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Philadelphia PHILLIES(フィラデルフィア・フィリーズ)

  • 2008-05-22 (木) 23:23

Philadelphia PHILLIESフィラデルフィア・フィリーズ
1876年のナショナルリーグ誕生時に、アスレティックスという名で発足するが、すぐに解散し、1883年マサチューセッツ州ウォーセスタの球団を買収し、再加盟。70年代後半には、エースのスティーブ・カールトン、主砲のマイク・シュミットを中心に黄金時代を築き、1980年にはピート・ローズを加え、初の世界一に輝く。1993年には前年の最下位からリーグ優勝を果たしている。2007年には若い選手の台頭があり、シーズン終盤の快進撃で地区優勝を果たしている。ニックネームは都市名にちなんでフィリーズになる。これは、プロスポーツ史上最も長く続いているニックネームである。

フィリーズ・球団データ

  • 創立 /1880年フィラデルフィア
  • 世界一 /1回(1980)
  • NL・リーグ優勝 /5回(1915, 1950, 1980, 1983, 1993)
  • NL・東地区優勝 /7回(1976, 1977, 1978, 1980, 1983, 1993, 2007)
  • NL・ワイルドカード /0回
  • 本拠地 /シチズンズバンク・パーク (2004~) Citizens Bank Park

フィリーズ・選手データ

# 投手 # 野手 # その他
39 ブレット・マイヤーズ(SP) 6 ライアン・ハワード(1B) パット・ギリック(GM)
35 コール・ハメルス(SP) 26 チェース・アトレー(2B) 41 チャーリー・マニエル(Manager)
50 ジェイミー・モイヤー(SP) 7 ペドロ・フェリス(3B)    
38 カイル・ケンドリック(SP) 11 ジミー・ロリンズ(SS) 63 ライアン・マドソン(RP)
21 アダム・イートン(SP) 5 パット・バール(LF) 99 田口壮(OF)
45 トム・ゴードン(RP) 8 シェーン・ビクトリーノ(CF) 4 エリック・ブラントレット(SS)
16 JC・ロメロ(RP) 10 ジェフ・ジェンキンス(RF) 18 ウェズ・ヘルムズ(3B)
54 ブラッド・リッジ(RP) 51 カルロス・ルイス(C) 28 ジェイソン・ワース(OF)
           

フィリーズ・球団史
メジャーリーグを代表するサードベースマンのシュミット。長い歴史を持つものの世界一になったことは1度しかないフィラデルフィア・フィリーズ。2004年には天然芝の新球場を開場する予定で、それに合わせるかのように大型補強に乗り出している。有望な若手選手の台頭もあり、1980年以来の世界一に向けてフィリーズの新しい戦いが始まっている。

ナショナルリーグが創立された1876年、フィラデルフィアにもプロ球団が誕生したが、そのチームはわずか1年で解散。現在のフィリーズにつながるチームは1880年にリーグに加盟したウォーセスタ・ルビーレッグスであり、このチームが1883年からフィラデルフィアに本拠を移してからがフィリーズの歴史の始まりである。それ以降、フィラデルフィアにずっと腰を落ち着けることになり、フランチャイズの移転がないという意味では野球以外のプロスポーツ史上でも最長の記録である。

1883年、フィリーズの1年目は17勝81敗と散々なもので、勝率にすれば2割に満たない。翌1884年、かつてシンシナティ・レッドストッキングス、ボストン・レッドストッキングスの創設に大きな力を果たしたハリー・ライトが監督に就任。とはいえ1887年には首位へ3.5ゲーム差で2位になることはあったものの、優勝とは縁はないチームであった。

当時の名選手としては1885年に球団史上初のノーヒッターを達成したチャーリー・ファーガソンがおり、4シーズンで計99勝を挙げるほどの活躍を見せるが、25歳の若さで腸チフスのために死亡。なお、打率4割を3度も記録したエド・デラハンティもいたが、セネタースに移籍後の1903年にナイアガラの滝に転落するという壮絶な死を遂げている。

