の輝かしい歴史と比べて、現在は悲劇的な面がよく取り上げられるボストン・レッドソックス。メジャー最古のフェンウェイパークを本拠地に構え、数多くの伝説的な選手がそこでプレーしたことでも知られる。「バンビーノの呪い」と呼ばれる忌々しい過去を取り払うには世界一になるしかないのである。

19世紀末に存在したウエスタンリーグというマイナーリーグを元に誕生したのがアメリカンリーグである。ナショナルリーグが唯一のメジャーリーグとしていた19世紀末、2番目のメジャーリーグを作ろうとアメリカンリーグの創立が宣言されるのは1900年のこと。当初の予定では本拠地をバッファローに置く予定だったが、それがボストンへ移り、1901年のアメリカンリーグ創立を迎えることになるのである。

ボストン・ソマーセッツとしてスタートを切った1901年、ナショナルリーグのカージナルスから大投手サイ・ヤングを引き抜き、さらに同じボストンを本拠に構えるビーンイータース(現在のブレーブス)からエディー・コリンズも引き抜いた。名サードとして知られたコリンズを監督兼任選手として迎えた1年目、エースのヤングは33勝10敗、防御率1.62という好成績を残し、チーム成績は79勝57敗。これは首位ホワイトストッキングス(現在のホワイトソックス)と4ゲーム差の2位というものである。

1902年、ヤングは32勝をマークして最多勝のタイトルを獲得し、チームは77勝60敗でリーグ3位となっている。そして1903年、愛称をソマーセッツからピルグリムスに変え、チームは91勝47敗という成績を残し、初のリーグ優勝を飾った。この年のナショナルリーグの優勝チームであるパイレーツと世界一を懸けて第1回ワールドシリーズが行われることになるわけだが、問題は山積みであった。

伝統あるナショナルリーグから見れば、新興リーグであるアメリカンリーグを認めることはなかなかできず、選手の引き抜き問題もあり、感情的なしこりもあったのも事実である。さらに10月1日から始まることが決まった第1回ワールドシリーズも、対戦相手のパイレーツの選手は球団と10月15日まで契約していたにも関わらず、ピルグリムスの選手は球団と10月1日までの契約しておらず、ピルグリムスの選手は追加報酬がなければシリーズを戦わないと一方的に宣告することもあった。

通算511勝の大投手、サイ・ヤング。結果的に追加報酬を払うことが決まり、ようやく第1回ワールドシリーズの開催が決まった。ピルグリムスの目玉がエースのヤングであれば、パイレーツの目玉は首位打者にもなっているホーナス・ワグナーである。ピルグリムスの本拠地であるハンティングアベニューグラウンズで記念すべき第1戦が行われ、その第1球はピルグリムス先発のヤングによって投じられた。ここからワールドシリーズの歴史が始まることになる。

第1戦はヤングが打ち込まれ、ピルグリムスが敗れるが、第2戦はビル・ディニーンが3安打完封勝利を挙げて、1勝1敗のタイとする。その後、連敗して1勝3敗となるが、第5戦以降はヤングとディニーンがそれぞれ2勝ずつをマークして、結果的に5勝3敗でピルグリムスが第1回の世界一チームとなったのである。

1904年、両リーグの関係は悪化したまま開幕を迎える。5月5日にはヤングがアスレティックス相手に20世紀初の完全試合を達成するなど、ピルグリムスは快調に勝ち続けた。しかし、このピルグリムスの先を走っていたのは、かつてボルチモアに本拠を構えていたニューヨーク・ハイランダーズ(現在のヤンキース)であった。スピッドボールを武器にこの年41勝を挙げるジャック・チェスブロがいたハイランダーズはシーズン最終日の3日前まで首位を保っていたが、そのチェスブロ自身のワイルドピッチで痛い星を落とし、ピルグリムスは逆転でリーグ優勝を果たした。

本来ならここからワールドシリーズが始まるところだが、この年のナショナルリーグ優勝チームのジャイアンツ監督のジョン・マグローがこの対戦を拒否。これに対する世論の反発は非常に大きかったのは事実で、ここからルールが整備され、翌年以降からワールドシリーズが毎年行われることになる。実際は1905年以降が正式なワールドシリーズと認めるべきだという意見もある(レッドソックスがワールドシリーズに登場するのは、もうしばらく待たなければならない)。

