- 2008-05-23 (金) 0:20
デトロイト・タイガース
1881年にナショナルリーグに加盟しており、1887年には優勝を記録したが、その後マイナーリーグに移動し、1901年アメリカンリーグ創設と同時に加盟。1907年から3年連続リーグ優勝を飾る強豪だった。「球聖」と呼ばれるタイ・カッブがチームの牽引車として大活躍。1935年にはカブスを下して初の世界一。1984年には名将スパーキー・アンダーソン監督の元、開幕から35勝5敗という驚異的な快進撃を見せてリーグ優勝。その勢いで通算4度目の世界一に輝く。2006年にもリーグ優勝を果たすが世界一には届かなかった。タイガースの名称の由来は、1889年に当時の監督が縞のストッキングを履いていたことが虎を連想させたことだという。
タイガース・球団データ
- 創立 /1901年デトロイト
- 世界一 /4回(1935, 1945, 1968, 1984)
- AL・リーグ優勝 /10回(1907, 1908, 1909, 1934, 1935, 1940, 1945, 1968, 1984, 2006)
- AL・中地区優勝 /0回
- AL・ワイルドカード /1回(2006)
- AL・東地区優勝 /3回(1972, 1984, 1987)
- 本拠地 /コメリカパーク (2000~) Comerica Park
タイガース・選手データ
| # | 投手 | # | 野手 | # | その他 |
|---|---|---|---|---|---|
| 35 | ジャスティン・バーランダー(SP) | 9 | カルロス・ギーエン(1B) | ※ | デーブ・ドンブロウスキ(GM) |
| 38 | ジェレミー・ボンダーマン(SP) | 14 | プラシド・ポランコ(2B) | 10 | ジム・リーランド(Manager) |
| 29 | ネイト・ロバートソン(SP) | 24 | ミゲル・キャブレラ(3B) | ||
| 37 | ケニー・ロジャース(SP) | 8 | エドガー・レンテリア(SS) | 54 | ジョエル・ズマヤ(RP) |
| 21 | ドントレル・ウイリス(SP) | 19 | ジャック・ジョーンズ(LF) | 15 | ブランドン・インジ(3B) |
| 56 | フェルナンド・ロドニー(RP) | 28 | カーティス・グランダーソン(CF) | 33 | マーカス・テームズ(LF) |
| 49 | ジェイソン・グリーリ(RP) | 30 | マジリオ・オルドニェス(RF) | 39 | ラモン・サンチアゴ(SS) |
| 44 | ボビー・シー(RP) | 3 | ゲーリー・シェフィールド(DH) | ||
| 59 | トッド・ジョーンズ(RP) | 7 | イバン・ロドリゲス(C) |
- * タイ・カッブ /Ty COBB(外野手・監督)
- 2 チャーリー・ゲリンジャー /Charlie GEHRINGER(二塁手・コーチ・GM)
- 5 ハンク・グリーンバーグ /Hank GREENBERG(一塁手)
- 6 アル・ケーライン /Al KALINE(外野手)
- 16 ハル・ニューハウザー /Hal NEWHOUSER(投手)
- 23 ウイリー・ホートン /Willie HORTON(外野手)
- 42 ジャッキー・ロビンソン /Jackie ROBINSON(二塁手)☆全球団永久欠番
タイガース・球団史
アメリカンリーグ創立時から代わらずに存続し続けている伝統球団であるデトロイト・タイガース。優勝からは縁遠くなってしまった感があり、さらに財政的にも厳しい状況が続いている。2000年に開場したばかりのコメリカパークにポストシーズンを呼び込むことが出来るか、今後の戦い方に注目が集まる。
デトロイトにプロ球団が出来たのは1881年のことで、ナショナルリーグに加盟する。初優勝を経験したのは1887年のことで、シーズン終了後にはアメリカンアソシエーション(1882年に創立されたリーグ)の優勝チームであるセントルイス・ブラウンズと“ワールドシリーズ”を戦った。この時は15試合戦い、デトロイトがブラウンズ相手に10勝5敗で勝ち越している。
