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Cincinnati REDS(シンシナティ・レッズ)

  • 2008-05-22 (木) 23:25

Cincinnati REDSシンシナティ・レッズ
1869年に誕生した最古のプロベースボールチーム、レッドストッキングスが前身。1876年のナショナルリーグ創設と同時に参加。1919年のワールドシリーズで後に八百長事件が発覚するホワイトソックスを破って、球団史上初の世界一。以後、地区制が採用される1969年まで優勝は4回しか経験していな い。70年代にスパーキー・アンダーソン監督を迎え、ジョニー・ベンチピート・ローズら を中心としたビッグ・レッド・マシンの強力打線で1975年、76年と2年連続世界一の名誉を手にする。80年代は低迷するが、1990年には開幕から全試合首位を保持し、通算7度目の地区優勝。ワールドシリーズでは当時最強を誇ったアスレティックスを4連勝で通算5度目の世界一を記録している。レッドストッキングスと呼ばれたニックネームを短縮してレッズとなる。

レッズ・球団データ

  • 創立 /1876年シンシナティ
  • 世界一 /5回(1919, 1940, 1975, 1976, 1990)
  • NL・リーグ優勝 /9回(1919, 1939, 1940, 1961, 1970, 1972, 1975, 1976, 1990)
  • NL・中地区優勝 /0回
  • NL・ワイルドカード /0回
  • NL・東地区優勝 /7回(1970, 1972, 1973, 1975, 1976, 1979, 1990)
  • 本拠地 /グレートアメリカン・ボールパーク (2003~) Great American Ball Park

レッズ・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
39 アーロン・ハラング(SP) 19 ジョイ・ボット(1B) ウェイン・クリブスキー(GM)
61 ブロンソン・アローヨ(SP) 4 ブランドン・フィリップス(2B) 12 ダスティ・ベイカー(Manager)
77 ジョニー・クエト(SP) 28 エドウィン・エンカーナシオン(3B)    
33 ジョシュ・フォッグ(SP) 27 ジェフ・ケッピンジャー(SS) 31 マット・ベライル(SP)
36 エディソン・ボルケス(SP) 44 アダム・ダン(LF) 34 ホーマー・ベイリー(SP)
41 ジェレミー・アフェルト(RP) 23 コーリー・パターソン(CF) 21 スコット・ハッテバーグ(1B)
25 デビッド・ウェザーズ(RP) 6 ライアン・フリール(CF) 2 アレックス・ゴンザレス(SS)
51 ジャレッド・バートン(SP) 3 ケン・グリフィー(RF) 7 ホアン・カストロ(SS)
48 フランシスコ・コルデロ(RP) 26 デビッド・ロス(C) 17 ハビア・バレンティン(C)

レッズ・球団史
プロ野球の祖であるハリー・ライト(写真はボストン時代)。メジャー最古のプロ球団として誕生した歴史を持つシンシナティ・レッズ。かつては「ビッグレッドマシン」が暴れ回ったシナジーフィールド(旧称リバーフロントスタジアム)に別れを告げ、2003年からは新本拠地グレートアメリカンボールパークに舞台を移すことになるが、ここからも多くの名選手が輩出されることだろう。

シンシナティに野球チームが誕生したのは1866年のことであり、当時はまだアマチュアのチームではあった。中心となって動いたのは宝石商を務めるハリー・ライトである。実弟のジョージ・ライトも加わり、3年後の1869年には野球で生計を立てるプロの球団として生まれ変わることになる。メンバーは13人で、愛称はレッドストッキングスというこのチームは、全米各地を周り1年目は66試合65勝1分けと無類の強さを誇った。

連勝を続けるレッドストッキングスだが、翌1870年、ブルックリンに本拠を構えるアトランティックスに延長11回の末、敗れてしまう。長く続いた連勝は130で止まるが、このレッドストッキングスの活躍が、全米各地にプロ球団が誕生するきっかけとなった。この後、ライト兄弟は、ボストンに誕生したチームに移っている。

