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Chicago WHITE SOX(シカゴ・ホワイトソックス)

  • 2008-05-23 (金) 0:22

Chicago WHITE SOXシカゴ・ホワイトソックス
1901年のアメリカンリーグ創設時に加盟し、初年度にいきなり優勝。ニックネームはレッドストッキングに対抗する意味でホワイトストッキングスと呼ばれてたが、リーグ加盟時に現在のホワイトソックスに改称された。1906年には貧打戦で世界一に輝き「ヒットレス・ワンダーズ」と呼ばれる。1917年にもシーズン100勝をマークする強さを発揮し2度目の世界一。1919年も世界一の本命と思われていたが、ワールドシリーズでまさかの敗退。この敗戦が後に八百長事件と発展し、ジョー・ジャクソン外野手ら8選手が球界から永久追放された。このことは「ブラックソックス事件」と呼ばれている。1993年に地区優勝を果たすまで長い低迷期が続いていたが、2005年には88年ぶりとなる世界一の栄冠を手にした。

ホワイトソックス・球団データ

  • 創立 /1901年シカゴ
  • 世界一 /3回(1906, 1917, 2005)
  • AL・リーグ優勝 /6回(1901, 1906, 1917, 1919, 1959, 2005)
  • AL・中地区優勝 /3回(1994, 2000, 2005)
  • AL・ワイルドカード /0回
  • AL・西地区優勝 /2回(1983, 1993)
  • 本拠地 /USセルラーフィールド (1991~) U.S. Cellular Field

ホワイトソックス・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
56 マーク・バーリー(SP) 14 ポール・コナーコ(1B) ケン・ウイリアムズ(GM)
33 ハビア・バスケス(SP) 5 ホアン・ウリーベ(2B) 13 オジー・ギーエン(Manager)
50 ジョン・ダンクス(SP) 24 ジョー・クリード(3B)    
52 ホゼ・コントレラス(SP) 18 オーランド・キャブレラ(SS) 47 マイク・マクドゥガル(RP)
34 ギャビン・フロイド(SP) 7 ジェリー・オーウェンス(LF) 44 トビー・ホール(C)
17 スコット・ラインブリンク(RP) 30 ニック・スウィッシャー(CF) 20 カルロス・クエンティン(LF)
26 オクタビオ・ドーテル(RP) 23 ジャーメイン・ダイ(RF) 22 ジョシュ・フィールズ(3B)
45 ボビー・ジェンクス(RP) 25 ジム・トーミ(DH) 32 ブライアン・アンダーソン(CF)
    12 AJ・ピアジンスキー(C) 1 ダニー・リッシャー(2B)

ホワイトソックス・球団史
あのルースも学んだというジャクソンの打撃技術。優勝から遠のいて久しい球団の一つとして挙げられるシカゴ・ホワイトソックス。かつてメジャーリーグを揺るがせた「ブラックソックス事件」が大きな糸を引いている結果なのかも知れない。2003年から本拠地球場名をそれまでのコミスキーパークからUSセルラーフィールドと変え、新しいスタートを切ることになる。

アメリカンリーグが創立されたのが1901年のことである。アメリカンリーグの前身となるウエスタンリーグには、セントポールに本拠を構えていた球団(セントポール・セインツ)があり、その球団がシカゴに移ることからホワイトソックスの歴史は始まる。創立前の1900年、シカゴに移っての最初の試合はイリノイ大学のチームと対戦であり、10対9で勝利を収めている。ちなみに当時の愛称はシンシナティ・レッドストッキングスに対抗する形で、ホワイトストッキングスと名付けられた。

ホワイトストッキングスのオーナーとなったのは、セントポール時代から引き続きチャールズ・コミスキーが務めることになった。コミスキーはかつてアメリカンアソシエーション(1982年から10年に渡って実在したリーグ)などでプレーした経験があり、巧打者として結果を残した。特に評価が高いのはファーストの守備であり、ファーストを離れて守り、投手にファーストカバーさせることを考案し、実践したことでも知られる。