スピーカーの俊足は、外野守備に革命をもたらした。1905年からピューリタンズなどと愛称を変更し、その後もサマーセッツやアメリカンズとも呼ばれることが多く、現在にもつながっているレッドソックスに定着し始めるのは1907年以降のことである。しばらくは優勝から遠のくが、1907年には、後にその俊足を生かして外野守備に革命を起こすことになるトリス・スピーカーがメジャーデビューを果たし、1908年には18歳という若さと快速球を武器にスモーキー・ジョー・ウッドもメジャーの舞台に立つなど、新しい選手の台頭も目立ち始めた。

1912年、フェンウェイパークが開場するという記念すべきこの年、エースのウッドは16連勝を含む34勝5敗という結果を残せば、スピーカーは打率.383、10HR、98打点という数字で本塁打王を獲得(首位打者は打率.409のタイ・カッブ)するなどしてチームを引っ張った。そして、シーズン105勝をマークする桁違いの強さでリーグ優勝を飾った。そして、ワールドシリーズではかつて対戦を拒否されたこともあるジャイアンツとの対戦となった。

3勝3敗1分けで迎えた第8戦、レッドソックスの先発はシーズン20勝のヒュー・ベディエントであり、ジャイアンツの先発はクリスティー・マシューソンである。1対1という展開でレッドソックスは前日の試合でKOされているウッドを8回から登板させた。試合は延長戦に入り、10回表にはウッドは1点を奪われる。しかしその裏、レッドソックスの反撃が始まるのである。

先頭打者として打席に入ったクライド・エングルの平凡なフライをジャイアンツのセンターを守るフレッド・スノッドグラスがまさかの落球で、レッドソックスはチャンスを掴む。1アウト1塁2塁となったところで打席に入ったスピーカーはファウルフライを打ち上げてしまうが、ジャイアンツ守備陣が譲り合って落球。相手のミスに救われたスピーカーはセンター前に運ぶ同点打を放った。さらにラリー・ガードナーのライトへの飛球がサヨナラの犠牲フライとなり、レッドソックスは勝利を拾った。こうしてフェンウェイパーク開場の記念すべき年に世界一の名誉を手にしたのである。

快速球を武器にヤング以後のレッドソックスを支えたウッド。開場1年目に世界一をもたらしたフェンウェイパークはレフトが坂になっている球場であり、これが水平に削られたのは1934年のことで、レフトに高いフェンスが設けられたのは1936年。そして、そのフェンスが緑に塗られグリーンモンスターと呼ばれるには1947年まで待たなければならない。

1914年、レッドソックスはマイナーからベーブ・ルースを獲得した。打撃の良い左投手という評価を得ていたルースはこの年の7月に初めてメジャーの舞台に立つが、大半はマイナーで過ごすことになる。翌1915年、メジャーに定着したルースはいきなり18勝をマークする活躍を見せて、チームの優勝に大きく貢献した。

しかし、この年のフィリーズとのワールドシリーズでは若いルースの登板機会はなく、代打で1打席に立ったのみである。それでもレッドソックスは4勝1敗で世界一に輝いていたのは、シーズン19勝をマークしたアーニー・ショーア、ルーブ・フォスターらの活躍や、リーグトップの防御率1.49をマークしたウッドの前ではルースの出番はなかったのである(ウッドは怪我が元でこの年限りでレッドソックスを退団し、インディアンズで野手として再起を果たしている)。

1916年、それまでチームを支えていたスピーカーやウッドがチームを去る中で、若いルースの力がチームに勝利をもたらした。ルースは23勝12敗の防御率1.75という好成績でチームは2年連続のリーグ優勝。ワールドシリーズではロビンス(現在のドジャース)と対戦し、第2戦ではルースとロビンス先発のシェリー・スミスが延長14回まで投げぬく投手戦を見せ、最終的にはレッドソックスが勝利を収めた。先発ルースは初回に1点を失ったのみで、それ以降は無失点に抑えており、ここからルースの連続イニング無失点記録が始まったのである。そして、4勝1敗でレッドソックスは2年連続となる世界一に輝いた。