ナショナルリーグが創立された1876年、シンシナティも加盟するが1年目は9勝56敗という散々な成績でリーグ最下位に終わってしまった。2年後には勝率もようやく5割を超えるが、優勝とは縁のない位置にいたレッドストッキングス。そして、再びリーグ最下位に沈んだ1880年、球場内でビールを売ってはいけないというリーグ規約をたびたび破るということがあり、リーグから除名されてしまった。

メジャー初のナイトゲームが行われたクロースリーフィールド。1882年から新たにアメリカンアソシエーションが創立され、シンシナティはこちらに参加する。最初は6チームでスタートしたこのリーグの初年度の優勝チームがレッドストッキングスだった。この年、ナショナルリーグを制したホワイトストッキングス(現在のカブス)とレッドストッキングスがシーズンオフに戦っており、これがメジャー初のポストシーズンであり、ワールドシリーズにつながっている(2試合を戦い、両チームが分け合っている)。

優勝したのは初年度だけでその後は優勝とは縁がなく、1889年を最後にアメリカンアソシエーションを離脱し、1890年からナショナルリーグに復帰する。この頃からレッドストッキングスを縮めてレッズという愛称になったが、チーム成績は低空飛行を続けていた。そんな中、1912年には後にクロースリーフィールドと改称する新球場レッドランドフィールドに本拠地を移していた。

レッズが優勝するには1919年まで待たなければならなかった。ウェーバーで獲得したスリム・サリーが21勝をマークする活躍で初のリーグ優勝を果たすが、ワールドシリーズでは強打者ジョー・ジャクソンやエースのエディー・シーコットのいる強豪ホワイトソックスとの対戦だった。戦前の予想はホワイトソックスの圧倒的有利だったが、ひょっとすると八百長が行われるのでは、という噂もあったのである。

実際、ワールドシリーズではホワイトソックスサイドの不可解なプレーもあり、レッズが5勝3敗で勝利を収め、初の世界一の名誉を手にする。レッズにとっては初の世界一だったものの、翌年にはホワイトソックスの選手の八百長が発覚してしまった。これがメジャーリーグの存在そのものを揺るがすことになるブラックソックス事件であり、8人の選手が永久追放となっている。

ヴァンダミーアの2試合連続ノーヒッターは不滅の大記録。その後、再び優勝とは縁遠くなってしまったレッズだが、1935年には本拠地クロースリーフィールドでメジャー史上初となるナイトゲームが開催された。現在では当たり前になっているナイトゲームも、当時としては非常に画期的なことであった。レッズにとって記念すべきこの試合、2対1と白星で飾っている。

1938年にはデビュー間もない若き左腕ジョン・ヴァンダミーアが、6月11日の対ブレーブス戦でノーヒッターを達成。中3日で登板することになった6月15日の対ドジャース戦でもノーヒッターを達成し、2試合連続ノーヒッターという大偉業を打ち立てた。奇しくも2試合目はドジャースの本拠地エベッツフィールドでの達成であり、エベッツフィールド初のナイトゲームでの偉業達成だった。

1939年、エースのバッキー・ウォルターズが27勝11敗、防御率2.29というMVPを受賞する活躍を見せれば、もう一人のエースであるポール・デリンジャーも25勝7敗をマーク。フランク・マコーミックも128打点で打点王を獲得するなどチームの歯車が噛み合い、20年ぶりのリーグ優勝を飾った。しかし、ワールドシリーズではジョー・ディマジオを中心とするヤンキースと対戦し、あっさりと4連敗で敗れ去っている。

1940年、マコーミックがMVPを獲得するほどの活躍を見せ、2年前にMVPを獲得している捕手のアーニー・ロンバルディも打率.319をマークしてチームを引っ張る。ウォルターズもデリンジャーも共に20勝を記録するなど、投打の軸の働きで2年連続となるリーグ優勝を果たす。ワールドシリーズでは強打者ハンク・グリーンバーグを擁するタイガースと対戦。