監督としてもチームを何度も優勝に導いたコミスキーはチームの経営にも参加するようにもなり、アメリカンリーグ創立の際には力を尽くした。1901年1月にアメリカンリーグが正式にナショナルリーグに続く2番目の「メジャーリーグ」であることを宣言。当時のシカゴにはナショナルリーグのオーファンズ(現在のカブス)というチームがあったこともあり、シカゴには2つのメジャーチームがあるという形になった。

アメリカンリーグの初公式戦はホワイトストッキングスとブルース(現在のインディアンズ)との間で行われ、ホワイトストッキングスが8対2で勝利を収めている。そして、貴重なアメリカンリーグ創立1年目において、83勝53敗という成績で、いきなり初年度優勝を飾っている。しかし、当時は両リーグ間の対立もあり、ワールドシリーズはまだ行われてはいなかったのである。

シーズン40勝もマークしたウォルシュ。この年のチームの中心は投手兼任監督のクラーク・グリフィスであり、投手として24勝をマークするなどしてチームを引っ張った。このグリフィスは2年間でホワイトストッキングスを去ることになるが、ヤンキース、レッズを経て、後にセネタース(現在のツインズ)の監督、オーナーとなり投手の分業制やナイトゲームの実施など球界に残した功績は計り知れない人物である。

1904年シーズン途中からフィールダー・ジョーンズが監督を兼任するようになり、この頃には愛称を縮めてホワイトソックスと呼ばれることが一般化する。そして、チームが優勝を飾ったのは1906年のこと。7月末の段階では首位と9ゲーム差の3位に留まっていたが、そこから破竹の19連勝を記録し、その勢いで首位を奪った。結果的にはシーズン93勝で2位ハイランダーズ(現在のヤンキース)に3ゲームを付けてのリーグ優勝でもあった。

この年のホワイトソックスは貧打戦が話題になるチームであり、チーム打率はリーグ最下位の.228である。そのチームを救ったのはフランク・オーウェン(22勝)、ニック・アルトロック(20勝)という2人の20勝投手であり、後の大投手エド・ウォルシュ(17勝)や、ドック・ホワイト(18勝)という投手陣であった。少ない得点を守りきるというホワイトソックスは「ヒットレスワンダー」と呼ばれることになる。

ワールドシリーズでの相手は同じシカゴのカブスであった。この年のカブスはシーズン116勝をマークしたほどのチームであり、戦前からカブス有利と言われていた。しかし、第1戦でアルトロックが1失点完投勝利を挙げると、第3戦ではウォルシュが2安打完封勝利。3勝2敗で迎えた第6戦では、カブスのエースのモデカイ・ブラウンから序盤に7点を奪う猛攻を見せ、「ヒットレスワンダー」のホワイトソックスがシカゴ対決を制して、初の世界一の栄冠を手にした。

ブラックソックス事件のきっかけを作ったとも言えるオーナーのコミスキー。1908年、ウォルシュがシーズン40勝をマークする活躍を見せるが、チームは首位に1.5ゲーム差の3位に終わってしまう。1910年7月には新球場コミスキーパークが開場するも、その初戦でホワイトソックスが敗れる不運もあった。優勝とは縁がなかったが、エディー・シコットがチームのエースとしての地位を固めると同時に、1915年開幕前にはアスレティックスからエディー・コリンズを獲得し、シーズン途中にはジョー・ジャクソンも獲得した。

実を結んだのは1917年のことで、シーズン中盤に首位に立つとそのまま首位を守りきり、シーズン100勝をマークして11年ぶりのリーグ優勝を飾った。開幕早々の4月にシコットがノーヒッターを達成する快挙も達成するなど幸先のいいスタートを切ると、この年は28勝12敗、防御率1.53という桁違いの数字を残している。

