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Cleveland INDIANS(クリーブランド・インディアンズ)

  • 2008-05-23 (金) 0:20

Cleveland INDIANSクリーブランド・インディアンズ
1901年、アメリカンリーグ創設時に加盟。1920年に初の世界一に輝き、1948年には2度目の世界一に輝いた以降、長い低迷期に入った。この低迷期の様子は映画「メジャーリーグ」に取り上げられるなど大きな話題となった。1995年にメジャー最多のシーズン100勝を記録し、41年ぶりの地区優勝を果たした。それ以後4年連続地区優勝を飾っているが、世界一には手が届いていない。ニックネームは1915年に地元新聞社がチーム名を募集し、メジャー初のインディアン選手、ルイス・フランシス・ソカレキスを讃える形でインディアンズと名乗るようになった。

インディアンズ・球団データ

  • 創立 /1901年クリーブランド
  • 世界一 /2回(1920, 1948)
  • AL・リーグ優勝 /5回(1920, 1948, 1954, 1995, 1997)
  • AL・中地区優勝 /7回(1995, 1996, 1997, 1998, 1999, 2001, 2007)
  • AL・ワイルドカード /0回
  • AL・東地区優勝 /0回
  • 本拠地 /ジェイコブスフィールド (1994~) Jacobs Field

インディアンズ・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
52 CC・サバシア(SP) 25 ライアン・ガルコ(1B) マーク・シャパイロ(GM)
55 ファウスト・カルモナ(SP) 13 アズドゥバル・キャブレラ(2B) 22 エリック・ウェッジ(Manager)
37 ジェイク・ウエストブルック(SP) 1 ケーシー・ブレイク(3B)    
36 ポール・バード(SP) 2 ジョニー・ペラルタ(SS) 45 ジェレミー・サワーズ(SP)
31 クリフ・リー(SP) 20 デビッド・デルーチ(LF) 7 ジェイミー・キャロル(2B)
53 ラファエル・ペレス(RP) 24 グラディ・サイズモア(CF) 15 アンディ・マルテ(3B)
30 小林雅英(RP) 38 フランクリン・グティエレス(RF) 29 ジョシュ・バーフィールド(2B)
63 ラファエル・ベタンコート(RP) 48 トラビス・ハフナー(DH)    
47 ジョー・ボロウスキー(RP) 41 ビクター・マルチネス(C)    

インディアンズ・球団史
火の玉と呼ばれた剛速球が売りのフェラー。長く優勝から遠のき、映画「メジャーリーグ」の題材としても取り上げられたことのあるクリーブランド・インディアンズ。クリーブランドのダウンタウンの中に位置するジェイコブズフィールドは市民の誇りであり、この球場の開場後に黄金時代を築き上げた。21世紀を迎えたところで、新たなチーム作りが求められており、これからの動きからは目が離せない。

クリーブランドにプロ球団が誕生するのは1879年のことである。1882年には創立したばかりのアメリカンアソシエーションに移るが、1889年からナショナルリーグに復帰した。1890年には後の大投手、サイ・ヤングと契約。そのヤングはデビュー直後から桁違いの成績を残しており、1891年には27勝、翌1892年には36勝をマークしてチーム力を上向けた。ちなみに当時のチームの愛称はスパイダースである。

ヤングを擁してもなかなか優勝までは手が届かないスパイダーズのオーナー連中は、セントルイスに本拠を構えたパーフェクトズ(現在のカージナルス)のフランチャイズ権を取得し、スパイダーズの主力選手をパーフェクトズに移し始めた。その中にはヤングも含まれており、ヤングが1898年を最後にパーフェクトズへ移籍すると、翌1899年のスパイダーズは20勝134敗(勝率.130)という最低の成績でナショナルリーグを脱退することになった。

1900年にアメリカンリーグ創立が発表されると、その中にクリーブランドが含まれていたのである。そして、1901年に新球団として誕生し、初年度は54勝82敗のリーグ7位に終わった。翌1902年、シーズン途中の5月に当時フィラデルフィアに本拠を構えていたアスレティックスから前年の三冠王ナポレオン・ラジョイを獲得する。