一時は2勝3敗と王手をかけられるが、第6戦では先発ウォルターズが散発5安打の完封勝利をマークし、自らもHRを放った。第7戦ではデリンジャーとタイガースのボボ・ニューサムとの激しい投手戦となるが、デリンジャーが2対1で投げ勝ち、レッズが20年ぶり2度目の世界一の座に輝いた。

ノースリーブが特徴的なクルーズスキー。再び低迷期を迎えたレッズ。1950年代のレッズの中心選手であるテッド・クルズースキーが1954年に、打率.326(リーグ5位)、49HR、141打点という好成績で二冠王に輝くが、これがチーム成績に跳ね返ることはなかった。

そんな中で、元大学フットボールのスターであったクルズースキーは筋肉が隆々としていたため、フルスイングをするとユニフォームの袖が切れてしまうということがあった。このためにレッズはノースリーブのユニフォームを採用して話題になった。クルズースキーは1959年途中にホワイトソックスへ移籍するが、レッズ在籍中に優勝の美酒を味わうことは出来ず、移籍先のホワイトソックスでワールドシリーズを経験している。

1961年、久々にリーグ優勝を果たしたレッズだが、ワールドシリーズではミッキー・マントルロジャー・マリスというMM砲を抱えるヤンキースとの対戦だった。ちょうどマリスがシーズン61HRを記録した特別なシーズンであり、ヤンキースの勢いに呑まれてしまう。シーズン21勝のジョーイ・ジェイが第2戦で勝利を収めるが、第5戦に先発したジェイは打ち込まれてしまい、1勝4敗でこのシリーズを落としてしまった。

チーム力は安定しているもののなかなか優勝を果たせないレッズであったが、1963年にはピート・ローズがメジャーデビューし、ハッスルプレーで新人王を受賞。さらに1967年にはトニー・ペレスのレギュラー定着し、さらにジョニー・ベンチがメジャーデビュー。ベンチは翌1968年には正捕手の座を掴み、新人王を受賞するなど、生え抜きの選手が徐々に揃いつつあった。そして、1970年からは無名だったスパーキー・アンダーソンが新監督に就任。前年はパドレスの3塁コーチを務めていたアンダーソンは当時まだ36歳と非常に若く、大抜擢というに相応しいものだった。

ローズの通算4256安打はメジャー記録である。1970年シーズン途中にそれまでのクロースリーフィールドから新球場リバーフロントスタジアムに移すなど、レッズには新しい風が吹いていたといえる。この年に同球場で行われたオールスターゲームではローズが相手捕手のレイ・フォッシーに激突し、サヨナラのホームを踏むという劇的な勝ち方を見せた。さらにアンダーソンは監督就任1年目にして、チーム102勝で地区優勝を果たし、チームと共に名監督としての階段を昇り始めたといえる(ワールドシリーズではオリオールズ相手に1勝4敗で敗れる)。

アストロズからジョー・モーガンを獲得して迎えた1972年にも地区優勝を果たしたレッズ。ワールドシリーズではアスレティックスと対戦し、惜しくも3勝4敗で敗れる。7試合のうち、1点差ゲームが6試合を数えるなど、白熱したシリーズであったが、世界一にはまだ届かなかった。その後もあと一歩で優勝を逃す状況が続くものの、ジョージ・フォスターケン・グリフィー・シニアの台頭もあり、戦力は少しずつ充実してきたのである。

こうして迎えた1975年、シーズン108勝という圧倒的な勝ちっぷりで地区優勝を果たすと、リーグチャンピオンシップシリーズではパイレーツを3連勝で蹴散らす。ワールドシリーズではレッズと同じく強打で勝ち上がってきたレッドソックスと対戦。レッズの3勝2敗で迎えた第6戦、レッドソックスのバーニー・カーボに代打同点3ランHRを打たれてしまい、試合は延長戦へもつれ込む。そして、延長12回にカールトン・フィスクにサヨナラHRを打たれてしまい、レッズは3勝3敗とタイにもつれ込まれた。この試合は、敗れはしたがレッズナインも史上最高の試合と認める素晴らしい試合であり、後生にまで語り継がれている試合でもある。