ワールドシリーズではジョン・マグロー率いるジャイアンツと対戦。第1戦、第2戦はシコットとレッド・フェイバーが連続完投勝利を飾って2連勝したホワイトソックス。その後、2勝2敗とタイにされるが第5戦で逆転勝ちして王手を懸けると、第6戦にはここまで2連投のフェーバーが2失点完投勝利で締めくくり、ホワイトソックスが世界一に輝いている。

1918年は優勝を逃すが、翌1919年には万全のチーム状態で2年ぶりのリーグ優勝を飾った。しかし、オーナーのコミスキーにより選手の年俸が不当に低く抑えられるという不満がチーム内には充満していた。エースのシコットに至っては、シーズン30勝を挙げればボーナスを渡すという約束をしておきながら、29勝を挙げた段階でシーズン終了まで3週間も残っているにも関わらず、シコットに登板機会を与えなかったこともあったのである。

1919年のホワイトソックスナイン。ワールドシリーズではレッズとの対戦となるが、前評判はホワイトソックスの圧倒的な有利である。しかし、何故かレッズ勝利への掛け率が高いということもあり、シリーズ開幕前から八百長の噂が広まった。そのような雰囲気の中で、1919年のワールドシリーズが行われた。

第1戦ではエースのシコットが4回途中までで6失点という内容でKOされて試合を落とすと、第2戦も先発のレフティー・ウイリアムスが突如、四球を連発するピッチング内容で連敗してしまった。あまりのふがいない内容にキッド・グリーソン監督は八百長が行われていることを確信したという。

野球界における八百長行為は表沙汰にはなっていなかったが、裏で行われていることは各球団のオーナーも分かっていることであった。特にコミスキーの冷遇に苦しんでいたホワイトソックスの選手達にとっては八百長に手を出すのも仕方がないという見方も出来ないことはない状況であった。

ファーストを守るチック・ガンディルがボストンの賭博師に八百長を持ちかけたことが、後に「ブラックソックス事件」と呼ばれる大スキャンダルへ発展するのである。ここから話が広がり、ホワイトソックスのガンディルを含む8人の選手が八百長へ加担することになった。この中にはシコットやジャクソンという一線級の選手も当然のように含まれていたのである。

永久追放されたエースのシコット。2連敗で迎えた第3戦は八百長に関係のないディック・カーが完封勝利をマークして一矢報いるが、その後はシコット、ウイリアムスが投げて2連敗。守備陣の無気力なプレーなどが足を引っ張った形でもあった。こうして1勝4敗と王手を懸けられたホワイトソックス(この年は9回戦で5戦先勝チームが世界一)は、ここからシコット、ジャクソンらの活躍で2連勝するが、これは選手サイドに約束されたお金が渡されなかったことが原因と言われている。

そして、3勝4敗で迎えた第8戦は、先発のウイリアムスがあっさりと初回でKOされてしまい、このシリーズを落としてしまう。シリーズ後にはホワイトソックスが八百長をしていたという噂はあっという間に広まり、グリーソン監督からも、何人かの選手が買収されていた、という爆弾発言もあった。そんな中で1920年シーズンは始まったが、表面化した八百長問題は法廷にまで持ち込まれたのである。

裁判所ではシコットやジャクソンも八百長を認める発言を行ったが、裁判の結果は全員無罪というものだった。しかし、メジャーリーグの初代コミッショナーに就任したばかりのケネソー・ランディスは無罪と宣告された8選手に対して、永久追放を告げたのである。こうしてこの8選手は球界からはじき出される結果になったが、オーナーのコミスキーに対しては何のお咎めがなかったことが、八百長に加担した選手からすれば腑に落ちない点でもある。