ルースのメジャーキャリアはレッドソックスの左腕投手として始まった。1917年も開幕から快進撃を見せたレッドソックス。ルースも5月までの段階ですでに10勝を挙げる活躍を見せていたが、審判の判定にいらつく場面もよく見られた。そのルースの怒りが爆発したのは6月23日の対セネタース戦であり、この日の先発のルースが先頭打者へ四球を与えると、ずっと審判を批判していたルースに退場が宣告された。そして、2番手として急遽マウンドに上がったショーアがその後の打者を完全に抑えるという形で締めくくられた(この試合はショーアの完全試合として記録されている)。

1917年は惜しくもホワイトソックスに優勝を奪われてしまうが、第一次世界大戦の影響で短縮された翌1918年シーズンではレッドソックスが再びリーグ優勝の座に返り咲く。この年から投手と外野手を兼用し、シーズンも後半にいくに連れて野手としての出場が多くなる。そして、11HRを放ち本塁打王のタイトルを手にすることになる。

この年のカブスとのワールドシリーズでは本塁打王のルースが第1戦の先発のマウンドに立ち、1対0で見事に完封勝利を挙げている。ルースは先発した第4戦でも7回まで無失点に抑える好投を見せ、見事に29回2/3イニング連続無失点というワールドシリーズ記録を樹立したのである。そして、4勝2敗でレッドソックスは球団史上5度目の世界一に輝き、まさにメジャーリーグ最強チームといっても過言ではないほどの強さを見せていたのである。

黄金時代を謳歌していたレッドソックスだが、この年のオフから主力選手の放出が始まったのである。1919年にはルースが当時のメジャー記録となる29HRを記録するが、チームはリーグ6位まで低迷してしまう。そして、ルースの放出を決めたのはオーナーのハリー・フレジーであり、当時では大金の12万5000ドルでヤンキースへの移籍を決めてしまった。1920年1月のことである。

ルースを後を引き継いで完全試合を達成したショーア。レッドソックスはこの後も選手の放出を続け、チーム成績は一気に転落。ヤンキースは1920年代から黄金時代を築いていくが、その中心は元レッドソックスの選手で埋められていたのである。ヤンキースの躍進を横目にレッドソックスは1925年から6年連続の最下位と目も当てられない転落ぶりを見せた。チームに変化が訪れたのは1933年、トム・ヨーキーがオーナーに就任してからである。

ヨーキーはチームの再建に努めた。1929年から3年連続リーグ優勝を果たして選手の年俸高騰が問題となっていたアスレティックスから、監督コニー・マックの補佐を務めていたエディー・コリンズをGMとして迎え、さらに1934年には大投手レフティー・グローブ、1936年には大打者ジミー・フォックスを獲得。1935年にはセネタースからジョー・クローニンを監督兼任選手として迎え、レッドソックス再建に力を尽くした。

1937年には19歳と若いボビー・ドーアがメジャーデビューし、翌1938年にはレッドソックスのセカンドの座を手にした。そして、ドーアがその高い守備力でチームに欠かせない選手として地位を固めていた1939年、後に「史上最高の打者」と呼ばれるテッド・ウイリアムスがメジャー昇格。このドーアとウイリアムスはマイナーリーグ時代のチームメイトでもある仲だった。

1939年、ウイリアムスは新人ながら打率.327、31HR、145打点をマークして、いきなり打点王に輝いた。1941年にはシーズン最後のダブルヘッダーを残して打率.3995だったウイリアムス。四捨五入すれば打率4割を守れることから、欠場も噂されるがウイリアムスは志願出場し、ダブルヘッダーで8打数6安打を記録し、見事にシーズン打率.406でシーズンを終えた。この年のウイリアムス以降、打率4割を記録した選手は未だに登場していない。