1888年にリーグ5位に終わると、ナショナルリーグを離脱し、マイナーリーグであるウエスタンリーグへ移動。このウエスタンリーグは後のアメリカンリーグの前身となるリーグであるが、ちょうどこの頃のチームが黄色と青色の縞模様のストッキングを履いていたことから、自然にタイガースと呼ばれるようになっていった。これには当時のジョージ・スターリング監督が自ら名付けたという説と、野球記者が名付けたという説がある。
1901年、アメリカンリーグが創立されると初年度から加盟。開幕戦ではブリュワーズ(後にブラウンズを経て、現在のオリオールズに至る)と対戦し、4対13と大量リードされるが、最終回に一挙10点を奪って逆転勝ちという幸先のいいスタートを切った。1年目は74勝61敗でリーグ3位という成績に終わっている。
タイガースにタイ・カッブが加わるのは1905年のことである。それまでマイナーリーグであるサウスアトランティックのオーガスタのチームでプレーしていたカッブを、1人の投手と金銭700ドルとの交換でトレードが成立した。そのカッブが初めてメジャーリーグの舞台に立ったのはこの年の8月30日のことで、この日が後の伝説の始まりの日だった。
カッブがメジャーでフルシーズン過ごしたのは1907年のことで、いきなり打率.350、119打点、49盗塁をマークし、首位打者、打点王、盗塁王のタイトルをそれぞれ獲得する。タイガースを引っ張っていたのは打線ではカッブとサム・クロフォードの2人であり、投手ではビル・ドノバン、エド・キリアンの2人である。リーグトップの102得点をマークしたクロフォードに加え、ドノバン、キリアンは共に25勝をマークし、この年はタイガースに初優勝をもたらした。
初めてのワールドシリーズではカブスと対戦したが、この年のカブスはシーズン107勝をマークするほどの強力なチームである。第1戦は3対1でリードしたまま最終回を迎えるが、最後で追いつかれてしまい、結果的に延長12回の末の日没コールドで引き分けとなった。その後、タイガースは4連敗してしまい、4敗1分けで敗れ去ってしまった。チームの柱であるカッブもクロフォードも抑えこまれたことが敗因である。
1908年、カッブが打率.324、108打点で首位打者と打点王のタイトルを獲得すると、クロフォードが7HRで本塁打に輝く活躍でリーグ優勝を果たす。ちなみにカッブと共にタイガースを引っ張ったクロフォードだが、実際にはカッブとは不仲で知られていた。1899年にレッズでデビューを果たしたクロフォードは、1903年にタイガースと二重契約し、結果的にタイガースに移ることになった選手である。
ワールドシリーズでは再びカブスと戦うことになったタイガース。第1戦はシーズン24勝のエド・サマーズを先発に立てたが、6対5と1点リードで迎えた最終回に一挙5点を奪われて逆転負けを食らった。第3戦でかろうじて一矢は報いるが、第4戦、第5戦と連続完封負けで結果的に1勝4敗で、このシリーズを落としてしまう。
1909年はカッブが、打率.377、9HR、107打点、76盗塁で4つのタイトルを独占したこのシーズン、タイガースは3年連続でのリーグ優勝を決めた。ワールドシリーズではホーナス・ワグナーを擁するパイレーツと対戦することになり、大きな注目が集まった。しかし、ワグナーは打率.333、7打点、6盗塁を記録するのに対し、カッブは打率.231、2盗塁と振るわず、3勝4敗で敗れてしまい、3年連続で世界一になることは出来なかった。
カッブは1907年から1915年まで9年連続で首位打者のタイトルを獲得。特に1911年には打率.420をマークしており、これは1901年にナポレオン・ラジョイが記録した打率.422に次ぐ高打率であった。1年おいて1917年から1919年までも3年連続で首位打者となっており、カッブは実に12度も首位打者のタイトルを獲得している。
1912年、デトロイトのダウンタウンに新球場が誕生した。後にタイガースタジアムと改称するこの球場は、当初はオーナーの名前を取ってネビンフィールドと呼ばれていた。しかし、カッブの打撃成績とは別でチーム成績は一向に向上せず、優勝とは無縁だった。1915年には100勝54敗と好成績を残すが、レッドソックスがタイガースを上回る勝率を残したため、優勝は逃してしまった。