ラジョイは元々、フィリーズの選手であったが、アメリカンリーグが創立されるとアスレティックスを率いることになるコニー・マックに誘われる形で同じフィラデルフィアのアスレティックスへ移籍し、打率.426、14HR、125打点という成績で三冠王をマーク。しかし、古巣のフィリーズはラジョイの裏切りが許せず、フィラデルフィアのあるペンシルベニア州での出場を禁じる訴えをおこし、インディアンズへ移籍することになったのである。

インディアンズの愛称の前はラジョイの名前からナップスと言った。創立当時の愛称はブルースやブロンコスと名乗っていたが、一般公募によりナップスと呼ばれることになる。というのも移籍してきたラジョイの人気があまりにも大きかったためである。そのラジョイは1903年に打率.344、翌1904年も打率.376で2年連続で首位打者となり期待に応えている。ラジョイは1905年から1909年の途中まで兼任監督を務めたが、なかなか優勝とは縁がなく、1908年はタイガースの前に0.5ゲーム差で優勝を逃すこともあった。

ちなみにラジョイが兼任監督を務め始めた1905年はチームメイトのエルマー・フリックが打率.308で首位打者に輝いたが、このフレック絡みの移籍の申し出が1907年開幕前に申し出があった。フレックの交換相手として名前が挙がっていたのは、後の大打者タイ・カッブである。しかし、カッブの短気な性格は当時から知られていたこともあり、この移籍話は破談となった。万が一、この移籍が成立していればメジャーリーグの歴史は大きく変わっていたかも知れない(ちなみにカッブはこの1907年から9年連続で首位打者となっている)。

ラジョイは監督の座を退いた後も選手として高い数字を残した。特に1910年はカッブと激しい首位打者争いを演じ、ラジョイはシーズン最後のダブルヘッダーで8打数8安打を記録して逆転したかに思えたが、集計ミスが発覚し、0.007の差で首位打者はカッブのものとなった(しかし後年、更なる再調査でラジョイの打率の方が上回っていることが分かっている)。

1911年からはジョー・ジャクソンがメジャーに定着し、233安打、打率.408をマーク。首位打者のタイトルは打率.420のカッブに奪われてしまうが、余りにも華々しいメジャーデビューであった。その後2年間も4割近い打率をマークするが、カッブの前に首位打者になることは出来なかった。そして、1915年途中にホワイトソックスへ移籍したジャクソンは、後に「ブラックソックス事件」に巻き込まれ、永久追放の処分を受けている。

死球で命を落としたチャップマン。チームの顔であったラジョイは1914年までナップスにいたが、1915年には古巣のアスレティックスへ戻ることとなった。ラジョイが抜けるとチームの愛称はナップスからインディアンズに変わることになる。これは19世紀のスパイダーズでプレーしたアメリカ先住民(インディアン)のルイス・ソカレスキの名誉を称える形でインディアンズとなったのである。

1916年にはレッドソックスからトリス・スピーカーを獲得。移籍していたこの年、スピーカーは打率.386をマークして、カッブから首位打者のタイトルを奪い取った。スピーカーは自他共に認めるチームの中心選手となり、1918年からは2年連続でリーグ2位にまで浮上させている。さらに1919年途中からはスピーカーが兼任監督となり、チームの指揮を執ることになったのである。

こうして迎えた1920年、開幕から好調をキープしたインディアンズ。事件は8月16日に起こった。対戦相手はヤンキースで、本拠地はポログラウンズでジャイアンツに間借りしていた段階である。ヤンキースの先発はアンダースローのカール・メイズであり、打席にはインディアンズ不動のショートストップ、レイ・チャップマンがいた。そして、メイズの投じた速球はチャップマンの顔に直撃してしまった。この死球がきっかけでチャップマンは帰らぬ人となってしまったのである。

チャップマンは死球を受けて、わずか12時間後に死亡してしまったのである。このアクシデントはインディアンズに大きな影を落とした。その後のインディアンズは喪章をつけてプレーし、ホワイトソックス、ヤンキースの追撃をかわし、球団史上初のリーグ優勝を果たす。ワールドシリーズではロビンス(現在のドジャース)と戦い、5勝2敗で見事に世界一にも輝いているのである。こうしてインディアンズナインは「チャップマンの悲劇」を乗り越えた。