1896年にはナポレオン・ラジョイがデビューし、2年後の1898年には打点王に輝く活躍を見せれば、その年に俊足好打の外野手としてエルマー・フリックがデビューし、さらに2年後の1900年に打点王に輝いている。ラジョイ、フリックにデラハンティを加えたフィリーズはチーム力が向上し、優勝を狙えるほどのチームに変貌した。

輝かしいキャリアのスタートはフィリーズだったアレキサンダー。1901年にアメリカンリーグが創立されることが決まり、フィリーズの本拠地であるフィラデルフィアにはコニー・マックが率いるアスレティックスが誕生した。すると、ラジョイがアスレティックスに籍を移し、打率.426をマークするほどの猛打で三冠王を獲得。フィリーズはラジョイを取り戻すべく動くが難しく、終いにはフィラデルフィアのあるペンシルベニア州でのプレーが不可能となり、ラジョイは1902年途中にクリーブランドへ移籍している。

主力選手の流出で低迷するフィリーズとは対照的に、他チームの選手を獲得するなど積極的に補強を進めていったアスレティックスとの差は歴然たるものとなっていく。そんな中、1911年にはグローバー・アレキサンダーがフィリーズでメジャーデビューし、いきなり28勝をマークして大投手への階段を昇り始める。さらに長いマイナー生活を経て1912年、31歳という年齢でギャビー・クラバスがメジャーに定着し、その長打力を発揮し始めるなど、フィリーズにも光明が差し始めた。

1914年、同じフィラデルフィアを本拠地とするアスレティックスは前年と合わせ、2年連続でリーグ優勝を果たす。そして、ワールドシリーズでは「ミラクルブレーブス」と呼ばれる勢いで勝ち進んだブレーブスと対戦して4連敗で敗れると、翌1915年にはアスレティックスはリーグ最下位に転落。それと入れ替わるように1915年、開幕から快進撃を見せたフィリーズが球団史上初のリーグ優勝を飾った。

チームを支えたのは投手ではアレキサンダーであり、31勝10敗、防御率1.22で投手タイトルを総ナメすれば、主砲のクラバスは24HR、115打点をマークして二冠王に輝いた。ワールドシリーズでの対戦相手はレッドソックスとなり、前年のアスレティックスとブレーブスによるフィラデルフィア対ボストンという対決が、今回は同じ本拠地の別のチーム同士が戦う事になったのである。

MVP受賞に三冠王も獲得しているクライン。第1戦はアレキサンダーの1失点完投で勝利を飾るが、その後は接戦で敗れてしまい、フィリーズは1勝4敗で敗れ去ってしまった。特にHRがあまり認知されていなかったこの時代、本塁打王のクラバスのバットが全くといっていいほど火を噴かなかったことも敗因である。また、後の本塁打王であるベーブ・ルースは第1戦に代打として1打席だけに立っており、本塁打王クラバスとわずかにだけ交わっているのである。

1度の優勝の後は2年連続で2位に終わるが、1918年からアレキサンダーらの主力を放出し、チームはここから低空飛行を続けることになる。1920代に至ってはチームの勝率が5割を上回ることはなかった。そのようなチーム状況の中で1928年にはチャック・クラインがメジャーデビューし、持ち味の長打力と当時の本拠地球場ベイカーボールはライトへの距離が短い特徴を生かして、HRを量産し始める。

クラインは1929年に43HRで初の本塁打王に輝くと、1931年は31HR、121打点で二冠王に輝く。さらに翌1932年には38HRで本塁打王のタイトルを獲得し、さらに20盗塁で盗塁王にも輝き、さらにMVPも受賞。この年はチームも78勝76敗で勝率が久々に5割を越え、リーグ4位に浮上した。1933年、クラインは打率.368、28HR、120打点で三冠王となるが、逆にチーム成績は60勝92敗と降下してしまったのである。

1934年、クラインをカブスへ放出し、再び下位に低迷。1936年以降の10年間では8度も最下位になるなど厳しい状態が続いた。そして、1948年途中にエディ・ソーヤーが監督に就任してからは流れが変わりつつあった。ちょうど若きエースのロビン・ロバーツや俊足好打のリッチー・アシュバーンの台頭と重なったこともあり、チームは一気に若返りを図り、これが成功した。1949年には81勝73敗のリーグ3位となり、17年ぶりに勝率が5割を越えている。