ウイリアムスとはマイナー時代からのチームメイトであるドーア。第二次世界大戦の影響で主力を欠いた期間は低迷するが、主力が復帰した1946年、2位タイガースに12ゲーム差を付けてレッドソックスは28年ぶりのリーグ優勝を果たした。スタン・ミュージアルを擁するカージナルスとウイリアムスのレッドソックスとして注目を浴びたが、この看板の2人とも不振。3勝3敗で迎えた第7戦、終盤の8回裏にカージナルスのイノス・スローターの好走塁で勝ち越しの1点を奪われ、レッドソックスは敗れてしまった。

1947年、ウイリアムスは打率.343、32HR、114打点で三冠王に輝きながらも、マスコミ受けの悪いため、MVPをジョー・ディマジオに1票差で奪われることもあった。ウイリアムスは1946年と1949年の2度、MVPを獲得しているが、仮にマスコミ受けが良ければ、打率4割を記録した1941年、三冠王の1947年も本来ならMVPを獲得していたはずだと言われている。

そのウイリアムスを中心とするレッドソックスは1948年、インディアンズと同率でシーズンを終えるが、ワンゲームプレーオフで敗れてしまうと、翌1949年には残り2試合を残した段階で首位に立っていながら、最後のヤンキース2連戦で連敗し、優勝をさらわれる悲劇にも見舞われた。2年連続で悲劇的な敗戦を喫したレッドソックスは再び優勝から遠のくことになる。

1960年限りでウイリアムスは現役を引退。最終打席でHRを放つなど、最後までウイリアムスらしさを見せたわけだが、このウイリアムスもワールドシリーズの舞台に立ったのは1946年のわずかに1回だけである。そして、レッドソックスは再び低空飛行を続けた。再び光が灯ったのは1967年、マイナーの監督を務めていたディック・ウイリアムスがレッドソックスの監督に就任してからである。

D・ウイリアムス新監督の元で迎えた1967年、開幕間もない4月14日の敵地ヤンキーススタジアムでの対ヤンキース戦で、メジャーデビューを飾った21歳左腕ビル・ローがあわやノーヒッターという快投を見せた(最終回2アウトからヒットを打たれて、大記録は逃す)。幸先のいいスタートを切ったレッドソックスは、ツインズとのシーズン最終戦に勝利して21年ぶりの優勝を決めた。

最後の三冠王として知られるヤストレムスキー。この年の打の中心はカール・ヤストレムスキーだった。1961年にメジャーデビュー後、安定した力を見せていたヤストレムスキーは1963年には打率.321で首位打者に輝いており、さらにウイリアムスと同じレフトを守ることから、ウイリアムスとの後継者とも言われるほどの選手であった。そして、チームが優勝したこの年はHR数が急増し、打率.326、44HR、121打点という好成績で三冠王に輝いている。

さらに投の中心はジム・ロンボーグであり、22勝9敗、246奪三振という成績でサイヤング賞も受賞している。シーズン最終戦で勝利投手になり、優勝をもたらしたのはロンボーグの右腕であった。ワールドシリーズではボブ・ギブソンを擁するカージナルスとの対戦となる。

第1戦はギブソンの前に敗れるが、第2戦はロンボーグが1安打完封で一矢を報いる。その後、連敗して1勝3敗と王手をかけられた第5戦はロンボーグが再び3安打1失点の完投勝利をマークし、この勢いで3勝3敗となり勝負は最終戦にもつれ込んだ。カージナルスの先発が中3日のギブソンなら、レッドソックスの先発は中2日のロンボーグとエース対決である。結果的にはギブソンにHRを打たれるなど、ロンボーグが打たれてしまい、レッドソックスは世界一を逃した。

その後、優勝からは遠のくレッドソックスだが、1972年にはカールトン・フィスクが捕手として定着し、打率.293、22HRという成績で新人王を満票で受賞。そして、1975年にはフレッド・リンジム・ライスという2人の有望な新人選手がレッドソックスでデビューを果たした。リンはリーグ2位の打率.331を始め、21HR、105打点という高い数字を残し、MVPと新人王を同時受賞。さらにライスもリーグ4位の打率.309、22HR、102打点と決してリンに劣っていたわけではない。