その後は優勝から遠のくインディアンズだが、そんなチームの中にボブ・フェラーが登場したのは1936年のことである。アイオワ州の田舎町から見出された逸材は、その才能を若いながらも遺憾なく発揮した。メジャーデビュー戦となるブラウンズ(現在のオリオールズ)戦ではいきなり1試合15奪三振をマーク。続く2試合目の登板でもカージナルス打線を相手に1試合17奪三振という快投を見せた。

兼任監督としてあみ出したブードローシフトはあまりに有名。フェラーはまだ高校生という身分であったため、シーズンをフルで戦うことはできなかったが、1938年には先発ローテーションとして1年間回り、17勝11敗、防御率4.08、240奪三振という成績を残し、最多奪三振のタイトルを獲得している。そして、翌1939年にはシーズン最終登板で当時のメジャー記録となる1試合18奪三振を記録しており、シーズン通しては24勝8敗、防御率2.85、246奪三振という数字を残している。

1940年、開幕投手として先発のマウンドに立ったフェラーはホワイトソックスを相手にノーヒッターを達成。開幕戦でのノーヒッターはメジャー史上でフェラーしか記録していない快挙である。この年のフェラーはキャリアハイの27勝を挙げる活躍を見せ、翌1941年も25勝と破竹の勢いを見せていた。

そんな中、時代は戦争の影が迫ってきたこともあり、フェラーも1942年から兵役につくことになりチームを離れることになった。時同じくして、インディアンズのショートを守り、高い守備力でチームを支えていたルー・ブードローが監督就任を志願して、24歳の若さで兼任監督となっている。後にテッド・ウイリアムスを打席に迎えて、内野手を極端に右寄りに寄せるブードローシフトを披露して周囲を驚かせたブードローは、打者としても優れており、1944年には打率.327をマークして首位打者にも輝いている。

1945年途中にはフェラーが戦線に復帰。それまでの速球に加え、スライダーを自らのものにしていたフェラーは約3年間のブランクを感じさせないピッチングを見せ、翌1946年には26勝を挙げている。さらに野手としてメジャー昇格経験のあるボブ・レモンが、持ち前の強肩をより生かすために投手へコンバートし、その才能の片鱗を見せつつあった。

アメリカンリーグ初の黒人選手、ドビー。1946年にアイデアマンとして知られるビル・ベックがチームを買収し、観客動員は前年の55万人から105万人に倍増。とはいえチーム成績は向上せず、優勝には手が届かないことから、1947年のシーズンオフにブードロー監督のブラウンズへの移籍話が浮上。しかし、これはクリーブランド市民の猛反対から取り消しとなった。

1947年には黒人であるジャッキー・ロビンソンがドジャースでメジャーデビューし、大きな話題をさらったが、この年の7月にはインディアンズの一員として黒人のラリー・ドビーがメジャーリーグの舞台に立った。ドビーはアメリカンリーグ初の黒人選手としなったわけだが、1年目はあまり出場機会がなく、本格的に働き始めるのは翌年以降である。

こうして迎えた1948年、前半戦はインディアンズとアスレティックスが激しく首位争いを演じ、7月末にはヤンキースとレッドソックスも加わり、4チームでの争いとなった。そんな中でインディアンズはニグロリーグで投げ続け、「史上最高の投手」と言われるサチェル・ペイジと契約。すでに42歳と言われていたペイジも、デビュー戦をいきなり完封勝利で飾るなど、年齢を感じさせないピッチングに多くのファンが注目したのである。

8月に入ると4チームが毎日のように首位が入れ替わる展開となり、結果的にインディアンズとレッドソックスが96勝58敗という同率首位でシーズンを終える結果となってしまった。そして、ワンゲームプレーオフが行われるが、ここで爆発したのは前年に移籍話があったブードローである。

ブードローはこの大事な試合で2本のHR含む4打数4安打と大当たりし、チームを1920年以来の優勝に導いたのである。この年のブードローは打率.355、18HR、106打点という成績でMVPを獲得。実質メジャー1年目のドビーも打率.301をマークすれば、投手陣でもフェラーが19勝を挙げ、台頭著しいレモンも20勝をマークしている。更にナックルボールを武器にしていたジーン・ベアーデンも20勝を記録した。