1950年のフィリーズは「ウイズ・キッズ(WHIZ KIDS)」と呼ばれるほどの若い選手が揃ったチームであり、レギュラーのほとんどが20代の選手で埋められていた。その若いチームは開幕から首位争いに加わり、9月半ばの段階で首位をキープしていた。しかし、ここから本命と言われていたドジャースの猛烈な追い上げを食らうのである。

1950年の優勝に貢献したロバーツ。シーズン最終戦を前にドジャースとの差は1ゲームとなり、その最終戦はドジャースとの直接対決であった。仮にフィリーズが敗れた場合、同率首位となり、3試合のプレーオフが行われるという崖っぷちの状況に追い込まれたフィリーズ。エースのロバーツと共にチームを支えていた左腕のカート・シモンズがシーズン最後の3週間を兵役で過ごさなければいけないということも災いした(ちょうど朝鮮戦争があったため)。

運命となったシーズン最終戦は1対1のまま、最終回を迎える。9回裏にはノーアウト1塁2塁という大ピンチを迎えたフィリーズ。ここでドジャースの主砲のデューク・スナイダーの打球はセンターのアシュバーンの前へ。2塁ランナーは一気に本塁への突入を試みるが、アシュバーンの返球は完璧で、本塁でタッチアウト。

これでピンチを脱出したフィリーズは延長10回表にディック・シスラーの3ランHRが飛び出し、チームの優勝を決めた。ちなみにシスラーは、かつてはブラウンズなどで活躍したジョージ・シスラーの息子であり、この時は対戦相手のドジャースのスカウトをしていたのである。こうして1915年以来、球団史上2度目のリーグ優勝を飾ったフィリーズ。エースのロバーツは20勝をマークし、終盤に抜けたシモンズも17勝を挙げていた。そして、MVPは主にリリーフで16勝を挙げたジム・コンスタンティの元に輝いた。

ワールドシリーズではジョー・ディマジオヨギ・ベラのいるヤンキースとの対戦となる。第1戦の先発はロバーツではなく、コンスタンティを立てて意表を突いた。コンスタンティは期待に応えて8回を1失点に抑えるが、打線の援護がなく、0対1で敗れてしまった。第2戦も延長10回にロバーツがディマジオにHRを打たれて敗れてしまう。結果的にフィリーズはヤンキースの前に4連敗で敗れてしまった。

孤高の大投手として君臨したカールトン。その後の数年は勝率5割近くをさまようが、1958年からは4年連続最下位と再びかつてのようなチーム状況に戻ってしまったのである。1961年には23連敗という不名誉な記録も作ってしまったフィリーズ。1971年にそれまでのシャイブパークからベテランズスタジアムに本拠地を移してから、少しずつ選手が集まり始める。1970年には俊足のラリー・ボーワがショートに定着し、翌1971年にはスラッガーのグレッグ・ルジンスキーもレギュラーとして定着する。

そして、1971年に17勝を挙げていたリック・ワイズを交換相手にカージナルスからスティーブ・カールトンを獲得。ちょうど20勝をマークしていたカールトンはカージナルスのフロントと衝突しており、それ故の放出となったわけだが、これはフィリーズにとっては幸いした。このカールトンは移籍1年目の1972年、27勝10敗、防御率1.97をマークしてサイヤング賞を受賞。チーム成績は59勝97敗の最下位だったが、その中でカールトンは27勝もマークしたのである。

その1972年途中にマイク・シュミットがメジャー昇格を果たした。最初は大振りの目立つ選手だったが、1974年に36HRで本塁打王に輝くと、それ以降は揺るぐことのないチームの主砲となった。こうしてカールトンにシュミットという投打の軸を手にしたフィリーズは、ようやくその永い眠りから覚めようとしていた。