1907年から監督を務めていたヒューイ・ジェニングスは1920年限りで勇退。後任としてカッブが選手兼任監督となるが、チーム成績には反映されなかった。カッブは1926年を最後にコニー・マックのいるアスレティックスへ移籍している。1934年にはベーブ・ルースを監督に招聘しようとしたが実現せず、結果的には当時フィラデルフィアに本拠を構えていたアスレティックスから、当時30歳のミッキー・カクレーンを10万ドルで獲得。ルースの年俸8万ドルが大統領より高いと話題になっていた時代の中での10万ドルは相当の高値だったが、タイガースに取っては決して高くはなかったのである。
カクレーンを監督兼選手として迎えた1934年シーズン、チームの雰囲気がガラリと変わった。前年5位だったチームが101勝をマークして、リーグ優勝を飾ったのである。ルー・ゲーリッグが三冠王を取ったこの年だが、ヤンキースの追撃をかわして25年ぶりのリーグ制覇であった。
前年にメジャーデビューしたばかりの長身投手のスクールボーイ・ロウが当時のメジャー記録である16連勝を含む24勝をマークすれば、すでに巧打者として地位を固め、この年はリーグトップの214安打を記録したチャーリー・ゲリンジャーや、台頭著しい長距離砲のハンク・グリーンバーグ、セネタースから移籍したこの年に30試合連続安打を記録したグース・ゴスリンなどタレントが揃ったチームであった。
ワールドシリーズでは「ガスハウス・ギャング」と呼ばれるほどの荒々しいプレーが売りだったカージナルスと対戦。カージナルスのエースは30勝をマークしたディジー・ディーンであり、その実弟のポール・ディーンもいたチームである。3勝2敗と一旦は世界一に王手を懸けたが、ここからディーン兄弟の前に連敗してしまい、世界一を逃してしまう。
1935年もヤンキースに追い上げられながらも2年連続でのリーグ優勝を果たしたタイガース。当時のタイガース打線の中軸はゲリンジャー、グリーンバーグ、ゴスリンの3人がいたことから、「スリーG」と呼ばれて注目を集めた。ワールドシリーズではカブスと戦い、3勝2敗で迎えた第6戦、3対3と同点のまま最終回を迎えるが、この年21勝をマークしているトミー・ブリッジスが救援登板し、9回表を無失点に抑えると、その裏にはグスリンのサヨナラヒットが飛びだし、サヨナラ勝ちでタイガースが初の世界一に輝いた。
チームに初の世界一をもたらしたカクレーンは1937年、頭に死球を受けてしまい、それが原因で生死の境をさまよった。これにより選手生命を断たれ、翌1938年には監督を解任されている。後にタイガースの球団副社長を務めることになるカクレーンだが、余りにも悲しい最期であった。
1938年にはシーズン58HRで本塁打王となったグリーンバーグは、1940年には41HR、150打点で二冠王に輝く活躍を見せた。さらにこの年はインディアンズ、ヤンキースと激しい三つ巴の戦いを行い、最終的にはタイガースが勝利したわけだが、2位インディアンズ、3位ヤンキースとの差はそれぞれ1ゲームと、僅差での優勝だった。ワールドシリーズではレッズと戦い、3勝2敗から2連敗し、世界一になることは出来なかった。
第二次世界大戦がメジャーに大きな影を落としていた1944年、それまで制球に苦しんでいた左腕ハル・ニューハウザーが29勝9敗とその才能を大きく開花させた。戦争が終結した1945年には25勝9敗、防御率1.81、212奪三振と投手のタイトルを独占したニューハウザーの活躍でチームはリーグ優勝を果たした。カブスとのワールドシリーズではニューハウザーが2勝、グリーンバーグが2HR、7打点という活躍を見せ、4勝3敗で2度目の世界一に輝いた。