こうしてホワイトソックスは、下位に低迷し続ける苦しい時代に突入した。1920年代から1930年代にかけては、好投手のテッド・ライオンズがチームを支えたが、それでもチームは上昇することはなかった。1930年代から1940年代においては、名ショートと言われるルーク・アプリングが2度の首位打者を獲得するほどの活躍を見せるが、それでも優勝とは縁がなかった。

スピードある走塁が目を引いたアパリシオ。1950年にはアスレティックスで伸び悩んでいたネリー・フォックスを獲得し、ホワイトソックスのセカンドを守る選手とし着実に成長の跡を残し、1956年にはベネズエラからやって来たルイス・アパリシオがショートストップに定着したことから、2人で二遊間コンビを形成することになったのである。こうして1950年以降のホワイトソックスは戦力が安定し始める。

迎えた1959年シーズンは、アパリシオが56盗塁で盗塁王に輝くなど、走る野球が目立つスタイルで、「ゴーゴーソックス」と名付けられた。前年にインディアンズから獲得したアーリー・ウインが22勝をマークして、39歳にしてサイヤング賞を受賞する活躍などもあり、実に40年ぶりとなるワールドシリーズ出場の名誉を手にした。しかし、ワールドシリーズではドジャースと対戦し、2勝4敗で敗れている。

1964年にはヤンキース、オリオールズと激しい首位争いを演じ、結果的にヤンキースに1ゲーム差で振り切られると、1967年にもレッドソックス、タイガース、ツインズを含む4球団での争いに敗れている。1970年代に入るとチームにはシアトル移転の噂が飛び交うと、かつてのオーナーだったビル・ベックが再び球団を買い戻した。アイデアマンとして知られるベックは様々なファンサービスに努めたが、チームの勝利には結びつかない。

1979年途中からはトニー・ラルーサが監督に就任。さらに1981年にはジェリー・ラインズドルフが球団を買収したがなかなか結果は出ない。1983年にはラマー・ホイトがオールスターまでに15勝を挙げる活躍でチームを引っ張った。結局、ホイトは24勝をマークしてサイヤング賞を獲得する活躍を見せれば、リッチ・ドットソンも22勝を挙げて、チームは地区優勝に輝いている(リーグチャンピオンシップシリーズではオリオールズに1勝3敗で敗れる)。

2年連続MVPを獲得しているトーマス。優勝には届かないチームではあったが、タンパ移転を匂わせて、新球場建設をシカゴに求める。結果として1991年に新しいコミスキーパークが建設されたのである。フランク・トーマスがメジャーデビューしたのは1990年のことで、1993年には打率.317、41HR、128打点という好成績でMVPを受賞。チームのエースに成長していたジャック・マクドウェルも22勝を挙げてサイヤング賞を獲得する活躍で、チームに地区優勝をもたらした。しかし、リーグチャンピオンシップシリーズでは、この年に世界一になるブルージェイズの前に2勝4敗で敗れている。

ストライキで中断された1994年、トーマスは打率.353、38HR、101打点で2年連続のMVPを受賞する活躍を見せて、地区首位でシーズンを終えている。1997年には問題児と呼ばれるアルバート・ベルを獲得し、トーマスとのコンビで売り出そうとするが、成績として2人は噛み合わず、チームの結果としては表れなかった。

2000年には怪我から復活したトーマスにマジリオ・オルドニェスらの活躍で、地区優勝の常連となっていたインディアンズを退け、地区優勝を果たした。しかし、ディビジョンシリーズではマリナーズの前にあっさりと3連敗してしまう。そんな中、2001年には若手左腕のマーク・バーリーが台頭し、2003年からは先発ローテーションにバートロ・コロンも加わる。ホワイトソックスが1917年以来の世界一に輝く日はくるのだろうか。(2005年、待望の世界一に輝く!!)
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

ホワイトソックス・各年度別成績一覧

ホワイトソックス・球団名の変換史

  • Chicago WHITE SOX (1904~現在)
  • Chicago WHITE STOCKINGS (1901~1903)

ホワイトソックス・マイナー組織

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