1976年にはシーズン101勝を挙げて地区優勝を果たすが、リーグチャンピオンシップシリーズで「ビッグレッドマシン」と呼ばれたレッズの前に敗れてしまう。続く1977年、1978年にも地区優勝を果たしたが、いずれもドジャースの前に敗れてしまう。1979年はピート・ローズを獲得して期待がかかったが、地区4位に沈んでしまいシーズン途中の段階でダニー・オザーク監督は解任されてしまう。

2003年限りでその役目を終えるベテランズスタジアム。こうして迎えた1980年、新監督ダラス・グリーンの元、フィリーズは快進撃を果たす。エースのカールトンは24勝9敗と揺るぎない数字を残せば、主砲のシュミットは48HR、121打点で二冠王に輝いた。さらに世界一を肌で知っているリードオフマンのローズの存在もチームとしては非常に大きかったのである。2年ぶりに地区優勝を果たしたフィリーズは、リーグチャンピオンシップシリーズでもアストロズを相手に1勝2敗から2連勝して、リーグ優勝を決めた。

30年ぶり出場となるワールドシリーズでは、ジョージ・ブレットを擁するロイヤルズと対戦。第1戦は新人のボブ・ウォークが先発し、序盤のリードを守って勝利を飾った。フィリーズにとってワールドシリーズでの勝利は、1915年にアレキサンダーが挙げて以来のことである。第2戦はカールトンが8回を4失点、10奪三振に抑えて勝利投手になった。結果的には4勝2敗でフィリーズがロイヤルズを振り切って、球団史上初の世界一に輝いた。実にフィラデルフィアに本拠を構えて、98年目にして初の世界一である。

1983年にもカールトン、シュミット、ローズに加え、レッズからジョー・モーガントニー・ペレスというかつての「ビッグレッドマシン」メンバーも加わり、3年ぶりに地区優勝を飾る。ちょうどこの年のチームは40歳近いベテラン選手が多いことが特徴であり、1950年のチームが「ウイズ・キッズ(WHIZ KIDS)」と呼ばれたことに対して、「ウィズ・キッズ(WHEEZS KIDS)」と皮肉られた。

リーグチャンピオンシップシリーズではドジャースを3勝1敗で退け、ワールドシリーズでは台頭著しいカル・リプケンやエディ・マレーのいるオリオールズと対戦し、1勝4敗で敗れ去ってしまった。その後のフィリーズは再び低迷し、4度のサイヤング賞受賞投手のカールトンも衰えが見え始めると、1986年途中にはジャイアンツへ放出。シュミットも1989年途中に現役を引退した。

今後のフィリーズを支えていくであろうバール。1992年は地区最下位に終わり、翌1993年開幕前は最下位という予想がほとんどの中、ジム・フレゴシ監督の元、見事に地区優勝を飾り、周囲を驚かせた。リーグチャンピオンシップシリーズでも、2年連続でリーグ優勝しているブレーブスを相手に4勝2敗で勝利を収めた。ワールドシリーズでは前年世界一のブルージェイズと対戦。2勝3敗で迎えた第6戦、ミッチ・ウイリアムスがジョー・カーターに逆転サヨナラ3ランHRを打たれ、敗れてしまう。

しばらくは下位に低迷するが、エースのカート・シリングを失った後の2001年、地区2位に躍進。これは1997年新人王のスコット・ローレンボブ・アブレウジミー・ロリンズらの台頭のためである。2002年シーズン途中にはローレンをカージナルスへ放出することになるが、パット・バールや2003年新加入のジム・トーミらがその穴を埋めてしまいそうな勢いである。かつてのフィリーズの選手であったボーワが監督として率いており、これからも目が離せないチームである。
(近日、大幅更新予定。。。)
<written by Kenji@webmaster>

フィリーズ・各年度別成績一覧

フィリーズ・球団名の変換史

  • Philadelphia PHILLIES (1946~現在)
  • Philadelphia BLUE JAYS (1944~1945)
  • Philadelphia PHILLIES (1890~1943)
  • Philadelphia QUAKERS (1883~1889)
  • Worcester RUBY LEGS (1880~1882)

フィリーズ・マイナー組織

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