第7戦、序盤に3点のリードを奪われたレッズも、ペレスの2ランHRやローズのタイムリーなどでかろうじて逆転。こうしてレッズは4勝3敗で35年ぶりとなる世界一に輝いた。ついに世界一の称号を手にしたレッズナインには、「ビッグレッドマシン」と称され、他チームから脅威を抱かせるチームとなった。

レッズのホームベースを守った名捕手ベンチ。1976年もシーズン102勝でリーグ優勝を果たすと、リーグチャンピオンシップシリーズでもフィリーズを3連勝で退ける。ワールドシリーズではヤンキースと対戦し、寄せ付けない強さを見せたレッズは、あっさりと4連勝で2年連続世界一を決めた。この当時のレッズはメジャー史上最高のチームとしても名前が挙がるほどの強さがあり、それはアンダーソン監督とボブ・ハウザムGMによる力が大きかったことは言うまでもない。

その後、2年連続で優勝を逃すとアンダーソン監督は解任。折しも時代はFA制度が導入されたこともあり、チームに功績ある選手が他チームに移る可能性が非常に高くなった。1979年、地区優勝を果たすも、リーグチャンピオンシップシリーズでパイレーツに敗れてしまい、ワールドシリーズ進出はならなかった。

しばらくは優勝と縁のなかったレッズは、1984年途中に他球団へ移籍していたローズを監督兼任選手として迎えた。ローズはフィリーズへ移籍後、この年はエクスポズで開幕を迎え、通算4000本安打を記録後にレッズ復帰となった。そして、9月11日にはタイ・カッブの持つメジャー記録(通算4191安打)を抜く、4192本目のヒットを放った。1986年限りで現役を退くローズだが、監督としての能力も悪くはなく、1985年以降は4年連続で地区2位に導いている。

しかし、監督専任後のローズには悪い噂がつきまとい始めた。元来、ギャンブル好きのローズが自らのチームを賭けの対象にしているという噂である。そして、1989年途中にローズに永久追放処分が下ってしまう。こうして殿堂入り確実視されたメジャー最高の安打製造器であるローズは、その栄光の座から転落した(ローズの球界復帰への動きは現在でも続いているが、未だにイバラの道であることは間違いない)。

かつてはHR量産で一時代を作ったグリフィー。チームに暗い雰囲気が立ちこめる中、1990年からルー・ピネラが新監督として就任する。そして、ホゼ・リホやロブ・ディブルなどを抱える投手陣や、エリック・デービス、クリス・セイボー、バリー・ラーキンらの活躍もあり開幕から快調に勝ち続ける。そして、地区優勝を果たし、リーグチャンピオンシップシリーズでもパイレーツを振り切り、ワールドシリーズでは前年の世界一チームであったアスレティックスと対戦。戦前はアスレティックス有利だったが、蓋を開ければレッズの4連勝で幕を閉じた。2勝をマークしたリホがシリーズMVPに輝いている。

1993年途中にデーブ・ジョンソンが新監督となり、ストライキで中断された1994年は地区1位でシーズンを終える。翌1995年は地区優勝を果たすが、リーグチャンピオンシップシリーズではこの年に世界一となるブレーブスの前に敗れてしまった。その後は1999年にワイルドカードを懸けてメッツとワンゲームプレーオフを行うが、敗れてしまいポストシーズン出場は果たせなかった。

2000年開幕前にケン・グリフィー・ジュニアがマリナーズから移籍。2001年にはアダム・ダンがメジャーデビューし、そのパワーを見せつけた。2002年にはダン同様に期待されているオースティン・カーンズもメジャー昇格など若い選手が揃ってきた。グリフィーは怪我の影響で、レッズ移籍後は満足できる成績を残していないが、年齢的にはまだ若いだけに復活が待たれる。新球場グレートアメリカンボールパークで新しい「ビッグレッドマシン」を形成する日はやってくるだろうか。
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

レッズ・各年度別成績一覧

レッズ・球団名の変換史

  • Cincinnati REDS (1959~現在)
  • Cincinnati RED LEGS (1953~1958)
  • Cincinnati REDS (1890~1952)

レッズ・マイナー組織

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