1953年、ハビー・キーンがメジャーに定着すると、リーグトップの209安打を放ち、新人王を獲得。1955年にはアル・ケーラインが打率.340をマークし、20歳という若さで首位打者に輝いた。若手選手の台頭が目立ちながらも、この頃のタイガースは下位を低迷。1959年にはキーンが打率.353で首位打者となるが、この年のオフには本塁打王になったインディアンズのロッキー・コラビトとの交換トレードがまとまった。これは各チームの球場の特徴を生かすためのトレードであった。さらに翌1960年の8月にはタイガースとインディアンズが監督同士をトレードするというメジャー史上初の珍事もあった。
1961年にはホワイトソックスから移籍してきたノーム・キャッシュが打率.361で首位打者となるなどしたが、ちょうどヤンキースの黄金時代だったこともあり優勝からは縁遠かった。そのタイガースにデニー・マクレーンが加わったのは1963年のことであり、1965年には16勝、翌1966年には20勝をマークするなど順調な成長曲線を描いた。さらには大型左腕のミッキー・ロリッチも台頭し、この選手達の歯車が噛み合ったのは1968年のことである。
メイヨ・スミス監督の元、タイガースはシーズン103勝を挙げる活躍で、2位オリオールズに12ゲーム差を付ける圧倒的な強さでリーグ優勝を飾る。この年、エースのマクレーンは31勝をマークし、メジャー史上34年ぶりの30勝投手となった。そして、ワールドシリーズではボブ・ギブソンを擁し、前年に世界一になっているカージナルスと対戦した。
頼みのマクレーンが打たれ、1勝3敗と追い込まれたタイガースは、迎えた第5戦も序盤に3点のリードを奪われる苦しいスタート。4回表に快足ルー・ブロックを2塁に置き、さらにレフト前に運ばれ、追加点を奪われそうになったが、レフトを守る強肩のウイリー・ホートンがホームでブロックを刺した。このワンプレーがきっかけとなり、タイガースが逆転勝ち。3勝3敗で迎えた第7戦は中2日のロリッチとギブソンが6回まで無失点に抑える投手戦を演じるが、カージナルス守備陣の乱れもあり、ギブソンから勝ち越し点を奪ってタイガースが世界一に輝いた。ロリッチは3勝をマークし、シリーズMVPの栄誉を手にしている。
1971年にビリー・マーチンが監督に就任すると、翌1972年には地区優勝を果たす(しかし、リーグチャンピオンシップシリーズでアスレティックスに敗退)。そして、1979年6月に、前年までレッズの監督を務めていたスパーキー・アンダーソンを監督として迎える。「ビッグレッドマシン」を作り上げたアンダーソンは異例とも言える5年契約を結んだ。アラン・トラメルのように有望な若手選手がいたのも、アンダーソンがタイガースを選んだ理由である。
実を結んだのは1984年のことで、開幕40試合を35勝5敗と圧倒的な勝率で勝ち進んだタイガース。結果的にはシーズン104勝でダントツの地区優勝を果たした。リーグチャンピオンシップシリーズでもロイヤルズを3連勝で退け、ワールドシリーズではパドレスと戦うことになる。パドレスの監督はかつてアスレティックスを率いて世界一になっているディック・ウイリアムスであり、アンダーソンのレッズ監督時代の1972年にワールドシリーズで対戦し、苦汁をなめたことがある。
つまり、この1984年のシリーズで勝利を収めたチームの監督が、メジャー史上初の両リーグでの世界一経験者となるシリーズでもあった。タイガースのエースであるジャック・モリスが2勝を挙げれば、主砲のトラメルは打率.450、2HR、6打点と大当たりし、4勝1敗でタイガースが世界一となった。こうしてアンダーソンは両リーグで世界一を経験した唯一の監督となった。なお、このシリーズのMVPはトラメルである。
1987年にも地区優勝を果たすが、ワールドシリーズには出場できず、その後は下位を低迷。長くタイガースの監督を務めていたアンダーソンは1995年を最後に勇退。1998年には3地区制の東地区から中地区に移り、有利と思われたが、優勝とは縁のない位置に留まったままである。2002年にはシーズン106敗と沈んでしまい、1日も早い再建が待たれるが、状況は厳しいといわざるを得ない。
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>
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