野手から投手転向が成功したレモン。ワールドシリーズではウォーレン・スパーンジョニー・セインという左右の両輪を擁するブレーブスと対戦している。第1戦ではフェラーとセインが投手戦を見せ、結果的に0対1でインディアンズが敗れてしまう。第2戦はレモンがスパーンに投げ勝つと、第3戦はベアーデンが完封して勝ち越すと、このまま4勝2敗でインディアンズが世界一となった。なお、ペイジは敗戦濃厚の第5戦に1度だけマウンドに上がっている。

その後はヤンキースが黄金時代を築いたため、優勝には手が届かないシーズンが続くが、1954年にはレモンとアーリー・ウインの2人が共に23勝をマークするだけのピッチングを披露すれば、ドビーが32HR、126打点で二冠王に輝き、メキシコ出身のボビー・アビラも打率.341で首位打者となった。投打が噛み合ったインディアンズは当時のリーグ記録となるシーズン111勝を挙げ、それまで4年連続でリーグ優勝していたヤンキースを振り切った。

ワールドシリーズではウイリー・メイズのいるジャイアンツと対戦。第1戦は延長戦にもつれる試合となったが、メイズの後ろ向きでセンター後方に飛んだ打球を好捕する「ザ・キャッチ」と呼ばれるプレーでジャイアンツを勢いに乗らせてしまい、インディアンズは4連敗でシーズンを終えてしまったのである。そして、この年を最後にインディアンズはワールドシリーズから遠のくのである。

1955年にメジャーデビューしたロッキー・コラビトは長距離砲として順調に成長し、1959年には4打席連続HRを放ち、さらにシーズン42HRを記録して本塁打王のタイトルも獲得している。しかし、1960年のシーズン開幕前には、前年に首位打者となっているタイガースのハービー・キーンとコラビトのトレードが成立。首位打者と本塁打王の開幕直前のトレードは大きな話題となり、コラビトを失ったファンの怒りは相当のものだった。

豪快な打撃を見せるが、マスコミ受けが悪く、MVPも逃したことがあるベル。衝撃的なトレードが決まったこの年の8月には、同じくタイガースとの間で監督同士のトレードも成立させたが、すでにチームは下位が定位置となっていたのである。インディアンズは観客74483人も収容できるミュニシパルスタジアムを本拠地としていたが、閑古鳥の鳴く日も珍しくなかった。

1975年には黒人初の監督としてフランク・ロビンソンが就任するが、結果を残せずにわずか2年半で解任。1980年代に入って観客動員は徐々に伸び始める。しかし、インディアンズは弱いチームというイメージが定着しており、1989年には映画「メジャーリーグ」の中でコミカルに描かれることもあった。

そんなインディアンズに変化が訪れたのは1994年、新球場ジェイコブズフィールドが開場してからである。開場初年度はストライキでシーズンが中断されるという事があったが、1995年には生え抜きのスラッガー、アルバート・ベルが50HR、126打点で二冠王を獲得し、チームはシーズン100勝を挙げて地区優勝を果たす。リードオフマンのケニー・ロフトンに加え、若いマニー・ラミレスジム・トーミとタレントが揃い始めたのである。(しかし、ワールドシリーズではブレーブスの前に2勝4敗で敗退)。

1996年は地区優勝するも、ディビジョンシリーズでオリオールズに敗れるが、翌1997年は見事にリーグ優勝を飾る。ワールドシリーズではワイルドカードで勝ち上がった創立5年目のマーリンズと対戦。暑いフロリダと寒いクリーブランドという温度差の激しいシリーズは第7戦までもつれ、最後にはインディアンズが敗れてしまったのである。

インディアンズは1995年から5年連続地区優勝を挙げるも、いずれも世界一にはなることが出来なかった。2001年も剛腕バートロ・コロンに新人CC・サバシアの活躍で地区優勝するが、ワールドシリーズには進めない。そして、チームを支えてきたラミレス、トーミ、コロンなどはいつの間にか他チームのユニフォームに袖を通すことになっていたのである。インディアンズが1948年以来の世界一になるのはいつになるのだろうか。
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

インディアンズ・各年度別成績一覧

インディアンズ・球団名の変換史

  • Cleveland INDIANS (1915~現在)
  • Cleveland NAPS (1903~1914)
  • Cleveland BRONCHOS (1902)
  • Cleveland BLUES (1901)

インディアンズ・マイナー組織

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