MVPと新人王を同時受賞したリン。1975年は正捕手のフィスクが怪我でシーズンの大半を欠場する自体となったが、すでにベテランとなっていたヤストレムスキーや2人の新人選手の活躍で、地区優勝を果たしたレッドソックス。リーグチャンピオンシップシリーズでは、前年までリーグ3連覇を達成していたアスレティックスを3連勝で退け、ワールドシリーズへの出場権を掴む。ワールドシリーズでは若いスパーキー・アンダーソンを監督とするスター集団のレッズであり、「ビッグレッドマシン」として他のチームを圧倒する力を持っていた。

レッズ有利の声の中、フェンウェイパークで行われた第1戦はレッドソックス先発のルイ・ティアントが強力レッズ打線を散発5安打の完封でまず1勝をマーク。第2戦は試合中に激しい雨で一旦中断することもあったが、レッドソックス1点リードで迎えた最終回、レッズ打線が同点に追いつき、最後はケン・グリフィー・シニアの勝ち越し打で1勝1敗のタイにもつれ込む。

シンシナティに舞台を移した第3戦は、両チーム合わせて6本ものHRが乱れ打つ試合となり、延長戦の結果、レッズが勝利をもぎ取る。第4戦は、第1戦で完封を記録したティアントが163球を投げる熱投で4失点完投勝利を飾り、再び2勝2敗のタイとする。第5戦は初回に1点を先制したレッドソックスだが、それまでずっと不振だったトニー・ペレスに2本のHRを打たれてしまい、逆転負けをしてしまう。そして、レッドソックスは2勝3敗で本拠地フェンウェイパークへ戻ることになった。

1日おいて行われるはずだった第6戦は雨の影響で3日も順延。この順延が全米中の注目をより集めることになり、ようやく行われた第6戦は期待に応えるだけの素晴らしいゲームとなった。レッドソックスはここまで2勝のティアントを万全の状態で送り出すことが出来た。初回にリンの3ランHRで先制するが、中盤以降でティアントが捕まってしまい、3対6とリードを奪われてしまう。

名場面の一つと言われるフィスクの必死のアピール。しかし、8回裏に2アウト1塁2塁のチャンスを掴むと、ここで代打の切り札バーニー・カーボが登場し、起死回生の同点3ランHRが飛び出した。最終回にもノーアウト1塁3塁という絶好のチャンスを掴んだレッドソックスだが、拙攻もあり、得点を奪えず、試合は延長戦にもつれ込んだ。そして迎えた延長12回、先頭打者として打席に入ったフィスクは2球目を強振し、打球はレフトポールを直撃するサヨナラHRとなった。フィスクは体いっぱいで打球が切れないようにしたパフォームはメジャーリーグの名場面の一つに加わっている。

劇的な勝利を飾ったレッドソックスも、最終第7戦は序盤の3点のリードを守れずに逆転されて、世界一は逃してしまう。しかし、7試合のうち6試合が逆転で、5試合が1点差だったこのシリーズはメジャー史に残る最高のワールドシリーズという評価を手にしている。

1978年には開幕から独走し、一時は2位ヤンキースに14ゲームもの差を付けていたが、怪我人続出というアクシデントに見舞われ、シーズン最終日にヤンキースに並ばれる。そして、ワンゲームプレーオフでも逆転負けしてしまうなど、レッドソックスには常に悲劇がつきまとっていたのである。

1983年にはヤストレムスキーが引退するが、前年にメジャーデビューしたばかりのウェイド・ボッグスが打率.361をマークする安打製造器ぶりで首位打者を獲得するなど、世代交代がすすんだレッドソックス。さらに1984年にメジャーデビューしたロジャー・クレメンスは、1986年4月29日の対マリナーズ戦でメジャー新記録となる1試合20奪三振をマークし、その名をメジャーに轟かせた。この年のクレメンスは24勝4敗、防御率2.48という圧倒的な成績でサイヤング賞も受賞している。

かつては生涯レッドソックスを口にしたこともあるクレメンス。クレメンスを擁するレッドソックスはこの年、久しぶりに地区優勝を果たし、エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝3敗から3連勝でリーグ優勝を手にした。ワールドシリーズでレッドソックスと対戦したのは若いドワイト・グッデンダリル・ストロベリーを中心とするメッツであった。クレメンスとグッデンという若い両投手の投げ合いは第2戦で実現し、クレメンスが勝利を収めている。

レッドソックスは3勝2敗と王手を懸けて、敵地シェイスタジアムでの第6戦を迎えることになる。3対3のまま延長戦にもつれ込むと、10回表にデーブ・ヘンダーソンが2ランHRを放ち、待望の勝ち越し点を奪った。その裏もあっさりと2アウトを取り、世界一へあと1アウトとなるが、ここからまさかの3連打を浴びて1点を奪われて、さらにワイルドピッチも重なり同点に追いつかれてしまう。

そして、次打者ムーキー・ウイルソンの打球は平凡なファーストゴロとなり万事休すかと思われていたが、ファーストのビル・バックナーがまさかのトンネル。2塁走者のレイ・ナイトがホームインし、レッドソックスは逆転負け。雨で1日順延した第7戦もメッツに逆転負けを食らってしまい、世界一を逃してしまう。世界一に手をかけていたレッドソックスも、勝利の女神に最後の最後で裏切られてしまうという運命から「バンビーノ(ルースの愛称)の呪い」という言葉を背負わざるを得ない状況となったのである。

バックナーの痛恨のエラーで世界一を逃す。1990年、1995年にも地区優勝を果たすが、ワールドシリーズ出場は果たせない。エースのクレメンスも故障に苦しみ、1997年からはブルージェイズへ移籍。1995年にMVPも獲得しているモー・ボーンも1998年限りでエンゼルスへ流出してしまう。その中で1999年にはエクスポズからペドロ・マルチネスを獲得し、1997年に新人王に輝いたノマー・ガルシアパーラが順調に成長するなど、魅力的なチームであることは間違いがない。

打倒ヤンキースは高い壁ではあるが、2003年からGMとなった若いセオ・エプスタインの手腕が注目を集めることになりそうだ。1918年以来、世界一から遠ざかっているレッドソックス。

レッドソックスの歩みを1912年から見てきているフェンウェイパークが世界一の歓喜に沸く日は果たしていつになるのだろうか。(2004年、待望の世界一に輝く!!)
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

レッドソックス・各年度別成績一覧

レッドソックス・球団名の変換史

  • Boston RED SOX (1907~現在)
  • Boston PURITANS (1905~1906)
  • Boston PILGRIMS (1903~1904)
  • Boston SOMERSETS (1901~1902)

レッドソックス・マイナー組織

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ナショナルリーグ・球団情報
アトランタ・ブレーブス(Atlanta BRAVES) フロリダ・マーリンズ(Florida MARLINS) ニューヨーク・メッツ(New York METS) フィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia PHILLIES) ワシントン・ナショナルズ(Washington NATIONALS) シカゴ・カブス(Chicago CUBS) シンシナティ・レッズ(Cincinnati REDS) ヒューストン・アストロズ(Houston ASTROS) ミルウォーキー・ブリュワーズ(Milwaukee BREWERS) ピッツバーグ・パイレーツ(Pittsburgh PIRATES) セントルイス・カージナルス(St.Louis CARDINALS) アリゾナ・ダイヤモンドバックス(Arizona DIAMONDBACKS) コロラド・ロッキーズ(Colorado ROCKIES) ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles DODGERS) サンディエゴ・パドレス(San Diego PADRES) サンフランシスコ・ジャイアンツ(San Francisco GIANTS)
アメリカンリーグ・球団情報
ボルチモア・オリオールズ(Baltimore ORIOLES) ボストン・レッドソックス(Boston RED SOX) ニューヨーク・ヤンキース(New York YANKEES) タンパベイ・レイズ(Tampa Bay RAYS) トロント・ブルージェイズ(Toronto BLUE JAYS) シカゴ・ホワイトソックス(Chicago WHITE SOX) クリーブランド・インディアンズ(Cleveland INDIANS) デトロイト・タイガース(Detroit TIGERS) カンザスシティ・ロイヤルズ(Kansas City ROYALS) ミネソタ・ツインズ(Minnesota TWINS) ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles ANGELS) オークランド・アスレティックス(Oakland ATHLETICS) シアトル・マリナーズ(Seattle MARINERS) テキサス・レンジャーズ(Texas RANGERS)
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